朝の挨拶
散歩の途中で見ず知らずの人たちと朝の挨拶を交わす。
街中ではこの挨拶を交わすことはなく、川の土手道などで、お互いが散歩人同士だなと認識しあったときに初めて成立する。こちらは声を出さずかるく会釈するだけだが、お早うございますと小さく声をかけてくれる人もいる。頭を下げても知らぬふりを決め込んでいる人もいる。近づいてくるその素振りで判断するが、おおむね予想通りの結果に落ちつく。
悩み事があるような難しい顔の人もいれば、表情にゆとりのある、相手の気持ちを受け入れる余裕を醸し出す人もいる。そのような気配を感じさせる一人の老人とすれ違う機会がこの頃多くなってきた。
近づいてくるなり、もう何年も知り合いであるかのように、満面の笑みを浮かべ、首をかしげこちらの覗き込むようにして、―お早うございまーす、と弾むような爽やかな声をかけられた。思わず、―お早うございますと、と丁寧に声を返した。その時から、地味なハンチングをかぶる、その細身の老人と、いつも声がけをしてすれ違う。
その日は、寒い冬の一休みとでもいうのか、風のない暖かい日だった。二人の気持ちが近くなったのだろうか、気候の挨拶をまじえて二、三分立ち話をした。
どうも話好きなようだ、もう少し話したい雰囲気を感じたが、散歩の鉄則を思い出した。
ー深入りせずに、ほどよい間合いを取りながらーこれが長続きの秘訣である。この頃は、遠く離れてお互いの存在を確認するだけのときもある。川岸の反対側ですれ違うとき、どちらか先に気が付くと、大きく手を振り上げて朝の挨拶を交わす。今日も元気そうだなと、もう一振りして別れてゆく。
風に吹かれて川道の景色に包まれた、ほんの一時の気持ちを通わせる朝の挨拶は、目覚めの一服のお茶のようなもの、その日の気分を整える働きもある。とても気持ちの落ち込んだ、心配事を抱え閉じていた心の窓に、そっと暖かな朝の陽が射しこんだような、―お早うございまーすの声を耳にすると、なんだかほっこりと気持ちが温められ、胸の内の揺らぎが静まるような、気分の切りかえができる時もある。
自宅に戻る道すがら、集団登校のグループとすれ違った。仲間達から遅れ気味に歩いてきた小学生が通りすぎようとしたときだ、顏を上げてこちらの目を見ながら、―おはようございますーと少し舌足らずの恥ずかしそうな声が飛んできた。この辺りの小学生にはめずらしい朝の挨拶をもらい、不意を突かれ、一瞬、間が空いてしまったが、―はい、お早うと、笑顔を返した。まだ、きちんと挨拶のできる少年がいるのだなー、となんだかからだの内がポカポカと暖かくなり、一人ポツンと歩いてゆく子供の後姿に、勉強、頑張れよ、とエールを送った。
散歩の楽しみは、日ごとに移り変わる沿道の景色を肌で感じることだが、それに加えて、通りすがりの、見ず知らずの人たちとの、なにげない気持ちのやり取りに心の平安をもらう。