運、不運
―運転手さん、ここは左折禁止ですよー、7時から9時までは直進してくださいー
左にウインカーを出しながら信号待ちしている乗用車に向かって、十字路の手前でわざわざ停車したパトカーから優しげなマイクの声が流れた。
これは交通違反を未然に防いでもらった運のよい人だが、同じ場所で、これとはまるで違うシーンを目撃していた。5―6人の警察官が大きな捕り物を始めるように道路の陰に潜みながら、進入禁止の時間帯に違反する車をじっと待ち伏せしていた。
日曜日のために、登校する児童はおらず、犬の散歩以外、歩く人影も見あたらなない。警察官はどんな気分で獲物を待っているのだろうか。ここでつかまる運転手さんは不運としか言いようがないが・・・
実は、こちらも、不運に遭遇したばかりである。スピード違反で覆面パトカーに捕まった。こちらの前を逃げるように離れていく運のよい車を目で追いながら、―運が悪かったなーと同乗した友達から、しきりに慰められた。
この言葉が発せられたとき、それはその人にとって重大な節目の出来事なのである。不運だね、という台詞はあまり聞きたくないが、これからもまた聞かされるはずだ。警告が出た時に、そこに至った過去の行為を振り返るか、否かで将来の運命が左右される気もする。
後悔とは、過去を思い浮かべて悔やむこと、反省とは、過去の過ちを自分なりに検証し、もう二度と過ちを犯さないように、未来に向かって決意することらしい。過去を見るか、未来を見るかの意識の違いである。罰金を悔やんでばかりいれば、未来は開かれないらしい。
パトカーのサイレンが、天国の履歴書に書き込まれてあった交通事故死の文章を消してくれたと思えば・・・、禍転じて福となるのではないだろうか。ここまで悟るのに少し時間が必要だが・・・・
これは、外国のゴルフ場で経験したことだが、まだゴルフを始めたばかりの頃、ソケットしたボールが、隣のコースの老人の頭を掠めて飛んでいった。てっきり怒鳴られるものと覚悟して、慌てて走りよると、大声で叫ばれた ―ユー、アー ラッキー(あなたは幸運な人だねー)
今考えると、あれは、未熟なコースに慣れていないプレーヤーにとって、とてもすごい言葉だったのだ、と思い返している。
運、不運は紙一重なのだ。
振り返ってみると、どちらに転んでもおかしくなかったことが多い。幸運は、喜んで終わってしまいがちだが、幸運も不運も、そう感じる場面は、その感じ方が強いほど、その人にとって重大な意味をはらんでいた時なのだ。そのきっかけに気が付くか、気が付かないかで未来が決まるかもしれない。なかなか難しいことではあるのだが。