ウクライナ
ウクライナに訪れたのは今から二十数年前のこと。グルジア(ジョージア)のポチ港の開発調査を終え、CIS諸国への日本政府の海外援助プログラムを推進すべく、ボルイスピリー空港(キエフ)、オデッサ港の拡張整備に標準をあててキエフ(キーフ)空港に降り立った。どんよりとした灰色の雲に覆われた、寒々としたキエフの街並みは暖房の煤塵のためか、どこか寂し気な空気に包まれていた。キエフの運輸省に訪問し、オデッサ港、イリチェフスク港の開発調査の打ち合わせを終えて、翌日オデッサ(オデーサ)に飛んだ。
テレビで毎日放送される戦況報告を目にしていると、一期一会のウクライナの人々が心配になってくる。キエフでは海軍の軍人の方もおられた。オデッサ港を案内してくれた元気いっぱいの女性係長、皆、歳をとってしまったかもしれないが、港周辺、オペラ座への道、バリケードづくりをしているだろうか。横浜の姉妹都市でもあるオデッサは歴史のある港町である。あの素晴らしい、趣のある街並みが砲火を浴びるのは忍びない。
短い滞在期間であったが、キエフ、オデッサの街のにおいが、人々の話声と共に蘇ってくる。現代の日本人がもはや忘れかけている愛国心、自由のありがたさ、国体の意識をあらためて、爆撃されているウクライナの街の風景や、そして、懸命に生き抜いているウクライナの人々の顔に見ている。ロシア軍のウクライナ国への侵略報道を見聞きする度に、目に飛び込んでくウクライナの国旗、どこかで見たことのある色だと、ぼんやりとした既視感を抱いていたのだが、今朝のミサで気が付いた。それは奇しくも教会の祭壇の両脇にはめ込まれたステンドグラスの配色。ウクライナの青い空と黄色の麦畑を象徴する、青と黄、侵略戦争が始まってからは、この色が頭から離れない。
ODAの仕事で訪れたCISの国、グルジア、リトアニア、エストニア、ラトビア、みな小国だがロシアに立派に勝ち抜いて独立を死守した。ルーマニアは大国だった、ウクライナも大国だが・・・。