かわりどき
人はみな歳をとってゆく、お医者さんもおなじだが、気の合うかかりつけの先生だけは歳をとらずに、いつまでも診療を続けてくれれば、と誰しも願っているはずだ。
慢性病を抱えているときは、なおさらで、一言つぶやくだけで、以心伝心、いつもの順序で処方箋を書いてもらえる先生は、老後の静かな生活に波風の起こさせない貴重な存在だ。だが、この幸せタイムはやがて消滅する運命にある。こちらの病気はいつもと変わらず代替わりしないのだが、最近、かかりつけの先生が代替わりする時期にさしかかってきた。
とりあえずは、老先生と若先生が一緒に診察に当たることもあり、代診していた先生が、そのまま居残ることもある。患者にとって、どちらの先生にかかるか悩み時でもある。若先生はメカに強い。CTなどの高価な機材を導入し、新薬の情報も豊富だが、なぜか、症状の訴えに紋切り型の対応が多い。
一方、老先生は知識が豊富ゆえ、機材に頼らずとも、永年の経験から脳みそに蓄積されたデーターを検索して、患者の訴えに耳を傾けながら、穏かな笑みに包んでさりげなく診断を下す。
診察の待ち時間、受付をする患者の会話を聞いていると、それぞれの本音がうかがい知れ、一寸楽しい時間でもある。
受付のおばさんも対応に苦労している姿が垣間見られる、
ー申し訳ございません、今日は、老先生が診察できなくなりましたが、若先生でも構いませんか、と小声でそっとささやく、
ー若先生でいいよ、信頼しているから、と自分に言い聞かせるような老人の大きな声が響く、
ーどちらでもいいよ、中年男のぶっきらぼうな声が聞こえる、
ー大先生はいないの、じゃー、若先生でもいいよ、と煮え切らない老人の声、
患者仲間の気持ちはなんとなくわかる気がする、本当は老先生でいきたいところだが、これからの付き合いもあり、若先生に保険をかけてゆくのだろう。
ー交互に診察を希望される方もおられますよ、とこちらの顏を覗きながら、受付のおばさんが、そっと教えてくれた、二人体制で診察をしていても、いずれ、大先生は引退する、変わり時のこちらの対応が肝心と、これからは若先生の科学的な所見を信じようと決心し始めた。
かかりつけの眼医者さん、サポートの女医さんがこのごろ常駐していても、待合室はあふれんばかりの盛況で、午前の診察終了時間が午後の診察開始時間、これでは満足に昼飯もとれず、からだが持たないと心配していたが、老先生の休診日も増えてきた。
女医さんの診察を受けてみる時期かもしれない、だが、老先生のように、こちらのわがままを黙って聴いてくれるだろうか、慢性病は、お医者さんと長年培ってきた気持ちのやりとりが大事だし、生身の相性もあるし、と思いつつ、前を通り過ぎる女医さんの顏をそっとうかがう。