ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

第7回・中沢けい「入江を越えて」その④

2016-04-10 | 戦後短篇小説再発見
 『海を感じる時』から『野ぶどうを摘む』をへて『ひとりでいるよ一羽の鳥が』へと続く初期の3冊の短篇集において、作者の分身とおぼしき10代後半の娘(たち)は、前回の記事で引用した川村二郎の解説のとおりの体験を、かたちを変えて繰り返す。共通するのは、
①父を早くに亡くしている、
②初体験の相手が学校の先輩、
③そいつがなんだか優柔不断で煮え切らない、
➃その男との関係をきっかけにして母との確執がひどくなる、
といった事どもである。これらの短篇は連作ではない。変奏曲集とでもいおうか、同じ題材をいろいろな角度から描き直している按配だ。そのなかには、「妊娠」という、女性にとっての一大事にまで踏み込んだものもある。
 しかし第3作品集の掉尾を飾るこの「入江を越えて」では、いったん時計の針を巻き戻すかのように、事後のごたごたは打ち捨てて、その「初体験」の当日のことがていねいに描かれるのである。その結果、この3冊に収められた短篇の中でもっとも鮮やかな「青春小説」となった。作品のできばえは、けして素材そのもののインパクトによって左右されるものじゃないのだ。もともと中沢けいの美質は、剥き出しの果実を思わせるほどに危うい感性をもった少女が、豊かな自然のただなかに身を置いて、そこから受け取った刺激を「ことば」に変えて迸らせるところにあったのだ。まさしくそれは「海を感じる」という表現にふさわしい。処女作にすべてがあるとはよくいった。
 高校三年の塚田苑枝は、夏休み、二泊の合宿を三泊と母に偽って、一日早くキャンプ場に行き、そこで同級生の広野稔と落ち合う。広野はキャンプ場に家が近く、二輪の免許も持っているので、先にひとりで現地に入って食料などを調達することになっていたのだ。つまりその日は他の部員たちは来ず、苑枝と稔のふたりきりで、高3の男女がそのような場所でふたりきりになってどのような展開が生じるのかということは、もとより苑枝も稔もよくわかっている。というか内心おおいに期待している。
 しかしこのふたりはべつだん恋人ではない。それどころか、そもそもこの約束そのものがなんだかひどく曖昧で、電車に乗って現地に向かう最中でさえ、苑枝は「着いても誰もいないかもしれない」などと疑っている。稔がすっぽかすというよりも、約束なんて最初から成立してなかったんじゃないかと疑ってるのである。「私も行くわ」と軽い調子で言ってしまったものの、くわしい打ち合わせもせず、念押しの電話もしなかった。このあたりの初々しさ、ぎこちなさがこの作品の身上である。今だったら、メールを入れて一丁あがりだろうけど、作品の舞台となっている1980年頃にはまだケータイもスマホもない。パソコンも普及してないし、もっというなら家庭用ビデオデッキを備えてる家すらそう多くはなかったはずだ。
 結論からいうと、稔はバスターミナルでちゃんと待っててくれたし、そこからふたりは彼のバイクでキャンプ場に着き、夜になるのも待たずに早々とそのような仕儀へと相成るわけだが、はっきりいってそんな顛末はどうでもよくて、肝心なのはそういったストーリーの流れのなかで随所に挿入される自然描写なのである。


 欅(けやき)でも銀杏(いちょう)でも、幹に鼻先を近づければ、それぞれ特有のにおいがある。男子生徒が着替えた後の教室に残るにおいとはまったく別なにおいであるのに、樹木の放つそれを苑枝は異性の身体の芯に含まれているにおいのように思っていた。人の目を盗んで両腕にちょうど良いくらいの太さの樹木を抱いてみる。すると、腕と腕の間にあるうつろな空間が過不足なく埋められて、時の中に樹木と苑枝だけが佇んで動かなくなってしまったようだ。頭上で枝が騒ぐので、風が流れていると解る。葉がきらめくので光があると解る。青くささの中に混じった土のにおいと、乾いた幹のにおいに浸されて、苑枝の身体の体液も濃くなる。(…………)


 これは苑枝がまだ稔のもとに到着せず、半信半疑のまま電車にゆられている折の回想めいた一節だけど、こんな書き方は一人称ではできないから、その点たしかに三人称は便利だとは思う。思春期のすなおなエロスが自然と溶け合うこの手の描写は、随所に挿入というよりも、作品全域に瀰漫(びまん)していて、むしろそれこそが真の主役かもしれぬとぼくなんか思う。苑枝というより、彼女の感性こそが主役なんじゃないかと思えるわけだ。


 がんじょうな靴から伸びた足首とふくらはぎの素肌はかわをむいたばかりの木肌に似た色をしていた。ズボンが灰色がかった海松(みる)色だから、きっとそう思えるのだと苑枝は、規則正しく動く稔の足を眺めていた。あごにも腕にも目立たぬ毛が、すねにだけははえそろっていた。はえそろったすね毛を見ながら、苑枝はやっぱり約束はしてあったのだなと、ほんの少し前まで不確かで信じるに足りなさそうだった記憶が、急にしっかりとした手触りのあるものに変った。

 もちろんこれは、無事バスターミナルにて落ち合った直後の描写である。先ほどの引用と照らし合わせると、苑枝(彼女の名前は樹とゆかりがある)が稔(もちろんこの名前もそうだ)に樹木のイメージをかさねているのがよくわかる。それだけじゃなく、異性特有の「男くささ」を同時に見てとってもいるようだけど、「樹木」のイメージはこの後も一貫して引き継がれるのだ。現に、このパラグラフに続く描写はこうである。


 歩きながらポケットを探り、キーを取り出した稔の手許から青い実がこぼれ落ちて、がんじょうな靴の上にポロポロところがった。苑枝がひろいあげてみると、実にはうっすらと白い粉が付いていて、指先でころがすうちに濃い緑色があらわれた。どうしてこんな、草の実だか樹の実だかがポケットに入っているのかとたずねると、
「ひまだから、むしってみただけだよ」
 と黄色いバイクにキーを差し入れた。(…………)


 体から(まあ、ポケットですけどね)青い実をポロポロこぼすというんだから、「稔」くんと「樹木」との重ね合わせも、かなり念が入っている。この丁寧な細工はきっちり作品のラストまでつづく。





コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。