もうすぐ5月7日がくる。岩部晃一君の命日だ。彼が亡くなったのは2000年5月7日、早いもので今年は13回忌になる。私と岩部君は栄光時代に同じ電車で通っていたこと、大学が同じだったがことなどから、社会へ出てからも時々連絡を取り合って一緒に飲みに行ったり、カラオケで歌ったりしていた。
彼は、資生堂に入社した時から新横浜近くの研究所に通い、転勤もなく優雅に自動車で通勤していた。時々右手に包帯を巻いているので、その理由を聞くと「自分の肌で実験している。肌で実験する都度、給料とは別に特別の手当てが出て結構お小遣いになるんだ。」と話していた。またなかなか結婚しない彼に「美女に囲まれた生活をしているのにどうして結婚しないのだ!」と聞くと「研究所は女性が少なくて、いるのは怖い叔母さんばかり。」と言っていた。
確か40歳の頃だと思うが、資生堂から「不老林」という育毛剤が発売された。髪の衰えが気になりだした私は、少しでも衰えを遅らせようと早速この「不老林」使ってみた。そんな折に彼と会った。彼は、前から見ると目立たないが、後頭部が薄くなり始めていた。そこで「不老林を使っているのかい?」と尋ねると「毛を生やすのは簡単だが、必要な場所だけに生やすことはかなり難しい。」というのが答だった。この答と、彼の後頭部を見て、私は「不老林」を使うのをやめた。
土曜日か日曜日だと思うが、庭で雑草を採っていると家の中から「岩部さんから電話」の声。電話に出てみると若い女性の小さな声で「・・・・が亡くなりました。」よく聞きとれなかった。彼は当時、高齢のお母さんと二人で暮らしていたので、てっきりお母さんが亡くなったと思ってしまった。それにしても「岩部君ではなくどうして妹さんからの電話かなあ。」と思って話を続けていくうちに岩部晃一君、本人が病気で亡くなったことが分かった。
全く信じられない話だった。確か去年の12月頃に会ったときは元気だったのにと思いながらすぐに上大岡の彼の家に行った。そこには、痩せて小さくて黒くなった岩部君が眠っていた。5ケ月前とは全く違い、岩部君とはわからないような衰えた姿だった。肝臓がんだった。わずか5ケ月間でこんなに変わってしまったことが信じられなかった。「何故、もっと早く知らせてくれなかったのですか?」というと妹さんは「兄から、衰えた自分の姿を見せたくない。連絡しないでくれ。」と言われていました。お母さんは「年末から疲れた、疲れたよく言っていたが、ちょうど家を建て替えていた時期なのでこれが原因かと思っていた。」「2月頃急に体調が悪くなり病院へ行った時は、手遅れだった。」と話してくれた。そのあと、どのようにして家に帰ったか覚えていない。
数日して岩部君の告別式が行われた。彼はカトリック信者だったが、仏式による横浜・弘明寺というお寺での葬儀だった。大勢の11期の仲間が参列した。参列者の中に医者の友人がいたので「資生堂という大きな会社だから定期健診や人間ドックがあったと思うが、こんなになるまで癌は発見できないものなのか?」と聞いてみた。答は、「CTスキャンでも癌の部位に当たらなければ発見できないことがある。」だった。
いま、彼は京急弘明寺駅から歩いて1~2分ところに眠っている。その後、命日近くに何回か彼のお墓に花を持っていった。お墓にお線香の跡が残っているのを見ると「彼の高齢のお母さんは、まだお元気でおられる。」と思い少しほっとする。
何度となく一緒に遊んでいながら岩部君の写真が一枚もない。かわりと言っては少しおかしいが、昨日(2012/4/22)我が家に咲いたばかりの牡丹の花の写真を掲載する。とても大きな花で、雨に打たれると花が折れそうになるので、花を支える棒だけでなく雨に当たらないように傘をさしています。
(奥山*巖)