札幌の英語塾
札幌の狸小路のアーケードを路地に二三歩踏み込むと、ネオンの明かりに薄らと照らされた急な外階段が見えてくる。それを昇りつめ、ペンキのはげかけた木製のドアを押すと、まるで工事現場の飯場のような光景が目に入る。煤けた天井と薄汚れた板壁で囲まれ、茶色に変色した波打つような畳には、幼稚園のような可愛い座り机が横に二列、奥の黒板に向かって縦に六列ほど並んでいる。まるで、江戸時代の寺子屋のような雰囲気だが、昭和の時代ゆえ、蝋燭の代わりに裸電球が数本たれ下がっているものの、室内に漂うタバコの煙で、黒板に近い席に陣取った塾生がボンヤリ見えるほど薄暗い。これが金曜の夜の英語塾のいつもの風景である。
ジャケットのポケットに片手を突っ込み、ズレ落ちるメガネを、チョークを持つ手で押し上げながら、小柄な先生が楽しそうに漫談調で授業を進めていく。一緒に授業を受けていたお嬢さんは中学生と高校生であったから、五十を少しまわった歳だった推測される。先生の気性なのか、貧乏人にも優しく、受講料を徴収された記憶も薄く、ダルマストーブのある隅の机で中学生のお嬢さんにお布施を払う雰囲気で金を払っていた気もする。
英語の授業といささか違う、寄席のような伸びやかな空気が流れるなか、擦り切れた畳がきしむ部屋に座り込み、生徒たちは電灯の明かりが反射する読みづらい黒板の文字を必死で書き留めていた。塾生さんは、中学生、高校生、大学生、英語の先生、勤め帰りの銀行員、商社マン風のサラリーマン、公務員から職業不明のお年寄りまで幅広い年齢層でしめられていた。その光景は東京オリンピックの年、活気あの街、札幌の一面をそのまま映しだしていた気もする。
頻繁に外人が話す決まり文句を中心に、その日に先生が思いついたセリフ、例えば―この辺で美味いラーメン屋を知っているかい?これを肯定文、否定文、疑問文、付加疑問文の順に一気に早口で喋りきる。お経と言っていたが、台詞にスピードをつけさせ、実際の会話のリズム感を訓練していたらしい。口が滑らかになると、少しあらたまった丁寧な言い回し、そして、最後にスラング、例えば、それはドンビシャリ、正解やーと砕けた言い回しが加わる。習いたてのスラングが映画の中で語られると、俳優がいかに早く喋っていてもはっきりと聞こえてきた。
大学を卒業し札幌を離れると、英語からも遠ざかり、書きためた会話ノートもなくなってしまったが、狸のねぐらのような薄暗い教室で学んだ慣用文中心の英会話が優れものだった、と気がつかされたのは外国生活をはじめてからである。外人もおなじ言葉で喋っていた。
札幌の雪祭り、テレビに狸小路が出てくると、教室の窓ガラスに映り込んでいたあの淡いネオンの点滅が目の奥に浮かびあがり、あれは英語の化け方を教えてくれた狸御殿だったのかもしれないなあ、と、古希も過ぎ、習った英語も忘れかけ、なぜか夢を見ていたような不思議な気持ち