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栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

近況報告 (Fujimura_Michio)

2014年09月09日 | 藤高・藤村・牧野

 

栄光学園11期の皆様方
       
残暑お見舞い申し上げます。今年は本当に天候不順で不快な夏を過ごされたのではないでしょうか。
お変わりなくお過ごしの事と信じて居ります。
此方は昨年に引き続き、『冷夏』と『干ばつ』のダブル・パンチです。国際紛争や
風水害等の天変地異が多発しています昨今ですが、「政治の不安定と天候の不順に
相関関係が有る」と以前ある歴史学者が持論を説いていたのを思い出します。

さて、この場を借りて、私の近況報告させて下さい。此れを読まれている方の中には一部、以前既にお話したかも知れませんが、私は一昨年にATAVenturesでの直接投資から引退しました。

そのATA Venturesの事務所は今年9月末で10年のリースが満了致しますため、この程LosAltosと云う場所に移転しました。私自身のATA VenturesでのDirector Emeritusと云う立場は契約上/法律上の縛りから格別の変化は無く、此の状態は現在のところ2016年一杯続きます。

ただこの事務所移転を機会に、ATA Venturesの共同創始者のPete Thomas氏と行動を共にし、古くからの友人のKrish Panu氏と共に新たにPointguardVentureswww.pointguardventures.com 略称 PGV)と云うVCを創立しました。

私の事務所も従いましてPGV (3000 Sand Hill Rd. Bdg-3, Ste-210, MenloPark, CA 94022)内に移しました。私自身は体力的にSenior Advisorと云う立場でサポート役に徹して参ります。

そうする事で、若い起業家の皆さんと毎日接触し、最新の技術やアイデアを勉強させて貰い、出来るだけボケるのを遅らせたいと考えています。

               


近況報告(Makino_Fumikatsu)

2012年01月29日 | 藤高・藤村・牧野

牧野です。柳原君からしぶしぶバトンタッチしました。昔はス○ル○ンなどと呼ばれていましたが、今では立派な高齢者太りです。奥山君には面白い話しなどないと伝えてありますので退屈でも我慢して読んで下さい。

 

小生、大学院化学系修士を出てから東レ(当時は東洋レーヨン)という会社に入り、滋賀県大津市の研究所で、成果なく合成繊維や印写材料の開発を12年ほどやった後、東京のケミカル事業立ち上げチームに飛ばされ、開発・営業・企画・管理と内容は替わりましたが60才の定年まで東京の同じ部署に居ました。

 

必要以上の努力をせず、上司にゴマも摺らず、ひたすらゆるく生きていましたが、首にならなかったのは運が良かったせいでしょうか。その後、関係会社に拾ってもらい、慣れぬ工業技術調査を3年間もやりました。

 

退職金で故郷藤沢に何とか家も建ちましたし、本当は働きたくなかったのですが、年金満額支給が63才からだったためやむなく働きました。63才になり、やっと仕事から解放されてのんびりしはじめましたが、しばらくするとまた某商社から化学品の商売に関する技術顧問の口を頼まれ、週1回という条件で通うことになりました。ただし、10時出社の楽な勤めです。半隠居の老人には適当な暇つぶしです。

 

 とは言え、実は小生はかなり忙しいのです。定年後、会社の仕事のない日は家で3食を作る専業シェフの仕事があります。子どもは皆、独立しているので女房と二人分ですが、買い出しも含めると1日5時間くらいの労働になります。給料はでません。また、自家製ビールの醸造をやっていますので、これにも時間をとられます。教会にも通っているので、土日は特に忙しい。その合間をみて、好きな寄席にもいかなければならない。何よりも、女房の次に愛しているクラシックミニの世話をしなければならない。いやはや忙しい毎日です。その上、このようなもの書き依頼が来て大迷惑です。

 

 つらつら考えてみると、我々の世代は今の日本ではかなり恵まれた年齢層に属するわけで、子どものころ、ちょっと貧乏したくらいで、会社に入ってから波はありましたが、基本的に定年までは右肩上がりで生活レベルが上がりました。仮に20年後に年金が破綻しようと、その頃はめでたくあちらに行っているので、まさに逃げ切り世代ですね。原発放射能などちっとも怖くないのです。ただ家が海に近いので津波はちょいと怖い。

 

 健康状態も万全とはいえませんが、あと10年くらいは人並みに過ごせそうです。愛するローバーミニメイフェアには大分手をかけました。よく走りますが、下駄でアスファルトの上を駆けるような素晴らしい乗り心地と100dbクラスの車内騒音のため女房を含めて同乗してくれる人がいません。おかげで、誰に遠慮もなく6000rpmまで吹かせられます。写真を添えますが、外見上分からないところにミニ婆ちゃんのお化粧代がかかっています。ミニ~といつまでも・・・・・♪ 以上、お粗末さまでした。おあとがよろしいようで。  

                   

 次は<花島さん>にお願いします。

 

 

 


近況報告(Fujitaka_Ichiro))

2011年11月29日 | 藤高・藤村・牧野

 

持ち上げられたのか貶されたのか分かりませんが、藤村氏からのご指名なので、近況を報告します。

 

大学卒業以来、NECの半導体部門で働き、米国子会社の技術支援で頻繁にシリコンバレーに行っていました。いつ頃だったかは失念しましたが、サンフランシスコから帰国する便で、偶然に藤村氏と遭遇しました。栄光卒業の後は別の道を歩み、没交渉だった旧友とバッタリ遭遇すると言う出来事に興奮したものです。それ以来、私がNECを退職するまで、米国で公私共にお世話になりました。

 

さて、私自身ですが、NECで担当していた組織の将来構想で上司と意見が対立し、54歳の時にNECを退職、仙台に本社のあるトーキンと言う電子部品メーカーに移りました。この会社では、部品素材を利用した「電波暗室(電波の無響室)」と言う建設事業を展開しており、その設計と施工を数年間経験しました。子供の頃から、機械や電気の工作が飯より好きだった私にとっては、長い会社生活の中で一番楽しかった時期でした。

 

トーキン時代は、日本的経営に固執する老害排除のため、役員の60歳停年制を推進し、私自身も 60歳で退職しました。それ以後は、ずっと年金生活者で過ごしております。最近になり、昔世話になった会社も、日立の半導体部門との合併など、時代の荒波にもまれて大変な状況になり、のんきに年金で生活しているのが何か申し訳ない気がしています。

 

退職後は、地元の地域活動に色々顔を出すようになり、昔は全く無縁だった地域の人との人脈が広がっています。全く違う経歴をもつ近隣の人々と縁ができるのは、なかなか楽しいものです。具体的には;

・地域の病院の備品(点滴スタンド、薬品ワゴン)などの、点検、清掃のボランティア

・大地震発生時の避難所開設、運営に関わる運営委員会委員

・地域の高齢者生活支援活動

・市主催の「学習講座」でDIY教室の講師

などを頼まれ、結構忙しい日々を送っています。

 

レクリエーションは、私はゴルフはやらないのですが、海のそばで育った影響で学生時代に始めたヨットを今でも楽しんでいます。最近の若い人は体が汚れるスキーやマリンスポーツを敬遠する人が増え、ヨットハーバーも一部のお金持ちを除けば昔から顔見知りの老人ばかりになり、後継者不足に悩んでいます。

 

体の方は、3年前から前立腺癌のマーカーであるPSAが上昇し、何度も組織検査を受けさせられ、昨年やっと癌細胞が見つかりました。手術は避けて放射線治療を選択し、今年の春に治療を終え現在経過観察中。まあ、再発しても、進行が遅い癌なので、私の寿命の方が先に訪れるらしいです。

 

私個人の近況はこんなところですが、最近どうしても腹に据えかねる事があるので一言。311の大震災で被災した東電福島原発で、千種さんが詳細な経過分析をされていますが・・。事故後の飛散物質の処理について、税金が浪費されている事に憤りを感じます。

 

そもそも、今回の事故でばら撒かれた放射性物質の拡散元は「東電」でしょう。これは歴史的に考察すれば、明らかな“公害”です。でも原発を推進した政府、官庁は、天下りの受け皿になっている東電を擁護して、一切“公害”と言う言葉を使いません。その政府に嫌われたくないのでメディアも、“公害”と言う表現を使わないのでしょうか?

熊本水俣のメチル水銀化合物や、富山イタイイタイ病のカドミウムと、今回東電がばらまいたセシウムなどの放射性物質は同じでしょう。なぜ誰も「公害」と言わないのでしょう。

 

さらに言えば、各地の土壌、作物を放射線で汚染したのは、東電の原発事故が原因であることは自明です。自動車のリコールを見れば明らかなように、市場にばら撒いた問題因子を回収するのは、その因子を発生させたメーカーの責任ですよね。現在、各地で放射線で汚染された土壌や焼却灰の処理に、なぜ税金を使って苦労しているのですか?

 

冷静に考えれば回答は明らか。処理に困っていると言うこれらの廃棄物は、その拡散元の「東電」に引き取らせれば良いだけの話です。かつての公害事件では、すべてそのような解決策が取られているのに、東電の事故だけはなぜそのルールを適用しないで各自治体が苦労しているのでしょう?東電は、東京ドームが何十個にもなる広大な土地を所有しているのですから、放射線残土などを引き取る事に何の問題もないはずなのですが。

この政府主導の情報統制と東電擁護の話は先が長いので、この辺で止めておきます。

                             (藤高*一郎)

 

 

        2011/10   兵庫県玄武洞にて  手に持っているのは山登り用の杖

さて、次回の近況報告は、リモートセンシングで日本をリードしてきた、下田陽久さんにお願いします。

 


近況報告(Fujimura_Michio)

2011年11月12日 | 藤高・藤村・牧野

卒業以来、ホンの一握りの同窓生以外、お目にかかる機会が無く、近況報告と言っても増山さん同様、卒業まで遡らざるを得ません。 

大木神父様のご指導の下、卒業したら神父になる事を目指して上智の哲学科に行く予定にしていましたが、神父になる前「受験戦争経験」ぐらいはしておくべきだ、と受験した中央大学からも合格通知を受け取っていました。つまりはお袋の絶妙な策略に嵌って、神父への道を一旦棚上げして、中央大学の法律へ進みました。一つ事に嵌って仕舞う私の事ですので、今度は司法試験に大学生活を賭けてしまいます。しかし、それも卒業間際に沸き起こった「青年法律家協会」問題で日本法曹界への失望感から就職への道を選ぶことになり、入った先がイタリアの事務機メーカー、オリベッティーの日本法人です。

先の司法試験同様、矢張り一つ事に嵌った私はオリベッティーでも置かれた立場で他に負けたくない為頑張りすぎた様です。2年連続記録的な営業成績を残しましたが、其のお陰で身体を壊し、マーケティングへ移されました。でもそこは私の将来を決定付ける部署になりました。其の頃丁度オリベッティーは欧米で「電子計算機」を事務機に組み入れた商品を出した直後で、配属先は日本での販売準備を始めた最前線の部隊でした。日本での導入を模索するため、オーストラリアを始め欧米各地に此の商品の販売方法やアプリを調査に行き、無事74年に日本での販売を成功させました。此の成功は其の後、丹下健三氏がデザインしたオリベッティー港北技術センターに商品の名を冠して「TC800ビル」と呼ばれました。 

 

私自身は其の直後の75年から80年までイタリア本社中央研究所に移籍し、通信ネットワークの開発を担当すると同時に、通信ネットワークの国際標準化に絡んだり、シリコンバレーの研究所の創設を行いました。そのシリコンバレーでの経験がやがて私自身シリコンバレーに移る決意をさせて呉れました。つまり、オリベッティーの仲間数人と一緒にシリコンバレーで1983年に会社を設立致しました。此の会社(DAVID Systems社)は会社としては成功しませんでしたが、現在のITや通信に大変大きな影響を与えた10/100BaseTSwitched Ethernetといった技術を世に出しました。

 

その時の経験を生かし、1988年から15年間シリコンバレーで会社設立や資金調達等、起業家をお手伝いする仕事(Vanguard Systems Consulting社)をしました。その最後の年、つまり還暦を一年後に控え、どの様に引退生活をおくれるか悩んだ末、機関投資家より資金をお預かりする事を決め、所謂ハイテク・スタート・アップ企業に投資をするベンチャー・キャピタル(ATA Ventures社)を2004年に設立しました。現在まで$450Mの資金を運用しています。仕事柄、2019年までは現役でいなければ成りませんので、せいぜい身体には気をつけてやって行く積もりです。

 

もし私のより詳細な経歴やATAの投資先等にご興味が有りましたら、ataventures.comをお訪ね頂き、ご笑読下さい。

最後に、一時期ではありますが我々同期で唯一人一緒に仕事をし、その仕事ぶりをシッカリ拝見させて貰い、日本人には中々見かけない歯に衣着せない物言いで、私の人生に大変大きな影響を与えた藤高君に次の近況報告をお願いします。

                                (2011/11/12)  藤村道男

                         ATA Ventures のHPよりダウンロード。 右端が藤村君