栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

【訃報】 山田 博君

2012年12月30日 | ◆お知らせ・行事案内

◆◇◆
 
病気療養中の山田博さんが12月29日1時39分に永眠されました。
葬儀は下記の通り行われますのでご連絡いたします。 
年末で皆さん大変お忙しい時期ということで告別式だけの1日葬とのことです。
     
         記 

日 時 :平成24年12月31日
 
     12:00 ~ 13:00
 
場 所 :坂本中央プリエールホール
 
     横須賀市坂本町6-16  電話046‐822‐2089
 
     最寄駅は京急汐入駅です
 
喪 主 :山田 豪  長男
 
        山田和枝  博様の奥様

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インドの食文化 (Suzuki_Eiichi)

2012年12月25日 | 重山・下田・鈴木(穎)

15年ほど前になりますか、インドから顧客が6人来日しました。そのトップが菜食主義者で、しかも厳しい菜食主義者でした。牛肉はもちろん豚肉も鳥肉も駄目、しかも肉の汁はおろか、牛乳の類も駄目、したがってチーズやバターも駄目というものでした

どこの国でもそうですが、トップがそういうことであれば、部下は泣く泣く従わざるを得ません。日比谷の聘珍樓にお願いしました。当日は鍋皿を十分に洗い、肉の痕跡を残さぬように、また他の客の肉料理と兼用することの無いようにお願いしました。流石は聘珍樓、工夫を凝らし結構いける料理を準備してくれました。また食べたいとも思いませんが。

後日、もっと厳しい菜食主義者がいると聞かされました。ゾロアスター教徒(拝火教徒)に多いそうですが、彼らは地上の植物しか食べない、つまり根菜の類、地中の芋の類も食べないというのです。何故、地面を掘り起こせば、地中の生物、虫らを殺すことになるというのです。このような客を迎えることになれば、手の打ちようがありません。

  私が懇意としたインド人の顧客は牛肉こそ食べませんが、鳥、魚は大丈夫でかなり緩やかな菜食主義者でした。彼は炉辺焼きを好みました。食材の肉、魚、野菜の類がずらりと炉辺に並べてあり、目で見て選ぶことができるから安心なのです。流石に野菜の味の良し悪しはきっちりしています。少々値は張りますが、銀座の「田舎や」が彼の好みでした。そこで一番の魚「きんき」を注文してあげた時の事です。調理人がきんきを鉄串で刺そうとすると苦笑いをしながら目を背けるのです。そして出来上がった見事な姿焼きにまた目を背け、小声で、ばらして姿かたちが分からぬようにしてくれというのです。命に対して優しい人だなとある意味感じ入りました。彼は標準的なヒンドゥー教徒かもしれません。

 あるとき私の部下が彼を京都観光に案内することになりました。そして、貴船に連れて行き、川床料理をご馳走したのです。関西人の部下から見れば大事な顧客を日本人でもなかなか行くことのできぬ川床料理であれば間違い無かろうと気合を入れて連れて行ったのでしょう。あにはからんや、出てくる料理、出てくる料理が食べられないと大騒ぎになってしまったそうです。カレーに舌の馴染んだ彼にとって、京都の微妙な味わいを理解することができなかったのでしょう。結局店の人を拝み倒して、鳥の唐揚げを注文し、その場を凌いだというお粗末な一席となってしまいました。とんでもなく高い鳥の唐揚げとなりました。

  しかし、インド人がみな、日本料理が苦手という事ではありません。インド人の友人夫婦と奥さんの母親を家に招待した時の事です。サリーを来てわが家にやって来た母親は当時65歳くらい、魚は好きだけど刺身は食べたことがないというのです。ところが家内の調理した鯛のこぶ締めを美味しいと言って食べたのです。もちろん実質は生であることを充分説明したうえでのことでした。 刺身を食べるか否かは清潔であるかどうかによるのでしょう。事実、最近は日本に来たら刺身を食べるインド人も増えてきました。   以上

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【お知らせ】 卒業50周年 栄光学園11期卒業生の集い 

2012年12月18日 | ◆お知らせ・行事案内

 表記集いの詳細(下記)が確定いたしましたのでお知らせいたします。

関口 進君から一部の住所不明者を除き全員に案内書を郵送いたしました。同封しています返信用葉書に「参加・不参加」をご記入いただき2013年1月31日までに到着するようご投函ください。

大勢の方々のご出席を心よりお待ちしております。先生方もお呼びする予定です。学生時代の楽しかった出来事、懐かしい話を語り合いましょう。

             記

1.日時:2013年3月24日(日) 15:00 ~ 18:00

2.場所:HOTEL PLUM/ COSMO Y

     横浜市西区北幸2-9-1 ☎045-314-5546

3.会費:10,000円

4.幹事:太田元夫、奥山 巌、後藤典彦、関口 進

   

 

 

 

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インド 短歌に詠む。(Suziki_Eiichi))

2012年12月15日 | 重山・下田・鈴木(穎)

  2010年の2月インドのムンバイ、デリー訪問時の短歌

 

①  物乞ひもカースト制度の職業ぞ抱く幼子はレンタルと聞く

②  やせ細る幼子を抱く物乞ひは汚るる手を出づムンバイの街に 

  何度訪問しても物乞いには慣れません。特に赤子を抱く女性は直視に耐えません。駐在員ともなると毎朝の通勤時に、(当然運転手つきの車通勤ですが)路上に待ち受ける十歳くらいの姉妹にチップを渡すのを楽しみだと言っていました。私も車に同乗してその子らに会いましたが、目元のパッチリしたかわいらしい子たちでした。そういえばこの十年で路上に生活する子供達の服装が良くなっていることに気が付きました。やはりこんなところにも経済の発展が表れているのでしょう。

 ③  牛車やら馬車やらラクダに人力車(リキシャ)まで蠢き通るデリーの車道

 ④  ムンバイの大気は重く澱みゐて聳ゆるビルもシルエットのみ

  すさまじい渋滞といってもムンバイの路上に犇めいているのは自動車の類とオートバイの類です。しかるにデリーは、とくにオールドデリーですが、ありとあらゆる乗り物が蠢いています。そこで自動車を降りて、人力車で行くこととなりました。日本から伝わったのでしょうか、人力車をリキシャといいます。インド人の友に言われるままにリキシャに乗りましたが、不思議にも、結構すいすいと車の波を躱して、意外に早く目的地に着くことができました。

 空気の汚れは半端ではありません。中国の上海の汚れは油臭い感じですが、ムンバイは埃です。何か、焼けた埃が充満しているような感じです、ムンバイの人達がモンスーンの到来を心待ちにするのもむべなるかなです。

 ⑤  山の上に鳥ら群るるはムンバイの拝火教徒の鳥葬なるべし

 ⑥ シャンプーの語源はインドと聞かされて匂ひの強きを敢へて使ひぬ

⑦   舌も鼻もインド料理に慣らされぬ十度を超ゆる出張重ねて

 中東に行けば、多くのインド、パキスタン人が出稼ぎに来ているが、インドの西海岸にはパールシーとよばれるペルシア人が10万人ほどゐて上級社会を形成しています。彼らはゾロアスター教(拝火教)の信者で清浄を尊び、自然を汚す火葬、土葬、水葬を禁じ鳥葬を行っています。アラビア海はその昔ダウ船が行き交い、活発な交易がなされた証左をこんなところにも見ることができます。                

                            以上

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インドとのよもやま話(2) (Suzuki_Eiichi))

2012年12月08日 | 重山・下田・鈴木(穎)

 

カースト制はバラノン(神職)、クシャトリア(貴族・武士)、バイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)の4つに大別され、それぞれの身分はさらに細かく分類され、3,000は超えると言われています。カースト以下の身分としてアンタッチャブルと呼ばれる身分があることご承知のとおりです。カーストでは肌の色の白いほど上のカーストと思って間違いないそうです。アーリア人は白く、原住民は黒いということがその答えです。一時日本の娘さんの中ではやった顔黒(ガングロ)ほど彼らの理解を超えるものはないそうです。わざわざ下層のカーストに自らを貶めているからです。

 下層のカーストが社会的に成功を収めることは極めてまれです。カーストで職業が決まってしまうからです。のし上がろうという意欲もありません。ヒンドゥ教には輪廻思想があり、現カーストで我慢をすれば次の世では上のカーストに生まれ変わることができると思っているのです。上部のカーストにとってこれほど都合の良い制度はありません。しかし、下層のカーストにとっても職業を守るという点でカーストは役立っています。乞食も立派な職業です。誰でもできる職業ですが、上のカーストからの進出を免れているのです。

都市では赤子を抱いた乞食をよく見かけますが、その赤子は実は借り物であることが多いのです。そのくらい乞食は職業として確立しているのです。

 近年カーストも変わりつつあります。一つは新しい職業です。たとえばIT産業、これにはカーストの成約はありません。能力次第で、職を得ることができます。しかし、下層のカーストは教育水準が低く、狭き門です。政府も下層のカーストにより良い教育、より良い職業を与えようと彼らに優先権を与える制度、すなわちRESERVE SYSTEMを導入しました。大学、企業に彼らを受け入れる専用の枠、例えば20%とかを設けました。能力水準の低下など問題はあるようですが、この枠の設定はインドに根付いており、その枠の拡大が進みつつあります。もう一つは都市化です。3000以上に細分化されたカーストは出身地、居住区域を明かさぬ限り他人にはわからぬそうです。都市の住民にとっては他人のカーストは無関心になりつつある。

  中国では経済の発展が進めば農村から2億とか3億の人達が大きなうねりとなって都市に押し寄せて来ます。政府に政策あれば、人民に対策ありです。経済が鈍化すれば、これが逆流し、大きな社会問題を引き起こすことになるわけですが、インドではこういうことは起こりにくいのではないかと思います。その理由はカースト制度の存在です。貧富の差に中国では不満を抱き、インドでは甘んじるというか耐えてしまうのです。カースト制度が揺らぎつつあることが経済の発展にどのような影響を与えるか、また経済の発展がカースト制度にいかなる影響を与えていくか、興味深い問題である。  

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