栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (113) ”スノーマン(Okubo_Kiyokuni)"

2019年11月26日 | 大久保(清)

 スノーマン

 クリスマスが近づくと、外国の人たちは海外の仕事場から一斉に本国に帰り始めるが、日本政府の進める海外援助プログラムではどういうわけか、このキリスト教的、というのか、国際的な生活習慣の枠組みから外れ、クリスマスシーズンに入っても海外に出張命令が発令されることがままある。

今年もこの例にもれず、師走の北風が吹く中、成田から中継ぎ空港であるオランダ・スキポールに飛び立った。なぜ、ヨーロッパに向かっていたのか、交渉相手のヨーロッパの人たちはバカンスで、役所にはいないはずなのに。ここで思いだしてきた。一応、ヨーロッパなのだが、東方正教会に属するグルジアに向かっていたのだ。政府間で取り決めたスケジュールの変更は難しい、おまけに代役がいない一人旅。

 出発の前日まで病院の先生とやりあっていた。三十八度の高熱が続き、咳か止まらない、それも妙な音のする咳、レントゲンで影が見えたら絶対に出張をしてはいけませんと、きつく言い放たれて、X線写真を撮り終えての診察室。

ー幸いなことに影が見えません、一週間の短期出張なので許可しますと、告げられ、強烈な解熱剤を服薬してスキポール空港に降り立つと、嘘のように体が軽い。緊張感で熱が逃げだしたのかと、いくらか拍子抜けの気分でクリスマス・キャロルの鳴り響くフロアーを歩きはじめた。

一週間の旅程ゆえ、クリスマスまでに帰国できる、久しぶりに、クリスマス・プレゼントを持ち帰れると、昨晩までの肺炎騒ぎは頭から完全に消え失せ、少しばかり浮かれた心地で免税店のウインドウショッピングを開始した。いつもの定番のチョコレートも飽きたころで、何か目新しい、クリスマスらしいものはないだろうかと思いつつ、これから大切な会議があることも忘れて歩き回っていると、クリスマスの小物ばかりが並んだ小さな店を発見した。

 陳列棚の最前列には、童話の世界に引き込まれてしまいそうなスノーマンが飾ってあった。思わず手にとって値段を確かめる。とても安い、二十ユーロ。この人形たちの醸し出す不思議な雰囲気に魅せられてしまったが、幅広のアタッシュケースに着替えのワイシャツと下着のみの日帰り出張に近い軽装備ゆえ、彼らを仕舞うスペースがない。グルジア国内で移動中に手で持ち歩くのは難しそう。楽しそうな顔を見ながら、彼等にそっと話しかけてみた、

ー待っていてくれるかなーすぐに帰ってくるからさー

一週間後、スキポールに戻ってくると、小物売り場に直行する。

ーおい来たか、待ってたよーと嬉しそうにこちらを見上げてくれたスノーマンは、毎年、我が家のクリスマスの花形だ。風にゆれるマフラーはブリキ製、頭の上の黄色のお星さまは針金細工、手前のロウソク入れも、なんとなくアットホームで気に入っている。

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イレブン会(2019/11/11)写真

2019年11月14日 | ◆行事報告

 イレブン会(2019/11/11)報告

(1)日時:令和元年11月11日(日) 17:00~ 20:00

(2)場所:横浜ベイシェラトンホテル7F プライベートファンクションルーム

(3)出席者:24人   

相澤・荒木・石島・榎本・太田・奥山・川原・小島(四)・重山・銭高・田中(石)・露無・鳥居・中村(和)・中里・畑田・藤村・松井・水野・宮田・山口(隆)・山口(力)・柚木・米沢

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今回は、久しぶりの方が遠くから来てくれました

◎露無君:静岡から

◎畑田君:龍ヶ崎から

◎藤村君:アメリカから、いまは実家のある浦賀に

◎次回のイレブン会は、次の通りです

(1)日付:2020年2月11日  

(2)場所:横浜ベイシェラトンホテル7F プライベートファンクションルーム

(3)時間等の詳細は幹事から後日案内が有ると思います。

(4)大勢の出席をお待ちしています。

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きよちゃんのエッセイ (112) ”デジャビエ”(Okubo_Kiyokuni

2019年11月03日 | ◆お知らせ・行事案内

 デジャビュ

  はじめて見るのに、かつて、どこかで見たことがあるように思うのが、デジャビュ、日本語でー既視感ーというらしい。どこかで見たことがあるはずなのだが、と精神を集中させ、記憶の底を懸命にさらってみても、探し求める相手はなかなかその姿を現さない。

むかし読んだ本にとても興味深いことが書いてあった。

自然の風景は感情を持っているらしい。

ある風景を見て共感することは、その感情を共有することにすぎないとも書いてあった。―風景は感情―

景色を見ながら、そこにたたずむ人は風景の点景にすぎないとも書いてあったように思う。風景が主体で、人物は付属物。なにやらメランコリックな記述で、半分分かったような、わからないような気分で思考を停止させた。

今振り返って考えてみると、デジャビュは一人一人がもっている過去の記憶、とりわけエピソード記憶に関係している気がする。景色とそれを取り巻く個人的な感情、気持ちである。

 自然の風景を写真のように抜き取って眺めると、前にであった景色と似ているように思う場面はあったが、この時に、過去に景色を眺めた時の感情と、その景色を見ている今の感情がとても似通った瞬間に、脳ミソの記憶装置が起動し、早送りで巻き戻され、瞬間的に類似例として脳みそが指令を出すのではないだろうか。

 目の前に映る景色が過去の感情を呼び起こし、その感情が、いま目の前にある景色を、過去の景色と同化させたい願望を起させているのかもしれない、と勝手に思っている。

その時の感情と景色へのノスタルジアであろうか。

生前、終の棲家を探していた父は、農家の空き地から遥か先の山並みを眺めていると、その景色が、生まれ育った下田の山々と、とても似ていると感激したらしく、車も通らない、段々畑に囲まれた土地に住み始めた。デジャビュを身の内に取り込んで、思い出の土地と一生を終わる、思えば、幸せな人生だったのではないだろうか。

その父も亡くなり、また、デジャビュを感じたのか、初老の絵描きが古家を買いとり、アトリエとして使っているらしい。想像をかきたてて、記憶の底をゆする風景は見る人が見ればわかるのかもしれない。

こちらは、この頃、どこを見ていても昔の景色は連想されず、いつもはじめて見た気分になる。一日が終われば、眠っているうちに自動的に脳みそが、パソコン言葉で言えば、初期化され、いつも新鮮な気持ちで一日が始まる。デジャビュは起こらず、見たままの五感の感覚が、脳ミソの中で素直に吸収され、感激しながら消えていく。

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