坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから

2010年01月21日 | 坊主の家計簿
 あ~。。。むっさっ疲れとる。。。
 あ、ちなみにUSBメモリーっちゅうのは、ゴミ箱を空にせんとアカンみたいやぞ。うちの(SONY)のやつだけかも知れんが。かつ、Macだけかも知れんが。。。
 つー事で、プリンターの設定をやってない。
 もっというと、部屋の片付けがやなぁ。。。工具がまだ棚に置きっぱなしやし、書類の整理もまだ。年末に買った電話&ファックス&スキャナー&プリンターの無線LAN設定もまだ。やらなアカン事がムッチャあるのだが、え~。。。なかなか思うように体が動いてくれないわけでして。。。
 これが仕事とか、もしくは期限が切られているのなら別なんだが、特に期限を切ってくれる人もいない。まあ、「今月中にiPhone買わんと損やぞ」ぐらいなもんである。期限が切られているのはちゃんとやってるし。んが、やっぱし思う通りに体が動いてくれずに、こうやってネットしながら寝酒を飲んでいるわけである。

 死。「あなたは必ず死にます」と。確かにそうなんであるが、これも期限がわからない。末期ガンとかで「あなたはもって半年です」とならばともかく。私も死ぬ。しかしながらその死が自分自身の事になっていない。

 なんぞと書いているうちに、テレビCMでやってたユーキャンの『フミダスムービー』の『俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから』

 http://www.u-can.co.jp/movie/index.html?vl=_semg_s10055168

 を見る。なんか気になってたし。

 『俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから』

 って、本気を出せない。っちゅうか、本気って何やろ?それ自体がありもしない幻想である。本気を出せない、様々な業縁で生きている自分を忘却してありもしない『本気』に心を奪われるのが現実の私ならば、その現実を見つめる事が『フミダス』だったりすると思う。
 
 「あの時はやった、やれた」と。確かに「あの時はやったし、やれた」が、今、その事が出来るとは限らない。過去の栄光は過去の栄光にしか過ぎない。だが、過去にそういう事をした出来た自分がそこにいるだけである。そして、今は今の自分が現実に居るだけの話である。
 
 まだ40過ぎの私は「やななければならない事」をこなす事が出来る。いや、この書き方も変である。きっともっと年齢を重ねても自分なりに「やらなければならない事」は出来ているだろう。出来ない事は出来ないし、出来ない現実を受け入れるしかないわけだし。

 『俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから』と、フミダス。しかしながら現実は

 ♪俺は王様だと思ってた
  俺の声で誰もが踊ると思ってた
  だがしかし、俺の声は
  ピンボールさ
  跳ねてるだけ
  (シオン『俺の声』より)

 になるかもしれない。しかしながら、それもやってみない事には始まらない。

 『俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから』

 とは、『思い』である。「きっと出来るであろう」という予定調和である。旅行の計画みたいなもんである。しかしながら、旅行の計画も楽しく、「きっと出来るであろう」という事も楽しい。しかしながらそこには困難(苦)がない。フミダスが故に苦がある。苦が始まる。「どうでもいい」ならば苦はない。どうでもいいのだから。

 「死だけが私を現実に呼び戻してくれる」だったっけな?死ぬ瞬間までは煩悩まみれであり、現実を引き受ける事が出来ずに『俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから』である。誰が誰を笑えるのか?
 笑えるのは有頂天である。天から下を見下して笑っている。
 「なんでやねん。頑張ったら出来るやん」であり、もしくは通信簿によく書かれる「やれば出来る子ですが、やる気が見受けられません」である。それは『我(アートマン)』である。んなもんはない。
 『俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから』の『俺』なんぞはない。『本気を出したら』という『俺』は存在しない。あるのは『俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから』と叫んでいる現実だけである。煩悩まみれの現実である。
 そんな所で平等ではないのか?

 ♪明日になればきっといい事があるよって
  言ってたあいつが今朝死んだよ
  熱にうなされ震える声で
  明日の朝飯心配してた
  (ヘンリー松山『ルート309』より)

 という所で平等ではないのか?

 現実を受け入れる事が出来ない。
 『私』という実態がないにも関わらず、『本当の私』を求めてしまう。
 『俺が本気を出したらそれはもうすごい事になるから』と、ありもしない『俺』を満足させようとしてしまう。
 そんな所で平等ではないのか?
 目覚める事が出来ない、仏陀になれない凡夫(ただの人)の私(たち)は、そういう所で平等ではないのか?

 蒼井優主演のフミダスムービー『捨て猫OL』は必要とされていないOLが必要とされる自分に成って行こうとする物語である。
 では?必要とされる人間になれなければどうするのか?
 必要とされる人間に成らなければ生活していけないのが娑婆の現実である。穢土である。でも、その穢土から何を目指すのか?変わらず必要とされる人間にならなければならない、と、穢土の現実を肯定し続けて生活していくのか、それとも別な道をフミダスのか?

 ♪役に立てば善だってさ
  役に立たなきゃ悪だってさ
  誰が断を下したんだよ
  トドを殺すな
  トドを殺すな
  俺たちみんなトドだぜ!