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栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

近況報告(Makino_Fumikatsu)

2012年01月29日 | 藤高・藤村・牧野

牧野です。柳原君からしぶしぶバトンタッチしました。昔はス○ル○ンなどと呼ばれていましたが、今では立派な高齢者太りです。奥山君には面白い話しなどないと伝えてありますので退屈でも我慢して読んで下さい。

 

小生、大学院化学系修士を出てから東レ(当時は東洋レーヨン)という会社に入り、滋賀県大津市の研究所で、成果なく合成繊維や印写材料の開発を12年ほどやった後、東京のケミカル事業立ち上げチームに飛ばされ、開発・営業・企画・管理と内容は替わりましたが60才の定年まで東京の同じ部署に居ました。

 

必要以上の努力をせず、上司にゴマも摺らず、ひたすらゆるく生きていましたが、首にならなかったのは運が良かったせいでしょうか。その後、関係会社に拾ってもらい、慣れぬ工業技術調査を3年間もやりました。

 

退職金で故郷藤沢に何とか家も建ちましたし、本当は働きたくなかったのですが、年金満額支給が63才からだったためやむなく働きました。63才になり、やっと仕事から解放されてのんびりしはじめましたが、しばらくするとまた某商社から化学品の商売に関する技術顧問の口を頼まれ、週1回という条件で通うことになりました。ただし、10時出社の楽な勤めです。半隠居の老人には適当な暇つぶしです。

 

 とは言え、実は小生はかなり忙しいのです。定年後、会社の仕事のない日は家で3食を作る専業シェフの仕事があります。子どもは皆、独立しているので女房と二人分ですが、買い出しも含めると1日5時間くらいの労働になります。給料はでません。また、自家製ビールの醸造をやっていますので、これにも時間をとられます。教会にも通っているので、土日は特に忙しい。その合間をみて、好きな寄席にもいかなければならない。何よりも、女房の次に愛しているクラシックミニの世話をしなければならない。いやはや忙しい毎日です。その上、このようなもの書き依頼が来て大迷惑です。

 

 つらつら考えてみると、我々の世代は今の日本ではかなり恵まれた年齢層に属するわけで、子どものころ、ちょっと貧乏したくらいで、会社に入ってから波はありましたが、基本的に定年までは右肩上がりで生活レベルが上がりました。仮に20年後に年金が破綻しようと、その頃はめでたくあちらに行っているので、まさに逃げ切り世代ですね。原発放射能などちっとも怖くないのです。ただ家が海に近いので津波はちょいと怖い。

 

 健康状態も万全とはいえませんが、あと10年くらいは人並みに過ごせそうです。愛するローバーミニメイフェアには大分手をかけました。よく走りますが、下駄でアスファルトの上を駆けるような素晴らしい乗り心地と100dbクラスの車内騒音のため女房を含めて同乗してくれる人がいません。おかげで、誰に遠慮もなく6000rpmまで吹かせられます。写真を添えますが、外見上分からないところにミニ婆ちゃんのお化粧代がかかっています。ミニ~といつまでも・・・・・♪ 以上、お粗末さまでした。おあとがよろしいようで。  

                   

 次は<花島さん>にお願いします。

 

 

 

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テレビ放映は延期になりました。

2012年01月17日 | 角田・露無・鳥居

先ほど、本日TBSのニュースで私事の報道がある旨、ご連絡させていただきましたが、申し訳ございません。結局、本日放映されませんでした。静岡のディレクターからは、本日入構になったのでとのお知らせをいただいたのですが。。。

フライングしてしまいました。申し訳ございませんでした。近日中にという事で、改めさせてください。
多分どなたにも貴重なお時間をつぶしてしまったなんて事はないと願っておりますが。

取り急ぎ、お詫びまで。

今井氏には、よくこういうことはあるんだよと慰めていただきました。今後、福島の復興に役立てたいと思っています。11期でご紹介頂けないかとも思いまして。。。

千種氏、今井氏など、何か似たような意識をお持ちの方がいらっしゃることが、今回のフライングで分かりました。

お詫び旁々、お礼まで。

  
 

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本日(2012/1/16) TBSニュースで研究テーマ放映予定

2012年01月16日 | 角田・露無・鳥居

本日1月16日、夕方(17時45分~19時)(詳細な時間は、ローカル扱いか、全国扱いになるのかも分かりませんが)TBSニュースで花粉症や放射性同位元素対策の白金ナノ粒子に関する小生の拙い研究と、このベンチャービジネスに関する放送があります。

但し、大きなニュースが入れば、順延になるかもしれませんが。お暇な方は、ご覧になっていただき、ビジネスでご助言等いただければ、幸甚です。

露無 慎二

特任教授/名誉教授
静岡大学農学部

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近況報告(Yanagihara_Akira)

2012年01月14日 | 柳原・山田・吉川

 

 下田君から、近況報告のバトンタッチを受けました。皆さんと同じように大学卒業時の話からスタートしたいと思います。私は法学部ですが、法曹界に進む気は全くなく、公務員試験を受けました。自治省(現総務省)を選んだのは、霞が関だけでなく地方の現場で仕事ができるのに、魅力を感じたからです。

最初の赴任地は秋田県、独身寮で大いに飲みかつ遊びました。入省6年目に奈良県の課長に出て4年過ごし、その後大蔵省の主計局に出向しました。課長補佐暮らし6年で、京都市から新しく要請がきたので行けということになりました。

 

その直前まで同和問題を担当していたので、白羽の矢が立ったのでしょう。ところが赴任するとすぐに、有名社寺の拝観者に課税する古都保存協力税を創設する話が具体化し、それから4年間悪戦苦闘の日々が続きました。市民も議会も最初は諸手を挙げて賛成でしたが、一部の社寺の強硬な反対(話すときりがないので別の機会にします。)に遭遇し、清水寺、金閣、銀閣等有力社寺が拝観停止に入る大騒動になりました。

 

そうこうするうち4年経ち次の同和対策の法改正の時期になり、また、本省へ戻れということになりました。おかげで交渉に出席した回数は延べ百回を超え、相当打たれ強くなりました

 

同対法の改正作業が終わる間もなく、国鉄解体で新たにできた清算事業団に用地処分のため出向しました。周囲は新幹線等を建設してきた優秀な技術屋さんばかりです。ぶらぶらしている内に、都心の一等地の更地売却が土地バブルの元凶という世論が強まり、別の手法を考えることになり、出番になりました。今では不動産の証券化等様々な手法が可能ですが、当時は全くありませんでした。そんな中で我が国の不動産の金融資産化の走りのような仕事をしました。次が広島県の総務部長を2年、最後の地方勤務になりました。

 

 50歳で退官し第2の人生。現在小さなカード会社の社長をしていますが、7度目のポストです。(たぶん最後のお勤めでしょう。) その間で印象に残るのは、地方公務員共済組合連合会の理事を5年、水資源機構の理事4年です、いずれも制度の転換期で、忙しいが楽しく仕事をしました。 

  

 

 仕事の話はそのぐらいにして、50歳頃から山歩きを始めました。最初の数年は関東周辺中心に歩いていましたが、そのうち何か目標をきめようという気持ちになり、3千メートル以上の峰なら全国で21座で、富士山を除けば南・北アルプスに集中しているので、目標にしました。一昨年前穂高に登り目標達成です。これからは、花や紅葉の美しい山にターゲットを絞る予定です。海外もスイスは何回か行きましたし、カナディアン・ロッキーやヨセミテもまた行きたいと思います。しかし、登山はいずれは行けなくなります。ウォーキングの方が長続きしそうなので、一昨年太田君・奥山君と西伊豆を23日で歩きました。その後三浦アルプス(意外と大変)も行っています。これから皆さん時間に余裕がでてくると思います。お互いに無理せず頑張りましょう。

                                   (柳原*瑛)

  

2010/3  西伊豆ウオークにて

 

     

右から 太田・柳原・奥山

  ◆ 小さい写真はクリックすると大きな表示になります。

 次は牧野文勝君にお願いいたします。

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近況報告(Ogawa_Masaki)

2012年01月09日 | 大久保(武)、小川(正)

奥山 巌様

土浦在住の小川です。高校卒業以来ですね。

メール有難うございます。ブログ拝見しました。

立派なブログですね。高いセンスを感じました。

せっかくお誘いを受けた3月の集まりですが、体調に問題があり、それを考えると、

現在のところ、横浜までの遠出には自信がありません。

 残念ながら欠席いたします。

 

11期のなかでは、山岳部の仲間でほぼ年1回の集りがあります。

昨年は2年ぶりに11月中旬の集まりに参加しました。僕と同じように体調万全でない桜井君も静岡から参加し、盛り上がりました。 卒業以来、マイペースでやってきましたが、いつのまにか、気が付けば、人生の峠の下り道を歩むようになっています。

藤高君や松井君、島崎君と同じNECで仕事をしたのち、名古屋大学に移りましたがそれも4年前に定年となりました。

現在は、週1日野田の東京理科大で学部生の講義などを、また、同様に週1日筑波大学で博士課程学生の面倒を見ています(といっても研究内容が難しくて僕は学生を見守っているだけですが)。

 

昨年はじめまでは、かなり広い畑を借りて野菜を作っていましたし、釣り仲間とも遊んでいました。今は自宅の法地に設けた菜園で遊んでいる程度です。

 水野君とは若いころに幻のイワナを求めて渓流釣りに行った仲です。奥山さんに紹介してもらって感謝しています。よろしくお伝えください。

不参加のメールとなり誠に申し訳ありません。

 

                               

2011年11月 家庭菜園の様子

 

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山田夫妻との箱根旅行(Sekiguchi_Susumu)

2012年01月09日 | 鈴木(武)・関口・高野

12月3日土曜日の朝は雨であった。12月に入ったというのに寒さは余り感じられない朝であった。

前日まで仕事に追われていた私ではあるが、6時の起床時間は身体が覚えているようだ。早々に布団を抜け出してパソコンを開く。気象庁のホームページを見るためだ。やはり前線はそれほど南へ下がっていない。午前中は雨模様、午後からは曇り空で芳しくない天気である。仕方ない。「日頃の行いのせいか」とひとり呟く。

9時半になって出発、山田君の家の前に向かう。今回の旅行計画は、初日に曽我の梅園近くの梅干自家製造の店で梅干と梅茶を買い、箱根山を途上して仙石原のススキを見て、早めに箱根大平台にある保養所に着いて温泉にゆっくり浸かり、カラオケを楽しもうという企画である。

山田夫妻と会合して、不入斗を出発する。山田君は今日も元気なようだ。体調はよいから少々の無理は大丈夫だと本人は言うが、私はそうはいかない。顔色を見ながら、楽しく話をしながら、時におじいさん好みの古い洋楽ヒット(1962年代)を聞きながら車を走らす。

逗子から海岸通りに出て、鎌倉、江の島へと進む。それほどの渋滞もなく順調だ。雨中穏やかな海ではたくさんのサーファーが楽しんでいる。どんよりの薄緑の水面に黒い点点となって見える。晴天なら遠く富士山が見えて、今からその近くまで行くのだと期待が膨らむはずなのに残念。

家内と山田君の奥さんが話し続けて、山田君と俺は黙っていて、時々話のつなぎに入るが、男と女はそんなもんだ。いつもの雰囲気が漂っているだけで落ち着くというもんだ。とかなんとか思いながら走る。

平塚は昔住んでいた所だ。自衛隊官舎があって、夏はクラスの家族を集めてキャンプをしたり、正月は箱根駅伝の応援をしたりなどと昔話をする。西湘バイパスに入って1時間半が経つ。国府津のパーキングに入って休憩、雨は上がったがどんよりのまま。昼食を取るためもあって、すぐにまた出発小田原に向かう。

計画では、国府津で降りて梅干を買うつもりであったが、箱根で時間の余裕を持つために前進する。小田原のファミリーレストランで昼食を取るともう午後1時を過ぎていた。山田君の様子をうかがうとまだまだ元気なようだ。狭い車の中で同じ姿勢で座っているのもきついものだ。ましてや運転している訳ではないので余計疲れるはずだ。そう思いながらまた出発。

湯本、塔ノ沢は、相変わらず人が多い。観光客が車道に溢れんばかりである。そこここに紅葉が見られるが、車を停めてゆっくり見物というわけにはいかない。せいぜい徐行して車窓からの景色を楽しむしかない。早川沿いの渓谷は紅葉がきれいに残っていたが、山の中腹から上はもう時期が過ぎてにぶった茶色になっていた。

大平台、宮ノ下と続く1号線を登って行く。箱根の大学駅伝の5区のコースである。この登り坂を3年連続区間賞で、特に今年1月は5人?抜きでトップでテープを切った東洋大学の柏原の脚力にすごいものだと感心しきりであった。人工の池、精進湖で車を停める。記念館に入って地獄の様を見た。管理をしているおじさん(同年齢ぐらい)と「今日は寒いね。」と話すと「これでも暖かいほうだ。今朝は3℃で冷たい雨に寒いと思ったが、いつもだと氷点下だ。」との返事であった。近くに石仏や曽我兄弟の墓などがあるが、そこをパスして芦ノ湖湖畔に向かう。

以前来た時に、サンタクロース館という所があった。芦ノ湖だったか、山中湖だったか忘れたが、その湖畔に、ドイツで働いていた人が趣味でクリスマスのかざりを集めて展示している館があった。趣味とはいうものの、種類の多さと展示の素晴らしさに感動した覚えがあり、それを是非山田君夫妻に見せたいと思った。しかし、案内所の人に聞くと、昔はあったが今はないということだった。

しかたなく、箱根の関所に行く。 土産物屋の前に車を停めさせてもらい関所見物。屋根も壁も皆黒で塗り固めた関所の建物は、何故か厳格さや冷たさを感じさせる。「入り鉄砲に出女」厳しい取り締まりを想像させ、箱根の山、天下の険を通り抜ける当時の人達の想いを連想した。

 それにしても寒いや!甘酒で温めよう。ドライバーの私は遠慮!宿泊の保養所に着くまで我慢だ。どんより曇った芦ノ湖の景色に見切りをつけて、仙石原近くにある「箱根ガラスの森美術館」に向かう。 チケットを買うとカイロがついてきた。寒いんだなあ。カイロで手を温めながら

中に入ると目の前に池が広がる。その中央に光の回廊と呼ぶ橋がある。まずはそれをバックに一枚。 山田君は夫妻なのに我が家はそれぞれに写真を撮る。

 

(甘酒で小休止する山田夫妻と家内)             (御用!御用!とおどける私)

 「ヴェネチアン・グラス美術館」には、古い時代から近代に至る多くのガラス工芸品が陳列され、それぞれが精巧でその技術力の高さをしのばれる。 特に気に入った何点かをお見せしよう。

 

(ヴェネチアン・グラス美術館)

 いずれも1600年代から1700年代の作品であり、口で空気を吹き込んで小さな部品一つ一つを作ってそれらをつないだりくっつけたりして作ったのだろうから、根気のいる仕事だろう。ちょっと失敗したら始めからやり直し、自分ならいらだってしまってとても完成品にはたどり着かないと思った。 ちょうど見学が終わったその時間にクリスマスコンサートが開かれた。「ヴェニス・セネナーデ・デュオ」というバイオリンとアコーディオンの二重奏によるコンサートである。これがまた見事であった。ほとんど聞いたことがないクラッシック音楽を演奏してくれたのだが、音色に勢いがあって聞き惚れた。

 箱根の陽は早く落ちる。そうこうしているうちに日が暮れてしまった。大平台にある温泉宿「あじさい荘」に、午後5時過ぎに着いた。「あじさい荘」は以前勤めていた(株)ケーネスの所属する東京都電気工事健康保険組合の保養所で、料金が安くて、しかも温泉、カラオケ、卓球、麻雀などの娯楽施設がある手頃な宿である。

 宿に着くとすぐ温泉に入った。山田君はすでに来ていて二人でゆっくり湯船につかる。ここの温泉は、弱塩泉で、冷え症やリュウマチ、神経痛、疲労回復に効くという。腰痛の私にはこたえられない効能である。山田君の病状にも案外効用があるかもしれない。そう思いながら外を見ると箱根の山肌に枯れた木々が見える。紅葉の時期であれば、美しい景色であろうが、過ぎた今は侘しい感が否めない。

 山田君とよもやま話をしながらのんびりと湯に身体を浮かせていると「天国!天国!」だ。山田君の頬がほんのり紅くなっている。身体も温まって疲れも飛んだ。湯からあがるとすぐにビールを一杯。もうすぐ夕食だ。

 山田君夫婦と向かい合わせに食卓を囲む。刺身に牛肉の煮物、茶わん蒸しに山菜と豪華な食事が並ぶ。夕食、朝食込みの宿泊代金一人5200円とは思えない豪華さである。山田君も大満足のようだ。ビールで乾杯した後、山田君と焼酎の湯割りをやりながら料理を楽しむ。料理を楽しんだだけでもう腹一杯。同宿のお客さんたちも愉快に話をしながら箸を運んでいた。

 食事を済ませるといよいよカラオケだ。山田君はさすがに疲れたようでしばらく部屋で休んでいたようだ。奥さんと私たち夫婦の3人で始めた。何を歌ったかって?覚えていないよ。覚えられないほどたくさん歌ったもの。 他のグループの人たち、数家族で来ていた人達は麻雀、若い女性6人のグループは卓球をして騒いでいた。麻雀のグループの内の二人(ほとんど同年代)がカラオケに加わり、あとから山田君も来て6人で遅くまでカラオケに興じた。山田君が歌った美空ひばりのお祭りマンボが印象的で、あの速いテンポに少しも遅れず楽しく歌い、拍手喝采であった。

  次の日の朝、昨日とは打って変わって素晴らしい晴天であった。朝風呂を楽しんで、四人で食事、こんな良い天気にそのまま帰るのはもったいないということで、箱根ロープウエイからの景色を楽しもうということになった。 桃源台まで行き、そこからロープウェイに乗って早雲山までの折り返しである。紅葉の時期には素晴らしい景色が見られる。さて12月初めの景色はどうであろうか。桃源台駅からゴンドラが動き始めるとすぐに芦ノ湖が見えて、海賊船がもうすぐ桃源台桟橋に着こうとしていた。芦ノ湖の湖面が青く、空も負けないぐらい青空である。そうこうしているとすぐ目の前に雪のかかった富士山が見えてきた。富士山と一緒にゴンドラは登って行く。姥子駅付近から見える富士山が一番大きくて近くに見えた。大涌谷駅を過ぎると下りになる。大涌谷にあがる湯けむりと富士山のコントラストも美しい。

 更に遠くを見ると東京スカイツリーが見えた。ゴンドラの人の案内がなかったら気付かなかったけれど確かに見えた。それほど空気が澄んでいたのだ。年に数回しか見ることができないそうで、今日はまれにみる良い日だそうだ。早雲山駅ではゴンドラから降りずにそのまま桃源台に戻れるかと思ったら、あに図らず降ろされて順番を待つ長い列の後ろで待つことになった。畜生!しかしそこは大人だ。ぐっとこらえて再びゴンドラの席に着く。

 

桃源台に戻るといよいよ帰宅の道へ小田原の鈴廣の蒲鉾センターに立ち寄り、みやげをどっさり買い込んで帰宅した。さすがに疲れたのだろう。三人とも居眠り。逗子海岸から富士山を見たのは私一人だったようだ。いやいや、本当にお疲れ様でした。でも、山田君夫妻と行けた箱根温泉旅行は大成功でした。次は暖かくなって熱海に行こうと約束した。                   終わり

 

追記

箱根に向かう途中、ちょうど箱根口を過ぎた所だったか、山田君から「すりばんって知っているか?」と突然の質問。皆キョトン!「ほら、美空ひばりのお祭りマンボで「火事は近いぞ、すりばんだ。」という歌詞があるだろう。そのすりばんの意味はなにか?」・・・・・「火事場泥棒ってあるじゃない。震災でも泥棒が出るぐらいだから火事見物でもスリが出るさ。スリのご用心の番だろう。」・・・・「違うんだな。」

「答えは「擦り半」と言って、半鐘を連続して鳴らすことさ。今晩のカラオケはお祭りマンボだな。」と山田君でした。
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栄光11会を開催いたします。

2012年01月04日 | ◆お知らせ・行事案内

 

大震災の年がかわり、復興の年、新たな出発の年となりました。

皆様、元気で御活躍のことと思います。

 

ところで突然ですが「栄光11会」を下記により開催いたします。

ヨコハマ中華街の雰囲気を味わいながら、懐かしい話を一緒に語り合い、

「絆」を深めましょう。大勢の方のご出席をお待ちしております。

 

ブログを開設して初めての11会で、出席される人数が想定できていません。

 会場の都合もあり<出席の可否>の早めな御連絡を幹事までお願いいたします。

 

            記

 

1.日時 :2012年3月3日 (土) 18:00~20:30

 

2.場所 :聘珍樓横浜本店 (栄光11会で予約)

  http://www.heichin.com/shop/yokohamahonten/yokohamahonten.html

   (TEL) 045-681-3001

  みなとみらい線:元町中華街駅・徒歩3分 

  JR京浜東北線:石川町駅・徒歩8分 

 

. 費用  :6,000円 

 

4.幹事  関口 進、奥山 巌

 

5.幹事への連絡方法

  アドレス帳または栄光学園の会員名簿

  ご参照のうえメール、電話、FAXでお願いいたします。

 

 

 

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新年のご挨拶を申し上げます。(Okuyama_Iwao)

2012年01月01日 | 奥山

新年のご挨拶を申し上げます。

東日本大震災と原発事故、誰もが予想していなかった1000年に1度の大惨事。心の中に大きな荷物を抱えたまま、何もしない、何もできないうちに過ぎ去ってしまった1年。何かに追い立てられ、どこか不安を抱えて過ごしていました。

 

本年は、昨年できなかったこと、置き忘れてきたものを取り返す年。健康維持を心がけながら色々なことに挑戦し、いままで経験したことがない新たな発見を探し求めて行きたいと思います。

 

栄光11会に関しては、2月末か3月上旬、横浜での開催を考えています。ブログを開設して初めての11会となりますので、出席していただける方が何人くらいなのか想定できていません。より多くの方に出席していただければと思っています。場所等の詳細が決まりましたらご連絡いたします。本年もどうぞごよろしくお願いいたします。

 

皆様方からの楽しい投稿、明るい話題の提供をお待ちしております。

 

 

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