坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

真宗門徒の「Yes We Can!」

2009年01月20日 | 南無阿弥陀仏の結婚式
 1月20日

 外食  飯         590円
 食類  諸々        493円
 雑費  ハガキ20    1000円
     缶ミルクティー   120円

 合計           2203円
 1月累計        70388円

 沢尻エリカのユリの角隠しが話題らしい。よって、これは流行るかもしれない。っちゅうか、これがスタンダードになって『角隠しは白の花』というのが『しきたり』になるのかも知れない。故に100年後ぐらい後に布の角隠しをしていると
 「あの人は作法を解ってない」
 等と云われるかも知れない。まあ、んなもんやし。
 喪服は白から黒になった。んなもんでっせ。

 歴史は変わり続ける。もうすぐ『ニガー』がアメリカ合衆国大統領になったりする。
 「すんげー!」っちゅう話である。

 角隠しが『花でするもの』になれば、その発祥は沢尻エリカである。まあ、誰が考えたのか知らんが、とりあえず『沢尻エリカ』である。誰かが始めたからこそ、歴史は変わる。

 「あんな角隠しは邪道である。」と云う人もいるかも知れないが、それは『歴史』を解っていないのではないかと思う。いや、『歴史』に参加しようとしていないのではないかと思う。今ある『歴史』だって、誰かが始めた事にしか過ぎない。

 しゃて、『角隠し』の由来の一説に

【角隠しには「角を隠して夫に従順に従う」という意味が込められている。 その昔、女は嫉妬に狂うと角が生え鬼になる、という言い伝えがあり、鬼になるのを防ぐおまじないとしてお寺に参る際に角隠しをかぶったことが由来とされる説。】(http://wedding.dictionarys.jp/角隠し.htmlより)

 と云うのがあるらしい。
 そういう意味合いがあるのであれば、『角隠し』は男女共に被らなければならないはずである。
 『鬼』になるのは男女関係ない。『人』であるから『鬼』になるのであるから。
 それを『女』だけに被せる『伝統』がある。性差別の伝統である。

 当然、付けたい人は付ければエエと思う。『角隠し』の伝統を守り、『女は男に従順に従う』と云う伝統を好む人は『角隠し』を付ければエエと思う。
 だが、それが強制であったら、無茶苦茶うっとうしい話である。

 別にこれは女性解放の話だけではない。真宗仏教の話なのだ。

【男女貴賤ことごとく 弥陀の名号称するに 行住坐臥もえらばれず 時処諸縁もさはりなし】(親鸞)

 である。

 また、『白無垢』とは

【「嫁ぎ先の家風に染まる」という意味合いを持つ。】(http://wedding.dictionarys.jp/白無垢.html

 と云う事らしい。
 これも変な話である。
 『嫁ぎ先の家風に染まる』とは、『個』がない話である。『個』が『個』として互いに尊重するのならば、それは

【青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光】(仏説阿弥陀経より)
 
 でなければならない。

【バラバラでいっしょ‐差異( ちがい)をみとめる世界の発見‐】(大谷派・『蓮如上人五百回御遠忌テーマ』)

 でなければならない。

 真宗には真宗の歴史がある。真宗の風俗がある。
 『真宗の風俗』といっても、決して固定化されたものではない。言葉を改めるが、『現状固定』されたものではない。
 あくまでも、本願の歴史である。私(たち)が本当に願っているものの歴史である。

 『Yes We Can!』とは、大阪弁では「いったるで!」みたいな意味らしい。

 『角隠し』『白無垢』は、世間のしきたりである。
 選択本願のしきたりは別である。真宗門徒の伝統は別である。

 「Yes We Can!」