藤島君から、掲題の投稿がありました。送られてきました文章は縦書きでしたが、ブログの制約により横書きに変更させて頂きました。
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『俊介歩行への道』
君、体重何キロある?」と主治医が言った。
個人情報に踏み込む無礼な問いに答える義務はないから、聞こえないふりをした。
彼は冷酷な口調で、「身長・体重を量ってあげて」と傍らの看護婦に命じた。彼女は以前、ウチの自治会で会計を担当してくれたことがあって、事務能力が卓越した女性として高名である。私は観念して彼女の指示に従った。
「17×、8×ですね」と彼女は数学教師の口調で言った。
「太りすぎだね。理想体重は68キロです。ダイエットしてください。血圧も尿酸値も劇的に良くなるよ」と、主治医がサディスティックな笑みをたたえて言った。「このままいくと、死ぬよ」。
この発言は、科学を学んだ人間の口にすべきものではなかろう。誰でも、呱々の声をあげたその時から、死にゆく道を歩む運命にあるのだから……。
私がウォーキングを始めた裏にはこんな事情があったのである。
歩く、となるとまず形態が大切なのは言うまでもない。
このテーマで即座に思い浮かぶのは、ノーマン・メイラーの『ぼく自身のための広告』である。
《スクエアは肩を揺すって熊のように歩く。ヒップスターは尻を振って猫のように歩く》と彼は書いていた。68年、世界中の学生が反体制運動に決起したが、その時代の空気を吸った人間としては《猫のように》歩きたい。しかし、猫の歩き方は若者の筋肉を持っていなければ腰痛を引き起こし、《デブは腹を突き出してフォアグラ鵞鳥のように歩く》仕儀となる。
次に思い浮かんだウォーキング・モデルは中村俊介だった。
『後鳥羽伝説殺人事件』に始まる内田康夫の代表作“浅見光彦シリーズ”の映像化で、かつて主役の浅見光彦を演じた役者である。身長185・バスト97・ウエスト75・ヒップ96・足27―ど恰好が良いということを改めて教えてくれる。水が流れるようという体型であるらしい。
役者の優劣は立ち姿で決まる、というのが私の持論である。試みに、何もしないで立っているだけの演技を要求されたら諸兄はどうするか。腕組みをしたり、後ろ手に構えたり、ポケットに手を入れたりと余計な動作を取り込むに違いない。
中村俊介は、自然体で立っているだけで美しい稀有の役者である。腕も背筋も、重力に逆らわずそのまま立つことが、これほに、風がそよぐように、ただ立っていることで、かれはぴたりと画面にはまってしまうのだ。
彼の歩き方が、また美しい。
その立ち姿同様、凛然悠揚、気品あふれる自然な手足の運びで、「浅見光彦」を演じた他の俳優、辰巳琢郎・沢村一樹・速水もこみち・榎木孝明らと一線を画す。
私なりの解釈では―ゆったりと、着地は踵から、つま先で地面を蹴る、靴底を引きずることはタブー、目に見えない直線を踏む形で進行する―といったところで、決してデブにとって難しい歩行法ではない。
近所を「俊介歩行」で歩く訓練をしていたら、やたらに通りすがりの女性に声をかけられる。「会長さん、(私は自治会長なのである)お元気そうですね」。おそらく、美しい歩行法が注目されたに違いない、と自信を持った。
そこで、歩行距離を延ばして、5キロほど離れた隣町の酒屋まで遠征してみた。『長兵衛』という酒が安く手に入るからである。
購入した一升瓶を下げて歩いていると、視界の片隅を自転車に乗った警察官が横切った。酒屋の近所に派出所がある。そこに所属する地域課の警官だろう。
などと考えていたら、その警官が私の進路を妨げるように自転車を止めた。私は、防犯協会の理事であり、青パト乗務許可証さえ持っている。不審尋問されるいわれはない。
「会長さん、今日はこんなところまでいらしたんですか」。声をかけてきたのは、我が町内の駐在さん(巡査部長)であった。「……さんこそ、担当でないところまで来るの? それにしても何で俺だって分かったの?」
「だって、会長の歩き方、特徴あるんだもん。最近、どうかしたんですか?」
称賛の言葉には、謙遜の無言の微笑みを返したのはいうまでもない。
帰宅して、家人に今日の出来事を自信満々報告したら、「前から忠告しようと思っていたけど、最近、あなたの歩き方は西田敏行にそっくりよ。だらしない歩き方が目立つから、駐在さんの目に留まったのよ。もっとまともに歩いたら」と、冷たく突き放された。
「西田、はないだろう。もう一声!」と哀願したら「そうね、スギちゃんかな」。
「ワイルドだろう!」で流行語大賞を受賞したお笑いタレントと同列の評価を得る栄に浴したのである。
「俊介歩行」完成への道は険しい。