ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

スタートゥインクル☆プリキュア 47話 その② フワのこと。

2020-01-14 | プリキュア・シリーズ

 前回の記事の末尾でぼくは、


 蛇遣い姫は一見すると紛うことなき「悪魔」に見えますが、じつは人間たちから「想像力≒能動性≒自由意志」を奪い、あまつさえ他の12柱を滅し、ひいては宇宙そのものを虚無に呑ませて破壊し尽し、何もかもをゼロから創り直そうとしている。つまりは、「唯一神」になろうとしているわけです。

 なんて述べたけど、改めてビデオをよく見返すと、すこし言い過ぎた気もしますね。
 彼女が、人間たちの「想像力≒能動性≒自由意志」を疎ましく思って、宇宙ごと消そうとしてるのはほんと。そこは間違いない。問題はそのあと。
 「宇宙創造と同様、宇宙の消去にも、我ら13星座の力が必要。」
 と、へびつかいさんは言っている。この方が、「宇宙の消去」を目論んでるのは事実だけど、その前に「他の12柱を滅」するわけにはいかない。消去するためにはとりあえず他の12柱の力も借りなきゃいけないから。
 だとすると、また「ゼロから創り直」すためにも、とうぜん他の12柱の力が必要って理屈になりますよね。
 「消去」と「再創造」を済ませたのち、他のプリンセスたちを手にかけるつもりなのかもしれないけど、そこまで明言はしていない。
 へびつかい姫が、他の12柱を捻じ伏せて、この作品世界のなかの「唯一神的な存在」になろうとしているのは確か。ただ、他の12柱を完全に滅して、真の唯一神になろうとしてるのかどうかまではわからない。そこはちょっと言い過ぎたかもですね。


 なぜ、そこにこんなに拘るのか。それは、へびつかいさんと、他の12柱とを冷静に見比べたとき、「悪神」と「善神」とが相克している……ようには必ずしも見えないから。つまり、この方々はひかるたちとは別の次元、遥かな高みにおられて、そこから人間たちを見下ろしている。神なんだから当然っちゃあ当然だけど、はっきり言うなら、ずいぶん傲慢であらせられるわけです。その点においては、じつはどちらも変わらない。プルンス氏がショックを受けてたのもそのあたりだと思いますね。
 その傲慢さは、クライマックスシーン直前における以下の会話に端的にあらわれています。



 ひかる「フワは器なんかじゃない!」
 へびつかい座「器だよ、正真正銘。なあ、プリンセスたちよ? 奴(フワ)はプリンセスの力を入れる儀式の場。このスターパレスの一部!」
 プリキュア勢「えええっ!」
 プルンス氏「なに言っているでプルンス? どういうことでプルンス? プリンセスーっ」
 プリンセス(のうちの誰か)「フワと、トゥインクル・イマジネーションで、儀式を行うのです」
 プリンセス(のうちの誰か)「プリキュアとフワで思いを重ね、彼女の闇を止めるのです」
 プリンセス(のうちの誰か)「止めねば、宇宙が消えます」
 ひかる「止めるって……」
 プリンセス(のうちの誰か)「止めるには、プリンセスの力が必要」
 プリンセス(のうちの誰か)「プリンセスの力の半分はフワのなか」
 プリンセス(のうちの誰か)「残りの半分は」
 プリンセス(のうちの誰か)「ひとびとに授けたイマジネーション」
 プリンセス(のうちの誰か)「その結晶こそが、トゥインクル・イマジネーション」
 へびつかい座「闇を止める、か? 奴らがお前たちを動かしていたのは、我を消すため」
 ひかる「えっ……消すっ……て……」
 プリンセス(のうちの誰か)「すべては、宇宙を守るため」
 へびつかい座「ふふっ。言っておくが、消えるのは我だけではないぞ。……その力を使えば、器はこのパレスに戻る。存在は確実に消える」
 ひかる「フワが……消える……」



 情報量が多すぎて、ひかるたちはもちろん、見てるこちらも混乱しそうなやり取りですが、へびつかい座も含めた13星座の女神たちが、フワを「器」としか見ていないこと、そして、ひかるたちプリキュアを、いささか言葉は悪いけど、「へびつかい座のプリンセスを消すための手段」、いわば宇宙の自浄装置のように見なしていることは明らかです。
 だから、プリンセスたちは「pre-cure」なんて、妙な言い方をしてました。歪んだイマジネーションを「前へと戻し、浄化する力」だと。「pre-」が「前へ。」で、「cure」が「浄化する。」ってわけですね。
 紛らわしいけど、この「前へ。」は「前方へ。」じゃないんだ。たんに元に戻すってこと。後戻りなんだよね。


 もうひとつ重要なのは、「プリンセスの力の半分はフワのなか。残りの半分は、ひとびとに授けたイマジネーション。その結晶こそが、トゥインクル・イマジネーション」というくだり。
 そしてそのトゥインクル・イマジネーションは、いまキュアスターたち5人のプリキュア勢の身の内にある。
 これはいささか寂しい話ですよね。ここまで5人でいろいろな経験を積み、それぞれに成長を遂げて身につけたはずのトゥインクル・イマジネーションは、じつは「創造主から授けられた力」の発現でしかなかったという。
 いや、やっぱ、かなりがっかりでしょこれ。



 でも、さすがは神の御言葉だけあって、そこに偽りはなかった。呆然とするキュアスターたちの隙を突き、へびつかいさんが創出した恐るべきブラックホール(的なもの)が、今まさに5人を虚無の底へと呑み込まんとする……






 ……その刹那、
 「だいじょうぶフワ」という耳慣れた声が、ひかるの心にとどく。
 そして……。




「フワが、みんなを、守るフワーっ」
これまでずっと守られて続けてきたものが、「守る」立場に回る。しかしその代償はあまりにも……




変身解除


変身解除


5人のトゥインクル・イマジネーションを結集して……




「みんな、今まで、ありがとうフワ」




「だめーっ。」
いやほんとにダメだろうこれ


「ああっ。」「だめルン!」「そんな……。」「フワーっ。」こんな時でもララの台詞はひかると対になっているのだが、そんなこと言ってる場合ではない



「フワああああーっ。」これまで身命を賭して寄り添い続けた有能かつ忠誠無比な守り人の叫び



「想いを重ねるフワーっ。  スタートゥインクル☆イマジネーション!」
「想いを重ねるフワ」は毎週の浄化シーンのお約束のせりふ、いわゆる「バンク」というやつで、正直たいがい見飽きてたけど、それがここでこんな形で使われちゃうとはね……。劇場版における(ぼくは観てないけど)ひかるの「キラやば……」と同じで、ルーティン化した決まり文句が文脈を変えて「ここ一番」で活用されると、いかに多大な効果を発揮するか。というお手本ですね








 ひかるをはじめ、まどか、ララ、ユニ、えれなの変身が解けるのは、フワがみんなのトゥインクル・イマジネーションを回収したから。つまり、プリキュアの強大な力がプリンセスたちから貸し与えられたものであること、もっと言うと、貸し与えられたものに過ぎなかったことが、ここで証明されたわけ。そしてフワは、自分の中のトゥインクル・イマジネーションと併せて(つまり半分+半分で、すべてのトゥインクル・イマジネーションを結集して)、「大いなる闇」としてのへびつかい座に正面からぶつかっていった。






 こうして「大いなる闇の力」はフワと共に消滅し、フワの貴い犠牲によって、全宇宙は救われました。めでたしめでたし。
 ……というわけにはもちろんいかない。そんなもん、ハッピーエンドでもなんでもない。



 そもそも、この『スタートゥインクル☆プリキュア』という作品において、フワはいかなる存在なのかって話ですよ。


フワ(CV・木野日菜)。藤子・F作品に出てきそうな愛らしさ。正式な名前は「スペガサッス・プララン・モフーピット・プリンセウィンク」。第1話の冒頭にて、自室で望遠鏡を覗いて天体観測をしているひかるのもとに吹き抜けの窓から落ちてきた……わけではなく、ノートブックから飛び出してきた……のだけれど、やはり「落ちもの」には違いあるまい。いずれにせよ、じつにストレートな導入部だった。本作のテンポの良さはあそこから始まっていたと思う。名前については、当人(?)もめんどくさかったらしく、ひかるが「フワ」と呼んだらすっかり気に入って、プルンス氏やララがいくら訂正しても、以後は自分でもそうとしか名乗らなかった





フワ。第31話にて、すべてのプリンセススターカラーペンが揃ったことでこの形態に。正式名称に「ペガサス」がちゃんと入ってたんだな……と思ったけど、よく見るとこれ、ペガサスってよりユニコーンだな。中盤にて「成長」を遂げて容姿が変わるのはシリーズ初じゃなかろうか




 思い出してみましょう。主人公の桃キュア星奈ひかる(1話でプリキュアに覚醒)はもちろん、プルンス氏とともにフワを守るべく敵から逃げ回って宇宙船で地球まで来たララ(2話で覚醒)も、もともと何ら関係のない天宮えれな(4話で覚醒)、さらには父の職務上フワの存在を看過できない立場だったはずの香久矢まどか(5話で覚醒)の両先輩までも、プリキュアになった動機は「フワを守りたい!」という一心だった。
 全員の動機が一緒なんですよ。ここまで明快なのは歴代タイトル初ですね。
 なお、追加戦士のユニだけは少し事情が違ったけど、プリキュアに覚醒(20話)するまえ、ちゃんとフワと一対一で心の交流をもってます。そのへんのシナリオにぬかりはありません。




 すなわち『スタートゥインクル☆プリキュア』とは、愛らしき宇宙妖精フワを5人のプリキュアたち(とプルンス氏)がひたすら守り抜くお話……でもあったわけですよ。




 そのフワが、消滅した。いかに宇宙が救われても、これではなんにもめでたくない。
 かつて鉄腕アトムは地球を救うべく単身ロケットに乗って太陽に突っ込んでいった(別ヴァージョンの最終回もあり)。けど、そのような自己犠牲こそ、プリキュア・シリーズがその当初から周到に、しかし頑として否定していたことなのであって。
「地球のため、みんなのため それもいいけど忘れちゃいけないこと あるんじゃないの?」
 という、第一作『ふたりはプリキュア』のEDの歌詞のとおりですよ。






 だからひかるは、ララは、えれなは、まどかは、ユニは、創造主たるプリンセスたちから付与された力ではなしに、今度は自分たちの力で、自分たちがプリキュア仲間やクラスメートや家族や先達や社会や異星の住民たちやノットレイダーとの関わりのなかで得た力……本作の趣旨に即していえば、自分たちの「イマジネーションの力」でもって、プリキュアに変身しなきゃいけない。
 それこそが、「歪んだイマジネーションを元に戻す」だけの「pre-cure」、「宇宙の秩序を回復する」だけの「pre-cure」、後戻りする「pre-cure」ではなしに、「みんなと一緒に未来へ進む」ほんとうの「プリキュア」なんだってことですね。
 そうしてフワを取り返す。そんなことはありえない? それがどうした。「ありえない」を可能にするのが、イマジネーションの力じゃないか。
 創造主たちの定めたルールがなんだ。「運命」がナンボのもんだと。
 すなわちこれは「神」からの自立の話。ニーチェ以降のモダン(近代)の生んだおとぎ話ですね。プリキュア・シリーズは、モダン(近代)というもののもつもっとも良質な部分をあつめてつくった麗しいファンタジーなのだと、あらためて今回思い知りました。















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