坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

プチ赤狩り

2010年03月22日 | 坊主の家計簿
 先日、オートバックスで修理の待ち時間に店内徘徊をしてて、ETCコーナーに足が止まる。「パパになったし、これから娘と一緒にドライブ行くのにETCはあった方がエエかなぁ。。。」なんぞと悩む。
 帰宅してママに相談。「確か、5月ぐらいからETCの法律が変わるらしいで」との事。
 検索してみたら6月からETCがなくとも私が乗っている軽自動車なら上限1000円になる予定らしい。

 http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010010801000628.html

 いや、『高速道路無料化』って金がないから諦めたんやと思ってたら、まだ諦めてなかったのね。まあ、個人的にはETCの機械を買わない分だけ助かるので非常にありがたい話である。

 しっかし、ニュースについて行けなかったりする。。。
 大阪では橋下知事が公立高校授業料無料化に関して「朝鮮高校がうんたらかんたら」なんぞと言ってたニュースを見ながら、「なんで公立高校の授業料無料化に朝鮮高校が関係あるねん」と思ってたら、なんや、私立高校・各種学校に対しても授業料の助成があるのね。
 で、なんで私学に対して助成しなあかんねん。私学に行きたい人たちは、自費で行ったらエエやんけ。公立の保育園なんぞと違って学校の数、むっちゃ多いやんけ。競争率の平均って、1倍あるのか?
 まあ、「頭が悪くて一番偏差値の低い公立高校に入れません」で、「入れる高校は私学しかありません」ならば、「いや、すんまへんなぁ。。。ホンマは公立高校で学びたい人たち全ての人が入学出来るだけの公立高校を作りたいねんけど、これから子ども減って来ますやんか。だから高校を作るわけにも行きまへんねん。授業料を面倒みるから私学に行ってくれるかなぁ。。。」なら理解出来るが、んなもん、「私は公立の学校でなく私学のこの学校に行きたい!」なんぞという、つまり私学出身の私みたいなヤツの授業料の面倒をなんで税金で賄わなアカンねん。んなもん、私学に行きたいヤツの勝手やろ。そんな所に金を使うほど、この国に金あるんか?
 よって、私立高校に対する授業料の助成に対して反対なんだが、やるねんやったら平等にやらんとアカンやろ。朝鮮高校だけを除外する、除外する理由は

【橋下知事は、朝鮮学校の高校にあたる高級学校への補助金については、教室から金総書記の肖像画を外す▽使用する教科書の記述で「敬愛なる金総書記」などと個人崇拝の表記をしないことや竹島や日本海の呼称について、日本側の主張も併記するなどの配慮をする▽財務状態を公開するーなどを予算執行の条件として提示した。そのうえで、学校と朝鮮総連との関係を絶つ必要があると強調した。】(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/368012/

 らしいが、んなもん、宗教団体系の高校はどないなりまんねん。行った事はないけど、多分、大谷派系の高校には大谷派の御本尊もあるやろうし、親鸞に関して学ぶ時間なんぞもあったりするかも知れんぞ。真宗仏教の教えは、『国』という限定を超えとるぞ。アナーキーやぞ。んなアナーキーな人間を生み出す高校に対して助成するのであったら、んなもん朝鮮高校に対しても助成したれや。
 んが、これは各宗教団体系の高校が『風景』になっているのかも知れん。キリスト教系の学校の生徒がクリスチャンになったり、仏教系の高校の生徒が自覚的仏教徒になったりしていない、つまり、宗教教育の観点からすると『劣等生』ばかりを生み出しているのが問題だったりするのかも知れん。野球で有名なPL高校なんぞも当然PL教団の高校なんだが、同級生でPLを受験したやつは「PLに入ったら野球部のマネージャーになりたい」なんぞという理由だったぞ。「私はPL高校でPLの教義に少しでも触れたい」なんぞという理由ではなかったぞ。以前働いて居た寺の近くに大阪で有数の進学校があったのだが、仏教系の進学校を受験する理由は「エエ大学に行きたいから」という理由が殆どだったりすると思う。
 で、朝鮮高校はどう違うねん。「私も北朝鮮の工作員になりたいです」なんぞというヤツは過去に何人居ってん(笑)単なる朝鮮高校に対する差別やんけ。

 んでもって、当然の事ながら、この差別は「行政が認めない高校に対しては助成しない」っちゅう事になるのだろう。つまり、大谷派が問題になれば「逆賊・大谷派の高校に対してなんで授業料を助成しなければならないのか?」にも繋がるやろ。行政が『助成する私学、助成出来ない私学』と、行政の判断でもって、つまり、その時の『都合』によって判断する事はアカンやろ。『プチ赤狩り』やんけ。

 
【ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
 ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
 ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
 ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。】
 (マルティン・ニーメラー『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』)