栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (1) ”確定申告”  (Okubo_Kiyokuni)

2014年02月27日 | 大久保(清)

 

大久保清邦君から複数の投稿がありました。清邦君了解のもとに「きよちゃんのエッセイ」という題名で掲載させていただきます。原文は縦書でしたが、ブログの制約で横書といたしました。第1回目は、時期に合わせて「確定申告」です。(Okuyama)

 

< 確定申告 >

 

 長い車の列が前方に見えてきた。税務署の駐車場に入る車らしい。もう、そんな季節になったのかと、傍観者の目線で眺めている自分に気がつくが、昔の今頃のことも思い出してきた。会社勤めも嘱託扱いに変更され、自分で税の確定申告をする必要に迫られた。わずかな年金と会社から支払われる嘱託給付金は自動的に税金対応の所得額が計算されるが、問題は嘱託中に契約ベースで仕事を請け負う場合である。現役当時のつながりで外国に行く機会もまだ続いていた。この必要経費の算定が良くわからない。

 カルチュア・センターの英語教師をしている義理の妹に電話で聞いてみる。「お兄さん、ガチャガチャ細かく計算する必要はないのよ。私はいつも三割で必要経費を一律に申告しているわよ。一度も問い合わせを受けたことがないわよ。」...といとも簡単に片付けられた。

 会社の総務に問い合わせすると、必要経費は既に会社で引いてありますので、確定申告の控除はないはずですと、正反対の返事を貰う。嘱託仲間に聞いてみると、夫々、答えが違う。ともかく、何らかの必要経費を申告しているのが大部分のようだ。どうもよく分からないが、後で呼び出され詰問され、参考資料を揃えるのも煩わしく面倒なので、結論を言えば、経費ゼロで申請していた。書類審査をする税務員は、いつも、「そのように思われたとおりで結構ですよ」、と笑みを浮かべて受け取っていたが...とこの頃思い返すが、いまだにどれが正解か分からない。今は、幸か不幸か、申告免除の低所得者になり、頭を悩ませることもなく気楽に税務署の横を通り抜ける。

 この頃、こちらの年金額は減る一方だが、女房の年金額が増えている模様だ。こちらの金額があちらに移動しても、女房の買い物で毎日、料理を食べさせてもらっているのだから特に支障はないが、何故か頭の隅で少し引っかかる。

 増額された年金と彼女の専用資産を睨みながら、卓上計算機でこちらの味わった掛け算、足し算を繰り返している。我が家の資産もこの頃は、彼女の割合が膨らむ気配で、家での立場も微妙になりつつある。どちらもいずれお金に縁のない世界に行くことになるが、こちらはもう既にその世界に入りつつある気もする。

  平均寿命の話をすれば、女房が長生きするはずである。女房の生活資金を増やしていくことが順当であろう。こちらにお迎えが来れば、彼女は世帯主になり、税金控除も増加し、申告免除の時期もそれほど先ではないとも思っているが、もうしばらくは、確定申告の楽しみを味わってください、と皺が目立ち始めた彼女の真剣な横顔を眺める。

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2014年・春のゴルフ大会ご案内

2014年02月25日 | ◆お知らせ・行事案内

 栄光11期の皆様 

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記録的な大雪でゴルフどころではないかも知れませんが、11期ゴルフ会2014年春大会開催の案内です。
2014年春のゴルフ会を下記の通り計画しました。

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日 時   5月16日(金) 9:22より (5組予約済)

集 合   コースロビー  8:30

コース   千葉よみうりカントリークラブ
      http://www.yomiuri-golf.co.jp/

費 用   約12,000円

    (賞品・パーティー飲み物代としての2,000円を含む)

競技方法  ダブルペリア・ストロークプレー

    (各ホールの打数無制限、ハンデ上限50)
      
申し込み期日  4月15日(火)

お願い:コースまでの交通手段をお知らせください。(幹事で相乗りの車の調整をいたします。)

皆様のお申し込みをお待ちしています。


   2014年2月20日 幹事 田村・相澤

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太田君と三浦七福神を歩く   (Okuyama_Iwao)

2014年02月20日 | 奥山

 太田君と三浦七福神を歩く

         

 

 関口君が主催した横須賀イレブン会(2014/1/18)に合わせて、太田君と三浦七福神を歩いたので、その時の様子をご報告いたします。

 私が歩く楽しさを覚えたのは、太田君が「奥の細道踏破(*1)」を始めたばかりの頃、鹿沼~日光間を一緒に歩いたことがきっかけだった。30Km以上歩いて、夕方ゴールの日光に到着し、疲れ切って入った温泉は暖かくて気持ちよかった。帰りに東武特急の駅待合室と電車の中で飲んだ缶ビールがとにかく最高だった。  

その後、歩くことと、飲むことのどちらを優先したか分からくなったが、彦根~大垣、逗子~二宮、鶴見川50Km、柳原君を含めた3人での西伊豆、入会したトレッキング会など、この数年間で400Km~500Kmくらい一緒に歩いている。スーパーやデパートでの荷物運び以外には家内とめったに歩かなくなった私がである。歩くだけでなく、何回も一緒に風呂に入り、時には同じ部屋に泊まったこともある。少しアブナイ関係になっているようだ。

 三浦七福神は、昨年(2013年)の正月に二人で歩いたコースで、途中道を間違えたり、通行止めで迂回させられたりしてかなり長距離だったことを覚えている。今回は昨年と逆のコースを歩くことにした。

三崎口駅で記念写真を撮り8時30分に出発、最初の妙音寺(鶴園福禄寿)に向かう。非常に寒い。駅で待っていた太田君の話では雪がちらついていたとか。駅前の坂を下り右折すると15分ほどして妙音寺に到着した。

      

  昨年参拝したときにはなかった四国八十八ケ所のお砂踏み巡礼が新設されていて山門が立派になっていた。

  

 改築をしたお寺を見ると、いつも檀家のことが気になってしまう。私事で恐縮だが、私は家の近くにある寺の檀家になっている。この寺から時々「当寺は由緒があり・・・(中略)・・・古くなったXXを改修したい。ついては寄進をお願いしたい。」という寄付の依頼が来る。「古い方が格調高いしまだ修理をしなくても・・・とか、住職はジャガーの最高級車、こっちは国産車なのに・・・」と心の中で思いながら檀家の習性、仕方なしに寄付をする。「お砂踏み巡礼と山門」どうしても檀家のことが心配になる。

 閑話休題、妙音寺の話。本堂の横から急坂を登った山頂には大きな大日如来像が聳え近くの太子堂に福祿寿が祀られている。寿老人の長くてつるつるした頭が後頭部の髪が少なくなってきた私には心にひっかかる。

      

  次は圓福寺(金光恵比須尊)。前回は道を間違えて遠回りしたところだが、今回は慎重に方向を確認し坂を下る。辺りは冬の田園風景が広がり収穫した大根が並んでいる。横浜から1時間ちょっとでこんな光景に出会えると感激しながら先に進む。金田湾に出た。右折し海岸線を歩いて行くと三浦七福神と書かれた赤い幟が見えてきた。右折するとすぐに圓福寺に到着。こんなに近かった、これは幸先がいい。今回は道に迷わないような気がしてきた。

  

 次は前回、同じような場所を行ったり来たりしているうちにどこを歩いているか分からなくなって辿りついた慈雲寺(白浜毘沙門天)だ。地図によると三浦霊園の横を通ると比較的早く着きそうだ。そこで三浦霊園と書かれた看板の前にいた人に道を尋ねた。「松輪の方だから、このバス通りを真っ直ぐに行って二股に分かれた所から右の道へ….」との答え。本当は教えてくれた道と反対の三浦霊園の方に行きたいのだが、道を聞いた手前、逆らうわけにもいかず、教えてくれた通りの道を歩く。

少し行くと三浦義村の墓所の案内が見えた。急な石段を登ると小さな社とともにお墓があった。

 

三浦一族のお墓は油壺付近と思っていた上に三浦義村という人の名前を聞いたことがない。家に帰って調べてみた。和田一族が北条氏に対し蜂起した和田合戦の際に起請文を差し出したにもかかわらず蜂起直前に北条氏に寝返り、和田一族が戦いに敗れた原因だと鎌倉武士の間で囁かれ、評判がよくなかったらしい。関ヶ原の小早川秀秋のような人のようだ。歴史上の人物として評判が悪かったが、領民に対しては評判がよく江戸時代に新しく墓所がこの場所に建立されたという。

 また話が脱線してしまった。先を急ごう。途中から右折して丘の上へ、一面大根やキャベツの畑が広がる見晴しのよい場所へ出た。家族全員で大根を出荷している農家で慈雲寺への行き方を尋ねる。

    

誰も慈雲寺を知らない。どうして知らないのかと不思議に思って持っていたガイドブックを見せると「ああ~毘沙門ね、毘沙門ならこの道を左に行って、あそこに見える共同出荷場の後の方」と指を指して教えてくれた。どの建物が出荷場なのかわからなかったが、わかったふりをして歩きを再開した。ところが、なかなかそれらしい建物が見つからない。30分以上歩いて漸く共同出荷場らしき建物に到着した。振り返ると道を尋ねた農家が谷戸をはさんで反対側の丘の上に見えた。

直線距離は近いがぐるりと遠回りし迂回してきたからだ。歩くと近いが車の場合は迂回しなければならずかなり遠回りになる。道を尋ねる度に道に迷うようだ。漸く慈雲寺に到着し参拝する。

 

 丘を下ると毘沙門湾に出た。太田君と相談し、昨年とおなじように岩礁地帯を歩くことにする。

このコースは「三浦岩礁の道」と名付けられ、「関東ふれあいの道」に指定されている。天を衝くような観音岩、荒々しい岩と海に盗賊も怖気づいたという盗人狩りなど、切り立った崖や岩場が広がる岩礁地帯で、素晴らしい景観を呈している。これだけの景勝地でありながら観光客の姿は殆ど見られない。交通の便がよくないことだとは思うが、少し勿体ない気がする。

              

                   遠くに見える尖っているのが観音岩

         

              盗人狩付近

 1時間弱で宮川湾のヨットハーバーに到着する。前回はここから丘に登ってバス通りに出たが、天気が良いのでこのまま城ヶ島方向に宮川湾沿いの岩礁地帯を歩いて行きたくなった。そこで、行けるかどうかをヨットハーバーの管理人に打診したところ「今は潮が引いているので歩いて行けるよ。」と言われ、このまま岩礁地帯を城ヶ島方向に進むことにした。ところがこちらは通る人が少ないと見えて整備されていない。

      

「こんなところで転倒したらきょうの飲み会、格好がつかないなあ。スキーで転倒したとも言えないし・・・」と思いながら手足を使って慎重に一歩一歩前に進む。太田君はひょいひょいと岩を跳びながら先を歩いていく。こんなところで足の長さと運動神経の差が出るとは思わなかった。

   

30分ほどで岩礁地帯を通り抜け、城ヶ島大橋が見える「通り矢」についた。以前から「通り矢」という珍しい地名が気になっていたが、来たのは初めてだった。右側は直角にそそりたつ崖、左側が海、もし津波が来たらどうやって逃げるのかと心配になってしまう。

  

そろそろお腹が空いてきた。時計を見たら1時15分を過ぎていた。北条湾をぐるりと周ると三崎港に入った。昼食が気になりスピードを挙げる。しばらくして海南神社(筌龍弁財天)に到着。源頼朝が手植した大銀杏があるような大きな神社だが空いたお腹には勝てない。

 

   参拝を早々済ませて三崎魚市場の2階にある食堂へ行き地魚の刺身定食を食べる。魚市場の人が利用するだけあって新鮮で美味しかった。食事が終り出発しようとすると帽子がない。慌てて付近を探したが見つからない。すると外で並んでいた人から「帽子、ここにありますよ!」の声。食事前に並んでいた時に椅子の上に置き忘れたらしい。どうもボケが進んでいるようだ。食事終了後,魚市場からあまり離れていない見桃寺(桃林布袋尊)へ向かう。どうしてここが七福神と思うような普通の家の形をした小さな寺。本堂らしき所へ向かう。扉が閉まっていたこともありお賽銭なしで祈願したが、賽銭なしの祈願では効果の程が気になる。

    

 

頼朝が歌舞伎園宴楽を催したことから名前がつけられた歌舞伎島公園横を通り諸磯湾へ。ヨットが並んでいる。栄光時代に宿泊した海の家辺りには瀟洒な家が建っていた。いま栄光の海の家はどうなっているのだろうか。南仏風のシーボニア、油壺湾のヨットハーバーを左側に見ながら小網代湾にある小さな白鬚神社(長安寿老人)に出た。

   

前回、小網代の森の通り抜けができなく大きく迂回した。事前に「通れるらしい。」と耳にしていたが気になって付近にいた人に聞いてみたがはっきりしない。太田君に「通行止になっていたらごめん。」とことわって、横にある細い山道に入る。「通行止めだったらこの道を戻るしかない。」と思いながら奥まで進んでいくと、そのまま森を通過してしまった。

 看板が出ていたが、小網代の森付近は鳥獣類の狩猟ができるようだ。道に迷った昨年、犬を連れオレンジ色の派手なチョッキを着て背中に猟銃を背負った狩猟家二人に出会った。向こうは目立つオレンジ色だが、こちらは普通の色の服、誤射を心配しながら歩いたことを思いだした。きょうは狩猟家に会わずほっとした一方少し残念な気がした。小網代の森を抜け、新しく開拓された農地の上の見晴らしのよい丘に出る。

 

 

 晴れていれば、相模湾の先、富士山や伊豆半島・丹沢・箱根が正面に見えるはずだったが生憎霞んでいて見えなかった。ここから畑の中をほぼ北に向い、大根畑を抜けると、間もなく延寿寺(壽福大黒天)の横についた最後なので正面にまわって参拝する。

 

 

これで三浦七福神すべてがお参りできた。出発点の三崎口駅に戻り記念撮影する。16時を少し過ぎていた。

     

18:00からの横須賀イレブン会までまだ時間がある。来るときの電車の中から見つけた京浜久里浜駅近くのお風呂(万葉)に立ち寄り汗を流す。2階にあるコーナーで生ビールと枝豆で、11会の予行演習をする。風呂上がりの生ビールはいつでも美味い。

これからが本来の目的である11会の飲み会だ。きょうは三浦七福神ウオーク、岩礁地帯ウオーク、飲み会と1日で3回も楽しんだ、江崎グリコのような一日だった。43,000歩。

 また太田君と一緒にお風呂に入ってしまった。

 アブナイ関係がまだまだ続く。 

 (*1) 奥の細道ブログ

http://okuhoso.exblog.jp/

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18回横須賀イレブン会報告(Sekiguchi_Susumu)

2014年02月14日 | ◆行事報告

 第18回横須賀イレブン会

       

左から1列目(前から):重山・山口(隆)・川原・荒木之・小島(四)

   2列目:黒川・武田・有賀・藤高

    3列目:石渡(直)・太田・中村(和)・柚木

   4列目:水野・吉川・鈴木(穎)・奥山   写真撮影 関口

    平成26年1月18日(土)第18回横須賀イレブン会(新年会)を実施いたしました。

参加者は、18名写真の方々です。まず、参加して頂いた方々にお詫びをしなければいけません。実は、私の頭の中では、いつもの「お太幸」の座敷部屋、壁に日露戦争の絵画、東郷平八郎の色紙のあるおなじみの部屋をイメージしておりました。ところが、そこはもう廃止されていて、一般の客が大勢いる飲み屋の2階の隅のテーブルに押し込まれ、ギュウギュウ詰め、肩の触れ合う状態で、しかも鍋のコンロの上に寿司桶が置いてあり、これを食べないと鍋を作ることができない。更に、野菜サラダのボールは、テーブルの上には置く場所を確保できず、いつまでたっても最後の最後になってようやく箸をつけられるようになったという有様でした。

参加の皆様のご協力で、楽しい雰囲気にはなりましたが、幹事の私としては誠に皆様に失礼な会を企画したと大いに悔やんでおります。いつものとおり、皆様の近況をお聞きいたしましたが、やはり年齢に相応して健康に気遣われ、また、運動に励んでおられることに感心いたしました。藤高君のヨット教室に参加でもして、若い頃の瀬戸内海ヨットレース出場経験を活かしたいなあとも思いましたが、今の現状では無理なので少々悔しい思いをしています。

いずれにせよ、寒く厳しい季節の中、こんなに多くの皆さんに集まって頂き、感謝に耐えません。ありがとうございました。

参加の皆様には、今回の横須賀イレブン会の感想を是非、ブログにお寄せ下さい。短文でも結構ですから、よろしくお願いいたします。

次回横須賀で実施するときは、今回の反省を踏まえて、ゆっくりと我々だけで実施できる場所にいたします。「乞う、ご期待」です。

 

(追伸1)

荒木之君が山田君の墓参をしてくれたそうです。ありがとうございました。荒木君から菩提寺の場所を教えていただきましたので、必要な方は連絡をお願いいたします。

(追伸2)

山口隆雄君の住所電話等の変更がありました。

 

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浦賀・馬堀ハイキングのお誘い

2014年02月12日 | ◆お知らせ・行事案内

   浦賀・馬堀ハイキングのお誘い 

栄光学園11期の皆様

暖かい春の日、水野君お奨めの
浦賀・馬堀ハイキングへ一緒に行きませんか?
参加される方は、幹事までご連絡下さい。

1.期日   :2014年3月27日(木)  
2.集合場所 :京急浦賀改札口 
3.集合時間 :13:00
4.コース  (10Km弱)
  浦賀駅→旧浦賀ドック→西叶神社→渡船→東叶神社
  →観音崎灯台→海上交通センタ→戦没船員の碑→
  花の広場→森のロッジ→走水神社→水源地の桜→
  ゴール(湯楽の里)17:00到着予定
5.その他
  (1)ゴールの<湯楽の里>で温泉に浸かりながら
    懇親会をいたします。
  (2)懇親会は18:00からです。
   <湯楽の里>での懇親会のみの参加もOKです。
6.費用   :約4,000円
7.雨天中止
8.申込方法 :メールにて幹事までご連絡下さい。
9.申込期限 :3月25日(火)
10.(大幹事)水野中幹事)太田小間使い)奥山    
         
                         

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TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常(6)(最終回)  (Odera_Shigetaka)

2014年02月08日 | 小寺

 TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常(6)

 (6) 似た名前の医薬品を新たに出現させない

土屋先生は2001年度の厚生科学研究特別研究事業として医薬品基本データを構築した。これは1997年~2003年7月までの薬価収載医薬品を調査し、約7000件のブランド名をデータベース化したものであった。これを基にし、販売名の類似性を客観的な指標で示す医薬品類似名称検索システムが日本医薬情報センターhttp://www.japic.or.jp)に設定され、2003年11月に説明会が製薬企業向けに開催された。 

このシステムは2008年3月から一般公開されている。新しい名称案について検索するのは有料だが、既存品の間の類似度は無料で検索できる。

小寺はこのシステムの運営委員会の第1回(2003年9月10日)~第5回(2008年2月6日)に参画した。このシステムで新しい名称案を検索すると種々の指標、例えばedit(置き換え、挿入あるいは削除という操作を何回行なうと両者を一致させることが可能かという指標で、サクシンとサクシゾンでは“ゾ”を1回削除で一致するのでedit =1)、head(先頭からの文字の一致した文字数)、dlen(文字数の差)、cos1(一文字単位での構成文字の類似度係数)、htcos1(先頭2文字と末尾2文字の類似度係数)について類似する既存医薬品名称がリストされるが、この検索結果からどのように判断するか、基準設定が重要であった。

 新規承認医薬品名称類似回避フローチャートの初版を2004年3月に設け、製薬企業に実際に使用してもらい、課題点を掘り起こし、フローチャートの改訂を2005年10月に行なった。コンピューター画面上で「ぱ」行と「ば」行はすぐには見分けにくいので、清音「は」行に置き換えて検索するような前処理も加えられた。とにかく「パッと見での類似」を防止する仕組みであり、商標での類似・非類似ではないということである。

厚生労働省は新薬申請してきた製薬企業に対し医薬品類似名称検索システムでの検索結果がどうであったかを確認し、似た名前の医療用医薬品を新たに出現させないようにした。現在では既存品と頭3文字を共通にする新薬は承認されない。

 このシステムでは既存の医療用医薬品との類似を検索できるが、一般名との類似については検索できない。2008年4月16日に低血糖用剤であるアログリセム錠が厚生労働省の承認を得た。アログリセムは商標登録第5062596号によって保護される知的財産である。2010年4月16日に糖尿病用剤であるネシーナ錠が承認された。このネシーナ錠の有効成分の一般名はアログリプチンである。オーダリングシステムで「アログ」と3文字入力で検索するとアログリセムとアログリプチンが出てしまい、危険であるという指摘がされた。

2011年1月に製薬企業が注意喚起したが、結局はアログリセムが一般名ジアゾキシドを採用する販売名へ変更された。医薬品類似名称検索システムはまだ改善されるべきだろう。

新薬として開発中の化合物について国際一般名がWHOから提案されるが、その段階で製薬企業側で商標権との抵触を調べ、類似する一般名を出現させない仕組みも必要である。

 (7) 医療事故の被害者になりたくない

 販売名の取り違えによる医療事故の新聞報道を最近は見なくなった。しかし医療事故の原因は多岐にわたり、医療機器による事故も多いし、病院のベットに挟まれて死亡したという事故も起きている。信じられないようなヒューマンエラーが発生するので、安全とは言い難い。さて我々の年代もお医者さんの世話になったり、入院することが間近になっている。医療事故の被害者になるなんて真っ平。となると自衛する方が良さそうだ。まずは信用できる掛かり付け医を探し出すこと、薬歴を管理して丁寧に説明してくれる調剤薬局を探し出すこと、ここあたりから始めたい。長生きしましょう。  

                  (以上)

 

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