12月3日土曜日の朝は雨であった。12月に入ったというのに寒さは余り感じられない朝であった。
前日まで仕事に追われていた私ではあるが、6時の起床時間は身体が覚えているようだ。早々に布団を抜け出してパソコンを開く。気象庁のホームページを見るためだ。やはり前線はそれほど南へ下がっていない。午前中は雨模様、午後からは曇り空で芳しくない天気である。仕方ない。「日頃の行いのせいか」とひとり呟く。
9時半になって出発、山田君の家の前に向かう。今回の旅行計画は、初日に曽我の梅園近くの梅干自家製造の店で梅干と梅茶を買い、箱根山を途上して仙石原のススキを見て、早めに箱根大平台にある保養所に着いて温泉にゆっくり浸かり、カラオケを楽しもうという企画である。
山田夫妻と会合して、不入斗を出発する。山田君は今日も元気なようだ。体調はよいから少々の無理は大丈夫だと本人は言うが、私はそうはいかない。顔色を見ながら、楽しく話をしながら、時におじいさん好みの古い洋楽ヒット(1962年代)を聞きながら車を走らす。
逗子から海岸通りに出て、鎌倉、江の島へと進む。それほどの渋滞もなく順調だ。雨中穏やかな海ではたくさんのサーファーが楽しんでいる。どんよりの薄緑の水面に黒い点点となって見える。晴天なら遠く富士山が見えて、今からその近くまで行くのだと期待が膨らむはずなのに残念。
家内と山田君の奥さんが話し続けて、山田君と俺は黙っていて、時々話のつなぎに入るが、男と女はそんなもんだ。いつもの雰囲気が漂っているだけで落ち着くというもんだ。とかなんとか思いながら走る。
平塚は昔住んでいた所だ。自衛隊官舎があって、夏はクラスの家族を集めてキャンプをしたり、正月は箱根駅伝の応援をしたりなどと昔話をする。西湘バイパスに入って1時間半が経つ。国府津のパーキングに入って休憩、雨は上がったがどんよりのまま。昼食を取るためもあって、すぐにまた出発小田原に向かう。
計画では、国府津で降りて梅干を買うつもりであったが、箱根で時間の余裕を持つために前進する。小田原のファミリーレストランで昼食を取るともう午後1時を過ぎていた。山田君の様子をうかがうとまだまだ元気なようだ。狭い車の中で同じ姿勢で座っているのもきついものだ。ましてや運転している訳ではないので余計疲れるはずだ。そう思いながらまた出発。
湯本、塔ノ沢は、相変わらず人が多い。観光客が車道に溢れんばかりである。そこここに紅葉が見られるが、車を停めてゆっくり見物というわけにはいかない。せいぜい徐行して車窓からの景色を楽しむしかない。早川沿いの渓谷は紅葉がきれいに残っていたが、山の中腹から上はもう時期が過ぎてにぶった茶色になっていた。
大平台、宮ノ下と続く1号線を登って行く。箱根の大学駅伝の5区のコースである。この登り坂を3年連続区間賞で、特に今年1月は5人?抜きでトップでテープを切った東洋大学の柏原の脚力にすごいものだと感心しきりであった。人工の池、精進湖で車を停める。記念館に入って地獄の様を見た。管理をしているおじさん(同年齢ぐらい)と「今日は寒いね。」と話すと「これでも暖かいほうだ。今朝は3℃で冷たい雨に寒いと思ったが、いつもだと氷点下だ。」との返事であった。近くに石仏や曽我兄弟の墓などがあるが、そこをパスして芦ノ湖湖畔に向かう。
以前来た時に、サンタクロース館という所があった。芦ノ湖だったか、山中湖だったか忘れたが、その湖畔に、ドイツで働いていた人が趣味でクリスマスのかざりを集めて展示している館があった。趣味とはいうものの、種類の多さと展示の素晴らしさに感動した覚えがあり、それを是非山田君夫妻に見せたいと思った。しかし、案内所の人に聞くと、昔はあったが今はないということだった。
しかたなく、箱根の関所に行く。 土産物屋の前に車を停めさせてもらい関所見物。屋根も壁も皆黒で塗り固めた関所の建物は、何故か厳格さや冷たさを感じさせる。「入り鉄砲に出女」厳しい取り締まりを想像させ、箱根の山、天下の険を通り抜ける当時の人達の想いを連想した。
それにしても寒いや!甘酒で温めよう。ドライバーの私は遠慮!宿泊の保養所に着くまで我慢だ。どんより曇った芦ノ湖の景色に見切りをつけて、仙石原近くにある「箱根ガラスの森美術館」に向かう。 チケットを買うとカイロがついてきた。寒いんだなあ。カイロで手を温めながら
中に入ると目の前に池が広がる。その中央に光の回廊と呼ぶ橋がある。まずはそれをバックに一枚。 山田君は夫妻なのに我が家はそれぞれに写真を撮る。
(甘酒で小休止する山田夫妻と家内) (御用!御用!とおどける私)
「ヴェネチアン・グラス美術館」には、古い時代から近代に至る多くのガラス工芸品が陳列され、それぞれが精巧でその技術力の高さをしのばれる。 特に気に入った何点かをお見せしよう。
(ヴェネチアン・グラス美術館)
いずれも1600年代から1700年代の作品であり、口で空気を吹き込んで小さな部品一つ一つを作ってそれらをつないだりくっつけたりして作ったのだろうから、根気のいる仕事だろう。ちょっと失敗したら始めからやり直し、自分ならいらだってしまってとても完成品にはたどり着かないと思った。 ちょうど見学が終わったその時間にクリスマスコンサートが開かれた。「ヴェニス・セネナーデ・デュオ」というバイオリンとアコーディオンの二重奏によるコンサートである。これがまた見事であった。ほとんど聞いたことがないクラッシック音楽を演奏してくれたのだが、音色に勢いがあって聞き惚れた。
箱根の陽は早く落ちる。そうこうしているうちに日が暮れてしまった。大平台にある温泉宿「あじさい荘」に、午後5時過ぎに着いた。「あじさい荘」は以前勤めていた(株)ケーネスの所属する東京都電気工事健康保険組合の保養所で、料金が安くて、しかも温泉、カラオケ、卓球、麻雀などの娯楽施設がある手頃な宿である。
宿に着くとすぐ温泉に入った。山田君はすでに来ていて二人でゆっくり湯船につかる。ここの温泉は、弱塩泉で、冷え症やリュウマチ、神経痛、疲労回復に効くという。腰痛の私にはこたえられない効能である。山田君の病状にも案外効用があるかもしれない。そう思いながら外を見ると箱根の山肌に枯れた木々が見える。紅葉の時期であれば、美しい景色であろうが、過ぎた今は侘しい感が否めない。
山田君とよもやま話をしながらのんびりと湯に身体を浮かせていると「天国!天国!」だ。山田君の頬がほんのり紅くなっている。身体も温まって疲れも飛んだ。湯からあがるとすぐにビールを一杯。もうすぐ夕食だ。
山田君夫婦と向かい合わせに食卓を囲む。刺身に牛肉の煮物、茶わん蒸しに山菜と豪華な食事が並ぶ。夕食、朝食込みの宿泊代金一人5200円とは思えない豪華さである。山田君も大満足のようだ。ビールで乾杯した後、山田君と焼酎の湯割りをやりながら料理を楽しむ。料理を楽しんだだけでもう腹一杯。同宿のお客さんたちも愉快に話をしながら箸を運んでいた。
食事を済ませるといよいよカラオケだ。山田君はさすがに疲れたようでしばらく部屋で休んでいたようだ。奥さんと私たち夫婦の3人で始めた。何を歌ったかって?覚えていないよ。覚えられないほどたくさん歌ったもの。 他のグループの人たち、数家族で来ていた人達は麻雀、若い女性6人のグループは卓球をして騒いでいた。麻雀のグループの内の二人(ほとんど同年代)がカラオケに加わり、あとから山田君も来て6人で遅くまでカラオケに興じた。山田君が歌った美空ひばりのお祭りマンボが印象的で、あの速いテンポに少しも遅れず楽しく歌い、拍手喝采であった。
次の日の朝、昨日とは打って変わって素晴らしい晴天であった。朝風呂を楽しんで、四人で食事、こんな良い天気にそのまま帰るのはもったいないということで、箱根ロープウエイからの景色を楽しもうということになった。 桃源台まで行き、そこからロープウェイに乗って早雲山までの折り返しである。紅葉の時期には素晴らしい景色が見られる。さて12月初めの景色はどうであろうか。桃源台駅からゴンドラが動き始めるとすぐに芦ノ湖が見えて、海賊船がもうすぐ桃源台桟橋に着こうとしていた。芦ノ湖の湖面が青く、空も負けないぐらい青空である。そうこうしているとすぐ目の前に雪のかかった富士山が見えてきた。富士山と一緒にゴンドラは登って行く。姥子駅付近から見える富士山が一番大きくて近くに見えた。大涌谷駅を過ぎると下りになる。大涌谷にあがる湯けむりと富士山のコントラストも美しい。
更に遠くを見ると東京スカイツリーが見えた。ゴンドラの人の案内がなかったら気付かなかったけれど確かに見えた。それほど空気が澄んでいたのだ。年に数回しか見ることができないそうで、今日はまれにみる良い日だそうだ。早雲山駅ではゴンドラから降りずにそのまま桃源台に戻れるかと思ったら、あに図らず降ろされて順番を待つ長い列の後ろで待つことになった。畜生!しかしそこは大人だ。ぐっとこらえて再びゴンドラの席に着く。
桃源台に戻るといよいよ帰宅の道へ小田原の鈴廣の蒲鉾センターに立ち寄り、みやげをどっさり買い込んで帰宅した。さすがに疲れたのだろう。三人とも居眠り。逗子海岸から富士山を見たのは私一人だったようだ。いやいや、本当にお疲れ様でした。でも、山田君夫妻と行けた箱根温泉旅行は大成功でした。次は暖かくなって熱海に行こうと約束した。 終わり
追記
箱根に向かう途中、ちょうど箱根口を過ぎた所だったか、山田君から「すりばんって知っているか?」と突然の質問。皆キョトン!「ほら、美空ひばりのお祭りマンボで「火事は近いぞ、すりばんだ。」という歌詞があるだろう。そのすりばんの意味はなにか?」・・・・・「火事場泥棒ってあるじゃない。震災でも泥棒が出るぐらいだから火事見物でもスリが出るさ。スリのご用心の番だろう。」・・・・「違うんだな。」
「答えは「擦り半」と言って、半鐘を連続して鳴らすことさ。今晩のカラオケはお祭りマンボだな。」と山田君でした。