ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

スタートゥインクル☆プリキュア第49話(最終回)「宇宙に描こう!ワタシだけのイマジネーション☆」感想②。

2020-01-26 | プリキュア・シリーズ

 CM明けのBパートにていちばんに登場するのはえれな。テレビ中継で、合衆国大統領のスピーチを同時通訳していたのは彼女だった。
「……日本の、宇宙への第一歩を、祝福したいと思います。」
 いったん休憩に入ったところに、両親ら家族が「スタードーナツ」を手土産に訪ねてくる。弟妹たちもみんな立派に成長している。





 続いて、スーツ姿で打ち上げ間近のロケットを見上げるまどか。内実の乏しい部署だった「宇宙開発特別捜査局」を立て直し、プロジェクトリーダーとして今回の計画を強力に推し進めたようだ。両親もその場に居合わせている。父の冬貴は総理大臣に(!)なっている。とうぜん、プロジェクトの実現に尽力してくれたのだろう。






 そのあとまどかは控室にひかるを訪ねる。





「やっと……ひかるの夢が叶うのですね。宇宙に、また行くという夢が。」
「うん……。」
「よく休めましたか?」
「ばっちり。久しぶりに、ララやみんなの夢を見てさ。プリキュアになって、フワもいて。いい夢だった。」





 カメラは地球の外に飛び出して、ユニの惑星レインボーへ。高台から眼下を見おろすユニとララ。荒蕪地だったレインボーは、アイワーンの技術で肥沃な土壌に生まれ変わった。
 服装から察するに、ユニはどうやらオリーフィオの後継者として次期リーダーに目されているらしい。ララは調査員として多忙な日々を送っている。あちこちの星を巡ってロケットにはガタが来ているが、みんなとの思い出の残るロケットを廃棄はできず、修理を重ねて使い続けている。パーソナルAIもその判断を是としている。
 カッパード、テンジョウ、ガルオウガほかノットレイダーたちも「星空連合」の認可のもとに新しい星に入植し、花と緑と水の溢れる美しい土地に育て上げた。そのことが、ララの口から語られる。
 アイワーンはびっくりするほど背が伸びた。金髪をすっぱりセシルカットにして、スーパーモデルさながらだ。子どもたちにも慕われて、すっかり溶け込んでいる。







ユニとアイワーンとの身長差が入れ替わったのは、かつての「バケニャーンと少女アイワーン」との対比だろうか



 調査でたくさんの星を回ったが、地球には行けない、とララがいう。フワのワープ能力がなければ、地球はあまりに遠すぎるのだ。
 会えるわ、とユニ。レインボーが石化されて死の星だった頃、ひかるはユニに「わたしも会って、話してみたい。この星の人たちと!」と力強く告げた(それがどれだけ彼女を勇気づけたことか)。ひかるなら、きっと、あの約束を果たしに来る、とユニはいう。
 流れ星が夜空をよぎる。ララが瞑目して祈りのポーズをとる。
「流れ星に願ったら、願いが叶うルン。」
 それは合理主義の貫く惑星サマーンにはなかった習慣。ララがかつて地球でひかるたちから教わったことだ。ユニも微笑み、ララに倣う。
「もういちど、会いたいルン。」



「会いたいなあ。」



「会いたいルン。」



ララ「みんなに……」





ひかる「会いたい。……みんなに……」



このBパートでは、ついにフワは姿を見せぬままだった。そのこともまた深い余韻をもたらした





ひかる&ララ「みんなに……会いたい(会いたいルン)!」



 そのとき通信機を内蔵したララのグローブに着信が入り、「スターパレスより連絡です。」というAIからの通知に続いて、「ララー、フワが、フワが……」と、プルンス氏の慌てふためく声が飛び込んでくる。



「およ?」




 アナウンサー「ニッポン初の有人ロケット、発射の準備が整ったようです。カウントダウンに入ります。」




「10!」ひかる一家。
「9!」えれな一家。
「8!」観覧席にて、まどかの両親と観客たち。
「7!」姫ノ城さん、カルノリ君ほか観星中の旧友たち及び観星町のみなさん。
「6!」カッパード、テンジョウ、ガルオウガ以下ノットレイダーのみなさん。
「5!」惑星レインボーのみなさん(含むアイワーン)。
「4!」スターパレスのプリンセスたち。
「3!」えれな。
「2!」まどか。


 そして。



「1!」




 遼じい。いつものように(まさにそう、北極星のデネブのように)天文台の前で掃除をしながら、上空の航跡を見上げて「ひかる……行っといで。」








「来たんだ。ララ……私……来たよ。……宇宙に。」




 暗黒の空間のなかを、まるで流れ星のように一条の光が横切って、はっと目を輝かせるひかる。わずかな間ののち、船の窓から差し込む眩い光が、彼女の全身を包み込む。同乗している隣席の飛行士が、「え?」と呟くことから、これがひかるの幻想ではなく、「作品の中で実際に起こっている事実」だとわかる。


そして、あの声が。
「フゥゥゥワァァァアアアーッ!」







 立花隆氏の『宇宙からの帰還』(中公文庫)などでも見るとおり、宇宙空間に出た飛行士の多くが一種の神秘体験をすることはよく知られているけれど、そんなことを彷彿とさせる荘厳なシーンではあった。
 ひかるたち同様に成長を遂げたフワに願いが届いて覚醒し、「奇跡」が起こった。きっとそういうことなんだろう。しかしその先において何があったかは、作品の中では描かれない。「リアル」を「ファンタジー」で塗り潰すことはせず、このあとの顛末は、大人たちをも含む視聴者の「イマジネーションの力」に委ねた。鮮やかなエンディングだった。




 しかしそうはいっても最後はやっぱりこのセリフである。




「キラやば……。」






 いい作品でした。シリーズ本来の「メロドラマ」としての醍醐味をたっぷり満たしつつ、「純文学」としての繊細さから、「神話」としての壮大さまで、ファンタジーのもつ魅力を余さず楽しませてくれた。個人的には、「プリキュア・シリーズ最高作」に認定することになんら躊躇はありません。












4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (もりのさと)
2020-01-26 22:35:14
こんにちは。
毎回楽しく読んでおります。

アニメでも、小説でも漫画でも映画でもそうですが、よい作品を観たり読んだりしたあとは、心地よい虚脱感に包まれますね。

過不足なきまとめを読んで、2015年からのプリキュアでは、別れ(と再会)のテーマが様々に描かれ、変奏されてきたのだなと、改めて気づかされました。

最終話。
夢オチ(オチじゃないけど)にはええっ!? となりましたけど、
eminusさんの言うところのカーテンコールと、あの結末を両立させるには、
これしかないという展開ではありましょう。
混乱したお子さんもいたんじゃないかなあ、と懸念も覚えましたが……。

予想通りの点もあれば(ひかるが宇宙飛行士になるとか)、予想外の点もあり(冬貴が総理大臣かよ!とか)、
総合的にはいい最終回でした。

ひとつ、eminusさんと考えが違うのは結末について、ですね。

"「リアル」を「ファンタジー」で塗り潰すことはせず、このあとの顛末は、大人たちをも含む視聴者の「イマジネーションの力」に委ねた。鮮やかなエンディングだった"という意見には、反対するところはありません。
『スタプリ』らしいエンディングだと思います。

しかし、無粋だろうがなんだろうが、ひかるとララの再会まで書いてほしかったというのが、
一年間で「ひかララ」に脳をやられたわたしの思念です。


ところで、先日紹介されていた『セレクション戦争と文学』が気になって、何冊か買いました。初っぱなの原民喜「夏の花」がすばらしくて、読み進める意欲が湧いてきたところです。
返信する
ロス。 (eminus)
2020-01-27 18:58:28

 虚脱感……。そうですねえ。今の気分は「ロス」ですかねやはり。Goプリ以来のロス感ですね。35話からこっち、ぐんぐんと面白くなって……こんな名作になるとは思いませんでした。
 それでもここまで本気で論じるようになったのは、もりのさとさんからのコメントがきっかけなので、そのてん感慨深いです。
 さっきふと思ったんだけど、「ハトプリ」の花咲つぼみも、ラストでは宇宙飛行士への夢を叶えたことを示唆する描写があったような。まあこれは余談ですが。
 シリーズの中で、再会の歓びをストレートに歌い上げたのは、まほプリだけでしょうか。あそこまでは行かずとも、成長した2人の再会を見たいという気持ちはありますねそれは。今回のような終わり方は、「自分がシナリオを書いてもこうするだろうな。」と思う反面、どうしても物足りなさは残りますね。でも、もし2人が再会しても、これでお終いってことには変わりないわけで……。
 とにかくまあ、ロスですね。しばらくはロスです。


 「夏の花」は文学作品として優れたものですね。いわゆる「戦争文学」と称されるものは、そのほとんどが、「戦争」という括りを取り払っても優れていると思います。



返信する
Unknown (もりのさと)
2020-02-02 01:34:12
こんにちは。

>それでもここまで本気で論じるようになったのは、もりのさとさんからのコメントがきっかけなので、そのてん感慨深いです。
そういえばそうでしたか……。
わたしとしては、いつもおもしろい記事を読ませてもらってありがとうございます、というばかりです。

思い返せば『ハトプリ』も最後の戦いでは宇宙に飛び出してましたね。
夢が叶ったことを示唆する場面があったのか、ちょっとうろ覚えなのですが、
宇宙にも花を咲かせたいという動機は、実につぼみらしいと思いました。

『まほプリ』最終話は、いい意味で「こんなのありかよ!?」とのけぞりました。
ああいうノリの話をまた観たい気持ちもありますが、
ただ、1作ごとに違った別れを描いているからこそ、
シリーズをずっと観ている者にとっても、感慨深いものであり続けているのでしょうね……。

余談
それにしても「ロス」っていつから使われるようになった表現なのでしょう。
『あまちゃん』が終わった後に「あまロス」とか言われていて、
なにそれと思った記憶はあるのですが。

さらに余談
後の記事でakiさんが『メイドインアビス』について言及されておりましたが、
わたしもちょうど今週、劇場版を観賞したところです。
作中のことばを借りると「度し難い」、すさまじいお話で、
正直なところやりすぎというか、悪趣味に感じられる部分もあるのですが、
「絶望」と「希望」についての指摘はおっしゃる通りだなと思います。
返信する
そうなんですよ。 (eminus)
2020-02-02 03:19:51


 そうなんですよ。昨年(2019)の11月9日に「『宇宙よりも遠い場所』のこと。」へのコメントを頂戴して、その中に、

>よりもい第11話と、HUGっと!プリキュア第31話を比較して考えたのは、わたしだけではなかったんですね。
HUGプリは楽しく視聴したのですが、eminusさんと同じく、あの話には納得いきませんでした。先週のプリキュアでも似た展開があって、ふたたび釈然としない気持ちになり、ふたたびよりもいのことを思い出してしまいましたが……。

 という一節がありました。「赦し」という大きなテーマをめぐって、「よりもい」と「プリキュア」という優れた2つの作品が重なり合っている……と思ったので、ぼくは返信として「『スター☆トゥインクルプリキュア』第38話「輝け!ユニのトゥインクルイマジネーション☆」と『宇宙よりも遠い場所』」という記事を11月10日に立てたんです。あれがなければ、たぶんスタプリを論じることはなかったと思います。

 「ハトプリ」と本作との類似点は前にもいちど書いたんですが、プリキュアシリーズは、それぞれに濃淡はあれ、全作がさまざまなかたちで響き合っていると思いますね。そこがまた、たまらないところでもあります。

 「ロス」はもともと「ペットロス」という用語からの派生でしょうね。ひろく行きわたるようになったのは、やはり2013年の「あまロス」からでしょう。わりと日は浅いのに、あちこちで耳にするのは、いまどきの「喪失感」とか「寄る辺なさ」みたいなものをうまく捉えているせいかなあ……と。

 いやあ……『メイドインアビス』、もりのさとさんもご覧になったんですか……。よく訪問して下さる方がお二人とも鑑賞されたということは、これはぼくももっと掘り下げなくてはいけないですかね……。正直いうと、ひととおり調べただけで「ええええーっ……嘘だろ……?」みたいな気分に陥っちゃったんですけどね……。Akiさんのことばをお借りすれば、「負荷に耐えられない。」という……。そうですね……アビス案件についてはしばし保留ということで、もう少し、ちびちびと外堀を埋めていくことにします。




返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。