坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

常なる慣れ

2010年01月24日 | 坊主の家計簿
 住職になって初めての毎月お参りしている方の葬儀。
 葬儀は数だけはこなしているのだが、今回は事情が違う。町内というか、寺で今までやって来た事を尊重しないといけないし。よって、前住職代務者であるママに「何してるの?」なんぞと聞いたりしつつ。んが、ママ『願生偈』の名前ぐらい憶えておいてくれよなぁ。。。
 よって、いつもの葬儀での緊張にプラスして諸々の緊張。

 今回の葬儀は二人だったので、近くの先輩住職に無理を言って来て頂いた。この先輩は今の寺に来てから大変御世話になっているし、また、色々と教えて下さる。今回の葬儀も焼香が長引いて50分間。いつもより10分ぐらい長い。なので別の先輩から教えて頂いた方法、路念仏というので焼香が終わるのを待つ。
 葬儀が終わってから先輩に「こういう時はどうしているのですか?」と聞いたら、また色々と教えて頂いた。感謝感謝。
 んが、葬儀が終わって火葬場から帰宅してママに御布施を渡そうとしたら「あれ?」っと。「しまった。お膳料を渡すの忘れてた!!!」と、急いで渡しに行く。いつもは『もらう側』だったのだが、初めての『渡す側』で緊張緊張。

 ハイチで大地震があった。
 国内ニュースとして、小沢氏の問題があり、JALの問題もあった。限られたニュースの時間は国内ニュースに多く割かれる。きっと、これらのニュースがなければハイチの地震報道はもっと大きく取り上げられたはずである。なにやら国連の人曰く

 「おそらく、史上最も困難な人道危機となる」
 (http://www.asahi.com/international/update/0123/TKY201001230253.html

 という事らしい。
 報道の大きさは関心の深さに関係してしまう。小沢氏の報道が大きく取り上げられ、ニュースの時間の度にトップニュースになると、どうしても関心が行ってしまう。

 同時に大地震、大災害に対する慣れも感じてしまう。当然、当事者の方々は違う。だが、ニュースでしかそれを感じる事が出来ない私にはスマトラ沖での大地震や、中国四川での大地震等を筆頭に「またか。。。」に、恥ずかしい話なってしまう。 「最近、大地震や大災害が多い」になってしまう。

 「最近、葬儀が多い」になってしまう。
 私は私が何度の葬儀を経験したのか憶えていないし、思い出す事も不可能であろう。住職になってから私が導師をしたのは全部諸々の資料(法名の意味を書いたもの等を含めて)を残しているので思い出す事が出来るが。
 上記に書いた「いつもより10分ぐらい長い」という感覚も慣れである。『いつもの感覚』に慣れっこになっているから「10分ぐらい長い」になってしまう。その場しかないのに。私の保守化である。「常なるものはない」と言いながら、私自身は『常なるもの』に縛られている。だから、まあ、「常なるものはない」という言葉に教えられるのだが。