坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

悪名畏

2008年12月05日 | 南無阿弥陀仏の結婚式
 12月5日

 外食  メシ          496円
 薬局  諸々          976円
 雑費  2L写真用紙      398円
 
 合計             1870円
 12月累計         15220円

 結婚式は儲かる。
 これは葬儀と同じなんだろう。非日常的な事柄であり、非日常であるが故に日常の感覚を持ち込む神経が麻痺してしまうのだろう。
 普段はスーパーのチラシを見て1円でも安いものを探す人でも、冠婚葬祭ではアホになる。
 葬儀は「最後の親孝行」なんぞと云う営業トークがあるが、結婚式は『人生最大のハレの場』として様々な金を使わせる営業トークがあるのだろう。
 で、こういう事に金をケチるのは無粋になるのであろう。
 
 また、『世間様』に対する見栄もある。
 『無粋』と云うよりも、見栄なんだろう。見栄の張り合いであり、当然その見栄は『世間様』に対しての事でしかない。
 「こんな結婚式では世間様に対して。。。」なんぞと。

 自と他の競争。見栄の張り合い。プライドを満足させる為の道具の為の結婚式。
 「普通はこれぐらいのプランを皆様立てられておられますが」なんぞという営業トークも出て来るのだろう。

 披露宴での会場の広さと料金は正比例ではない。会場が狭くても見栄の張り合いならば幾らでも金は取れる。
 披露宴会場が広く、多くの参加者が来られても、見栄を張らなければ安価で出来る。参加を広く呼びかける事が出来る。多くの人達と同じ場を共有する事が出来る。

 先輩ブログを読んでいたら、こういう言葉に出会った。

 【仏法には三つのことがある 仏事 法事 僧事
  仏事 荘厳 仏への敬いを形にする
  法事 法を伝える お話をする
  僧事 講 お斎 ご飯を食べる】
 (http://www.gyokueiji.net/blog/2008/11/post_835.htmlより)

 披露宴は『僧事』にあたるのだろう。

 見栄を張る。張りたがる。エゴを満足させる、プライドを満足させる。
 「恥をかかないように」
 という、悪循環。

 見栄という欲望。
 その欲望を満足させる為の道具が結婚式なのか。

 『生死を離れる』
 生老病死という迷いの世界から離れる。

 欲望を満たそうとする生き方は迷いでしかない。
 結婚式が大切ならば、その大切な事柄において『見栄』を優先させるのか、それとも『生死を離れる』事を優先させるのか。
 世間を主にするのか、仏法を主にするのか。
 それだけの話である。
 そして、放っておくと『見栄』を優先するだけの話である。