栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (120) ”ダルエスサラームの一日" (Okubo_Kiyokuni)

2020年04月22日 | 大久保(清)

ダルエスサラームの一日

ここは、アフリカ、ナイロビ・オフィスの昼下がり。

モンバサ港でのコンテナターミナルの打ち合わせが空振りとなり、アフリカまで遠征して手ぶらで帰るのもなんだよなーと、二階の窓まで迫ってきた赤いブーゲンビリヤを眺めては、苦いコーヒーを口に運び、タバコに火をつけては灰皿に吸殻の山を造っていた。そんなときに、東京から電話がかかった。ダルエスサラームの零細漁業を援助すべく事業団の漁港建設の入札公示が出たらしい。

本社からの出張打診に応じたかたちで準備を始めたものの、世界地図を広げれば、ナイロビ、ダルエスサラーム間は一センチほどの距離だが、アフリカは広いのだ。豊富なヨーロッパ便に比べ、アフリカでは横への便数が少なく、ビザ取得の時間の余裕もなく、空席の出た最終便に飛び乗るようにしてダルエスに向かった。

教えられた通りに、一番左の入国カウンターに並び、パスポートにドル紙幣を挟みこみ、係官の顔を見ないように提出する。カウンターの外で心配そうに覗いていた出迎えのピーターさんは列を確認し安心した顔つきで待っている。とりあえず、ビザなしで無事に入国し、翌朝、漁港公社に表敬訪問に向かった。

驚いたことに、公社で教えられた漁港予定地は指示書に記された場所とは違う。わざわざ、時間と金をかけて現場視察する競争会社もおらず、これはアフリカまで、たまたま、足を伸ばしていたものしか知りえない特ダネ、この新事実に基づいたプロポーザルは、当然、一番札の栄誉を獲得することになる、高級マグロを釣りにはるばるケニアまでやってきたが、隣国の海岸でアジを一匹釣ってしまった心境で、今一つ達成感はなかったのだが。

炎天下、漁師の小舟がひき上げられた砂浜を歩き回り、火照った体を休めるべく、うらぶれた海辺の食堂で地元料理をつまんだ。ぬるいビールで喉を潤しつつ沖合に目をやると、これから漁に行くのだろうか、夕方のゆるい海風をうけながらダウ船が視界の中をゆったりと移動してゆく。タンザニアの首都ダルエスサラームはアラビア語でー平和の家―という意味を持ち、イスラムが全盛の時代、東アフリカの中心的な貿易港として栄えてきたとの昨日読んだばかりのガイドブックの情報を思い出しながら、のどかな海岸風景に浸っていた。

予定の現地調査を終えたその足で、空港に戻ると、昼の顏とまったく違う夜のアフリカの顏がそこにあった。国際線ロビーにはヨーロッパに遊びに行くのであろうか、酷暑の土地で着飾ることができない自慢のファッションを身にまとった紳士淑女たちが群れていた。薄暗いライトに照らされて、まるで夜の社交場の雰囲気。額に汗をにじませたレディーたちの原色のドレスと強い香水の匂いに圧倒されながら、地球の裏まで仕事探しにきたおじさんは、アフリカの昼と夜の顏にさらされてなぜか不思議な気持ちになってきた。

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【訃報】 稲熊恒司君

2020年04月17日 | ◆お知らせ・行事案内

【 栄光学園11期の皆様 】

稲熊恒司君:2019年11月10日逝去」の
訃報が入りましたのでお知らせいたします。
心よりご冥福をお祈りいたします。
        (合掌)

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きよちゃんのエッセイ (119) ”ハイフォン港へ" (Okubo_Kiyokuni)

2020年04月15日 | 大久保(清)

 ハイフォン港へ 

今ではハイフォンーハノイ間の高速道路が完成され隔世の感があるが、その昔、ハイフォンは戦争の報道写真だけから知りうる、どこか恐ろしげな場所でもあった。ベトナムへの日本援助の一号案件はハイフォン港の緊急改修に決まったとの連絡を受け、運転手の土地勘だけを頼りに期待と不安が混じりあう気持ちでその未知の土地に踏み込んでいった。

 ハノイにはフランス植民地時代の街並みがまだ健在で、伸びのびと聳え立つ南国の木々の合間から、当時を偲ばせる瀟洒な建物が顔を覗かせ、昔のままの薄黄色の壁と緑の窓枠とのコントラストが歴史のにおいを感じさせる。このレトロな町並みを30分ほど走り、紅川に架かる朽ちかけた鉄橋を渡り終わると、ハノイ市街の歴史の面影は一掃される。商店らしき建物も消え失せ、併走して走る鉄道線路に沿って単調な農村の風景が続く。

やがて、広大な水田地帯が見えてきた。空はどこまでも青く、昔話の挿絵のような穏やかな田園風景が車窓に広がっていく。田んぼでは強い日差しを浴び、農夫が二人、組になり綱にくくりつけた桶で水を掬い、隣の水田に投げ入れている。水牛が動いているのが遠くに見えるが、耳に聞こえるのは風と水の音だけ。

 途中、小さな市街地を抜ける。ハイズンと教えられる。商店街は長くは続かず、こじんまりした店がひしめき合うように軒を並べる。食堂、花や、雑貨店、モーターバイク修理、服の生地屋が目につく。車は道の角にある少し汚れた店構えのお菓子屋の前で止まった。運転手に勧められるままに落雁に似た黄色の菓子は舐めてみる。ざらざらした舌ざわり、甘く、砂糖のような、黄な粉なのかと、ベトナム食文化の初体験である。

 前方にトラックが何台も橋の袂で駐車しているのが見えてきた。物売りが車の周りに押し寄せてくる。観光地のいつものパターンである。何で止まっているか分からないままに、ベトナムの時間の流れに身を任せ、あたりの風景にからだが馴染み始めてきたころ、遠くからのんびりとした警笛音聞こえ、やがて貨物列車が近づいてきた。ここでやっと状況を理解し始める。橋梁は列車優先。

橋梁のレールの間はタイヤが落ちないように板が敷かれているが、隙間が広く、その空間からタイヤが踏み抜かれてしまうのでは、と、お尻がモゾモゾするような恐怖感を覚える。だが、朽ちかけた薄い板の上を気持ちよさそうに川風に吹かれながら、車の横を歩く村人達の表情はとても明るい。これがベトナムなのか、と文明の境界線を肌で感じつつハイフォンに近づいていった。

 沿道に立ち並ぶ木々の下をゆっくりと進んでいた車が、スルスルと木陰に停車した。すると、子供達が小枝を抱えて走りよる。木の実がたわわについている、竜眼(ライチ)だ。缶詰のライチはよく食べるが、生のライチは始めて。薄い茶色の皮に爪をたて、指に挟んで口に果肉を流し込む。とても甘い果汁、美味しい。これが、仕事の疲れを忘れさせてくれるベトナムのフルーツの味の最初の体験である。

 ハイフォンにたどり着くまでに紅河デルタにはり巡らされている河川を数回渡らねばならない。当時、この大河にかかる橋はなく、フェリーで渡るわけだが、日本のフェリーと思うと当てが外れる。錆び付いた大型の鋼製台船の舷側中央部に鉄材を張り出してエンジンを載せ、その下に推進器(スクリュー)が設置されている。エンジンは想像するに、アメリカ戦争(ベトナムの人はベトナム戦争とは言わない)当時、使っていた大型トラックのエンジン部分を取り出して再利用しているのだろうか。グリースで光る黒々とした外観はたくましく、見るからに激戦を潜り抜けた老兵の貫禄を漂わせる。

 腹に響く重いエンジンの振動音をからだで感じながら、車の脇に立ち、錆で朽ちかけた舷側に絡みつくように打ち寄せる赤茶けた泥水の動きに見入ってるうちに、船は川に流されるように弓なりのカーブを描きながら対岸に近づいていった。やがて、舳先に張り出された鉄板がコンクリートのスロープをこするようにずりあがる。強い川の流れに負けまいとエンジンを回転し続けたまま、船が完全に停止するのを待たずに、人も車も我先に下船してゆく。こちらも、車と人の群れに挟まれて押されるように対岸に上陸した。

 川沿いに古びた工場らしき建物をときおり目にするが、廃屋も多く、荒涼とした沼地にも飽き、悪路に尻を浮かせ続けてきたためか腰に痛みを覚えてきたころ、窓から吹き込む風は生暖かい湿り気を帯びてきた。車窓の風景も港町特有の明るく開放的な雰囲気に変わってきたのに気が付く。街の色合いが、くすんだモノトーンからカラーの世界に入ってゆく。カラフルな看板が目立ち始め、輸入品であろう洋酒、タバコ、色とりどりのプラスチック製品、機械製品、電気製品の店が軒を連ねている。道路幅も広がり、舗装された海岸通を大型のトラックがシクロを縫うように走り抜ける様子を見入っていると、その先に、真っ赤な花が密生する木立が見えてきた。

 ハイフォンの花、火炎樹だろう。とても情熱的な花だ。沿道に続く鮮やかな色彩を車窓から眺めているうちに、からだの疲れがゆっくりと消え、今日の目標に向かって、観光モードが仕事モードにきり変わっていく。 強い陽射しに目を細めつつ、延々と続くハイフォン港のものと思われる高いコンクリート塀をにらみながらスピードを緩め走り続けているうちに。途中、何度も、ゲートらしき場所を通過するのだが、どこが目的の事務所の入口かわからない。

運転手は車の窓を開けて、通りの人に繰り返し大声で叫んでいる。『ハイフォン港の事務所はどこか』と。

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コロナウイルスに負けずに

2020年04月10日 | 奥山
コロナウイルスに負けずに
今年も牡丹の花が咲きました。
例年より2週間ほど早く少し小さめですが
それでも大きい花は人の顔くらいになります。 春になれば必ず花は咲きます。
お互い頑張りましょう。
   
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