坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

幽閉者

2008年04月19日 | 坊主の家計簿
 4月19日

 食類  チキンカツ弁当       525円
 雑費  レンタル          200円

 合計                725円
 4月累計            99316円

 レンタルは『幽閉者』
 足立正生が岡本公三をモデルにした映画。
 かなりイイ。
 というか、無茶苦茶イイ。

 幽閉者。囚われた者。
 四角の中に人が居る。故に『囚』。

 何かしらに囚われている。故に解放を叫ぶ。

 その四角が『暴力』なら、暴力からの解放。
 暴力をふるう、ふるわれる。

 『幽閉者』は青春映画。
 足立正生という革命家・映画監督の青春。
 単に昔を懐かしむのでなく、青春真っ盛りの革命家。

 足立正生が暴力テロに加担する事は、今後、きっとないだろう。それでも革命家。
 自分自身を変革し続ける、それを映画だったり何かの表現でもって伝えて行くという革命家。

 囚われている。決して解放なんかされていないという自覚。
 故に、止まる事が出来ない。

 尾崎豊の『卒業』が聴きたくなる映画。
 青春映画。

 善光寺が聖火リレーの会場に使われる事を断ったらしい。
 今回の聖火リレーは色々な意味での暴力の象徴。
 中国側の暴力。反対する側の暴力。
 暴力に囚われている。
 「やられたら、やりかえせ!」に囚われている。
 囚われは解放状態ではない。暴力は解放状態ではない。解放の為の暴力は決して解放ではない。
 誰かの暴力に誰かが泣く。それがいかなる大義名分が付こうとも、暴力は暴力でしかありえない。

 善光寺は、会場に使われる事を断った。暴力の場に使われる事を断った。
 多分、この土壇場でのキャンセルだから色々と問題があったと想像出来る。だが、断った。
 仏教寺院であるが故に。

 暴力は連鎖する。暴力で物事を解決していくという文化を残す。
 死刑も暴力。暴力での解決は、暴力の再生産にしか繋がらない。

 囚われの身である。
 誰も、決して解放なんかされていない。
 「解放された」という大義名分の勘違いが暴力を肯定する。
 「私は正しい」という事が死刑を求める。容認する。

 止まる。
 私1人だけの幸福に止まる。
 私さえよければイイ、に止まる。

 「私さえよければイイ」
 だが、さみしい。
 さみしいが故に、様々な形で他人を求める。

 「俺なんかどうなってもイイんだよ!」
 と、自分を求める。救いを求める。解放を求める。

 求める。
 道はそれぞれなんだろうが、誰もが皆、求め続けている。
 死ぬまで青春真っ盛りである。
 幽閉者であるが故に。