坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ひな祭り

2007年03月02日 | 坊主の家計簿
 3月2日
 
 雑費   缶コーヒー            120円
      デジカメプリント10枚      350円
 食類   豆腐(昨日分)          100円
      唐揚げ弁当            473円
 
 合計                   1043円
 3月累計                 3042円

 見合い準備のスナップ写真を近所のカメラ屋に。デジカメプリントはその場で出来ると思てたんやけど、「1時間程」っちゅう事なので取りに行くのは明日やな。
 で、『釣書』っちゅうか、『身上書』の書き方が解らん。。。ネットで検索してたんだが、書式の見本が見つからなく、明日本でも買って来よか。まあ、『身上書』とかは無難な方がエエねんやろうし。

 しゃて、ひな祭りである。なんかお参り先にも結構ひな壇が飾られていて、しかも仏間に飾っている家が多く、どうしても眼につく。

 私の家にはひな人形がなかった。あれは幼稚園に入る前ぐらいだったか?友達の家にこの時期に遊びに行くとひな人形があって、うちにはなかった。なんでないのか母に尋ねると

 「あんなものは国体を象徴するものです。何故ひな壇の敷布が赤いか解りますか?あれは夷の、アイヌの、琉球の、台湾の、朝鮮の、中国の、アジア諸国の人民の血で赤く染まっているのです。また、国体を守る為に犠牲になった我々人民の多くの犠牲者の血で赤く染まっているのです。」
 
 と、普段温厚な母が珍しく怒って語った。
 その上で、母が信奉していた内山愚堂氏の
 
 【天子金もち、大地主。人の血をすうダニがおる。】
 
 と云う言葉を、

 「これだけは母の遺言だと思って肝に命じなさい。」

 と、静かに語った。その後、母はパレスチナに旅立った。。。

 と、毎度の嘘なんだが。。。ちなみにうちは男兄弟だけだし。。。

 っちゅう事で、ひな祭りである。
 天皇・皇后を一番の上座に据え、3人の女官、五人囃子、宮中に使える侍などが居て、きっとあの段の下には百姓が居て、小作が居て、被差別の人達が居てとだなぁ。。。

 ちょい、別件でマジギレンジャー。

 寺には寺の環境がある。寺で産まれた『業』がある。
 『業』というとなんだな、『責任』がある。
 寺で産まれた事によって、まあ、『寺』といっても様々な状況があるから一概には云えないが、その人自身はそこでしか産まれいずる事が出来なかった。当たり前だ。現実なんだし。
 「私は寺でなんか産まれたくなかった。サラリーマン家庭に産まれたかった」とは迷いであり、決して現実ではない。

 それぞれの生い立ちがあり、それぞれの生活環境がある。家庭環境がある。その『環境』のどれ一つを切り離しても『その人自身』はあり得なかった。それが現実である。
 人と付き合う、恋愛する、結婚する、っちゅう事は、その人の全てと「一緒に苦労して行こう」っちゅう事であり、
 「え~、家族に障害者が居るのなら結婚は考えさせてもらうわ」
 っちゅうのと、
 「あなたは私の寺が目的なの?」
 も、一緒だろうが。
 それを『御都合主義』を云う。
 そんな『御都合主義』で、『私が私として生き切る』なんぞはあり得ない。『共に生きる』なんぞあり得ない。

 『御都合主義』で生きれる人を『善人』と云う。自分の好き嫌いで生きれる余裕がある。他人を斬り裁いて見捨て、その実、自分自身を斬り裁いて見捨てて生きて行ける余裕がある。
 自分の思い、自分の生活環境の中で『自分が認めて貰いたい部分だけ』を切り離して考えられる余裕がある。評価されたい部分が自分の思いに適わないからといって他人を見捨てる余裕がある。
 金銭的、社会的身分等の余裕があってその余裕で人を斬り裁き見捨てる。
 精神的余裕はない。いや、『余裕』と云う部分、つまり『エゴ』の部分はあるんだろうけど、根っこの強さと云う意味での『余裕』がない。自分自身の全てを引き受ける『余裕』がない。

 ひな壇を守る為に、どれだけの犠牲者が血塗られているのだろうか?
 
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