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栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

断絶の米国(その4:)最終回)(Suzuki_Taketo)

2021年05月08日 | 鈴木(武)・関口・高野

  断絶の米国(その4:最終回)

6:米国の政治の一端

何度も倒産したことがあるので米国の金融機関はトランプには金を貸さないとかの評判がありますが、海外の金融機関から融資を受けているのか、ホテルやギャンブル場、リゾーと特にゴルフ場等で不動産王との名をほしいままにしました。何度も落ちても谷底から這い上がって頂点に立つ、まさにアメリカンドリームの様な人で、熱狂的な支持者を持っています。大統領になるために幾つもの公約を掲げ、その中には首を傾げざるを得ないものもありましたが、大統領に当選してそれら全ての公約を全て守ろうとして歴代最も公約を守るとの評判も取りました。しかしながらトランプも4年の末期になって、社会の分断、差別、これに加えて新型コロナへの対応多くの面で悪しき問題が表面化し、選挙で敗れた様です。何故トランプの末期にそのような問題が噴出したのかを振り返ってみたいと思います。

7:混じ合わらないのが平和?

先ほど米国では町や市単位に住む人の層が違っている状況について説明しました。これは例えば皆さんがよく利用されるJFKからマンハッタンに向かうロングアイランドの高速道路から見える人家の状況からもわかります。道路に近い処の家々では小さい庭に洗濯物がひるがえっているのが見えますが、少し越し離れた坂上のエリアの家々には緑が茂りまた花が咲き乱れますロングアイランドのマンハッタン側で小生がNYへ赴任した頃までは日本人学校も置かれ、NYの日本人町とも言われたクイーンズ区ジャマイカ地区でしたが、道路が比較的に狭くて入子状になっており、当時から多様な人が道路の筋毎に人種に分かれて住んでいました。白人は殆ど見られませんでしたが、ユダヤ教の人々が真っ黒な僧服で行き来、アフリカの何処かの国のグループが民族衣装のまま買い物、韓国人もチョゴリで登場等まるで民族衣装展の様でした。ただ、彼らの家は別々の筋で殆どお互いに話し合う事はないと聞きました。しかし、街はいたって静かで争い滅多にありませんでした。ここは米国に到着してしばらくの間古くから住んでいる知り合いに当面の世話になるところなのかもしれないと想像されました。こんなに人種が入り乱れても、綺麗に住み分けが出来、結果争うごとが無く、平和に暮らしていけるのが大変不思議に思っていました。

ついでながらここを創立起源とした日本人学校は現地に展開する日本企業からの多額の寄付とそれに相当する日本政府からの資金で素晴らしい環境で高級住宅の多いマンハッタンから北側にあたるコネチカット州グリニッチに移転を完了しました。これは日本のバブル期だから出来た事かも知れません。ただ、その後バブル崩壊から学生数が減って経営が苦しいと聞きました。

8:叱られる文化と褒められる文化

さて、小生はCA在任中に「叱られる文化と褒められる文化」という雑文をある雑誌に頼まれて掲載したことがあります。これはCAへ赴任して数学能力測定から娘が中学の1学期を終えたばかりなのに飛び級で中学の高学年へ編入、中学を1年で終わることになってしまいました。当然英語が分からないので、学校では沈黙、家へ帰ってから両親に教科書の説明でやっと何をしていたのかが解ったくらい。そうやって居る内に学校から表彰状を貰ってきました。曰く「最も静かで学級の邪魔をしなかった生徒の賞」、当然不思議に思い、学校のカウンセラーを訪ねたところ、「何でも見つけて表彰することで、学校に馴染み、励ます」という事だそうです。我々世代の日本では叱るのが当たり前で、結果廊下に立たされたり、竹の棒で叩かれたり、グランドを1周したり、いわゆるスパルタ式でした。即ち、叱られる事を恐れて勉学に励んだり、言いつけを守ったりでしたが、米国の学校では教師が工夫して何とか褒め方を研究し、これを実施していました。日本のやり方とは随分と違うものと思ったものでした。

叱られるのを恐れて学んだ者は叱られなくなれば止めてしまうかもしれません。しかし褒めるやり方では、褒められる事を際限なくやり続ける事でしょう。ここに、独創性やベンチャが育ちやすいかの文化の違いが出るのかもしれないと考えています。ただ褒められる文化では褒められなくなると、自意識が満足できなくなって、失速状態に陥りやすく、即ちストレスを感じやすく、時にはその事から何か分らない怒りを生じてテロ類似行為やキャピタルへの乱入事件の様に我々の常識では考えられないようなとんでもない爆発を起こすのかもしれないと考える次第です。米国ではバイデン大統領の元で、従来ワクチンを65歳以上であったものを16歳以上に拡大し、この7月には米国人であるか否かに関らず全米に生きわたるとされ、感染者数が落ち始めています。我々の日本ではEU次第という事でスケジュールもはっきりされていませんが、叱られる文化では、常に一定のストレスがかかっており、「マスクを着用する、人とは距離を置いて生活する」等々コロナ対策等は馴染み安いので案外桁が1つ少ない所で遅いワクチンの到着まで時間稼ぎが出来るのかもしれません。

 

 

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断絶の米国(その3)(Suzuki_Taketo)

2021年05月07日 | 鈴木(武)・関口・高野

 断絶の米国(その3)

4:米国での思い出の一端 分裂が正常?

赴任したのは日米貿易摩擦の真っただ中、サンフランシスコの南70Km程のシリコンバレーでした。当時でも6車線以上の、しかも無料の美しい高速道路や、一日かけても回り切れないショッピングモールの規模は驚きでした。当時のシリコンバレーはintelやHP等の半導体やパソコンが主体の産業構造で半導体が日米摩擦の主要なテーマの一つでした。現在はシリコンバレーというよりもFacebookやGoogle、Adobe等ソフトウェアの大企業でITバレーとしてさらに発展しています。

店舗といえば、日本でも有料メンバーシップで知られるコストコ(現地ではキャスコと呼ばれている)は当時プライスクラブでしたが、うず高く積み上げられた食品と酒の類、一軒の家が建てられるほどの建材や工具類、健康食品に加えて日本では処方箋が無いと買えないような医薬品、さらに中型ヨットや大型のジャクジまでその品数は数知らず、また安価なことも驚きでした。日本にも数件オープンしていますが、大きなカートで大きな買い物をするので、必然的に大きな駐車場と売り場の面積が必要となりますので土地の安い処でないと開店出来ないのでしょう。シリコンバレーで最初のお店はその北側に位置したパロ・アルトからさらに10Km程北側のレッド・ウッド・シティに在りました。シリコンバレーは当時、北はパロ・アルト、南はサン・ノゼの間とされ既に土地や不動産は高騰し始めており、また生活費もそれなりに高くなっていました。しかしレッド・ウッド・シティとなると倉庫が立ち並び、また住居も古い小ぶりの家、また新しいものはアパートの類がほとんどで、いわゆる不動産価値の低い処でした。ところが、その直ぐ南隣に位置するアサトン市はお城のような大きな家ばかりで、各家の駐車場は数台分、フロントの庭とは別に森の様な裏庭を備えていました。両市の境界はアサトン側では裏庭の垣根と塀、その北側はいきなり建物の壁となっていて、物理的な境界は設けられていませんでした。が、家並みの違いははっきりして、両市の間で互いに交わらないとでも主張し合って居る様でその差は歴然たるものでした。日本でも新興住宅地とそれ以外の古い町並みで類似の状況はみられるものの、その境界のどちら側に住んでいるかでその人の社会的位置づけ、即ちステイタスを意識する事は余り無いでしょう。しかし米国では住所で人のステイタス(極端に言えば差別)を意識するという事なのだと思います。これらの状況は全米のいたる所で見られます。それで、あえて米国における境界について考えてみたいと思います。

5:境界とは

米国と日本で何が違うのでしょう? 米国は現在丁度50州からなっており、合衆国と呼ばれるようにその集合体となっています。要するに基本は州にあるということです。法律も罰則も州によって違い、州ごとに最高裁判所があります。州は基本的には米国内では独立していて、州兵からなる軍隊も持っており、州境に検問所を設けている州もあるくらいです。憲法上、連邦政府は米国外との交渉や戦争、また州にまたがる事項についてのみ関与するというのが建前です。下院は州民の、即ち人口によって人数が割り当てられますが、予算承認、人事や裁判も行う上院は各州から2名だけが割り当てられています。したがって50万人前後の人口の小さなワイオミング州と4千万人程を擁するカルフォルニア州のいずれも2名の上院議員を選出しています。この辺米国の制度の矛盾ととらえる向きもあり、大統領選挙の際の選挙人制度と共に議論のあるところかもしれません。要するにそれぞれの歴史を有する各州は、勿論全てではないのでしょうが、主にヨーロッパの諸国から種々の理由、即ち宗教的弾圧や人種偏見から逃れる目的、さらに例えばアイルランドからは主食のジャガイモの感染から食物が不足してこれを求めて集団で米国へ移住してきたそうです。したがって宗教、あるいは人種毎にグループを作り、結果的に州を形成していったので、ごく自然に夫々の生い立ち、文化、人種を反映していったことになります。移民の裏には激しいインデアンとの戦いや、時にはロマンの物語も沢山ありますが、これらは米国人により小説や映画として描かれています。最近ニュジーランドやオーストラリアを中心に原住民の民権の復活の方向にありますが、米国の原住民への弾圧・虐殺の歴史は余りにも激しいものでした。「中南米にはピラミッドが有るのに何故米国には無いのか」と尋ねた事がありますが、答えは「米国の領土は自分たちのものにするために全て破壊した。なお、南の某州の岸壁にはその一部が残っている」でした。要するに徹底的に原住民を圧迫し、貧しい居留区へ押し込めたという事だそうです。有名なものの一つに金が発見されたヨセミテのマリポサ大隊による執拗な追撃があります。ロマンの話の方の一つには、米大陸にヨーロッパから移住しようとした初期のグループは飢餓に襲われ何度も失敗したそうですが、米国の祝日であるサンクス・ギビングの起源はニューイングランド地方に移住したピューリタンのグループが飢餓にさらされた時に原住民に助けてもらい、そのお陰で初めて定着に成功した際その原住民を招いて七面鳥をふるまったとかの紹介もありました。ただし、今の米国人にとっては収穫祭がその起源であるとか、あるいは単に全ての家族が集まって七面鳥で祝う日位の理解になっているかも知れません。

 それでは、州の中の市や町に関してですが、まず日本の住民票に相当するものはありません。引っ越してきても市役所に届ける必要はなく、選挙権を得るとか、あるいは何らかの支援やサービスを受ける必要が無い限り市役所等に行く必要もありません。例えばコロナワクチンを接種しようとしたら、国勢に関らず取得可能な運転免許証、原則米国に住む者に与えられる社会保険番号、いずれかの国のパスポートの何れかを持って申し込み、順番を待つことで住民票は不要なのです。地方税に相当する税金に関しても、会社員が個人で借家やアパートに住んでいる分には何ら払うことはありません。ただ、不動産を購入ないし所有した場合、固定資産税にあたるReal Estate taxは自治体の主要な収入源で非常に厳密で、専門職員が常に見て回って価値の査定をしているそうです。例えば屋根をふき替えたとか、一部でも設備を備えたとか改築したとかの際には速やかに課税額が変更されます。ただし同じ市や町の中でも上下水を必要としない農地等の場合は例外的に自治体に属さない、即ち不動産価値が上がっても非課税のままの場合があるそうです。日本と違うのは自治体の領域であっても属さないで独立している場合もあることや、固定資産税の見直しが非常に綿密に行われているという事でしょう。

こうした状況に気が付くと、どの町に属するかで大きく違う不動産価値、即ち境界が気になります。何故そのような大きな差が出来るのでしょう。

これはまた違う側面から見た場合ですが、出張の際に現地の友人から色々サジェスチョンをうけました。忘れられないものの一つに、「出張で出かける際に、部屋の上下に関らず必ず行先での一流のホテルに泊まるようにしなければならない」と言われた事があります。即ち、「米国では基本的に差別は禁止となっていますが、人間ですから値踏みをします。出張、即ちビジネスでは信頼できる相手か否かを宿泊するホテルで値踏みする」のだそうです。

同様に、よく「何処に住んでいるか」との質問を受ける事がありますが、これも値踏みされていると理解した方が良いでしょう。

米国の警察システムは日本と大いに違います。米国では警官は民間企業である警察学校を卒業して資格を得ます。そして町や市の警官として就職します。すなわち警官は町や市が基本的に雇い主ということです。警察は日本の様に警察庁を頂点にした一体組織というのではなく、町や市を守り、その住民に雇われた格好になるので住民に尽くす必要があります。財政が豊かな自治体では、その安全の為により多くの費用を警察に配分出来、税収不足の自治体ではその逆で安全でなくなり、結果的にリッチな人は住民とならず、また利益をあげる企業も来ないということになります。

一種の自由競争ということで、豊かな自治体にはよりリッチな住民が集まり、不動産価値が上がり、自治体はより豊かになって行き、貧乏な自治体にはより貧しい住民が住むようになってしまうということです。

 

 

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断絶の米国(その2)(Suzuki_Taketo)

2021年05月04日 | 鈴木(武)・関口・高野

  断絶の米国(その2)

 

3:思い起こせば

戦中、戦後生まれの我々世代は日本が最も貧しかった時代に育ち、またいわゆる戦後教育の影響も強く受けています。さらに横須賀・横浜で育ったせいで朝鮮戦争、ベトナム戦争の関係で米国軍人が数多く近隣に住み、その家族(ベトナム戦争では父の友人であったヘリ隊の隊長が戦死)とも交流があり、また米国からのTVドラマや映画の普及から、米国と日本のあまりの豊かさの違い、生活レベルの違いが身に染みていました。すなわち、米国は民主主義を主宰する国であり、自由平等の国、そして経済、政治、軍事等の全てにおいて世界のリーダ、またそれらの全てが善として認識していました。

その様な境遇にあった小生は工学部から電電公社へ入社、ソフト開発等多忙を極める中、留学もしないまま39歳の時に急に米国に赴任することとなりました。そのまま8年強にわたって実際に住んで米国を経験する事となり、種々裏の側面も見え、子供のころからの米国の認識を変える事となりました。San Franciscoではベトナム戦争によって精神的被害を受けた人々やヒッピーがたむろし、自由のシンボルであったユニオンスクエアやカストロストリートを中心にAIDSが死の病として大流行、マリファナの匂いがカフェーでは当たり前のように匂っていました。そして1990年8月イラクのクエート侵攻に対応して翌年1月に始められた湾岸戦争は米国の威信を高揚したのですが、これは911で知られる2001年の同時多発テロを誘発してしまいました。これを起こしたアルカイダを追ってアフガニスタンへ侵攻したところ、タリバンをはじめ幾つものイスラム過激派との戦いに巻き込まれて泥沼化し、米国の威信は次々と壊されていきました。経済面ではドル高基調から中国を中心に輸入が急増し、失業率も8%を超えて米国の経済を守る為にその中心とされた自動車、半導体、通信機、工業製品等に関し、日本をターゲットにした貿易摩擦、日本バッシングが始まりました。日本側もUSTRやDOCとのコミュニケーションをとって摩擦を回避するために半導体等も工場を米国内に移転したり、自主規制も行いました。ただし、自動車については摩擦の中心でしたが、米国内の消費者の嗜好に沿ったものであるため話題の中心ではあったものの米国内に工場を設ける等の努力の結果落着いていきました。その様な状況で、いつの間にか中国の台頭がありました。即ち、安価で手に入れやすいという事で家具、衣料等あらゆるコンシューマー市場ですっかり定着してしまい、また米国企業の資本流出・企業進出もあって、米国はその状態から抜け出せなくなっていました。また従来、たとえ共産主義や独裁主義であっても、それは発展過程のステップで経済の発展があればいずれ民主主義へ変化すると期待する対中国楽観主義が一般的でした。しかしながら習近平が台頭してからは不正を理由に自分に従わない勢力を駆逐、ポストの永年化、またITを政治的に駆使して情報による国民個々の統制と支配を強化しました。さらに周辺国、特に独裁主義や独裁化した国(トルコやミヤンマー)への政治・経済面の強化によって国際的な影響力を強めており、その希望は無残に打ち砕かれた様に思われます。SNSや演説会で自信一杯の表現で露出が多かったトランプ氏の2017年の大統領就任で多くの公約の一つに中国から企業を取り戻す策がありましたが実効は上がらず、またメキシコとの国境に高い壁によって移民を止めるようとしたが止まりませんでした。可愛い娘婿の関係からかイスラエルを優遇し、この関係もあってか公約の一つである中東からの米軍の撤退を実現するために、あるいは自身の大統領を継続させるためか、政府内の事前の調整無しにイランへの爆撃を無理強いで実現しようとし親族以外の有能な官僚やスタッフが離職してしまい、またトランプ自身に直言した高官を即刻退任させた等の数々の出来事がありました。大統領選挙の敗退が明らかとなると彼を熱狂的に支持した右翼や白人至上主義のグループの存在や活動を否定せずに、逆に扇動する様なスピーチを行い、これに従って全国から集合した多くの人々が議事堂へ乱入する事件まで起こしました。何故このような人物がいきなり大統領になったかも個人的に大いに疑問を生ずる所でした。

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断絶の米国(その1)(Suzuki_Taketo)

2021年04月28日 | 鈴木(武)・関口・高野

 鈴木(武)さんから表記タイトルの投稿がありました。長くて読み応えがあります。執筆者のご了解をいただき複数回に分けてて掲載させていただきます。

 断絶の米国 (その1)

1:はじめに

2021年3月21日コロラド州で10名(内警官1名)に及ぶ死者を出したスーパーマーケットでの銃乱射事件が発生しました。本件は日本でも大きく報道され、とんでもない事件と思いましたが、同様のテロの規模の「言われなき大量殺人」が、この数日後にはカルフォルニアでも発生、米国内のニュースを見るとこの種の事件が連日発生して居ることがわかります。驚く事に2020年の全米での銃犯罪の死亡者数は19379人(非営利団体Gun Violence Archive発表値)と2万人近く、しかもこの数字は自殺者24090人(同)とは別だそうで、2021年は更に増加すると言われて居ます。自動車社会の米国での交通事故死者数が年間4万人くらいですから、いかに銃による死亡者が多くなっているかが判ります。人口の上でいつの間にか日本の3倍に増えた米国ですが、銃による死者の数の増加は驚くばかりです。過去日本人も犠牲になりました。また警官による黒人への暴行や殺害が「Black lives matter」として世界的な人種差別反対運動として報道されましたが、この種事件も頻発しています。2021年1月16日には大統領選挙での敗戦を認めないトランプのごたごたから彼の「米国を守るためにCapitol Hill=議事堂の丘へ行くべし」の演説に従った超保守の白人による議事堂乱入騒動に至り、警察官1名を含む4人の犠牲者をもたらしました。これはいわば政治を暴力で左右させようとしたクーデター未遂の様なもので、この事件は今まで抱いて来た民主主義の宗主・米国のイメージをすっかり壊してしまいました。

2:米国人のストレス

では何故今の米国でこの様な忌まわしい事件が日常化しているのでしょうか?米国では、その歴史から、銃砲の所持が自己防衛、いわば基本的人権の様に憲法で保障されていることにもあるのでしょうが、もっと深く考えると、その背後には米国人の間に溜ったストレスがあると考えられます。何故なら、911の時の様な宗教的背景が最近の事件には見られないからです。ストレスには種々のものがあるでしょうが、今はコロナでしょう。トランプはマスクが嫌いの様でこれを不要とし、結果として自分も感染したものの、たった数日の入院・治療で回復し、「この病は大した事は無い」と退院時に断言するスピーチをしました。誰もがそう思いたい所でしょう、彼のスピーチ・強気は支持者から熱狂的に歓迎されました。

白人のマスク嫌いは、もしかしたら会話はお互いの口を見て行う習慣が有るからかも知れないとの説があります。日本人はその点、お互いの目を見て話をしますからマスクがあっても障害にはならないのかも知れません。そういえば透き通るようなブルーの瞳は覗き込んでも透明で、引き込まれる感じはあっても意思が通じにくい、更に北欧にみられる灰色の瞳では目を見ても何も分からない感じがしました。

その後コロナは猛威をふるい、ついにはトランプ大統領のホワイトハウス退去の18日の直前、2021年1月13日に新規感染者数23万人のピークを記録しました。その後はワクチンの効果が出るまで連日8万人を超え、2020年度末で計50万人以上の死者を出しました。この数字はベトナム戦争、一次/二次世界大戦での米国人の死者よりも多いそうです。その状況で多くの州や市ではマスクの着用義務化、外出制限、レストラン等の閉鎖も行う様になって、これは空襲の経験の無い米国人にとって初めての事で、ストレスは最高潮に達しました。さらに、トランプがその新型コロナの起源を武漢、更には国立研究所からの流出とし、チャイナウイルスとしたことからアジア人の区別が出来ない米国人の一部がアジア人全般を憎み、これへの暴行や殺人事件も頻発し「Black Lives Matter」に加えて「Asian Lives Matter」の運動も起こりました。これもストレスの成せる技でしょう。

移民数の多い中国人への虐殺事件は1871年の中国人虐殺, 1885年のロックスプリングス虐殺が有名ですが、その後も幾つかのチャイナタウンでの暴動騒ぎも時々起きています。それらは我々にとっては第二次世界大戦時の日本人排撃運動、財産剥奪・収容キャンプ所等も思い出させます。日本の場合は太平洋戦争と収容キャンプの問題からか、いわゆる日系人の名誉回復に関る活動以外に団体を作って政治的活動をする事は余りありません。また日本からのビジネスマンが積極的に政治活動に取り組み事もありませんし、日系人との交流も余り目立ちません。これに対し中国人や韓国人は地区毎に夫々強固なコミュニティ、また移民手続きや経済的援助団体、さらに本国からの支援も受ける形で、その全国組織をもっており、それは選挙の際にも強固な活動を行っています。いずれにしろ、人種差別や暴動の背後には経済問題、失業や貧困があり、その原因を低賃金で働く移民や黒人、更には中国等に向け、結果的に人種間の差別や分断、憎しみを生じている事も浮かび上がります。思い起こせばトランプ氏は大統領出馬の際にこの様なストレスをついて支持者を集めて大統領になった様にも思えます。リンカーン大統領以来、人種差別を無くすとのコンセンサスがあり、KKK等の超白人主義、即ち極右は存在しても隠れた存在でした。しかしながら、トランプはその存在を表に出し認め、結果として多様な人種に対する差別主義が全米に広まりつつある状況となってしまい、最近はコロナをもじって「The Racism Virus」という言葉も一般化しつつあります。

オバマ大統領の真反対の政策であったトランプ大統領もようやくホワイトハウスを去り、バイデン氏への交代により米国が当たり前の米国に戻りつつあることも実感します。即ち、到底日本では想像も出来ない、医師・看護師に加えて全国にある薬局の職員へも訓練を行って、1日百万人を超える素早いワクチン接種の実施を行いっている様子に、いざと言う時には団結し、物量にモノを言わせる蘇った米国が見られます。米国は既に必要数の数倍に相当する12億回以上のワクチンを集めたそうで、日本の状況とあまりにも違うことに驚かされます。民主主義を旗頭に、人権問題や情報セキュリティ問題から独裁政権に厳しく臨むバイデン政権に声援を送りたい所です。

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Smartプロジェクト(その30)(Suzuki_Taketo) (最終回)

2019年01月28日 | 鈴木(武)・関口・高野

  Smartプロジェクト(その30)最終回

フィリピンで怖かった話

①  マニラに赴任して直ぐに大使館やADB(アジア開発銀行)等への挨拶回りに参りました。マニラにはアジアの中心的位置付けがあってADBの他にも国連機関があり、小生の小学校時代の教科書に、まるで憧れの地の様な紹介記事が有ったように覚えています。

 Smartプロジェクトの次長相当の勝俣氏は、かってマルコス時代に3年程そのADBに出向していた事があります。彼のその頃の記憶から、オーストラリアからのオフィサーが門衛に射殺された事件について話してくれました。そのオフィサーはとても礼儀正しい人で、毎朝ADBの門衛にも挨拶をしていたそうです。さて、話は門衛が何等かの原因で金が必要となり、思い余って毎朝機嫌よく挨拶を交わしていたオフィサーに金の無心をしたところ、オフィサーは無碍も無く断ったそうです。その途端、門衛は裏切られた気持ちになったのかもしれません、持っていた銃でオフィサーを射殺してしまったとの事でした。

フィリピン人は家族をとても大切にする、上司は部下の面倒を見るし部下は忠実を尽くす等、麗しい昔の日本を思わせる文化があります。ただ、人間関係の思い込みから思わぬ展開となってしまう可能性も有るという事です。この話は、フィリピンでの人間関係で、常にある一定の距離を置くべきとの教訓となりました。 

② ③の話しをあげるまでも無く、世間で余りにもフィリピンの危険性が指摘され、外出の際にも数人のグループで行くか、あるいは殆ど常にボディガードと一緒に行動し、始めのうちは息が詰まるような生活でした。が、徐々に様子が判って来ました。即ち、全く理不尽なアタックは案外少なかったということです。これは同国における宗教と教育程度が高いせいで、事の善悪を良く心得ている事から来ていると思っています。

 三井物産マニラ支店長誘拐事件の折も、彼がある個人的な件で、金を払う約束をしたのにこれを守らなかった事で現地人があちらこちらに相談し、その情報を得た日本赤軍が現地の共産軍に関与させたとの話がありましたし、多くの日本人被害の裏には日本人による関与、或いは指示があったとの話が有りました。即ち、日本での逮捕を逃れるべく、脱出せざるを得なくなった人々が、その糧を得るために誘拐や強盗を立案、現地人に執行を指示するケースが多かったように記憶します。

③  エドサ(EDSA)革命とはマルコス政権の腐敗した独裁政権に対し、1986年2月22日の国軍改革派将校の決起から、25日のコラソン・アキノ(暗殺されたアキノ上院議員の夫人)政権樹立に至るまでの100万人に及ぶ民衆・軍・宗教家による活動で、その際マルコス夫妻は米軍のヘリで宮殿から米軍基地経由でハワイに逃れたそうです。

 小生が居住したマカチ市のツインタワーのデッキには防護壁があり、そこにはその時の弾丸の跡が有ったそうです。そもそもフィリピンには1896年に代表されるスペインからの独立運動、さらにスペインから米国へ植民地として売却された事から、その後は米国からの独立の戦いの長い歴史があり、結局第二次世界大戦後まで独立が果せず多くの血を流してきました。

今回、2003年7月27日 300名以上の国軍兵士がアロヨ政権の腐敗に抗議するとしてPLDT近くのアヤラ・センターのコンドー兼ホテルに立てこもり、これはオークウッドの反乱(Oakwood Mutiny)と呼ばれています。首謀者は、Gerardo Gambala陸軍大尉とAntonio Trillanes海軍大尉で事件と裁判を通じてアロヨ政権と軍の不敗を告発したTrillanes大尉はアイドル的な人気を得て、その後2007年の上院選挙に出馬・当選したそうです。

 フィリピンは貧富の差が極端に大きく、政治の権益が大きい事からある条件が揃うと革命が支持される基盤がある様です。NTTからの出向者の戸川隆氏がそのコンドーに居住しており、意外と静かでバスがアレンジされて無事出る事が出来たと言っていました。彼はPLDTでのインターネット等のIT新規事業を推進すべく設立したePLDTのアドバイザーの為に赴任して貰って間も無い出来事でしたから驚いた事でしょう。

④  次の車のドライバー関連でも麻薬がらみが有りましたが、昨今の麻薬がらみの人権問題は、余りにも深刻な麻薬禍状況から、警察だけでなく、バランガイ(・町内会)単位の自警団と称する武装組織も動員され、さらに軍隊まで動員しての対処と聞いています。軍隊は、共産軍との戦いや、ミンダナオでのイスラム過激派との戦闘を続けている事から危機感があり、士気が高いと言えます。

 ただ、これ等の公務員の給与は非常に低いのには驚かされます。アロヨ大統領の時に大統領の給与が$1200/月で、在日フィリピン大使が$1000/月と聞かされました。その収入であのような豪邸が手に入れられるのかが不思議ですが、公務員給与が余りにも低いとどうしても別の収入を得なければならないというのも現実でしょう。ただ、公務員の不正を正す為にその給与の10%引き上げ法案を提示した途端にアロヨの支持率が下がりました。民主主義・政治は難しいものです。従って、色々な局面で賄賂の要求に遭遇します。個人の問題なら何とかなるのでしょうが、NTTから出向の身で、公的な場面での状況で悩む事があります。その際には、現地のパートナーに伝えて、直面を避ける必要があります。

⑤   会社経由で雇用したドライバーでも、結局個人同士の付き合いになりますから苦労があります。 パンギリナン氏と海外出張をしていた際、田嶋氏から小生の携帯に電話を貰い『どちらに居ますか?お怪我の具合は?』と立て続けの質問を受けました。聞いた所、小生の社用車が郊外の準高速道路(EDSA)で中央分離帯に激突、転覆、大破しているのを見たとの事で、電話をしてくれたのだそうです。

 Smartへ連絡して調査してもらった結果、ドライバーとメードがいつの間にか親しい関係となっており、小生の留守にドライバーが勝手に社用車を運転して事故を起こしたとの事でした。 メードもドライバーも交代せざるを得ませんでした。                                      これは別のドライバーでしたが、自分で店を開くとの事で辞めて行ったのですが、その後その店に投資をしてくれとの要請があり、これを断ってしばらくすると今度は、『闇の世界の情報で貴方が誘拐のターゲットになっている。ターゲットを外すには100万ペソ必要』と連絡して来ました。

 誘拐への対処策として、ネゴシエーションを含めて身代金等費用を負担する保険がロンドンにあるそうですが、この時は相手が分かっていたので、エージェントに追跡を依頼して終わりとしました。このエージェントによれば、このドライバーの店は繁盛する事なく、結果的に店をたたみ、その後麻薬関係の取引に関わったとして逮捕されたとの事でした。 念のためですが、もし誘拐保険に加入した際は、絶対にこれを秘密にする必要があるそうです。そうでないと保険金目的で狙われてしまう可能性が高くなるそうです。

 これら運転手のいずれもSmartが雇用したドライバーでしたが、いつも居眠りをしていて危険極まりないドライバー、ギアの切り替えが上手く出来ないドライバー等々難問ばかりでした。 PLDTで雇用したボディガードを兼ねたドライバーが見つかるまで苦労が絶えませんでした。この優秀なドライバーは元々は共産軍のメンバーであったとの事です。共産軍はかってマニラに攻め入る位の勢力を誇り、SmartのCEOだったDoy・Vea氏も学生時代にはマルコスに対抗する為に共産党に入って、挙句刑務所に収容されていたそうです。彼に言わせれば、かって真面目な人は皆共産党に入っていたとの事で吃驚。  

                         (終わり)

 --- (あとがき:奧山)----------------------

 

『Taketo君』長文の投稿ありがとうございました。

 

本稿は12月のイレブン会の席で「最近ブログの投稿が少なくて…」と話したところ「では、送るよ…」とすぐに彼から送付されてきたものです。

 

 NTT(旧電電公社)に入社した彼が上司の指示でフィリピンに赴任し、200人程度の小さな通信会社を9年間で1万数千人の大企業にした波乱万丈の話。彼の活躍を読ませていただき「よく頑張ったなあ…」と嬉しくなり同時にこのような仕事を経験できた彼がちょっと羨ましくなりました。

 

 帰国後の彼は、監査役や顧問を担当した後、昨年からある会社のトップに就任いたしました。私は70歳を超えてから企業のトップに就任した人をあまり見ていません。周囲

 

から信頼され評価されているからだと思います。Taketo君の更なる活躍を期待しています。ただ身体・健康が一番、僕と同じ年齢です。あまり無理をしたり頑張り過ぎないように。長文の投稿有難うございました。

 

 

 

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Smartプロジェクト(その29)(Suzuki_Taketo)

2019年01月25日 | 鈴木(武)・関口・高野

 Smartプロジェクト(その29)

『危険な体験とその対処』 

1:米国で怖かった話

日本からカルフォルニアへの引越しにあたり、妻から乗り慣れたギア付きの車を用意して欲しい、との要望がありました。米国でギヤ付きの車はとても稀で、やっと中古のランチアを見つけました。

その試運転をしていたら、パトカーの追尾を受け、停止を命じられ、停止すると直ちにパトカーのドアの後ろから拳銃を向けられ、ホールドアップしてランチャのトランクに伏せさせられました。プレート番号の関係で盗難車と思ったとの事ですが、試乗中である事を説明して無線で確認をとって放任となりました。 

米国は銃社会で、直ぐに銃が出てきます。米国の家は庭が大きくて敷地の境界もはっきりしない事も多いです。海岸の砂浜と思っていたらから私有地であることもあり、森林から開けた所に出たと思ったら、いきなりライフルを向けられた事がありました。そういった場合、いきなり撃たれる事は無く、かなり強い調子で『May I help you?』と言葉をかけて来ます。

銃といえば、娘の学校からお知らせが来て吃驚した事が有りました。曰く『お子さんに銃を持たせて登校させないで下さい。今後は校門に金属探知機を設置し、銃を発見した際にはそのまま帰宅させることとします』。

学校のカウンセラーに質問した所、『学校の周りでドラッグを売りつける不審人物が見かけられ、これを恐れた親が、「売りつけられそうになったら銃で身を守れ」と銃を持たせた様です。校内での銃による事故も想定される事から、警察も含め周辺での見回りを充実するので、銃を持たせないでくれ』とのことでした。ランドセルに拳銃を忍ばせた中高生なんて、怖いと思いませんか?

②   これは、東海岸での警官との逆の立場になってしまった話しです。 NTT Americaの後任となる林氏とその知人のコロンビア大学の教授を名乗った方を乗せて、そのアパートへ送る際、彼の指示で5番街から42丁目を右折したところNY警察のバンに停止を命ぜられました。

何が原因だか分からないまま、自分の車内で待っていましたが、余りに警官が来ないのでそのバンに行ってドアーを空けた所、2人の警官が一斉に両手を挙げました。小生が2人の警官をホールドアップをしてしまったのです。一歩間違えば警官側が発砲したかもしれない状況です。“Calm down. No Problem”と言って警官達をなだめて問題はおきませんでしたが、彼等もホッとして”Thank God!” といって本当にまいった様子でした。住民の教授も知らなかったのですが、5番街から42丁目への右折は基本可能なのですが、その時間帯2時間だけ禁止になっていました。

③  その他は米国は比国と違い、誰もが来たがる地のせいか、いわば社内から足をすくわれそうになる事が度々ありました。 連邦議会からの呼出に関わる査問、NYの社宅購入批判、PANAMビルからの事務所移転批判、Teknekron社への通信網設計ソフト発注、航空券アップグレード批判等が本人の知る所となった件でした。

   (その30に続く:次回が最終回です。)

 

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Smartプロジェクト(その28)(Suzuki_Taketo)

2019年01月19日 | 鈴木(武)・関口・高野

 Smartプロジェクト(その28)

海外事業の秘訣とは 

 当時のフィリピンの法律では、フィリピン人の出来る業種、販売業やサービス業は原則外資が規制され、通信事業の様なインフラサービスでは50%以下は認められるものの外国人の直接の命令権を認めていませんでした。

 我々の立場は明治の昔の『お雇い外国人』の様なもので、何を誰に教えるかのプログラムを予め提出し、またその進捗状況を報告する義務がありました。私のレベルのNTTへの支払い年間費用が1億円を超えると聞いて驚き、まさにお雇い外人と認識したりしました。

 その後は少し緩んで、経営上のアドバイザーの役割となり、プログラムを作ったり、進捗報告等は不用になりました。しかしながら、実際には『アドバイザー』に止まる必要は無く、それ程不便無く執行役として行動できました。即ち日本での会社役員のやり方と大差は有りません。ただ、幾つかの処世術は必要です。

 Smart・PLDTの最大株主であるFirst Pacificからも香港から数人の英国人の『アドバイザー』が我々のカウンターパートとして派遣されており、彼等から経理・財務面で多くの事を学びました。 反面、技術者でもない英国人が移動通信の総責任者を自認し、『NTT側は固定網のみに関与すべき、電波も使用させない』と縦割りの仕切りを求めたり、Smartの社名が英語では『Smart=ずる賢い』の意味がある事から改称するとか突如言い出したりして、かなりの対立がありました。

 彼等が基地局の購入、課金・顧客管理システムの選定にあたり、社内でのコミッティ(検討委員会)の結論を無視し、独断で契約に至る行為をしてしまった等から、ファウンダーのFernando氏と殴り合いになる程の激しい対立を重ね、結果的にお引取りを願う事になりました。 その後は、コミッティだけでなく、大きな課題に取組む場合に第三者のコンサル会社を雇って、缶詰合宿で答を導く方法で円満な人間関係の中で経営を進めることが出来る様になりました。

 現地で注意すべきは、一部の人を除いては、親分・子分の関係が余りにも強く、与えられた目標を達成する事で地位を確保、俸給も決まる事から、一度方針を示すとフィードバックが掛かり難く、即ちストップが効き難いことでした。これはSmartに限った訳では無く、オーナーが一度命令したらフィードバック無しに走ってしまい、この事から競争相手の通信事業者の幾つかは、固定網の目標や義務を達成した途端に倒産、あるいは身売りした例が幾つもありました。この点、Smartはコミッティを活用する事で、早くフィードバックをかける事が出来、固定網への投資も最小限に留める事が出来たのが幸と言えるでしょう。

 親分は子分の面倒を一生見るのが原則ですから、数年で退任する我々外人が一時的に責任者となっても忠誠心を期待する訳には行きません。したがって、論理と展望が説得力という事になります。逆に忠誠心を持たれると一生の面倒を見る義務のような関係が生じますから、ある意味危険といえます。

 処世の秘策としては、現地の心有る人物と事前に意識を合わせ、この人物からの意見を十分に聞き、その結果を反映して、あるいは反映できない時でも、これを選択肢に挙げ、会議の結論として方向を決めれば良いと言う事です。現地の中堅幹部も立派な学歴と経験を持っており、経営的にも技術的にも高い技量を持つ方々でした。

 PLDTの収入の伸びはSmartが支えていると言っても良い状況ですが、国内の競争状況が安定している事がその背景です。シンガポールのSingtelとフィリピン最大財閥のAyalaを親とするGlobe社はその面で良い競争相手です。

一時期PLDTの買収に失敗したゴ・コンウエイがSUN Cellularを立ち上げてSmartやGlobeに挑んだ事が有りましたが、いわゆるプラチナバンドを確保できなかった事からサービス品質の良くないディスカウントサービスに甘んじ、結果PLDTグループに下る事で、再び安定的な競争に戻りました。

 経営が安定するにつれ、パートナーのFirst Pacificのパンギリナン氏は色々な機会を捉えて独占的インフラ事業に乗り出しました。 その内容は前にも述べた電力会社のMeralcoの他に、首都圏水道民営化に伴ったMaynilad、マニラ北部高速道路などがあり、さらにメディア、鉱山、レストランチェーン等多岐に亘るようになり、Market Value総額では$21B=2兆4千億程となっています。

 多くのケースは財閥の次世代経営能力に関する株主金融機関からの疑念や、交代期に起りがちのお家騒動等が契機のようでした。フィリピンから外への進出については小生の在籍した頃に、一時タイのTT&Tの買収検討の他、華僑系財閥Lippoからのオファーでインドネシアでの携帯通信事業等の検討を行いました。インドネシアについてはNOKIAの協力を得て本格的に検討しましたが、政治的に利益を吸い上げられる構造であったり、周波数から技術的にリスクが高過ぎるとの結論で検討を停止しました。フィリピン自体が十分な人口増もあり、GDP成長率が6.8%前後と高成長で、当時は出て行く必然性が低く、比較をするとリスクが高かったと思われました。

 NTTの持ち株は当初NTTCommunicationでしたが、その後docomoと共有するようになり、現在はFirst Pacific (25.6%), ドコモ (14.5%), NTT Com. (5.85%) となっています。NTTの双方からは時々サービスの展開上の要求があったりしますが、日本の環境とかけ離れた状況から、そのまま移植して成功した事はありませんでした。

 逆に現地で成功した送金サービス等GSM上のサービスについても何度も説明を日本側がこれを受ける事もありませんでした。要は、配当や株価値による資産については興味があっても、海外企業の経営は現地の状況を把握している側に任せるほかは無いという事でしょう。逆にPLDTが他の国へ進出するような事になるとNTT側は混乱する事になりかねないと感じています。

  (その29へ続く)

 

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Smartプロジェクト(その27)(Suzuki_Taketo)

2019年01月15日 | 鈴木(武)・関口・高野

 Smartプロジェクト(その27)

PLDTプロジェクトの意味とNTTとのシナジー

 国際通信事業には海底ケーブルが必須です。NTTは国際通信事業の当初は第2種事業者としてケーブルを持たずに、レンタルした形で開始しました。結果レンタル費用が高価で採算の取れる状況にはなりませんでした。自前でケーブルを持つ必要がありましたが、その建設には長い時間を要します。別の手段としてケーブル容量を持った会社、具体的にはIDCを買収する手がありました。

 しかしながら、IDCのネットワークの広がりが不十分であることや、K&Wによるオファーが当初計画していた額よりも高額であった事から断念せざるを得なかったと理解しています。そこで長い歴史とプレゼンスを持つPLDTに出資する案が代替として浮上しました。

 多くの海底ケーブルプロジェクトは出資者間の合意として14%以上の株を持つ会社はアライアンスとして認め、その所有する容量を出資時の原価で転売できるという合意があります。従って、NTTがPLDTの株を14%以上持つ事によりアライアンスの関係と認められ、PLDTを通じて国際通信事業に必要な海底線容量を原価で取得する事が出来ます。したがって、Smartに持っていた株をPLDTに売却し、14%以上になるようにこれに上乗せしたのです。

 また現状の意義、シナジーですが、PLDT側も法人営業事業を立ち上げた事から、アジア進出を図る多くの企業にNTTComのArcStarサービスの差別化の上で有利に働きました。アジアの多くの国では回線品質上の問題があり、フィリピンも島国で台風や火山、地震がある事から同様ではあるものの、顧客からすれば現地の統制が効くことが大きなメリットであり、またPLDTの職員も最優先で取り組む事から、現地工場の責任者から種々感謝を頂く様になっています。

 通信事情の改善、時差の少なく近い立地、また英語が通じる等の事から、大小企業の規模に拘わらず、フィリピンに進出を決めた企業が多いのです。

 携帯通信事業もNTTComからDocomoが半分購入後に増資を得た後、一時i-Modeを導入してみたものの、使用できる端末機がNEC1社のものに限られたり、またスマートフォンの普及により、結果的にローミングアライアンスによるシナジーに限られているようですが、増資も経て、NYに上場する同国唯一の優良企業として毎年高額(百億円内外)の配当をNTTグループにもたらしています。

 尚、2016年のPLDTのMarket Cap.は $10B. 程でNTTの10%程度となっています。

  (その28へ続く)

 

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Smartプロジェクト(その26)(Suzuki_Taketo)

2019年01月13日 | 鈴木(武)・関口・高野

 Smartプロジェクト(その26)

PLDTの内部不正とは

 基本的にはオーナーが絶対の権力を握り、会社を私物化していた事が問題の根源でしょう。本社内に専用のスポーツジムを作って、愛人と利用していたとの話しもありました。

現場でも架設の際に不正な手間賃を要求する事や、賄賂のように金を払うと早く電話を付けてくれる事等が日常的に行われていたようです。修理に際しても同様な事が行われており、これらは、いわゆるOBグループが背景に居たようで、そのグループと関りの無い責任者と管理者に個別の事例を突き止めてもらう事で、案外早く対応が出来たと思っています。

 これは内部不正に近いとされたものですが、料金滞納者からの料金回収会社の存在が有りました。この回収手数料が40%にも上り、また其の取扱高が余りにも大きい事から調査した所、そのオーナーが買収前のPLDTのオーナーであることが判り、契約破棄で対応する事が出来ました。

 以上とは別の形の不正行為: PLDTはベトナム戦争当時米軍最大のクラーク空軍基地とスービック海軍基地にAT&Tと50%/50%の合弁会社を運用していました。その後米軍は撤退し、フィリピン政府は広大な米軍基地跡を保税特区として産業誘致を図り、米軍無しでも経済が崩壊しないよう図っていました。

 通信についてはPLDTがAT&Tとの合弁を継続し、海外資本が入り易いよう特区内限りの割安国際通信を提供していました。競争会社Globe社のAblaza CEOと偶然に行き合った際、『特区の通信会社が正式の国際関門局を経由せずに、割安で国際通信を行っているようだ』と告げられました。調査の結果、それが事実と判明したので、これを中止させましたが、その際AT&Tの社員と現地の部下は直ちに米国へ出国してしまいました。彼等は不正に稼いだ金の一部を抜いて横領していた様です。

 AT&Tからの着信料金による債権を用いてその持分を買取って合弁を解消する事としました。 ただ、これがFBIに負われる身となる原因となるとは其のときは想像しませんでした。この詳細は『怖かった話し』(*1)とします。

    (その27へ続く)

(*1)怖かった話 2013年7月14日掲載(ごめんなさいGooブログにはLink機能がありません。) 【 怖かった話 -FBIのお尋ね者になる 】

 

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Smartプロジェクト(その25)(Suzuki_Taketo)

2019年01月11日 | 鈴木(武)・関口・高野

  Smartプロジェクト(その25)

ゴ・コンウエイによる乗っ取り

 サリムはインドネシアを中心とする最大華僑グループで、Smartプロジェクトのそもそもの話しで既に紹介しました。 スドノ・サリムは福建省からジャワに渡りスハルトに協力して財を成したそうで、FPCのパンギリナンはその息子である現総帥のアンソニー・サリムの言わば学友として目を掛けられ、その後グループの番頭格として香港のFPCを率いていました。構造は複雑ですが簡単に言えば、Smart/PLDTはそのフィリピン現地法人Metro Pacificから当初出資を受けた格好となっていました。

 PLDTの債務のリストラの目処がついた丁度其の頃、NTTのSmart/PLDTへの出資パートナーとしてのFirst Pacificの親会社として、資金を提供してきたサリム財閥がインドネシア政府によって不当蓄財として罰金を課されました。罰金額は約$2Bと記憶していますが、サリムとしては資産の差し押さえを受けるよりも、自主的に清算したほうがメリットがあるとして自主的に納める立場をとりました。

 その結果、サリムの持つPLDT株をゴ・コンウエイ財閥へ売却するとの約束が強引なやり方で有名なゴ・コンウエイと取り交わされたとの事でした。パンギリナン氏はオーナーのサリムが売却すると決断したので、これに従わざるを得ないというポジションで有りながら、これを阻止したいとの意志が有り、我々に何とか成らないかと相談する状況でした。

 ゴ・コンウエイ側からはデイールを進めるため、早期にデュー・デリジェンスを行い、Digitel等との統合も果したいと言って来ていました。NTT東京はゴ・コンウエイの強引なやり方で合理化が早く進んで利益が増えるかもしれない、この際乗換えを図るべきと言う意見もあり、種々議論は有りながらもNTTは中立の立場をとる事としていました。

 ただし、実質的なオーナーの変更はJBICからの融資契約にとってはディールブレイクにあたる契約上の重要な変更事項にあたり、また日本商社を初めとする債務のリストラ計画も御破算となる可能性もありました。小生にすれば今までの全ての努力が御破算、最悪の結末、デフォルトになってしまう可能性もあって、兎に角穏便に済ませたい所です。

 JBICに状況の説明に上がり『仮にゴ・コンウエイに移ったとしてもNTTのポジションは変わらない、またDigitelとの統合があれば合理化が加速する可能性もある』と説明を行って急場を凌ぎました。銀行出身の川島氏が同行してくれて、『あの説明のが最善でした』と後で言ってくれたのでホットしました。マニラに戻ってみればマスコミに取り囲まれる大騒ぎで、日経新聞の記者も尋ねてきました。記者からの質問に対して、『PLDTの役員として、役員会で合意した行動をするだけだ』と答えた所、『弁護士でもあるまいし、面白くも無い!』といわれたので、『有難う』と応じました。

 ゴ・コンウエイ側から再三デュ-ディリジェンスを行いたいとの申し入れがあり、この事からゴ・コンウエイの側では、そのバックに十分な事前調査の実施が条件となっていた事、また早期の経営権の獲得が条件となっていた事が判明し、何度も取締役会を重ねる等種々の経過を経て、PLDTの昔の取締役会の議事に、『競争関係にある相手からの内部調査には如何なる場合も応じてはならない』とした条項があった事が判明し、PLDTにとって競争相手と見做されるDigitel社がゴ・コンウエイ傘下にあったので、これを拒否する正当な理由が見つかりました。

 ゴ・コンウエイ側も実施にあたってはデューディリジェンスを条件として居たので、これが出来ない現状では進められないと判断し、パンギリナン氏とサリム氏の関係も壊す事無く、非常に穏便に乗っ取りを回避することが出来ました。サリム財閥は他の資産の売却を進め、インドネシア最大財閥の地位を降りました。デジテルはその後Sun Cellularを開始しましたが、新たに始めた携帯会社のサービスは900M帯を持たず、また基地局も不足して加入者が増えず、2011年にはPLDTがデジテルも含めて買収してしまいました。

   (その26に続く)

 

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Smartプロジェクト(その24)(Suzuki_Taketo)

2019年01月09日 | 鈴木(武)・関口・高野

   Smartプロジェクト(その24)

 エンロンショック

 エンロン社は全く突如破綻しました。電力の空売りを売上にたてた乱脈決算で、その負債総額は少なくとも310億ドル、簿外債務を含めると400億ドルを超えていたのではないかとも言えます。

 続いて、MCIの買収等を経て大手通信会社となったワールドコムもSprintの買収に失敗し、粉飾決済を重ねて2002年7月に経営破綻しました。いずれもアメリカ史上最大の企業破綻と言えます。突如の破綻の原因は会社経営にある事は否めませんが、決算上危機の状況が見えないのが問題とされ、その見直しが始まりました。

 このことからNYSEに上場しているPLDTとしては経理・監査方式の見直しとなり、新たな監査方式に従わなくてはならないとされました。

 と、言っても新たな監査方式が既に決定して居る訳ではなく、当初現地の監査法人の指導のまま決算を行おうとすると、ワシントンの本社から、その方式は不満足だといいながら、正式な方法は未だ決定していないのでもう少し待てとの指示が出たり、何度も取締役会を開いて修正しなければならない等混乱を極めました。此れを契機に日本でも多くの企業が国際会計基準に従って決算をするようになりました。

  (その25に続く)

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Smartプロジェクト(その23)(Suzuki_Taketo)

2019年01月06日 | 鈴木(武)・関口・高野

  Smartプロジェクト(その23)

エストラードの大統領失脚

 ラモス大統領が6年の任期を終え、予想と異なり、副大統領のエストラーダ大統領が選出されました。フィリピンでは大統領と副大統領は別個に選挙で選ばれ、政党より個人が優先するため多くは対立する関係です。

 フィリピンでは政党自体あまり意味が無いのです。エストラーダは俳優出身で、民衆の味方をスローガンとしていました。宮田(仮名)社長の就任に伴う表敬の際に、誰が入れ知恵したのかエストラーダは貧しい庶民出身で、英語が話せないとの前提で、日本語-英語、英語-タガログ語の二人の通訳が同行されて来ました。実際には、中退はしていますが名門のアテネオ大学に行っていた程の家柄の出です。

 しかしながら、強引な所もあり、ラモス大統領がせっかくミンダナオのイスラム勢力MILFと結んだ和解協定が不公正であったとして2000年に破棄、軍事攻撃を開始しました。此れに対しイスラム勢力はジハードを掲げて徹底抗戦の様相となりました。このあたり米国のトランプと似た印象が持たれます。

 個人的にお話しをする機会に得た彼の主義、主張は、『国の金、時に税金を私用に使う様な事は絶対にしない、ただ自分が個人的にコンサルして、その礼として贈られるものはこまばない』と言う事でした。

 大統領になって忙しくなり、愛人数家族を大統領府から便利の良い地区にある、華僑から提供された邸宅(複数)に集めて住まわせた等その典型でした。新聞記者の問いに対して、『これで、もっと国家に捧げる時間が出来、又家族も幸せになった』と答えていたのは、さすがに驚きでした。

 その他、行政府の高官も含め種々の贈収賄が暴かれて、2001年1月我々がPTC(Pacific Telecommunications Council )に出席している間に収賄の疑いで弾劾され、失脚退陣してしまいました。この出来事は第二のエドサ革命と呼ばれ、副大統領のアロヨが大統領を継承しました。

 この出来事の中で、フィリピン通貨が一挙に31%も落ち、丁度HonoluluでPTCに参加していたのですが、PLDTのメンバーに出張旅費が足りないので何とかしてくれと迫られ、危機を実感させられました。債務の多くを$USで持ち、収入をペソに頼るPLDTグループも危機に陥るとみられ株価も勿論下がりました。実際、第一回のエドサ革命の際には共産主義化を恐れたり、逮捕を恐れたりして多くの資産家が資産を売却してマルコス一家を追う形で渡米したそうで、我々もそれに備える必要が有ったのかもしれません。

 しかしながら、クリントンの同級生を名乗ったアロヨ副大統領が存外しぶとく大統領を務めてくれたので、助かりました。エドサ革命で投売りされた不動産等を安値で買い取って大金持ちになったという人と何人かお会いして居ますが、この様なリスク対応は為替変動保険の様なものは有りますが、どれだけヘッジにかけるかの判断は難しいものです。

 公務員給与が大統領で$1200/月、大国への大使で$1000/月だったそうで、アロヨ大統領が『役人の給与が安過ぎるから賄賂を取ったりする、その改善が必要』と10%程の賃上げを提案したそうです。彼女の夫の素行と収賄が酷かった事と、公務員給与の御手盛り提案から急に人気が衰え、その後彼女も投獄され、フィリピンの大統領も大変です。ただ、アロヨ氏はディテルテ政権   下院議長となっています。

   (その24に続く)

 

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Smartプロジェクト(その22)(Suzuki_Taketo)

2019年01月05日 | 鈴木(武)・関口・高野

   Smartプロジェクト(その22)

債務のリストラクチャリング:

 PLDTはニューヨークのNYSEに上場するフィリピン唯一の会社です。買収の直後から株主である金融機関や年金基金等に対してIRを行って株価の維持を行う必要がありました。IRではPLDTの経営者としてSmartを買収した事で、PLDTグループの経営の改善、即ち如何に合理化して、利益を向上していくかを説明する必要がありました。

質疑も厳しいもので、職員数の合理化計画や利益率等数字で答える必要があります。 IRでは香港・アムステルダム・ロンドン・NY等を回りますが、1日2カ国、世界一周5日のペースで年1回、なかなかハードなものでした。

 いずれにせよPLDTは種々のリストラが必要でした。NTTとの関係を維持する上でも、先ずはPiltel等の不良資産、またこれを構成した債務の整理が最初の課題でした。Piltelの固定網は政権との摩擦もあったそうで、敷設義務に関する査察が特に厳しかったそうで、設備を急速に展開する必要があった様です。日本商社(複数)によるターンキー契約でしたが、既に引取りが終了したにも関わらず、殆ど稼動して居らず、支払いもしていない状況となっていました。

 最大の貸し手になってしまった日本商社には、バブル崩壊で整理すべき不良資産が山積みで、その経営上も不良資産をそのままにしてはおけないとの認識を共有した上で、同社の債権をPiltelの株に切替え、さらにPLDTも含めて別途のオプションを加える案による膝詰めの交渉を行いました。幸い、NTT法人営業本部で流通サービス営業部長をしていた関係で、多くの商社の幹部と顔見知りであった関係もあり、非常に率直に議論を進めることが出来、合意に至ることが出来ました。

 PLDT自体の債務としては殆どの通信設備を独シーメンスから調達していた関係でKFW(ドイツ輸銀,)に最大の債務が有りました。当初、この借り換えは順調に進むものと思っていましたが、日本資本が入った事で、ドイツからの今後の調達が見込めなくなるとの考え方も有ったのかもしれません、KFWが借り換えに難色を示しました。

 財務担当アドバイザーのCris. Young氏のKFWとの交渉の末、借り換えの条件として日本政府ないしNTTの債務保証があればこれを認めると言う所まで妥協を得られました。しかしながら、持ち株傘下で発足したNTTComと幾度か交渉を重ねましたが、債務保証はした事もないし、今後もする事も無いとして頑としてこれに応じてくれませんでした。NTTファイナンスにも相談しましたが、NTTが債務保証に応じた事実は有ると教えてもらいましたが支援は頂けませんでした。

 この様子を見ていたNTTCom藤本(仮名)副社長からJBICを紹介頂きました。 NTTの一部、特に銀行出身の方はNTTがJBICに資金面で依頼するなど有り得ないとの意見もありましたが、我々にとっては最後の望みとなっていました。JBICは既に運用実績が有り、利益もあげているSmart/PLDTに好意的ですが、当然収支元の何等かの保証を求めます。

 何度かの打ち合わせの後、『NTTはPLDTを戦略的パートナーとして出資、経営参加している』の趣旨を差し入れて、保証の代わりとし、資金提供(100億円)を得る事が出来ました。 JBICは日本政府であり、ここからのコミットを得たとのKFWの認識を得て、KFWに借り換えに応じて貰う事が出来ました。この状況でデフォルトの危機からどん底の株価の回復と、更なる債券の買い替えを促すため、IRを実施して財務の問題は解決と思っていました。

 ところが、この段階(2001年9月11日)でアメリカ同時多発テロ事件が発生し、NYでのIRを中断せざるを得ない状況となりました。あとから教えられたのですが、金融界の雑誌には『NYSEに上場している会社の中で最も影響を受けた会社はPLDTだ』との記事も出たくらいで、経営者の焦燥も味いましたが、再度財務担当Cris Young氏の才覚でオランダのABMアムロ銀行の短期融資でデフォルトの危機を乗り切ることが出来ました。

  (その23に続く)

 

 

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Smartプロジェクト(その21)(Suzuki_Taketo)

2019年01月04日 | 鈴木(武)・関口・高野

 Smartプロジェクト(その21)

PLDTの経営

 PLDT買収の話が本決まりになって、初めてその本社ビルを訪ねました。幹部の部屋は大きく、庭付きテラスがあったり、調度も立派でしたが、講堂に案内されて天井からアスベストスが垂下がっているのを発見して驚きました。その膨大なアスベストスの山はPLDTが腐っていた事の象徴の様に感じました。

 オーナー当主が通信料金の延滞者からの通信等料金の取立て回収会社を設立して、高率の手数料を受領していたり、本社ビルに当主専用のスポーツジムを作っていたりですからトップからおかしくなっていたと言っても良いでしょう。

 また現場サイドでは、申し込んでも電話を引くのに数年もかかって居た事から、組織的に別料金を徴収して、その顧客だけ早めに開通したりといった有様で、その不正は上から下まで蔓延しており、いちいち捜査・検証している訳にも行かない状況でした。

 この状況を一気に修復するために『社内で犯罪を犯していても、摘発される前に自主退社すれば罪を問わない(amnesty)制度』を公表し、結果的に殆どの幹部の入れ替えが出来ました。ただ、この様な後処理ばかりでは組織が死んでしまいます。

 前向きなチャレンジも始めました。

買収完了直前からMr.Al.Panlilio等若手の幹部候補との話し合いの中で、既にSmartで試みていた法人営業体制を創設し、本来事業の拡大と充実を図る事としました。

従って、Smart-NTT Multimedia社はその母体として吸収する事としました。

 また、買収直後にマニラ近郊の電話局のヒヤリング巡りを行った際に電話交換業務のオペレータ達が職を失うのではないかと恐れていたことからの思いつきでしたが、フィリピンは長い米国の植民地で英語教育が充実していたことから、コールセンター事業をパンギリナン氏に進言しました。 田中氏(仮名)とフィリピンで既に同事業を開始していたKen Bone氏から種々ノウハウを学び、大きな将来性が見込まれたことからCitibankの現地のCRMの責任者をヘッドハンティングし、専用の建物も構築して開始しました。

 米国、イギリス、オーストラリアから、保険、レセプト等種々のニーズがあり、ハード設備は同じで、顧客のアプリを夫々の時間に合わせて設定し、オペレーターは3シフトで回せました。マカティ市やマニラ市では住宅コストが高いことから、一般には1時間以上の郊外からの遠距離通勤が多かったのですが、コールセンター事業の拡大により市内に住んで職場近接、互いに違うシフトで子供を育てる若い共稼ぎ夫婦という新たな生活スタイルが出来てきました。

コールセンタを初めとしてインターネットを含め多様な事業展開をするために ePLDTを設立し、弁護士のエスピノザ氏をCEO、NTTから戸田(仮名)さんに来てもらい、これ等新規事業の拡大を図る事としました。

ただし、余剰局舎を用いたIDCはとも角、漫画やゲーム、更にアイデアだけのベンチャの買収を重ねて、経営の方向が分からなくなるような傾向があり、一時パンギリナン氏に見直しを迫った時がありました。

   (その22へ続く

 

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Smartプロジェクト(その20)(Suzuki_Taketo)

2019年01月02日 | 鈴木(武)・関口・高野

 Smartプロジェクト(その20)

 イリジウムの件

 傘下のPiltelはモトローラに旧型CDMAを押し付けられて、どうにもならなく為っていましたが、これだけでなくモトローラにはイリジュームでもとんでも無い目に逢わされていました。イリジュームは一時期、夢の衛星携帯電話として有名になり、PLDTは出資だけでなく、それの比率に応じた債務保証も引き受けて居ました。

高度780kmに66個の衛星を投入する計画で50億ドルの設備投資となり、日本でも京セラ等が日本での事業を開始していましたが、衛星等インフラ投資の重荷と、大型で高額なハンドセットがネックとなりました。米国全体でも5万台程度の契約数に留まったことで、開始後1年弱の1999年8月連邦倒産法第11章を申請して倒産しました。

 この対応はカナダ人のDon Rae氏がコンサルタントとして担当し、当然PLDTにも債務保証分の負担が求められました。結果は、殆どの顧客が米軍であり、またこれが必須であったためにプロジェクト全体が米国政府向けのサービスに特化したイリジウム・サテライト社に引き継がれる事となり、思ったよりも小さな損害で済みました。

    (その21へ続く)

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