坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

たこ焼きは究極の精進料理である

2010年03月11日 | 坊主の家計簿
 ようやく「御近所のニンニクらーめんを食べて風邪を治す!」っちゅうぐらいに回復。なんだが、昨日、イライラしまくり(今もだが)だったので、タバコをプカプカ吸ってもうて、咳が。。。っちゅうても、これも一時期に比べたらマシマシ♪
 なので、久々に娘と遊んだりの一日であった。。。っちゅうても、他の何かまでをする気力はなく、お参り以外にした事は「灯油を買いに行った」っちゅう事だけである。まあ、「ようやく買えたわ。」っちゅう感じである。
 
 大谷派のホームページを見たら、なにやら『子ども向けの精進料理レシピ募集』っちゅう事である。

 http://higashihonganji.jp/topics/child/child_recipe.html

 だいたい、親鸞の好物は『ますたに』(http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260302/26001839/のラーメンでは無かったのか?そして流罪後に越後に流されて出来たのが『燕・三条背油らーめん』ではなかったのか?それが精進料理だと。はあ?血迷ったか。んなもんは他宗に任しといて、多いにこってりしたラーメンを食べようではないか!
 
 っちゅうても、まあ、こってりラーメンだけでは法事なんぞの後に物足りないかも知れんし、だいたい、作るとなると大変である。しかも子ども相手となると、「君たち、子どもの頃からこんなものを食べていると成人病になってしまうよ。成人病はその名の通り未成年がなると警察がやって来て逮捕されるから、なったらダメなんだよ」という問題が出て来る。きっと子どもにこってり背油ラーメンを食べさしたりしたら、その『食べさした大人』も未成年に酒とかタバコを強要したぐらいの罰則になってしまうかもしれん。それはイヤである。
 そう考えると大変である。ホルモン系もヤバい。肉系もヤバいかも知れん。タマゴもヤバいだろう。
 っちゅう事で、うどんである。讃岐地方では法事の際に必ず(?)うどんを食するように、うどんがエエ。ただ、うどんの場合、問題になるのは釜と火力である。家庭にあるような釜と火力ではエエうどんが茹で上がらん。うどんは茹でた瞬間から死に近づいて行くわけだから、やはり茹でたてがエエ。まあ、『茹でて49日目』とか『茹でて50年目』とかのうどんが食えたら話は別だが。子どもに茹でて時間が経ったうどんを食わす事は讃岐地方では児童虐待にあたるらしく、ある地方で児童虐待にあたる事を精進料理としてプレゼンするわけにはいかん。。。

 「ん!」と、私はひらめいた。たこ焼きである。たこ焼きなら誰にだって作れるし、一家に一台は必ずたこ焼きを焼くホットプレートだの、コンロ形式のがあるはずである。しかもたこ焼きを作るのは楽しく、子どもに大人気である。たこにはタウリンも豊富で、『学校』という閉鎖されたストレス空間で過ごさなければならない子どもにとって弱った肝臓を「また明日も肝臓いわしながら学校に行って来い」っちゅうのにはエエ感じである。精進料理の『精進』とは『仏道精進』っちゅう事なんだろうし、弱った肝臓の為にたこは最適である。しかも通風の危険性もなく、糖分も大丈夫だし。また、「たこ焼き食べ過ぎて成人病になってもうたわ」という声は聞いた事がない。ただし、たこ焼きの基本は「外カリ中トロ」であるので火傷には注意せんとアカンけど、んなもん、たこ焼き食って火傷するようなヤツは、お好み焼きのコテを鉄板の上に置いといてたのを忘れてて、そのまま口に入れて火傷するようなヤツやろうし、あとはその事をどれだけ笑いに結びつける事が出来るかどうかの腕を問われるだけの話である。
 しかも『たこ』は『他己』である。他と己である。
 そもそも『食』とは、他のいのちを殺して食べるものである。他のいのちを殺して、己の身にするものである。それが故に己はその責任を取らなければならない。それが仏道精進である。他のいのちを殺して生きているのが己であり、そんな己を「こんな己は好き」「こんな己はキライ」なんぞとは、

 ♪力合わせて、戦って、食べられて
  でも私たちあなたに従い尽くします
  立ち向かってって、黙って、ついてって
  でも私たち愛してくれとは言わないよ
  (「愛のうた ~ピクミンCMソング」より)

 という事に対して無礼である。

 しかもたこ焼きは真ん丸である。あの真ん丸は地球を現している。私たちは地球という星の中で多くの生き物と共に生きて、その中で『他』と『己』と分別して生きて行かざるを得ないのである。あくまでも己中心でしか物事を判断出来ず、その己中心の考え方で苦しんでいるのである。
 その事を表現しているのが紅生姜である。『紅生姜』と今日ではこういう漢字を使うが、元々は『紅勝我』である。『紅』とは血塗られた色である。己(我)中心で「他に勝ちたい勝ちたい」と思い、行動してしまい、その究極は戦争である。
 そして己(我)は天を目指す。だから、たこ焼きには天カスが入っているのだ。天を目指し、天で満足してしまう己(我)に対してたこ焼きは「んなもん、カスや」と。天すら迷いの中の世界であり、天に行きたい、天に向かいたい己(我)に対して「んなもん、カスや」と。非常に厳しい教えが天カスには詰まっているのである。

 さて、たこ焼きに忘れてはならないのがネギである。元々の漢字でいうと『根来』である。『根』とは『仏性』である。
 風邪で寝込んでた時に『縁起と空』っちゅう「何をヌカしとるねん、この学者わ」っちゅう本を読み返していたんだが、まあ、学者先生らしい仏教史を丁寧に切り込んだ論文集なんだろうが、親鸞は涅槃経の引用でのクライマックスは『無根の信』である。

【誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。】(親鸞)

 である。

【仏性すなわち如来なり。この如来、微塵世界にみちみちたまえり。すなわち、一切群生海の心なり】(親鸞)

 である。

 『根』は、『根本』である。
 故に、たこ焼きにはネギが必須なのである。
 ネギ抜きのたこ焼きには『他』と『己』を繋ぐ働きがない。

 っちゅう事で、風邪もマシになったので酒飲みネット♪
 眠なったので寝よ。