後藤典彦君ありがとう
後藤君、ゴッツアンとうとうあなたも逝ってしまいましたね。あなたがレビー小体型認知症にかかってからもう
何年にもなりますが、パーキンソン症候にも悩まされずいぶん辛い思いをされていたことと思います。
なかなかお見舞いにも行けず、声が聴ければと時折お電話した際もだんだん声が小さくなっていることに気付き
ました。年賀状の文字も小さく弱弱しくなってきたことが気になっていました。でもよく頑張りましたね。
私がゴッツアンの家にお世話になったきっかけは、父親の退職、浦和への引っ越しでした。浦和から1時間半か
けて通学していた私を見ていた君は、半年たったころ戸塚の家に下宿するよう招いてくれました。高校2年の半
ばから半年の君の家の離れ家での二人の生活はまさに青春のドラマでした。同級生というより兄と弟でしょうか
。母屋の裏の坂の上はまさに僕たちの秘密基地のようでした。様々な思い出が尽きません。
高校3年で浦和高校へ転向した後も、君は僕を栄光学園の卒業アルバムに新聞部長時代の遠藤先生とのツーショ
ットでしっかり載せてくれました。また、栄光学園の今も続くOBセミナーを11期生から始め講師に呼んでくれた
のもゴッツアンでした。大学卒業後もゴッツアンがいてくれたおかげで同窓会メンバーにもなり、11期の同期生
との交流も続きました。鈴木規夫、花島克彦君と一緒に始めた「フォーラム11」にも参加してくれましたね。栄
光学園同窓会長として同窓会50年史を発行した君は誰よりも学園を愛し、同窓生を大切にしていました。
高校生の時から長老のような雰囲気を持った君は、地元の自治会長として長年勤めておられましたね。ゆったり
とした語り口と世間を横から眺める姿勢は独特でした。チェロも楽しんでおられましたね。私が本郷台に家を建
てたときは大工道具箱をプレゼントしてくれて気遣ってくれました。本郷台を離れてから交信の機会は減りまし
たが、10年前には同窓会11期常任委員として一緒に委員会に出席していましたね。
21年11月に軽井沢へ転居してからは、年賀状と電話のやり取りだけになってしましましたので奥様からお電話を
いただいたときは、ああとうとうゴッツアンも逝ってしまった…
と声も出ませんでした。ゴッツアンのやさしさと気遣いにいつも感謝でした。
ゴッツアン どうか安らかにお休みください。
2024年12月9日