栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

似ている?似ていない? (その2)(Odera_Shigetaka)

2015年09月16日 | 小寺

ザルティア錠の有効成分

 ザルティア錠は2013年11月29日開催の医薬品第一部会で審議され、その質疑応答で販売名について議論されている。ザルティア錠の有効成分はタダラフィルである。同じ有効成分でありながら「シアリス錠」、「アドシルカ錠」、「ザルティア錠」と名前をどうして変えているのかという議論である。販売名類似についての議論ではないが、ED治療薬について御関心のある方がおられるようなので、議論とその背景を以下に示す。

日本で承認されているED治療薬の有効成分はシルデナフィル、バルデナフィル、タダラフィルの3つである。バイアグラ錠が最も有名で、レビトラ錠やシアリス錠も知る人ぞ知るである。いずれも医師の処方箋を必要とし、また健康保険の対象外である。なお「65歳以上はED治療薬の投与対象ではない」と厚労省はみている。

2014年5月にバイアグラ錠の後発品が東和薬品(黒柳徹子さん御推奨)から発売され、昨年中に更に8社から後発品が発売されている。後発品も健康保険の対象外である。

有効成分

英字商標

先発品の販売名

承認日

効能効果

sildenafil

(Pfizer)

Viagra

バイアグラ錠25mg、50mg

1999.01.25

ED治療薬

Revatio

レバチオ錠20mg

2008.01.25

PAH治療薬

vardenafil

(Bayer)

Levitra

レビトラ錠5mg、10mg

2004.04.23

ED治療薬

tadalafil

(Eli Lilly)

Cialis

シアリス錠5mg、10mg、20mg

2007.07.31

ED治療薬

Adcirca

アドシリカ錠20mg

2009.10.16

PAH治療薬

Zalutia

ザルティア錠2.5mg、5mg

2014.01.17

前立腺肥大症に

伴う排尿障害

バイアグラ錠は肺動脈性肺高血圧症 (PAH) に対する臨床試験が行われ、その折、小児へもバイアグラ錠という名称のままで投薬されたが、小児が「バイアグラ錠を飲んでいる」とイジメられ、その結果、PAH治療薬としては「レバチオ錠」の販売名で承認されることになったという。同様にタダラフィルでも「アドシリカ錠」の販売名が採用されたという。

「レバチオ錠」、「アドシリカ錠」は健康保険の対象となっている。前立腺肥大症に関する適応では65歳以上の患者が多く、ED治療薬の投与対象でない患者が「シアリス錠」として処方された場合、ED治療薬の名称のまま服用することにより「精神的苦痛」を受けるということで、「ザルティア錠」になったと厚労省は言う。

本当かな?「65歳を過ぎて未だED治療薬を飲んでいる」とイジメられるのかい?保険薬価をつけるに際し、適応別に販売名を別にした方が都合がよいからじゃないの?

どうも70歳を越えると疑り深くなったようだ。とにかく販売名を変えても同じ有効成分、同じ含有量ならば、同じ薬効を発現する。排尿障害を改善しようとしたら興奮しちゃった、なんていう副作用(主作用か?)も起こりうる。

まあ、自身、前立腺肥大気味ではあるが、ザルティア錠のお世話にならない余生を過ごしたいものである。

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似ている?似ていない? (その1)(Odera_Shigetaka)

2015年09月03日 | 小寺

 ==小寺君からの投稿です。長文ですので2回に分けて掲載させていただきます。==

 似ている? 似ていない?

 商標調査だけではリスキー これ常識

東京五輪のエンブレム、佐野研二郎氏制作案の使用中止が2015年9月1日に決定した。このエンブレム、7月24日に発表されたが、即日、ベルギーの劇場のロゴに似ているとの抗議をベルギー人デザイナーから受けた。大会組織委員会は「国際的な商標調査を行い、類似する登録商標は無かった」と言い、使用し続けるのに問題が無いとの立場をとった。

東京医薬品工業協会の商標部会で一緒に仕事をした友人と7月末に話をした折、「商標調査で類似する登録商標が無かった」だけで「問題が無い」とするのは非常識であり、商標出願されていない図形やロゴに類似するものが無いか、なぜ著作権を確認しないのか疑問だなあと意見一致した。登録商標でなくても似たロゴがあれば、リスクを冒して使用継続すべきではなかった。しかし、「IOCも使用継続を認めている」というお墨付きを得て、東京都もスポンサー企業もエンブレムを使い始めてしまった。他方、ネット上で批判が相次いだ。ダウンタウンの松本人志は「たいしたデザインでないのに・・」と酷評した。

8月28日、大会組織委員会は「佐野氏の原案は第三者の商標と類似するおそれがあり、佐野氏へ修正を依頼し、最初の修正案は躍動感が薄まったとして更なる修正を求め、第二次修正をもって正式採用したものである」と発表したが、これが火に油を注いでしまった。結局は使用中止となったが、もっと早くに中止しておれば、被害拡大(300億円以上と推察されている)を防げたのにと惜しまれる。

 

医療用医薬品の販売名類似

 二つの商標が非類似であると特許庁が認定していても、これは識別力のある商標審査官が似ていないと判断したものであって、一般人によるものではない。これは医薬品の販売名を巡っても同じことが言える。医薬品の販売名を採択するとき、登録商標であるというだけで使用するのはリスキーである。他社の医薬品と取り違えを起こさないよう、十分に調査し、使用の安全を期す。今日、医療用医薬品の販売名の採択に当たっては販売名案について日本医薬情報センター(JAPIC)(http://www.japic.or.jp)の「医薬品類似名称検索」で調査し、「新規承認医薬品名称類似回避フローチャート」(2005年10月版)に照らし、

その販売名案を採択できるか検討する。既存の医療用医薬品と販売名が似るものは厚労省が承認しないという仕組みが10年以上前に構築されている。

この仕組みが構築されるよりもはるか昔に承認され、今も販売名変更されていない類似名称薬がある。例えばノルバデックス錠とノルバスク錠のように頭3文字が一致する薬剤があり、何度も注意喚起されているが、取り違えが無くならない。今年5月にもAstraZeneca社とPfizer社の連名で注意喚起のお知らせが出されている。男性患者に対し乳癌用であるノルバデックス錠を処方する医者が未だ存在するのだから外資系会社が呆れるのも仕方が無い。高血圧用であるノルバスク錠は後発品(一般名アムロジピン)が多数出ており、ノルバスク錠の採用を止めた病院でオーダリングシステム収載の医薬品リストから「ノルバスク」を消去したのに、ノルバスク錠を処方しようとして医師がノルバデックス錠をノルバスク錠と思い込んでしまったなんていう事例もあるが、幸いに薬剤師が処方の誤りに気付いて医師へ疑義紹介し、男性患者へ乳癌用の薬剤が渡されるには至らなかったようである。ノルバスク錠を処方されていた高血圧症のあなた、もらった薬を確認しましょう。

 2015年7月に「デュファストン錠とフェアストン錠の取り違え事例発生のお知らせ」がAbbott社と日本化薬の連名で出された。Abbottのデュファストン錠は1965年10月に発売され、他方フィンランドOrion社からの輸入品フェアストン錠は1995年6月に発売され、産婦人科領域で長年に亘って共存していた。両者は語尾が共通するものの、販売名が類似しているとは言い難い。薬剤師がなんでこんな取り違えを2件も発生させたのか、お粗末である。2件とも女性患者が気付いて返品されたとのことで障害にはならなかった。

 

最近に厚労省が承認してしまった販売名類似?

「ザイティガ錠とザルティア錠の販売名類似による取り違え注意のお願い」というお知らせがJanssen社とEli Lilly社の連名で2015年6月に出された。医薬品医療機器総合機構(PMDA)(http://www.pmda.go.jp)で「安全性情報・回収情報・添付文書等」をクリック、「医療用医薬品の情報」の下の「適正使用に関するお知らせ」をクリック、「製薬企業からの医薬品の適正使用等に関するお知らせ」をクリックするとこのお知らせを見れる。実際に取り違えによる事故は発生していないようだが、65歳以上男性患者の前立腺に係る疾病に対して使用される薬剤であるという共通事項があり、注意喚起された模様である。

Eli Lilly社のザルティア錠2.5mg、同5mgは前立腺肥大症に伴う排尿障害改善剤として2014年1月17日に承認され、同年4月17日に薬価収載と同時に販売開始された。他方Janssen社のザイティガ錠250mgは前立腺癌治療剤として同年7月4日に承認され、同年9月2日に薬価収載と同時に販売開始された。販売開始後に医療現場から販売名類似と指摘されたようであるが、本当に類似なのか、分からない。

 特許庁はザルティア、Zalutiaを2001年に商標登録、ザイティガ、Zytigaを2011年、2012年に商標登録しており、両者を非類似としている。まあ当然である。 商標部会の友人に依頼してJAPICの「医薬品類似名称検索」で「ザルティア」と「ザイティガ」の類似度を調査してみたが、editは2(2文字目と5文字目の2文字違い)、headは1(頭1文字が一致)、類似度係数cos 1が0.60、等々の結果であり、「新規承認医薬品名称類似回避フローチャート」に照らしても要変更とならない。従って既に発売されていたザルティアと比較し、ザイティガが販売名類似するかについて審議されなかったらしい。ザイティガは2014年4月30日開催の医薬品第二部会で審議されたが、審議議事録を見ても販売名が審議された形跡は無い。結局、これまでの基準で引っかからない事例が出てきたということらしい。

     (その2)に続く、1週間後掲載予定)

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医療用配合剤、どうなってるの (最終回) (Odera_Shigetaka)

2014年09月29日 | 小寺

医療用配合剤、どうなってるの (最終回)

医療用配合剤の販売名

医療現場では、配合剤と気付かずに同じ成分を含有する2剤を併用し、重複投与してしまうことが懸念され、厚生労働省は2008年9月22日に「配合剤と分かる販売名とするようにという通知(薬食審査発第0922001号)を出している。

①    販売名にブランドに続いて配合錠あるいは配合顆粒と記すこと

②    配合されている特定の成分の名称だけを販売名にしないこと

③    配合比率が異なる場合は、記号などで表わすこと(含有量を販売名に入れない)

 先に示した表で「販売名」という欄を設けずに「ブランド部分」だけを示したが、販売名を記すとなると、プレミネント配合錠LD、プレミネント配合錠MDのように2製品になるもの、カデュエット配合錠1番、カデュエット配合錠2番、カデュエット配合錠3番、カデュエット配合錠4番のように4製品になるものなど、配合比率の異なる販売名で混乱してくる。企業間で記号の用い方に統一がなく、医師、薬剤師にとって迷惑だろうなあと思う。我々患者としては配合成分の各々の量をしっかりと確認してくれる調剤薬局を見つけるしかないだろう。

 医療用配合剤の後発品の販売名

 プレミネント配合錠LDの後発品31品目が2014年2月14日に承認され、テバ製薬と大正薬品(大正製薬とは全く関係ない)の2品を除く29品目が6月20日に薬価収載された。後発品の販売名はロサルヒド配合錠LD「○○」である。「○○」と承認取得企業名の関係は下表のとおりである。あすか製薬品は武田薬品が、二プロパッチ品は第一三共が、リメディオ品は杏林製薬が、ダイト品は科研製薬が販売している。 

「サワイ」 沢井製薬

「DK」大興製薬

「ファイザー」ファイザー

「トーワ」 東和薬品

「EE」エルメッドエーザイ

「サンド」サンド

「日医工」 日医工

「EP」 ニプロパッチ

「タナベ」田辺三菱製薬

「アメル」 共和薬品

「FFP」 富士フィルム

「杏林」 リメディオ

「ニプロ」 ニプロ

「JG」 日本ジェネリック

「モチダ」持田製薬

「タカタ」 高田製薬

「KN」 小林化工

「科研」 ダイト

「ケミファ」日本ケミファ

「KO」 寿製薬

「明治」Meiji Seikaファルマ

「日新」  日新製薬

「KOG」 興和

 

「三和」  三和化学

「SN」 シオノケミカル

 

「ツルハラ」鶴原製薬

「TCK」辰巳化学

「テバ」テバ製薬

「AA」     あすか製薬

「YD」 陽進堂

「TYK」大正薬品

 ロサルヒドは配合成分ロサルタンの頭3文字、ヒドロクロロチアジドの頭2文字を組み合わせた造語であり、日本ジェネリック医薬品学会 (GE学会)によって2013年4月22日に商標出願され、2013年9月6日に商標登録第5612630号として登録されている。英名Losarhydも2013年8月26日に商標出願され、2014年1月10日に商標登録第5641122号として登録されている。

プレミネント配合錠LDの後発品に商標が使用されることとなった経緯を商標部会の納涼会で聞いた。製薬業界の新聞に何回か紹介されていたとのことであり、「あれっご存じなかったですか」なんて言われてしまったのだが・・・業界新聞を退職後は見てない。

 2013年の7月に業界新聞に出たのは「GE学会は配合剤の統一ブランド名を特許庁に商標登録し、GE薬メーカーが利用できるようにするジェネリック配合剤商標プロジェクトを立ち上げた。」という報道だったという。

医療安全等の観点からGE薬を一般名にすることを厚生労働省が中心となって促しているが、配合剤の場合には一般名にすると名称が長くなったり、逆に処方・調剤ミスを引き起こす可能性もある。そこで、配合剤の場合には一般名ではなく統一ブランド名を使うよう、ルールづくりを進めるということであった。

 2013年10月の業界新聞では「日本ジェネリック製薬協会 (GE薬協)は、GE学会が統一商標名を検討するのを受け、来年発売が見込まれるロサルタンとヒドロクロロチアジドの配合剤GE薬について、統一ブランド名として「ロサルヒド」の使用を推奨する通知を会員社向けに発出した。」と報道されたという。推奨と言うが、ロサルヒド使用でないと厚生労働省が承認しないということで、実際は強制的だったようである。その結果ロサルヒド配合錠LD「○○」が誕生したとのことである。

商標ロサルヒドを使用している後発企業はGE学会へ使用料を支払っているとのことで、原則として会員は5年間で15万円、非会員は5年間30万円らしいが、詳しい情報は得られなかった。

 プレミネント配合錠LDの後発品については統一商標ロサルヒドの使用で決着したが、今後はどうなるのだろうか。同様な手法で行くとすれば、GE学会は前もって商標を登録させておかねばならないが、どうもそのような手配は十分にはされていないようである。例えば、カンデサルタンとヒドロクロロチアジドの配合錠の後発品ではカンデヒド、Candehydが名称候補となるが、外資Mylan製薬が2014年2月6日に商標出願し、2014年6月20日に登録第5678629号、5678630号を登録させている。Mylan製薬が独占的に使用すると主張すれば、他社は使えなくなる。

使用料を払えとなると、相当な金額になるだろう。バルサルタンとヒドロクロロチアジドの配合錠ではバルサヒド、Valsahyd、テルミサルタンとヒドロクロロチアジドだとテルミヒド、Telmihydとなるだろうと予想されたが、これらの商標は登録されていない。前もって商標を抑えておいて高額な使用料を稼ごうとする輩は中国人だけではない。GE学会が配合剤後発品の商標について早め早めに備えていかないとロサルヒドのような方式はかかる輩によって行き詰ってしまうかも知れない。

 2014年7月14日にGE学会は第二弾の統一商標4件を発表し、使用の募集を始めたという。バルサルタンとヒドロクロロチアジドの配合剤用にはバルヒディオ、Valhydioを、バルサルタンとアムロジピンの配合剤用にはアムバロ、Amvaloを、アトルバスタチンとアムロジピンの配合剤用にはアマルエット、Amaluetを、そしてタゾバクタムとピペラシリンの配合注射液用にはタゾピペ、Tazopipeを統一商標としている。いずれもGE学会が商標権を保有しているようである(タゾピペ、Tazopipeは日本ケミファが商標登録したものであるが、GE学会へ譲渡されたのであろう)。なぜバルサヒドが採用されなかったのという疑問の声もある。

他社の商標と抵触した形跡はなく、バルヒディオになった理由は分からない。Novartisのディオバンの名称の一部を取り入れたとすれば、先発品の商標にただ乗りする感があり、よろしくないんじゃないのと思われる。

 ロサルヒド方式は日本特有の方式であり、欧米では成分の一般名をすべて記載する長い販売名 (losartan potassium and hydrochlorothiazide) である。後発品に商標・ブランドを採用しないようにというWHOの勧告に欧米は従っており、長ったらしいのは別に構わないという考えである。欧米では処方・調剤ミスを起こさないよう医師・薬剤師の習熟度を上げるという考えも基本にあるようで、これも日本と違う。ロサルヒド方式が生き残るか、または新たな方式へ転換するのか、見守っていこうと思う。

まあ自分が生きている間くらいはロサルヒド方式なのだろうなあ。長生きしようっと。  

               以上

 

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医療用配合剤、どうなってるの (その3) (Odera_Shigetaka)

2014年09月24日 | 小寺

医療用配合剤、どうなってるの (その3)

   

先発企業による医療用配合錠剤

高血圧用薬でAngiotensinⅡreceptor antagonist(ARBと言われる)が多数存在していたが、それに他成分を加えた配合錠剤が出現し、氾濫している(下表参照)。

高血圧用薬AngiotensinⅡreceptor antagonist (ARB) とその配合錠剤

ARB成分

配合成分

ブランド部分

承認日

企業名

ロサルタン

なし

ヒドロクロロチアジド

ニューロタン

プレミネント

1998

2006.10.20

Merck

カンデサルタン

なし

ヒドロクロロチアジド

ブロプレス

エカード

1999

2009.01.21

武田薬品

バルサルタン

なし

ヒドロクロロチアジド

シルニジピン

ディオバン

コディオ

アテディオ

2000.09.22

2009.01.21

2014.03.24

Novartis

Novartis

味の素

テルミサルタン

なし

ヒドロクロロチアジド

アムロジピン

ミカルディス

ミコンビ

ミカムロ

2002.10.18

2009.04.22

2010.07.23

Boehringer

Ingelheim

オルメサルタン

なし

アゼルニジピン

オルメテック

レザルタス

2004.01.29

2010.01.20

第一三共

イルベサルタン

なし

アムロジピン

トリクロルメチアミド

イルベタン

アイミクス

イルトラ

2008.04.16

2012.09.28

2013.06.28

塩野義

大日本住友

塩野義

アジルサルタン

なし

アムロジピン

アジルバ

ザクラス

2012.01.18

2014.03.24

武田薬品

 

ロサルタンと利尿薬ヒドロクロロチアジドの配合したプレミネント配合錠LDが最初であり、配合比率の異なるプレミネント配合錠MDも2013年9月20日に承認されている。

ヒドロクロロチアジドは1959年から万有製薬(現在はMerck)がダイクロトライド錠の販売名で販売し、汎用されたが、血中カリウムを過度に対外排出するとか、尿酸値を上げるのではないかという懸念から(価格が安くなり過ぎたというのが本当の理由だろうが)、使用されなくなり、現在では東和薬品がヒドロクロロチアジド錠12.5mg「トーワ」、同25mg「トーワ」を医療現場に供給するだけになっていた。しかし、配合剤の成分として再登場である。血圧を下げる効果はARBよりもヒドロクロロチアジドの方が確実であり、プレミネント配合錠LDの登場は歓迎された。しかし、ARBの配合錠がこんなに沢山必要なのかという疑問も起きている。

高脂血症用や糖尿病用の配合錠剤、その他の配合錠剤も続々と承認されている(下表参照、抗エイズ薬、経口避妊薬は記載していない)。 

配合成分

配合成分

ブランド部分

承認日

企業名

アトルバスタチン

アムロジピン

カデュエット

2009.07.07

Pfizer

ピオグリタゾン

メトホルミン

グリメピド

メタクト

ソニアス

2010.04.16

2011.01.21

武田薬品

ミチグリニド

ボグリボース

グルベス

2011.04.22

キッセイ

トラマドール

アセトアミノフェン

トラムセット

2011.04.22

Janssen

アトバコン

プログア

マラロン

2012.12.25

Glaxo

フェキソフェナジン

プソイドエフェドリン

ディレグラ

2012.12.25

Sanofi

コレカルシフェロール

沈降炭酸Ca

デノタスチュアブル

2013.02.28

日東薬品

ランソプラゾール

アスピリン

タケルダ

2014.03.24

武田薬品

トリフルリジン

チピラシル

ロンサーフ

2014.03.24

大鵬薬品

 配合剤のメリットは、コンプライアンスの向上、薬効の向上、副作用の軽減、選択肢の提供、薬価の低下などが標榜されている。デメリットは、配合比率が固定されているので、医師による微妙な処方調整ができにくい、また、副作用が発生した場合、原因となった成分の特定が難しいなどが言われている。しかし、これら医師や患者にとってのメリット、デメリットは些細ではないかと私は思う。

先発製薬企業にとってメリットが大きいのである。配合剤の開発のメリットは製品ライフサイクル・マネジメント (LCM) に役立つ、製品寿命を延長させることができる、全くの新薬開発と比べて研究開発投資リスクが低く利益も確実である。配合剤に対する疑問の声はあるが、しばらく規制緩和は続くだろう。

          (その4)に続く

 

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医療用配合剤、どうなってるの (その2) (Odera_Shigetaka)

2014年09月18日 | 小寺

医療用配合剤、どうなってるの (その2)

 

医療用配合剤は医師の処方権を侵す

 開発部で新薬開発に私が従事していた頃、医療用医薬品で内服用の配合剤はほとんど存在しておらず、その理由も薬事部長だった先輩から聞いた。医療用配合剤は有効成分の配合比率を厚生大臣が決めるものであって、医師の処方権を侵すものだと喧嘩太郎から言われ、「配合成分の相乗作用または配合に伴う何らかのメリットがないと医療用の配合剤は承認されない」ということが確立したという。

1980年の薬事法改正でも、その施行規則(薬務局長通知 薬発第483号)において「承認拒否事由」(いわゆるネガティブリスト)の中に記載され、1993年の改定(医薬審第666号通知「医薬品の承認申請に際し留意すべき事項について」)においても配合剤を承認する要件として次の3項目が挙げられていた。

① 輸液等、用事調製が困難なもの

② 副作用(毒性)軽減または相乗効果があるもの

③ その他特に必要と認められるもの

この要件は2005年3月に改定されるまで、変わらなかった。用事調製が困難なものとは、病院内で無菌的に配合剤を製することが難しい輸液、注射液、点眼液であり、錠剤などは想定されていない。また、相加効果では承認されない、副作用軽減を臨床試験で証明するには膨大な被験者を対象としなければならないとなると、医療用配合剤の開発に乗り出す企業は皆無であった。これは欧米とは異なる状況となった。

最近、医療用配合剤が増えてきた

ところが医療用配合剤の規制緩和を求める意見が2004年に政府に提出された。同時に、海外製薬企業の団体から配合剤承認要件緩和の要求が出された。厚生労働省は外圧に弱い。2005年3月31日に薬食審査発第0331009号通知を出し、以下のように承認要件を緩和した。まず、「医療用配合剤については、次のいずれかの事由に該当するものでなければ認められないものである」とし、4つの事由を掲げた。「いずれか」に該当すればよいのである。

① 輸液等、用事調製が困難なもの

② 副作用(毒性)軽減または相乗効果があるもの

③ 患者の利便性の向上に明らかに資するもの

④ その他配合意義に科学的合理性が認められるもの

そして、「新医療用配合剤の申請に当たっては、配合された有効成分の配合理由の根拠を示す資料を提出すること。当該資料は原則として臨床試験及び動物試験によるものとする。

ただし、既承認医薬品等とほぼ同等と判断され、しかも配合意義が学問的に確立していると考えられるものにあっては、当該資料の添付を省略できるものとする。」とした。

「原則として」に続く「ただし」は厚生労働省がお得意とする文章で、実際は、配合剤についての日本での臨床試験を省略しても申請できるということで、海外製薬企業の要求を大幅に受け入れた形である。欧米で使用されている配合剤はほとんどフリーパスになったも同然である。「患者の利便性の向上に明らかに資するもの」という要件は「慢性疾患患者の服薬コンプライアンス向上」、つまり2錠飲むところを1錠にしたということで要件を満たしてしまう。2005年の規制緩和以降、沢山の配合錠剤が出現し、調剤薬局を悩ませている。

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医療用配合剤、どうなってるの (その1) (Odera_Shigetaka)

2014年09月14日 | 小寺

医療用配合剤、どうなってるの (その1)

 医療事故を防止するための対策がとられていること、似た販売名の医薬品を出現させないように医薬品医療機器総合機構 (PMDA)が事前チェックするようになっていること、また後発医薬品の販売名は一般名採用へ変更されたことなど、先にご紹介させて頂きました。その折、医療用配合剤の後発品について「有効成分が複数である配合剤などではどうするのか、未定なところも残っているようだ。」と記載しました。この夏、東京医薬品工業協会の商標部会の納涼会にOBとして参加したとき、後輩達から医療用配合剤の後発品の販売名について情報を仕入れましたので、その情報に更に補填してご紹介したいと思います。同期の皆さんも生活習慣病になったらお医者さんから処方される薬かも知れません。

 厚生省の成り立ちと医師の処方権との葛藤

 薬事部長だった先輩から昔々に聞いた話である。厚生省(2001年1月以降は厚生労働省)は、元来オイコラ警察の流れを組むお役所だと先輩は言う。明治初頭に文部省医務課、明治6年に文部省医務局が置かれた。

明治の元勲は芸者を妻、妾にしていた人が多く、役人たちも岡場所で遊び、ウメの病気に罹患する輩が絶えなかったという。役人が次々と倒れたのではシャレにならず、対策しようとしたが、文部省では力及ばず、明治8年(1875年)に取り締まり機能の強い内務省へ移管され、衛生局となった。内務省は大久保利通が設置し、地方行政、警察、土木を管轄していたが、そこに岡場所を取り締まる衛生局も編入されたわけである。

昭和13年1月11日に内務省から衛生局と社会局が分離されて厚生省として独立したが、内務省の体質は色濃く厚生省に継続されたと先輩は言う。

取り締まる、規制するというオイコラ警察風の厚生省に対抗したのは日本医師会会長を25年間(1957年~1982年)務めた武見太郎である。この方は俗に喧嘩太郎と呼ばれ、厚生大臣の首を簡単にすげかえたという逸話がある。厚生省の局長、課長など小僧扱いし、厚生省が開業医に対して規制するような姿勢を示すと強烈に対抗し、保険医総辞退とか全国一斉休診(いわば医師のストライキ)を振りかざし、撤回させたという武勇伝が今に伝わっている。武見太郎は大久保利通の次男である牧野伸顕の孫娘を嫁としている。

牧野伸顕の長女を嫁としたのが吉田茂であり、吉田茂の娘の子が麻生太郎元総理である。武見太郎は吉田茂の義理の甥、麻生太郎の義理の叔父に当たる。また銀座クリニックで大物政治家を診察していたので、政治家の健康状態も把握しており、政界への影響力は大きかったという。

 医療用医薬品を厚生大臣が承認する際、承認事項の中に「効能・効果」と「用法・用量」がある。しかし、武見太郎から見ると、薬をどのような疾患に用い、どのような量をどのように用いるのかは医師の処方権に属することであって、厚生大臣が限定するなど、とんでもない。

そこで医師会は厚生省へ強く申し入れしたという。その結果、「年齢・症状により適宜増減する」という文言を加えることが流行った(最近の医療用医薬品の承認では、このような当たり前のことを記載する事例は見なくなってきたが)。

 日本医師会(現在の会員数は約16万6千人)は今でも有力な団体であるが、武見太郎の後、豪腕を振るう会長は出ていないようで、厚生省側が強くなってしまった感もある。

      (その2)に続く

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TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常(6)(最終回)  (Odera_Shigetaka)

2014年02月08日 | 小寺

 TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常(6)

 (6) 似た名前の医薬品を新たに出現させない

土屋先生は2001年度の厚生科学研究特別研究事業として医薬品基本データを構築した。これは1997年~2003年7月までの薬価収載医薬品を調査し、約7000件のブランド名をデータベース化したものであった。これを基にし、販売名の類似性を客観的な指標で示す医薬品類似名称検索システムが日本医薬情報センターhttp://www.japic.or.jp)に設定され、2003年11月に説明会が製薬企業向けに開催された。 

このシステムは2008年3月から一般公開されている。新しい名称案について検索するのは有料だが、既存品の間の類似度は無料で検索できる。

小寺はこのシステムの運営委員会の第1回(2003年9月10日)~第5回(2008年2月6日)に参画した。このシステムで新しい名称案を検索すると種々の指標、例えばedit(置き換え、挿入あるいは削除という操作を何回行なうと両者を一致させることが可能かという指標で、サクシンとサクシゾンでは“ゾ”を1回削除で一致するのでedit =1)、head(先頭からの文字の一致した文字数)、dlen(文字数の差)、cos1(一文字単位での構成文字の類似度係数)、htcos1(先頭2文字と末尾2文字の類似度係数)について類似する既存医薬品名称がリストされるが、この検索結果からどのように判断するか、基準設定が重要であった。

 新規承認医薬品名称類似回避フローチャートの初版を2004年3月に設け、製薬企業に実際に使用してもらい、課題点を掘り起こし、フローチャートの改訂を2005年10月に行なった。コンピューター画面上で「ぱ」行と「ば」行はすぐには見分けにくいので、清音「は」行に置き換えて検索するような前処理も加えられた。とにかく「パッと見での類似」を防止する仕組みであり、商標での類似・非類似ではないということである。

厚生労働省は新薬申請してきた製薬企業に対し医薬品類似名称検索システムでの検索結果がどうであったかを確認し、似た名前の医療用医薬品を新たに出現させないようにした。現在では既存品と頭3文字を共通にする新薬は承認されない。

 このシステムでは既存の医療用医薬品との類似を検索できるが、一般名との類似については検索できない。2008年4月16日に低血糖用剤であるアログリセム錠が厚生労働省の承認を得た。アログリセムは商標登録第5062596号によって保護される知的財産である。2010年4月16日に糖尿病用剤であるネシーナ錠が承認された。このネシーナ錠の有効成分の一般名はアログリプチンである。オーダリングシステムで「アログ」と3文字入力で検索するとアログリセムとアログリプチンが出てしまい、危険であるという指摘がされた。

2011年1月に製薬企業が注意喚起したが、結局はアログリセムが一般名ジアゾキシドを採用する販売名へ変更された。医薬品類似名称検索システムはまだ改善されるべきだろう。

新薬として開発中の化合物について国際一般名がWHOから提案されるが、その段階で製薬企業側で商標権との抵触を調べ、類似する一般名を出現させない仕組みも必要である。

 (7) 医療事故の被害者になりたくない

 販売名の取り違えによる医療事故の新聞報道を最近は見なくなった。しかし医療事故の原因は多岐にわたり、医療機器による事故も多いし、病院のベットに挟まれて死亡したという事故も起きている。信じられないようなヒューマンエラーが発生するので、安全とは言い難い。さて我々の年代もお医者さんの世話になったり、入院することが間近になっている。医療事故の被害者になるなんて真っ平。となると自衛する方が良さそうだ。まずは信用できる掛かり付け医を探し出すこと、薬歴を管理して丁寧に説明してくれる調剤薬局を探し出すこと、ここあたりから始めたい。長生きしましょう。  

                  (以上)

 

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TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (5)  (Odera_Shigetaka)

2014年01月30日 | 小寺

 TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (5)

(5)ジェネリック医薬品の販売名は一般名採用へ変更

先発医薬品に係る特許が終了した後、先発の医薬品と有効成分を同じくする後発医薬品が20社~30社から発売される。従来は後発企業がそれぞれ商標を付して販売名としていた。

先発医薬品のブランドに似せた名前が多く、時には有効成分が異なる先発医薬品ブランドに便乗する命名までなされ、混乱を招いていた。有効成分が同じであるが、中国製の原料を使って安くしている後発企業があり、同じ品質と言い難い後発医薬品も存在している。

しかるべき医療機関は後発医薬品の採用を躊躇してきたが、厚生労働省は医療費抑制の観点から後発医薬品の使用促進を図るようになった。後発医薬品を採用医薬品リストに加えるとなると品目数は膨れ上がる。似た名前の品目数が増えると取り違えミスも起こり易い。厚生労働省は2000年9月19日に通知を出し、医療用医薬品の販売名は「ブランド+剤形+規格(含量)」としなければならないとした。認知症用薬として有名なアリセプトは「アリセプト錠10mg」などとなった。この薬の後発医薬品は30社以上から出され似た名前の大混乱となった。著名な先発医薬品の周辺では同様なことが起きていた。

厚生労働省は日本製薬団体連合会の医療事故防止対策検討プロジェクトへ後発医薬品の販売名を一般名採用の販売名とすることについて意見を求めてきた。商標部会はこれに異論なかった。2005年9月22日、厚生労働省は新たな通知を発出し、この日以降に製造承認申請される後発医薬品の販売名は原則として「一般名+剤形+規格(含量)+会社名」とするようにとした。アリセプトの後発品はドネペジル塩酸塩錠10mg「サワイ」などとなる。Generic Name(一般名)を採用することからジェネリック医薬品なる言葉が定着したのもこの通知以降であった。医療現場からは通知以前に承認された後発医薬品も一般名採用の販売名へ変更すべきであると要望され、2012年1月から3年がかりで既存品について販売名変更されることとなった。一般名を採用することによって販売名は格段に減少し、取り違えミスを減らせると思われる。ただ、一般名は長ったらしく、覚えにくく、発音しにくいし、同じ薬効だと似た一般名が付けられているなど課題もある。また、

有効成分が複数である配合剤などではどうするのか、未定なところも残っているようだ。

 

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TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (4)  (Odera_Shigetaka)

2014年01月25日 | 小寺

 TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (4)

(4) 医薬品に係る医療事故

医薬食品局は医薬品・医療機器等対策部会の下部に5つのワーキンググループ(WG)を2003年4月に設置し、モノ側から医療事故防止をより具体的に検討することとした。

5つのWGは規格WG(医薬品の規格を間違えるのを防止)、名称類似WG(医薬品の名称類似による取り違えを防止)、注射薬外観類似WG(外観の似た注射薬の取り違えを防止)、輸液WG(輸液点滴による事故を防止)、眼科用剤WG(水虫用液剤を間違って点眼するなどを防止)で、それぞれのWGに製薬業界から2名の委員が参加した。名称類似WGも当初は2名参加だったらしいが、商標がらみであることから商標部会(東京医薬品工業協会と大阪医薬品協会に設置された知的財産研究委員会の下部部会)へ委員を出して欲しいと厚生労働省から要請があり、人柄の良さ(?)にて小寺が参加することとなったため、このWGには3名参加となった。

 医薬品の販売名が似ていることで医療事故がどのくらい発生しているのかは把握されていなかった。限られた医療施設からではあるが、2001年10月~2004年5月に報告されたヒヤリ・ハット事例は104358件、その内の医薬品事例は1341件(1.3%)、医薬品の名称類似に起因するという事例は114件(医薬品事例の内の8.5%)であった。

 2003年4月当時において医薬品の名称類似事例で特に注目されていたものは下表の通りであった。厚生労働省による承認日、特許庁による商標登録日、商標登録番号は商標部会で調べて下表に加えた。

販売名

効能効果

厚労省承認日

商標登録番号

商標登録日

サクシン

骨格筋弛緩剤

1953.09.28

 440,529

1954.02.23

サクシゾン

抗炎症剤

1971(?)

 4,255,790

1999.03.26

タキソール

抗癌剤

1998.01.16

3,368,423

1998.01.16

タキソテール

抗癌剤

1996.10.09

2,690,514

1994.07.29

アルマール

高血圧用剤

 1985.11.05

  754,824

1967.09.16

アマリール

糖尿病用剤

 1999.09.22

 3,183,037

1996.07.31

ウテメリン

切迫流早産用剤

 1986.04.30

   515,975

1958.03.15

メテナリン

子宮収縮止血剤

 1970.08.07

     618,549

1963.06.24

ノルバデックス

乳癌用剤

 1981.05.01

 1,173,998

1975.12.15

ノルバスク

高血圧用剤

 1993.10.01

 2,457,536

1992.04.30

セロクラール

抗めまい剤

 1978.05.18

     881,469

1970.12.02

セロクエル

抗精神病剤

 2000.12.12

 2,350,737

1991.11.29

マイスタン

抗てんかん剤

 2000.03.10

 4,125,786

1998.03.20

マイスリー

睡眠導入剤

 2000.09.22

 2,061,338

1988.07.22

エクセラーゼ

消化酵素剤

 1976(?)

 1,385,300

1979.07.31

エクセグラン

抗てんかん剤

 1989.03.31

 1,456,134

1981.02.27

 名称類似というが、特許庁の商標審査ではいずれも非類似とされてきたものである。特許庁の商標審査では二つの商標の呼称、外観、観念を対比させ、通常の注意力を持った人間が識別できるか否かによって類似、非類似を判定する。医師、薬剤師の知識レベルは高く識別力はより高いと特許庁審査官は認識している。従って非類似とするのは不思議でない。

サクシンとサクシゾンは30年以上も共存していたのに、取り違えは起きていなかった。なぜ最近になって問題になったのか、名称類似とするのはおかしいのではないか、こんな意見も商標部会メンバーから寄せられた。

名称類似WGで分析したところ、医師や看護師は人員不足で忙殺状態に陥り、注意力が極端に低下していること、医師がコンピューターを利用するオーダリングシステムで薬剤を選択する際に頭2文字とか3文字の入力で候補薬剤をリストし、パッとクリックして決定してしまうことが取り違えの要因になっていると思われた。コンピューター入力での「お助け機能」が患者の命に係わってしまう恐れがある。エクセルで入力機会の多い文字の頭部分を入力した段階で文字全部を勝手に表記する、これが曲者である。WGリーダー土屋先生が調査したところ、一つの薬剤に特定できる割合は頭2文字で11%でしかなく3文字で67%、4文字で91%である。またオーダリングシステムは医療機関ごとに異なり、その病院で採用されていない薬剤はリストされていないが、他病院から移ってきた医師は前の病院と同じと思ってリストさせ、注意深く見ないでクリックし、決定してしまう。

間違い易い薬剤がリストされたときに警告表示を出すように設定されているオーダリングシステムもあるが、しょっちゅう警告されるのを嫌って設定解除してしまう医師もいる。

コンピューター画面でパッと見て似ている、似ていないとしているのであって、特許庁のいう類似、非類似とは別ものである。頭3文字が同一であると、それだけで間違える。

2000年11月、富山県高岡市民病院の研修医がサクシゾンと誤ってサクシンを処方し、男性(48歳)が死亡した。毒薬として管理されている筈のサクシンを病院薬剤部が簡単に払い出し、注射するなんて普通ではありえないことであり、経験不足の研修医のミスであると思われた。だが、ヒヤリ・ハット報告を調べると、サクシゾンと誤ってサクシンが処方されたが、病院薬剤部が気づいて処方医師へ疑義照会し、投与されずに済んだという事例もあった。厚生労働省の指導の下、サクシンとサクシゾンの取り違えについて注意喚起の通知が医療機関へ配布された。それで再発を防止できたと思われたが、2008年11月、徳島県健康保険鳴門病院の女医がサクシゾンと誤ってサクシンを処方し、このミスが見過ごされ、投与された男性(70歳)が死亡した。サクシゾンはコハク酸ヒドロコルチゾンを有効成分とし、ソル・コーテフの後発品として日研化学が厚生労働省の承認を得たがその承認が興和へ承継され、さらにTevaへ承継されている。サクシンとサクシゾンを取り違えた場合の危険性は大であり、本来はサクシゾンの名称が変更されてしかるべきだが、イスラエル企業が費用と手間をかけて販売名変更の手続きをする筈もなく、先発企業がサクシンの名称をスキサメトニウム塩化物へ変更した。

 抗癌剤であるタキソールとタキソテールの取り違えによる死亡事故も新聞記事となった。2002年4月、市立泉佐野病院でタキソールと誤ってタキソテールを処方し、女性(60歳代)が死亡した(病院側は癌による死亡と主張した)。両剤を取り違えないようにと注意喚起されたが、2003年9月、鹿児島大学病院でタキソールと誤ってタキソテールを処方し、患者を死亡させた。タキソテールを処方するならば用量を5分の一に減じなければならないが、そうしなかったので、過剰投与となり、死亡事故となった。名称類似WGは両剤の製造企業(共に外資系)に対し、販売名を変更して一般名(パクリタキセル、ドセタキセル)を採用することを提案したが、両社は難色を示し、一般名を目立つように表示するという対策となった。タキソールとタキソテールの取り違えはその後のヒヤリ・ハット報告でも絶えない。三度目の死亡事故には至っていないが、起きたら取り返しつかない。

 サクシンとサクシゾン、タキソールとタキソテールは頭3文字を同じくすること、静脈注射剤であることから死亡事故につながる危険性をはらんだ組合せである。頭3文字を同じくする組合せにはノルバデックスとノルバスク、セロクラールとセロクエル、マイスタンとマイスリー、エクセラーゼとエクセグランなどもある。製薬企業が繰り返し注意喚起を行なっているが、ヒヤリ・ハット報告は絶えない。これらは飲み薬であり、医師が誤って処方しても調剤薬局あるいは患者自身が気づき、服用に至らないので、事故の報告を見ない。でも注意喚起を頻繁に行なうよりも販売名を変更した方がよいのだが・・・

アルマールとアマリールは名前が似ているとされるが、問題はアマリールという販売名を糖尿病用の薬剤に付けたことにある。高血圧の患者に対してアルマールを処方する筈のところ、誤ってアマリールを処方したというミスは15件あり、5人が低血糖、意識不明に陥ったという。製薬企業が繰り返し注意喚起したが、2009年に北海道でアルマールと誤ってアマリールが処方され、男性(80歳代)が死亡した。アルマールは2012年6月に一般名アロチノロールを採用する販売名へ変更された。後から発売されたアマリールの販売名こそ変更されるべきであるが、外資系企業は変更しておらず、批判をあびている。

 2008年6月、青森県五所川原市の公立金木病院において、アルマトール(利尿剤アルダクトンAの後発品)と誤ってアマリールが処方され、女性患者(73歳)が意識不明に陥った後、肝不全で死亡した。アルマトールはスピロノラクトン錠25mg「タナベ」へ名称変更された。アマリールは今もなおアマリールのままである。

 ウテメリンとメテナリンも名前が似ているとされるが、問題は子宮に対する作用が逆であること、妊婦に投与してはいけないメテナリンを産科病棟に置いていた医療機関が存在していたことにある。切迫流・早産治療薬である「ウテメリン」が投与されるべきところ、子宮収縮止血剤「メテナリン」が誤って投与された事故が厚生労働省へ報告され、あすか製薬は、名称類似に関連した医療事故を防止する視点から、メテナリンを一般名メチルエルゴメトリンを採用する販売名へ変更した。ウテメリンの販売名も変更されるようである。

名称類似WGは何が課題であって、どのように改善していけばよいかを報告書にまとめ、2004年3月2日に提出して終了した。その後も日本製薬団体連合会の医療事故防止対策検討プロジェクトは継続し、また医薬品類似名称検索システムの立ち上げにも加わることとなり、名称類似による取り違えを減少させる以下の対策に係ることとなった。

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TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (3)  (Odera_Shigetaka)

2014年01月18日 | 小寺

 TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (3)

(3)医療事故を防止するための対策

米国のInstitute of Medicineは1999年11月29日に「TO ERR IS HUMAN: Building a Safer Health System」と題するレポートを発表し、医療事故防止対策を提言した。

その骨子は(1)リーダーシップ・センターの設立、(2)情報・報告システムの完備、(3)安全の基準づくり、(4)実効性の評価から成る。このレポートは欧州連合やカナダ、豪州そして日本の医療関係者にも大きな影響を及ぼした。レポートのタイトルは18世紀の英国の詩人Alexander Popeによる「To err is human,to forgive divine.(過ちは人の常、許すは神の業)」からの引用と言う。

しかしながら、もっと古い文献には、現在の日本での医療過誤をさらに的確に表わしているものがある。 Marcus Tullius Cicero (BC106年-BC43年、ローマ)は「人は過ちを犯すものである。しかし、誤りを続けるのは愚かな者のみである。」とした。Loukianos(120年頃-180年頃、ローマ)は「Errade Humanun Est, Sed Perseverade Diabolicum.(人は過ちを犯すものである。しかし、過ちを繰り返し続けるのは悪魔である。)」とキケロよりも踏み込んだ表現とした。これは2000年5月に国立大学医学部附属病院長会議常置委員会がとりまとめた「医療事故防止方策の策定に関する作業部会」の中間報告『医療事故防止のための安全管理体制の確立について』の巻頭で引用されている。

 厚生労働省は医療安全対策検討会議の第一回を2001年5月18日に開催し、数回の会議を重ね、「医療事故を未然に防止するための医療安全推進総合対策」を2002年4月17日に公表した。この対策会議で参照したのは航空機の分野で研究された事故防止対策だった。

1966年2月4日に全日空の千歳発ボーイング727が東京湾に墜落し、133人が死亡した事件、この事故の後にボイスレコーダーやフライトレコーダーが設置されるようになり、事故原因を突き止め、同じ事故を繰り返さないようにしようという方向性が確認された。その後、1971年7月30日に全日空ボーイング727の 雫石衝突事故で162名が死亡し、982年2月9日には日航DC-8の羽田沖墜落事故(片桐機長の逆噴射)で24人が死亡、1985年8月12日には日航ボーイング747SR-46機墜落事故で520名が死亡しており機体の欠陥、そしてヒューマンエラーの両面から防止策を構築することが必要とされた。

厚生労働省も医師、看護師など医療従事者側のヒューマンエラーを減少させることに注目すると共に、医薬品や医療機器などモノ側にも事故を誘発する要因があると常に認識して、モノ側の改善を継続して行なっていく必要があるとした。

ただ残念なことにヒューマンエラー部会は医政局の管轄、モノ側の医薬品・医療機器等対策部会は医薬食品局の管轄とされ、両面から一緒に検討するという体制でなかった。医政局は2007年3月に「医薬品の安全使用のための業務手順書作成マニュアル」を公表するなど、医療施設においてヒューマンエラーを防止する体制づくりをしなさいということでヒューマンエラー部会の活動を休止した。しかし、ヒューマンエラーを防止するには至っていないのが現状であろう。

ヒューマンエラーを減少できたとしてもゼロにはならないと認識し、エラーが起きても重大な事故にまでは発展させてはならない。安全神話を作り上げる愚を冒さず、危険に囲まれていると覚悟して医療に接していくのが正解だと思われる。

 

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TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (2)  (Odera_Shigetaka)

2014年01月09日 | 小寺

 TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (2)

    

  2013/7/28  飲み会にて 山口(力)・山口(隆)・黒川・一人おいて・小寺君    

(2) 医療事故の発生件数 

 現代社会においてヒトはどこで亡くなっているのか? 殆どのヒトは病院で亡くなっており、自宅で死亡すると不審死とされ、警察が入る。検死の対象になる可能性すらある。病院で亡くなると病気によるものと思われ、警察もめったに介入しない。

病死、本当にそうなのだろうかと疑問を抱いたヒトは多い。医療事故によって亡くなっているのではないかと米国医師会は疑問を持ち、調査を行なった。2006年に米国で報告されたところによると150万人が医療ミスの影響を受け、40万人が健康被害を受けているという。米国は医療事故を把握し、再発を防止することを優先する考えに立ち、報告した医師が免責されるようにしているので、報告率が高い。それにしてもすごい数である。

日本ではどうなのか? 年間約125万人が亡くなっているが、医療事故による死亡数はどれくらいなのであろうか? 2002年4月17日付の読売新聞に掲載された記事によると「国立保健医療科学院の長谷川部長は、手術に伴う死亡や後遺症など有害事象が年に120万件起きており、医療事故で死亡する入院患者が年間2万6000人に達すると国内で初めて推計した」とのことである。これは世界各国での医療事故発生率を日本にも当てはめて推計したもののようである。

医療事故情報の収集は2001年度から厚生労働省によって開始され、2004年10月以降は日本医療機能評価機構へ収集活動が委託された。2010年に2703件、2011年に2799件、2012年に2882件の医療事故が報告されている。しかし収集対象は約900の医療機関に限られており、また免責がないので医療事故報告が躊躇されており、実態は把握されていない。2012年には216件の死亡事故、重度の障害が残る事故が329件、ヒヤリ・ハット報告は約69万件である。

ハインリッヒの法則(Heinrich’s law)によると一つの大事故の背景に29件の軽微~中程度の事故があり、300件のヒヤリ・ハットがあるという。約69万件のヒヤリ・ハット報告があるなら、2300件くらいの死亡事故が起こっているのではないか。収集対象が全医療機関に及ぶならば長谷川部長が2002年に推計した年間2万6000人という数字も的外れでないのかもしれない。

ともかく実態を正しく把握し原因を突き止め、対策していかないと医療への信頼は薄れていく。近藤 誠 著「医者に殺されない47の心得」が2012年のベストセラーであったなんて情けない。信頼を失うと医者や看護師が訴えられるケースの多発につながる。

訴えられやすい産婦人科や小児科は医師数が減少し、超過密となった医師は事故を起こし易くなるという負のスパイラルに陥っている。2013年6月28日に兵庫県立こども病院で発生した「抗生物質バンコマイシンの希釈濃度を誤って点滴したために乳幼児の右足指3本を壊死させてしまった」という医療ミスは防ぎえたのではないか、本当に残念な事件である。

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TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (1)  (Odera_Shigetaka)

2014年01月04日 | 小寺

 

2014年の最初は小寺君の”TO ERR IS HUMAN"(過ちは人の常)、深くて重みがある長文です。小寺くんの了解を得て数回に分けて掲載させていただきます。 (Okuyama) 

過ちは人の常 

(1)はじめに      

 2009年2月、42年勤務した杏林製薬を退職した。1966年当時、杏林製薬の大卒者向け案内に新薬開発の研究に注力する中堅製薬企業であって、研究者を募集とあり、魅力を感じて入社試験を受けたこと、昨日のことのように思う。

杏林製薬で最初の10年は赤羽の研究所管理課で研究サポート業務に従事した。その後、栃木県野木町の中央研究所の研究管理部に半年、お茶の水の本社開発部管理課に6年半、その後、本社と中央研究所の兼務を経て、1989年4月から本社に新たに設置された特許部へ異動した。自ら新薬の合成や有効性・安全性評価試験を行なうことがなく、特許の発明者・論文の著者に名を連ねていないが、抗菌薬ノルフロキサシン等の新薬開発に係り、結構おもしろい研究開発業務であった。

ノルフロキサシンは米国Merck社へライセンスアウトしPatentprotectionが十分でないとMerck社の特許部から厳しく指摘された。またその後のライセンスアウト品でもRoche社、Bristol Myer Squibb(BMS)社、Allergan社等々からもPatent protectionを強化すべきだと指摘を受け、本社に特許部を設置し、その初代部長になったが、国内外で後発企業との特許訴訟に追われ、特許戦略の構築までに至れなかったのは反省点である。

 退職して4年半、特に趣味はなく、腰痛でゴルフからも遠ざかり、メタボ生活を送っている。テレビで昔の映画を観る以外はインターネット検索でヒマつぶしをしている。

 人名をGoogle検索するのも一興。同窓生の名前を検索すると結構ヒットし、その人の活躍状況が伝わってくる。自分の名前も検索してみた。今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公である黒田如水は、小寺政職(姫路御着城主)に仕え、小寺孝高と名乗っていたこと、祖父は小寺重隆であることが検索結果の冒頭に出てくる。自分の名前は黒田如水の祖父の名前にちなんでつけられたらしいが、我が家の家系図はマユ唾と思っている。

 自分自身については、検索結果の中に厚生労働省の第6回医療安全対策検討会議ヒューマンエラー部会(2003年4月25日)の議事録、名称類似ワーキンググループ報告書(2004年3月2日)がある。2003年4月~2008年2月に日本製薬団体連合会の医療事故防止対策検討プロジェクト委員を務めており、医療用医薬品の販売名類似による取り違え事故を防止する対策の検討に加わった。

土屋文人先生(医科歯科大学付属病院の薬剤部長)と厚生労働省医薬食品局安全対策課が中心となって作成した対策案に対して医師、看護師、薬剤師、弁護士及び製薬業界からの委員が意見を申し上げて完成させていくという方式だった。私は製薬業界の商標部会からの代表委員であった。対策案は商標権と抵触するところも多く、商標部会メンバーへ諮り、賛成意見、反対意見を取りまとめ、意見提出したが、土屋先生の案にほとんど押し切られた。医療事故防止という観点からは土屋先生案のままで良かったと思う。以下、当時のことを思い出して記述するが、記憶は怪しい。また、誤解しているところもあるかもしれない。その点はご容赦願いたい。

 

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北帰行(Odera_Shigetaka)

2012年07月29日 | 小寺

  6月29日、羽田から新千歳へ飛び、札幌へ向かった。北海道大学農学部農芸化学科昭和42年卒の同期会に出席するためである。同期は男性ばかりの36名で、6名が既にあの世へ旅立っており、2名が危ない。幹事からのメールによると、今回の卒後45周年同期会に女房同伴3名を加えて25名が出席するという。21名は北海道人のいう「内地」からの参加者であり、私と女房もそれに該当する。

 5年前の6月にも札幌での同期会に出席した。この5年間、安部、福田、麻生、鳩山、菅、野田と首相交代し、最低の首相の下で日米関係を壊し、最悪の首相の下で福島第一原発の爆発、放射性物質拡散という人災を引き起こした。核処理工場を原子力発電所と言い換え、根拠のない安全神話を作り上げ、交付金をばらまいて全国に58基も設置してしまったが、炉の廃棄・解体、核燃料廃棄物の処理は困難と言われる。ユダヤ系科学者ロバート・オッペンハイマー達が開いてしまったパンドラの箱は閉じられないままである。

5年前と個人的に異なることは、6月13日に港北小学校卒後55年の会でも述べたが、会社勤務(杏林製薬知的財産部)を64歳誕生日に辞めたこと、2年半前にタバコを止めたことである。高血圧・高脂血症・高尿酸値は変化ない。 札幌へ向かうJRの車窓から景色を見ていると、なぜか小林旭の北帰行を懐かしく思いだした。昭和38年3月末、上野発の夜行列車で青森へ向かったとき、窓は夜露に濡れていた。真夜中の青函連絡船で函館へ渡り、特急大空で札幌に着いたとき、既にホームシックになっていた。なんで東京工業大学を受験せずに北海道大学へ行くことを選んだのか。

栄光の高三の旅行で北海道へ行き、大学構内のクラーク像やポプラ並木を見て、再度訪れたいなと思ったのは確かだ。しかし、それだけではなかったような気もする。心が傷ついた男は北へ向かう(女性は南?)というが、その当時に別に心は傷ついていなかった。でも、なんだったのだろう。とにかく一人暮らしをしてみたかった。

 インターネットで北帰行を検索したことがある。昭和36年のヒットだが、その原曲は昭和16年に旅順高校を放校された宇田博氏が作詞・作曲し、歌声喫茶などで歌い継がれてきたものという。二木紘三のうた物語(http://duarbo.air-nifty.com)というサイトで原曲の歌詞も分かった。

宇田氏は飲酒し、女の子とデートしたのを教官に見つかって、高校生にあるまじきということで放校されたとのこと。私にはそのような経験はない。 JR特急は札幌駅に近づいてきた。札幌の人口は昭和38年に約70万人、卒業時でも約90万人であったが、現在では約193万人に達している。高層建築がどんどん増えて、北海道庁のレンガ舎、時計台がビルの谷間に埋没している。大通り公園のテレビ塔は電波送信を既に止めている。札幌駅の北側に広大な土地を占有している北海道大学は札幌の都市開発に邪魔だと言う人まで現れているらしい。札幌イコール北大は昭和の話という。

 札幌駅から宿泊ホテルまで徒歩5分、チェックインし、着替えて外出。

                                     

                                                       北海道庁にて

北海道庁から北大植物園へ行き、北大農学振興会の園遊会に顔を出した後、サッポロビール園へ向かい、同期会に出席した。学生時代は農学部の中庭でジンギスカン・パーティをよく開いた。今回は屋内でのジンギスカンであったが、マトンの肉質改良、鍋の改造などによって煙は殆ど立たず、ここでも様変わりを感じた。今は昔である。同期の皆が学生時代と変わらず意気軒昂であったのが嬉しかった。次回の幹事を引き受けてしまい、卒後50年をまた札幌でやろうと提案したが、オリンピックだって4年だ、もっと頻繁にやろうよという声が多く、「古希の祝い」を2年半後くらいに入れようかなと思う。

                   

                      富良野のチーズ工房にて

 ところで、来年は栄光学園を卒業して50年になるのだなあ。栄光同期で北海道大学へ進んだ大久保清邦君と鈴木荘一君は工学部を卒業した。大久保君は日本工営で、鈴木君は日立プラントで活躍と聞いていたが、大学卒業以来、会っていない。元気にしているかな。再会したいものである。

      以上 奥山君からの依頼を受け、雑感を記した。乱文を容赦されたい。 

                          

 

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