プロポーザル (設計提案書)
―No Wayー、と言うや、タイプ原稿を後ろ手に隠すようにしたまま、綺麗な目を吊り上げて本気顏で睨まれた。タイプ修整が続き、タイピストも我慢の限界に達したらしい。もう修正は打ち止めよ、との意思表示である。
バンコックのシーロム通り、タニヤに近い事務所でプロポーザルを書いていた。
当時はワープロもなく、ホワイト液で修正箇所をマスキングし、その上にタイプを打ち込んでいく。幾度も重ねうちをしていくと、できもののように膨れあがり、今にも噴火しそうになる。今では想像すらできない手作りの時代の出来事だ。
タイピストとのやり取りはいつものことだが、国が変わると文化の違いも体験する。タイ国で始めての港湾案件であるため、表紙のデザインを外部の専門家に依頼した。パタヤに近い、本命案件の表紙は黒地の布装丁、ブルーとグリーンの文字をあつらえたとてもシックな出来栄えで、パリジャンも満足させるほどの自信作であったと自負していたのだが、現地コンサルの社長はご立腹だ。喪服で入札に行くのかと予想外の評価をうけた。ここには黒服の神父さんもシスターもいない仏教国なのだと気が付いたが後の祭り、
穴馬として準備していた案件の表紙はピカピカの白地にブルーの文字、爽やかな結婚式カラー。現地スタッフは気に入ったのか俄然、熱が入り、こちらも頑張りすぎて、タイプ修正の拒否に至ったわけである。
最盛期には、事務所の中は戦場さながらの機関銃のようなタイプの連打音が深夜まで響きわたり壮観な光景を呈していた。二週間に及ぶタイプの騒音も静まり、タイピスト同士の楽しそうな喋り声がフロアーに戻ってきたころ、ようやく印刷作業が始まった。
プロポーザルは入札までは極秘書類に属し、印刷は外注できない。ここで、事務所のゼロックスが活躍するわけだが、印刷枚数も数千枚に及び、連続運転をすればエンジンが焼け、ゼロックス作業はポンコツ自動車で箱根越えをするような熟練技が必要になる。
事務所に印刷のプロがいた。小太りの雑用係のおばちゃんは、自信満々の顔つきで急坂をグイグイとアクセルをふかし続けて登っていく。絶えず掌でマシーンの温度を測りながら、一台を冷ましつつ、二台目にゼロックス用紙を入れ、ソナーを足すたびに、エンジンのニオイをかいでいた。
印刷が終了したところで、事務所にいる全員が集合し、机の上、椅子の上は勿論、床の上も、平らな場所はどこでも、一人歩けるスペースを残し、まだ生温かい用紙を隅から順に置いてゆく。全員が一列になり、一枚ずつ拾いあげながら、グルグルと一巡し終わると最終の製本位置に積み重ねる。
原始的な製本作業だが、プロポーザルに関わった人が全員で、今までの苦労を胸の内に思い出しながら、一仕事をやりおえた充実感を分かち合うとても大切な儀式である。