TO ERR IS HUMAN 過ちは人の常 (4)
(4) 医薬品に係る医療事故
医薬食品局は医薬品・医療機器等対策部会の下部に5つのワーキンググループ(WG)を2003年4月に設置し、モノ側から医療事故防止をより具体的に検討することとした。
5つのWGは規格WG(医薬品の規格を間違えるのを防止)、名称類似WG(医薬品の名称類似による取り違えを防止)、注射薬外観類似WG(外観の似た注射薬の取り違えを防止)、輸液WG(輸液点滴による事故を防止)、眼科用剤WG(水虫用液剤を間違って点眼するなどを防止)で、それぞれのWGに製薬業界から2名の委員が参加した。名称類似WGも当初は2名参加だったらしいが、商標がらみであることから商標部会(東京医薬品工業協会と大阪医薬品協会に設置された知的財産研究委員会の下部部会)へ委員を出して欲しいと厚生労働省から要請があり、人柄の良さ(?)にて小寺が参加することとなったため、このWGには3名参加となった。
医薬品の販売名が似ていることで医療事故がどのくらい発生しているのかは把握されていなかった。限られた医療施設からではあるが、2001年10月~2004年5月に報告されたヒヤリ・ハット事例は104358件、その内の医薬品事例は1341件(1.3%)、医薬品の名称類似に起因するという事例は114件(医薬品事例の内の8.5%)であった。
2003年4月当時において医薬品の名称類似事例で特に注目されていたものは下表の通りであった。厚生労働省による承認日、特許庁による商標登録日、商標登録番号は商標部会で調べて下表に加えた。
販売名
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効能効果
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厚労省承認日
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商標登録番号
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商標登録日
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サクシン
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骨格筋弛緩剤
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1953.09.28
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440,529
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1954.02.23
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サクシゾン
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抗炎症剤
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1971(?)
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4,255,790
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1999.03.26
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タキソール
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抗癌剤
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1998.01.16
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3,368,423
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1998.01.16
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タキソテール
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抗癌剤
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1996.10.09
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2,690,514
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1994.07.29
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アルマール
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高血圧用剤
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1985.11.05
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754,824
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1967.09.16
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アマリール
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糖尿病用剤
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1999.09.22
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3,183,037
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1996.07.31
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ウテメリン
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切迫流早産用剤
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1986.04.30
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515,975
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1958.03.15
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メテナリン
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子宮収縮止血剤
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1970.08.07
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618,549
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1963.06.24
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ノルバデックス
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乳癌用剤
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1981.05.01
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1,173,998
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1975.12.15
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ノルバスク
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高血圧用剤
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1993.10.01
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2,457,536
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1992.04.30
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セロクラール
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抗めまい剤
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1978.05.18
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881,469
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1970.12.02
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セロクエル
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抗精神病剤
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2000.12.12
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2,350,737
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1991.11.29
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マイスタン
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抗てんかん剤
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2000.03.10
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4,125,786
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1998.03.20
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マイスリー
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睡眠導入剤
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2000.09.22
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2,061,338
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1988.07.22
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エクセラーゼ
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消化酵素剤
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1976(?)
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1,385,300
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1979.07.31
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エクセグラン
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抗てんかん剤
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1989.03.31
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1,456,134
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1981.02.27
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名称類似というが、特許庁の商標審査ではいずれも非類似とされてきたものである。特許庁の商標審査では二つの商標の呼称、外観、観念を対比させ、通常の注意力を持った人間が識別できるか否かによって類似、非類似を判定する。医師、薬剤師の知識レベルは高く識別力はより高いと特許庁審査官は認識している。従って非類似とするのは不思議でない。
サクシンとサクシゾンは30年以上も共存していたのに、取り違えは起きていなかった。なぜ最近になって問題になったのか、名称類似とするのはおかしいのではないか、こんな意見も商標部会メンバーから寄せられた。
名称類似WGで分析したところ、医師や看護師は人員不足で忙殺状態に陥り、注意力が極端に低下していること、医師がコンピューターを利用するオーダリングシステムで薬剤を選択する際に頭2文字とか3文字の入力で候補薬剤をリストし、パッとクリックして決定してしまうことが取り違えの要因になっていると思われた。コンピューター入力での「お助け機能」が患者の命に係わってしまう恐れがある。エクセルで入力機会の多い文字の頭部分を入力した段階で文字全部を勝手に表記する、これが曲者である。WGリーダー土屋先生が調査したところ、一つの薬剤に特定できる割合は頭2文字で11%でしかなく3文字で67%、4文字で91%である。またオーダリングシステムは医療機関ごとに異なり、その病院で採用されていない薬剤はリストされていないが、他病院から移ってきた医師は前の病院と同じと思ってリストさせ、注意深く見ないでクリックし、決定してしまう。
間違い易い薬剤がリストされたときに警告表示を出すように設定されているオーダリングシステムもあるが、しょっちゅう警告されるのを嫌って設定解除してしまう医師もいる。
コンピューター画面でパッと見て似ている、似ていないとしているのであって、特許庁のいう類似、非類似とは別ものである。頭3文字が同一であると、それだけで間違える。
2000年11月、富山県高岡市民病院の研修医がサクシゾンと誤ってサクシンを処方し、男性(48歳)が死亡した。毒薬として管理されている筈のサクシンを病院薬剤部が簡単に払い出し、注射するなんて普通ではありえないことであり、経験不足の研修医のミスであると思われた。だが、ヒヤリ・ハット報告を調べると、サクシゾンと誤ってサクシンが処方されたが、病院薬剤部が気づいて処方医師へ疑義照会し、投与されずに済んだという事例もあった。厚生労働省の指導の下、サクシンとサクシゾンの取り違えについて注意喚起の通知が医療機関へ配布された。それで再発を防止できたと思われたが、2008年11月、徳島県健康保険鳴門病院の女医がサクシゾンと誤ってサクシンを処方し、このミスが見過ごされ、投与された男性(70歳)が死亡した。サクシゾンはコハク酸ヒドロコルチゾンを有効成分とし、ソル・コーテフの後発品として日研化学が厚生労働省の承認を得たがその承認が興和へ承継され、さらにTevaへ承継されている。サクシンとサクシゾンを取り違えた場合の危険性は大であり、本来はサクシゾンの名称が変更されてしかるべきだが、イスラエル企業が費用と手間をかけて販売名変更の手続きをする筈もなく、先発企業がサクシンの名称をスキサメトニウム塩化物へ変更した。
抗癌剤であるタキソールとタキソテールの取り違えによる死亡事故も新聞記事となった。2002年4月、市立泉佐野病院でタキソールと誤ってタキソテールを処方し、女性(60歳代)が死亡した(病院側は癌による死亡と主張した)。両剤を取り違えないようにと注意喚起されたが、2003年9月、鹿児島大学病院でタキソールと誤ってタキソテールを処方し、患者を死亡させた。タキソテールを処方するならば用量を5分の一に減じなければならないが、そうしなかったので、過剰投与となり、死亡事故となった。名称類似WGは両剤の製造企業(共に外資系)に対し、販売名を変更して一般名(パクリタキセル、ドセタキセル)を採用することを提案したが、両社は難色を示し、一般名を目立つように表示するという対策となった。タキソールとタキソテールの取り違えはその後のヒヤリ・ハット報告でも絶えない。三度目の死亡事故には至っていないが、起きたら取り返しつかない。
サクシンとサクシゾン、タキソールとタキソテールは頭3文字を同じくすること、静脈注射剤であることから死亡事故につながる危険性をはらんだ組合せである。頭3文字を同じくする組合せにはノルバデックスとノルバスク、セロクラールとセロクエル、マイスタンとマイスリー、エクセラーゼとエクセグランなどもある。製薬企業が繰り返し注意喚起を行なっているが、ヒヤリ・ハット報告は絶えない。これらは飲み薬であり、医師が誤って処方しても調剤薬局あるいは患者自身が気づき、服用に至らないので、事故の報告を見ない。でも注意喚起を頻繁に行なうよりも販売名を変更した方がよいのだが・・・
アルマールとアマリールは名前が似ているとされるが、問題はアマリールという販売名を糖尿病用の薬剤に付けたことにある。高血圧の患者に対してアルマールを処方する筈のところ、誤ってアマリールを処方したというミスは15件あり、5人が低血糖、意識不明に陥ったという。製薬企業が繰り返し注意喚起したが、2009年に北海道でアルマールと誤ってアマリールが処方され、男性(80歳代)が死亡した。アルマールは2012年6月に一般名アロチノロールを採用する販売名へ変更された。後から発売されたアマリールの販売名こそ変更されるべきであるが、外資系企業は変更しておらず、批判をあびている。
2008年6月、青森県五所川原市の公立金木病院において、アルマトール(利尿剤アルダクトンAの後発品)と誤ってアマリールが処方され、女性患者(73歳)が意識不明に陥った後、肝不全で死亡した。アルマトールはスピロノラクトン錠25mg「タナベ」へ名称変更された。アマリールは今もなおアマリールのままである。
ウテメリンとメテナリンも名前が似ているとされるが、問題は子宮に対する作用が逆であること、妊婦に投与してはいけないメテナリンを産科病棟に置いていた医療機関が存在していたことにある。切迫流・早産治療薬である「ウテメリン」が投与されるべきところ、子宮収縮止血剤「メテナリン」が誤って投与された事故が厚生労働省へ報告され、あすか製薬は、名称類似に関連した医療事故を防止する視点から、メテナリンを一般名メチルエルゴメトリンを採用する販売名へ変更した。ウテメリンの販売名も変更されるようである。
名称類似WGは何が課題であって、どのように改善していけばよいかを報告書にまとめ、2004年3月2日に提出して終了した。その後も日本製薬団体連合会の医療事故防止対策検討プロジェクトは継続し、また医薬品類似名称検索システムの立ち上げにも加わることとなり、名称類似による取り違えを減少させる以下の対策に係ることとなった。