坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

「思てたんと違う!」(by西田)

2008年12月21日 | 坊主の家計簿
 12月21日

 食類  発泡酒12      996円
     諸々        1329円
 
 合計            2325円
 12月累計        77934円

 大変である。うちのパソコンでネットを立ち上げるとニフティーのホームページが勝手に出て来るのだが、なんと、なんと、宇都宮まきちゃんの顔がいきなり出て来た。スゲー。。。まきちゃん、人気もんやんけ。。。ニフティーって、関西ローカルとちゃうもんな。全国区やもんな。ん?関西人向けに設定しているのか?よう知らんが。
 ちなみにこんな記事
 http://sports.nifty.com/cs/headline/details/et-sp-kfuln20081221006011/1.htm

 しゃて、M-1である。18時から近所で通夜だったので、19時過ぎから見始める。丁度、笑い飯の途中。
 優勝はNONSTYLEだった。確か『まなかな』一押しの漫才コンビだったはず。で、『まなかな』と宇都宮まきちゃんは同じ高校の先輩後輩になるのか。ダブってないけど。
 当然、まきちゃんが先輩で、後輩の『まなかな』の方が先に売れた、っちゅうか、あの2人はガキの頃からの有名人か。。。
 しかし、今に見てろよ。まきちゃんだって全国区になり、今回の本が売れればワニブックスから写真集も出るらしいのだ(http://utsunomiyamaki.laff.jp/blog/2008/12/post-e333.html)。
 今に見てろよ、まなかな。お前等の売りは双子だけやろ。まきちゃんなんぞ、『貧乏』と『大食い』っちゅう二枚看板があるねんぞ。

 しゃて、M-1である。
 笑い飯の西田が、消えて行く時に
 「思てたんと違う!」
 と言い残して消えて行った。今日のM-1で一番笑たシーンである。

 と、ここから「思てたんと違う!」と云う西田の言葉から諸々書こうと思てたんだが、『宇都宮まきちゃんが全国ネットのネットのトップページ写真が出た!』と云う「思てたんと違う!」という出来事があり、よって「思てたんと違う!」と云う道を選択せざる得なくなり、しかも、M-1見ながら6本498円と云う激安発泡酒を飲んでたので、この時間になると結構酔っぱらって来てるし、かつ、しんどく、「思てたんと違う!」と云う事に対して書けない状態に陥ってしまってて、これもまあ、「思てたんと違う!」と云う事である。
 そして、私の人生は「思てたんと違う!」の連続であり、きっとこれからも「思てたんと違う!」と何度言わなければならないのか?と、西田の「思てたんと違う!」という言葉を聞いて思ったりもするのだが、それ以前に私は「思てたんと違う!」と云う酔っぱらい状態に陥っており、ああ、「思てたんと違う!」「思てたんと違う!」「思てたんと違う!」と、とりあえず3回ぐらいコピペして寝ようかと思う。

 ちなみに真宗門徒は、この「思てたんと違う!」と云う時に「南無阿弥陀仏」と云ったりもする。
 きっと西田が熱心な真宗門徒であったのなら、
 「ああ、有り難や、有り難や。また今日も私の小ささ、私が如何に自分の思いの中だけに生きていたのかという事に気づかせて頂きました。有り難や、有り難や、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 と云っていたと思うのだが、残念ながら西田は熱心な真宗門徒ではないのだろうし、私もまた熱心な真宗門徒ではないので、ああいう場面では「思てたんと違う!」と云う事間違いなしである。
  
 そして、西田は知らんが、私なら、その「思てたんと違う!」と云う場合に、自分の『思い』を間違いとするのでなく、「審査員が悪いんや」とか、「相方が悪かった」と、決して「私が悪かった」とは言えないし、思えない。
 「思てたんと違う!」という場合には必ず、私の思いを立てるのだ。それが『私の思い』っちゅうヤツの正体であり、他に『私の思い』なんぞはない。
 『私の思い』っちゅうヤツは絶対に常に『私の思い』っちゅうヤツを立てる。常に『私の思い』が先にある。
 故に、私自身が『私の思い』とかけ離れた存在であれば、『私の思い』は私自身を裁く。徹底的に斬り裁く。まあ、いわゆる『落ち込む』っちゅうやつやね。
 私の今が『私の思い』に適えば喜び、私の今が『私の思い』に適わなければ落ち込む。
 他人が『私の思い』にとって都合が良ければ『良い人』であり、他人が『私の思い』にとって都合が悪ければ『悪い人』である。
 それだけの話でしかない。
 そして、そこから逃れられるとは思えない。つまり、煩悩がなくなり、解脱する事などはあり得ない。

 「思てたんと違う!」
 と、常に、『私の思い』に支配されている。喜怒哀楽や、良い人・悪い人。それが当然になっている。『私の思い』が当然な顔をしている。
 その事は愚かである。間違っている。煩悩は煩悩でしかない。

 「思てたんと違う!」
 を『苦』と云う。
 「こんな私なんて。。。」
 「あいつは悪いヤツだ!」
 等と、私はすぐに斬り裁く。『私の思い』に適うかどうかで私や他人を斬り裁く。斬り裁き続けている。
 他でもない私が地獄を作り出し続けているにも関わらず、全く、その事が罪であるとは思ってもいない。
 
 『私の思い』は常に私が正しい。
 私が正しく、決して『私に罪がある』とは思えない。その事は破滅への道である。

 常に選び、キライ、見捨てるのが『私の思い』
 それは『苦』でしかない。
 だから、
 
 『そこに人が居られる』(by中川先生)

 と。