Smartプロジェクト(その30)最終回
フィリピンで怖かった話
① マニラに赴任して直ぐに大使館やADB(アジア開発銀行)等への挨拶回りに参りました。マニラにはアジアの中心的位置付けがあってADBの他にも国連機関があり、小生の小学校時代の教科書に、まるで憧れの地の様な紹介記事が有ったように覚えています。
Smartプロジェクトの次長相当の勝俣氏は、かってマルコス時代に3年程そのADBに出向していた事があります。彼のその頃の記憶から、オーストラリアからのオフィサーが門衛に射殺された事件について話してくれました。そのオフィサーはとても礼儀正しい人で、毎朝ADBの門衛にも挨拶をしていたそうです。さて、話は門衛が何等かの原因で金が必要となり、思い余って毎朝機嫌よく挨拶を交わしていたオフィサーに金の無心をしたところ、オフィサーは無碍も無く断ったそうです。その途端、門衛は裏切られた気持ちになったのかもしれません、持っていた銃でオフィサーを射殺してしまったとの事でした。
フィリピン人は家族をとても大切にする、上司は部下の面倒を見るし部下は忠実を尽くす等、麗しい昔の日本を思わせる文化があります。ただ、人間関係の思い込みから思わぬ展開となってしまう可能性も有るという事です。この話は、フィリピンでの人間関係で、常にある一定の距離を置くべきとの教訓となりました。
② ③の話しをあげるまでも無く、世間で余りにもフィリピンの危険性が指摘され、外出の際にも数人のグループで行くか、あるいは殆ど常にボディガードと一緒に行動し、始めのうちは息が詰まるような生活でした。が、徐々に様子が判って来ました。即ち、全く理不尽なアタックは案外少なかったということです。これは同国における宗教と教育程度が高いせいで、事の善悪を良く心得ている事から来ていると思っています。
三井物産マニラ支店長誘拐事件の折も、彼がある個人的な件で、金を払う約束をしたのにこれを守らなかった事で現地人があちらこちらに相談し、その情報を得た日本赤軍が現地の共産軍に関与させたとの話がありましたし、多くの日本人被害の裏には日本人による関与、或いは指示があったとの話が有りました。即ち、日本での逮捕を逃れるべく、脱出せざるを得なくなった人々が、その糧を得るために誘拐や強盗を立案、現地人に執行を指示するケースが多かったように記憶します。
③ エドサ(EDSA)革命とはマルコス政権の腐敗した独裁政権に対し、1986年2月22日の国軍改革派将校の決起から、25日のコラソン・アキノ(暗殺されたアキノ上院議員の夫人)政権樹立に至るまでの100万人に及ぶ民衆・軍・宗教家による活動で、その際マルコス夫妻は米軍のヘリで宮殿から米軍基地経由でハワイに逃れたそうです。
小生が居住したマカチ市のツインタワーのデッキには防護壁があり、そこにはその時の弾丸の跡が有ったそうです。そもそもフィリピンには1896年に代表されるスペインからの独立運動、さらにスペインから米国へ植民地として売却された事から、その後は米国からの独立の戦いの長い歴史があり、結局第二次世界大戦後まで独立が果せず多くの血を流してきました。
今回、2003年7月27日 300名以上の国軍兵士がアロヨ政権の腐敗に抗議するとしてPLDT近くのアヤラ・センターのコンドー兼ホテルに立てこもり、これはオークウッドの反乱(Oakwood Mutiny)と呼ばれています。首謀者は、Gerardo Gambala陸軍大尉とAntonio Trillanes海軍大尉で事件と裁判を通じてアロヨ政権と軍の不敗を告発したTrillanes大尉はアイドル的な人気を得て、その後2007年の上院選挙に出馬・当選したそうです。
フィリピンは貧富の差が極端に大きく、政治の権益が大きい事からある条件が揃うと革命が支持される基盤がある様です。NTTからの出向者の戸川隆氏がそのコンドーに居住しており、意外と静かでバスがアレンジされて無事出る事が出来たと言っていました。彼はPLDTでのインターネット等のIT新規事業を推進すべく設立したePLDTのアドバイザーの為に赴任して貰って間も無い出来事でしたから驚いた事でしょう。
④ 次の車のドライバー関連でも麻薬がらみが有りましたが、昨今の麻薬がらみの人権問題は、余りにも深刻な麻薬禍状況から、警察だけでなく、バランガイ(・町内会)単位の自警団と称する武装組織も動員され、さらに軍隊まで動員しての対処と聞いています。軍隊は、共産軍との戦いや、ミンダナオでのイスラム過激派との戦闘を続けている事から危機感があり、士気が高いと言えます。
ただ、これ等の公務員の給与は非常に低いのには驚かされます。アロヨ大統領の時に大統領の給与が$1200/月で、在日フィリピン大使が$1000/月と聞かされました。その収入であのような豪邸が手に入れられるのかが不思議ですが、公務員給与が余りにも低いとどうしても別の収入を得なければならないというのも現実でしょう。ただ、公務員の不正を正す為にその給与の10%引き上げ法案を提示した途端にアロヨの支持率が下がりました。民主主義・政治は難しいものです。従って、色々な局面で賄賂の要求に遭遇します。個人の問題なら何とかなるのでしょうが、NTTから出向の身で、公的な場面での状況で悩む事があります。その際には、現地のパートナーに伝えて、直面を避ける必要があります。
⑤ 会社経由で雇用したドライバーでも、結局個人同士の付き合いになりますから苦労があります。 パンギリナン氏と海外出張をしていた際、田嶋氏から小生の携帯に電話を貰い『どちらに居ますか?お怪我の具合は?』と立て続けの質問を受けました。聞いた所、小生の社用車が郊外の準高速道路(EDSA)で中央分離帯に激突、転覆、大破しているのを見たとの事で、電話をしてくれたのだそうです。
Smartへ連絡して調査してもらった結果、ドライバーとメードがいつの間にか親しい関係となっており、小生の留守にドライバーが勝手に社用車を運転して事故を起こしたとの事でした。 メードもドライバーも交代せざるを得ませんでした。 これは別のドライバーでしたが、自分で店を開くとの事で辞めて行ったのですが、その後その店に投資をしてくれとの要請があり、これを断ってしばらくすると今度は、『闇の世界の情報で貴方が誘拐のターゲットになっている。ターゲットを外すには100万ペソ必要』と連絡して来ました。
誘拐への対処策として、ネゴシエーションを含めて身代金等費用を負担する保険がロンドンにあるそうですが、この時は相手が分かっていたので、エージェントに追跡を依頼して終わりとしました。このエージェントによれば、このドライバーの店は繁盛する事なく、結果的に店をたたみ、その後麻薬関係の取引に関わったとして逮捕されたとの事でした。 念のためですが、もし誘拐保険に加入した際は、絶対にこれを秘密にする必要があるそうです。そうでないと保険金目的で狙われてしまう可能性が高くなるそうです。
これら運転手のいずれもSmartが雇用したドライバーでしたが、いつも居眠りをしていて危険極まりないドライバー、ギアの切り替えが上手く出来ないドライバー等々難問ばかりでした。 PLDTで雇用したボディガードを兼ねたドライバーが見つかるまで苦労が絶えませんでした。この優秀なドライバーは元々は共産軍のメンバーであったとの事です。共産軍はかってマニラに攻め入る位の勢力を誇り、SmartのCEOだったDoy・Vea氏も学生時代にはマルコスに対抗する為に共産党に入って、挙句刑務所に収容されていたそうです。彼に言わせれば、かって真面目な人は皆共産党に入っていたとの事で吃驚。
(終わり)
--- (あとがき:奧山)----------------------
『Taketo君』長文の投稿ありがとうございました。
本稿は12月のイレブン会の席で「最近ブログの投稿が少なくて…」と話したところ「では、送るよ…」とすぐに彼から送付されてきたものです。
NTT(旧電電公社)に入社した彼が上司の指示でフィリピンに赴任し、200人程度の小さな通信会社を9年間で1万数千人の大企業にした波乱万丈の話。彼の活躍を読ませていただき「よく頑張ったなあ…」と嬉しくなり同時にこのような仕事を経験できた彼がちょっと羨ましくなりました。
帰国後の彼は、監査役や顧問を担当した後、昨年からある会社のトップに就任いたしました。私は70歳を超えてから企業のトップに就任した人をあまり見ていません。周囲
から信頼され評価されているからだと思います。Taketo君の更なる活躍を期待しています。ただ身体・健康が一番、僕と同じ年齢です。あまり無理をしたり頑張り過ぎないように。長文の投稿有難うございました。