4月18日
外食 カツ丼 550円
雑費 100円ショップ 735円
ファイバーブラン2 396円
青汁 399円
ウコン 1480円
眼鏡 18900円
タバコ 300円
ドグラ・マグラ 2000円
プカプカ 1500円
合計 26260円
4月累計 98591円
私は眼鏡っ娘である。。。
って、40を前にした中年男性が『眼鏡っ娘』もクソもないな。。。
まあ、免許切り替えの時期だし、新しい眼鏡を購入。
ついでに、諸々お買い物。
同じ薬チェーン(ちなみにダイコク)でも、ファイバーブランは難波で買うのと心斎橋で買うのとは値段が50円ぐらい違い。これは覚えとかなアカンのぉ。。。
学習会でもなく、所用でもなく、久々の純粋『ミナミお買い物』。
当然(?)ついでにドグラ・マグラ→プカプカ。
あ、プカプカは5月末で閉店らしいぞ。行くのなら早めでっせ。
ドグラ・マグラで、某アジア系旅行者に会う。
え~。。。カツ丼喰った帰りに、酒飲んでタバコ吸ってる坊主でおま。
しかし、うち等は『無戒』という、ジャパニーズオリジナル・ブッディストであってやなぁ。。。まあ、他の話しもあったし当然詳しく説明はしてないのだが、無戒には無戒の誇り(?)がある。特権階級を認めない誇り(?)がある。
参加している学習会で課題が当った。まあ、順番で来年になるのだが、親鸞のこの和讃。
僧ぞ法師のその御名は
とうときこととききしかど
提婆五邪の法ににて
いやしきものになづけたり
この和讃は高木顕明氏の『余が社会主義』に出てくる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
○天竺や支那 [*中国] に、その人をあげれば沢山にある。しかし、今はこれを略しておく。
日本では、伝教[*最澄] でも弘法[*空海] でも、法然でも親鸞でも、一休でも蓮如でも、もっとも平民に同情厚い人々である。とくに私は親鸞が御同朋御同行と云うたのや 「僧都法師の尊さも僕従者の名としたり」 と
[* 「僧ぞ法師のその御名は とうときこととききしかど 堤婆 五邪の法ににて いやしきものになづけたり」
「五濁邪悪のしるしには 僧ぞ法師という御名を 僕使になずけてぞ
いやしきものとさだめたる」 愚禿悲嘆述懐和讃九・十二 ]
云うたことから考えてみれば、彼は実に平民に同情厚いというだけでなく、確かに心霊界[*精神的世界]の平等生活を成した社会主義者であろうと考えている。(しかし、これとても現今の社会主義者として論ずることはできないだろう) 私はこれらの点から、仏教は平民の母であつて貴族の敵である、と云うたのである。
(http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/iyaku.htmlより。意訳・戸次公正氏)
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まあ、カツ丼喰った帰りにボトルキープしているバーに行って散々酒を飲んで、仕上げにミナミで老舗のロックバーで飲んだ呉れる私だってブッディストであってやなぁ。。。ついでに専門職でもあるし。
無戒が故に、帰すべく所は衆生でしかあり得ない。決して主上(天皇)ではあり得ない。同じ『しゅじょう』ではあるが、『天皇』という特権階級ではなく、『衆生』という天皇も含む世界、執着する存在としての衆生でしかあり得ない。
故に、特権階級、つまり、人を斬り裁く権限を持ち得た『側』に帰する事はあり得ない。
無戒、つまり、戒律が無いが故に。
外食 カツ丼 550円
雑費 100円ショップ 735円
ファイバーブラン2 396円
青汁 399円
ウコン 1480円
眼鏡 18900円
タバコ 300円
ドグラ・マグラ 2000円
プカプカ 1500円
合計 26260円
4月累計 98591円
私は眼鏡っ娘である。。。
って、40を前にした中年男性が『眼鏡っ娘』もクソもないな。。。
まあ、免許切り替えの時期だし、新しい眼鏡を購入。
ついでに、諸々お買い物。
同じ薬チェーン(ちなみにダイコク)でも、ファイバーブランは難波で買うのと心斎橋で買うのとは値段が50円ぐらい違い。これは覚えとかなアカンのぉ。。。
学習会でもなく、所用でもなく、久々の純粋『ミナミお買い物』。
当然(?)ついでにドグラ・マグラ→プカプカ。
あ、プカプカは5月末で閉店らしいぞ。行くのなら早めでっせ。
ドグラ・マグラで、某アジア系旅行者に会う。
え~。。。カツ丼喰った帰りに、酒飲んでタバコ吸ってる坊主でおま。
しかし、うち等は『無戒』という、ジャパニーズオリジナル・ブッディストであってやなぁ。。。まあ、他の話しもあったし当然詳しく説明はしてないのだが、無戒には無戒の誇り(?)がある。特権階級を認めない誇り(?)がある。
参加している学習会で課題が当った。まあ、順番で来年になるのだが、親鸞のこの和讃。
僧ぞ法師のその御名は
とうときこととききしかど
提婆五邪の法ににて
いやしきものになづけたり
この和讃は高木顕明氏の『余が社会主義』に出てくる。
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○天竺や支那 [*中国] に、その人をあげれば沢山にある。しかし、今はこれを略しておく。
日本では、伝教[*最澄] でも弘法[*空海] でも、法然でも親鸞でも、一休でも蓮如でも、もっとも平民に同情厚い人々である。とくに私は親鸞が御同朋御同行と云うたのや 「僧都法師の尊さも僕従者の名としたり」 と
[* 「僧ぞ法師のその御名は とうときこととききしかど 堤婆 五邪の法ににて いやしきものになづけたり」
「五濁邪悪のしるしには 僧ぞ法師という御名を 僕使になずけてぞ
いやしきものとさだめたる」 愚禿悲嘆述懐和讃九・十二 ]
云うたことから考えてみれば、彼は実に平民に同情厚いというだけでなく、確かに心霊界[*精神的世界]の平等生活を成した社会主義者であろうと考えている。(しかし、これとても現今の社会主義者として論ずることはできないだろう) 私はこれらの点から、仏教は平民の母であつて貴族の敵である、と云うたのである。
(http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/iyaku.htmlより。意訳・戸次公正氏)
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まあ、カツ丼喰った帰りにボトルキープしているバーに行って散々酒を飲んで、仕上げにミナミで老舗のロックバーで飲んだ呉れる私だってブッディストであってやなぁ。。。ついでに専門職でもあるし。
無戒が故に、帰すべく所は衆生でしかあり得ない。決して主上(天皇)ではあり得ない。同じ『しゅじょう』ではあるが、『天皇』という特権階級ではなく、『衆生』という天皇も含む世界、執着する存在としての衆生でしかあり得ない。
故に、特権階級、つまり、人を斬り裁く権限を持ち得た『側』に帰する事はあり得ない。
無戒、つまり、戒律が無いが故に。