4月11日
食類 オリーブオイル 248円
ニンニク 128円
豆腐 89円
ベーコン 195円
ネギ 100円
雑費 散髪 2000円
ボールペン 105円
宅配便 1060円
合計 3925円
4月累計 46030円
昨日、爆睡、というか、1日中寝てたので、今日は早起き。なのだが、夕寝してないので、眠いっす。
お時間只今22時30分。いつもはブログの日付を合わせる為に日時をいじくっているのだが、今日は大丈夫みたいやな。
ボンヤリとテレビを見てたら、学習院の小学生になった天皇家の愛子ちゃんがテレビに映ってた。そうか、もう、小学生やねんな。
初めて知った事。
1 ランドセルは学習院から始まったらしい
2 学習院のランドセルは女子も黒
1について。『学習院 ランドセル』と検索してみると、色々なメーカーが『学習院型ランドセル』『学習院タイプ』等とある。なんや、初めて知ったぞ。
2について。
え~。。。ジェンダーフリーがキライな人は早速学習院に抗議デモに行った方がエエぞ。
何やら、確かテレビでは平等の観点から男女のランドセルの色が同じらしい。これは。。。ますますジェンダーフリーがキライな人は学習院に抗議デモに行くべきだ。
「女子のランドセルが黒とはどういう事だ!男女に違いがあって当たり前だろ!女子のランドセルを赤にしろ!」
と、学習院に行って抗議するのだ(笑)
まあ、性別の差と、文化的な性別の差をゴッチャにしたらあきまへんで。
『赤のランドセル』は文化的なもの。元々は黒だったみたいっすよ。ランドセルっちゅうもんわ。
男女の性別は違って当たり前。
けど、文化的っちゅうか、『男らしく』『女らしく』なんぞは『どうでもエエ話し』であって、故に、学習院のランドセルが、つまり、天皇家の愛子ちゃんが背負うランドセルは『黒』なのだ。これは決して天皇家が「アカはキライだ!」という理由からではない(と思う)。単に学習院ではランドセルが『黒』しかないわけだし。
っちゅう事は、黒のランドセルを背負った愛子ちゃんの光景がこれからテレビで観られるのだろう。
っちゅう事は、来年辺りから、女の子にも黒のランドセルを背負わす親も多くなるのではないかと。まあ、それはそれで問題のような気もするのだが、でも、まあ、『天皇家』というサザエさん一家よりも日本では影響力がありそうな家族の愛娘が黒のランドセルを背負うわけだ。なんかおもろい話しやんけ。
そういや、私は短髪である。面倒なので短くしているのだが、クソ長くソバージュだった時代もある。
昔、というか、数十年前、多分、私が生まれた時ぐらいは男子の長髪=反抗だった。まあ、学校の校則では今でもそうなのかな?「アホ』やな。一言で済ますが「アホ」でしかない。どうでもエエ話しである。全くどうでもエエ話し。
色の好みや、生活スタイルなんぞは個人の好き勝手でしかない。そんなものを規制するのは「アホ」でしかない。まあ、大きな御世話やな。
そういや、親鸞の帖外和讚の中に
六八の弘誓のそのなかに
第三十五の願に
彌陀はことに女人を
引接せんとちかいしか
というのがある。
学者でないので、真作がどうか解らないし、また、何時頃からこの和讃が『親鸞作』として真宗仏教の伝統に入ったのかは解らない。
と、同様に、私はこの和讃を最近まで知らなかったし。たまたま読んでた岩波『親鸞和讃集』の解説(ちなみに339ページ)に載ってたから知っただけ。
史実の親鸞が決して差別をしなかった人であるとは思えない。自身を『煩悩具足の身』と云っているのだし。そりゃ、差別もするだろう。
上記和讃が何時頃から真宗仏教の歴史に参加したのかは知らない。だが、誰が書いたにしても、作者は明確に
六八の弘誓のそのなかに
第三十五の願に
彌陀はことに女人を
引接せんとちかいしか
と、読み取った。感じ得た。
ちなみにこの和讃を検索してみるとgoogleはダブりが多いのでよく解らないが、うちのnifty検索では3件しかヒットしない。まあ、余程注目されていない和讃なんだと思うが、一応『親鸞作』として厳密には解らないが、伝えようとした歴史がある。伝えようとした、『親鸞作』の和讃という形で伝えようとした人が居た事は確かである。それも、調べてないが結構古い時代に。
食類 オリーブオイル 248円
ニンニク 128円
豆腐 89円
ベーコン 195円
ネギ 100円
雑費 散髪 2000円
ボールペン 105円
宅配便 1060円
合計 3925円
4月累計 46030円
昨日、爆睡、というか、1日中寝てたので、今日は早起き。なのだが、夕寝してないので、眠いっす。
お時間只今22時30分。いつもはブログの日付を合わせる為に日時をいじくっているのだが、今日は大丈夫みたいやな。
ボンヤリとテレビを見てたら、学習院の小学生になった天皇家の愛子ちゃんがテレビに映ってた。そうか、もう、小学生やねんな。
初めて知った事。
1 ランドセルは学習院から始まったらしい
2 学習院のランドセルは女子も黒
1について。『学習院 ランドセル』と検索してみると、色々なメーカーが『学習院型ランドセル』『学習院タイプ』等とある。なんや、初めて知ったぞ。
2について。
え~。。。ジェンダーフリーがキライな人は早速学習院に抗議デモに行った方がエエぞ。
何やら、確かテレビでは平等の観点から男女のランドセルの色が同じらしい。これは。。。ますますジェンダーフリーがキライな人は学習院に抗議デモに行くべきだ。
「女子のランドセルが黒とはどういう事だ!男女に違いがあって当たり前だろ!女子のランドセルを赤にしろ!」
と、学習院に行って抗議するのだ(笑)
まあ、性別の差と、文化的な性別の差をゴッチャにしたらあきまへんで。
『赤のランドセル』は文化的なもの。元々は黒だったみたいっすよ。ランドセルっちゅうもんわ。
男女の性別は違って当たり前。
けど、文化的っちゅうか、『男らしく』『女らしく』なんぞは『どうでもエエ話し』であって、故に、学習院のランドセルが、つまり、天皇家の愛子ちゃんが背負うランドセルは『黒』なのだ。これは決して天皇家が「アカはキライだ!」という理由からではない(と思う)。単に学習院ではランドセルが『黒』しかないわけだし。
っちゅう事は、黒のランドセルを背負った愛子ちゃんの光景がこれからテレビで観られるのだろう。
っちゅう事は、来年辺りから、女の子にも黒のランドセルを背負わす親も多くなるのではないかと。まあ、それはそれで問題のような気もするのだが、でも、まあ、『天皇家』というサザエさん一家よりも日本では影響力がありそうな家族の愛娘が黒のランドセルを背負うわけだ。なんかおもろい話しやんけ。
そういや、私は短髪である。面倒なので短くしているのだが、クソ長くソバージュだった時代もある。
昔、というか、数十年前、多分、私が生まれた時ぐらいは男子の長髪=反抗だった。まあ、学校の校則では今でもそうなのかな?「アホ』やな。一言で済ますが「アホ」でしかない。どうでもエエ話しである。全くどうでもエエ話し。
色の好みや、生活スタイルなんぞは個人の好き勝手でしかない。そんなものを規制するのは「アホ」でしかない。まあ、大きな御世話やな。
そういや、親鸞の帖外和讚の中に
六八の弘誓のそのなかに
第三十五の願に
彌陀はことに女人を
引接せんとちかいしか
というのがある。
学者でないので、真作がどうか解らないし、また、何時頃からこの和讃が『親鸞作』として真宗仏教の伝統に入ったのかは解らない。
と、同様に、私はこの和讃を最近まで知らなかったし。たまたま読んでた岩波『親鸞和讃集』の解説(ちなみに339ページ)に載ってたから知っただけ。
史実の親鸞が決して差別をしなかった人であるとは思えない。自身を『煩悩具足の身』と云っているのだし。そりゃ、差別もするだろう。
上記和讃が何時頃から真宗仏教の歴史に参加したのかは知らない。だが、誰が書いたにしても、作者は明確に
六八の弘誓のそのなかに
第三十五の願に
彌陀はことに女人を
引接せんとちかいしか
と、読み取った。感じ得た。
ちなみにこの和讃を検索してみるとgoogleはダブりが多いのでよく解らないが、うちのnifty検索では3件しかヒットしない。まあ、余程注目されていない和讃なんだと思うが、一応『親鸞作』として厳密には解らないが、伝えようとした歴史がある。伝えようとした、『親鸞作』の和讃という形で伝えようとした人が居た事は確かである。それも、調べてないが結構古い時代に。