栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

俊介歩行への道(Fujishima_Norio)

2013年05月25日 | 花島・福岡・藤島

 

藤島君から、掲題の投稿がありました。送られてきました文章は縦書きでしたが、ブログの制約により横書きに変更させて頂きました。

     

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『俊介歩行への道』

君、体重何キロある?」と主治医が言った。

個人情報に踏み込む無礼な問いに答える義務はないから、聞こえないふりをした。

彼は冷酷な口調で、「身長・体重を量ってあげて」と傍らの看護婦に命じた。彼女は以前、ウチの自治会で会計を担当してくれたことがあって、事務能力が卓越した女性として高名である。私は観念して彼女の指示に従った。

「17×、8×ですね」と彼女は数学教師の口調で言った。

「太りすぎだね。理想体重は68キロです。ダイエットしてください。血圧も尿酸値も劇的に良くなるよ」と、主治医がサディスティックな笑みをたたえて言った。「このままいくと、死ぬよ」。

この発言は、科学を学んだ人間の口にすべきものではなかろう。誰でも、呱々の声をあげたその時から、死にゆく道を歩む運命にあるのだから……。

私がウォーキングを始めた裏にはこんな事情があったのである。

歩く、となるとまず形態が大切なのは言うまでもない。

このテーマで即座に思い浮かぶのは、ノーマン・メイラーの『ぼく自身のための広告』である。

《スクエアは肩を揺すって熊のように歩く。ヒップスターは尻を振って猫のように歩く》と彼は書いていた。68年、世界中の学生が反体制運動に決起したが、その時代の空気を吸った人間としては《猫のように》歩きたい。しかし、猫の歩き方は若者の筋肉を持っていなければ腰痛を引き起こし、《デブは腹を突き出してフォアグラ鵞鳥のように歩く》仕儀となる。

次に思い浮かんだウォーキング・モデルは中村俊介だった。

『後鳥羽伝説殺人事件』に始まる内田康夫の代表作“浅見光彦シリーズ”の映像化で、かつて主役の浅見光彦を演じた役者である。身長185・バスト97・ウエスト75・ヒップ96・足27―ど恰好が良いということを改めて教えてくれる。水が流れるようという体型であるらしい。

役者の優劣は立ち姿で決まる、というのが私の持論である。試みに、何もしないで立っているだけの演技を要求されたら諸兄はどうするか。腕組みをしたり、後ろ手に構えたり、ポケットに手を入れたりと余計な動作を取り込むに違いない。

中村俊介は、自然体で立っているだけで美しい稀有の役者である。腕も背筋も、重力に逆らわずそのまま立つことが、これほに、風がそよぐように、ただ立っていることで、かれはぴたりと画面にはまってしまうのだ。

彼の歩き方が、また美しい。

その立ち姿同様、凛然悠揚、気品あふれる自然な手足の運びで、「浅見光彦」を演じた他の俳優、辰巳琢郎・沢村一樹・速水もこみち・榎木孝明らと一線を画す。

私なりの解釈では―ゆったりと、着地は踵から、つま先で地面を蹴る、靴底を引きずることはタブー、目に見えない直線を踏む形で進行する―といったところで、決してデブにとって難しい歩行法ではない。

近所を「俊介歩行」で歩く訓練をしていたら、やたらに通りすがりの女性に声をかけられる。「会長さん、(私は自治会長なのである)お元気そうですね」。おそらく、美しい歩行法が注目されたに違いない、と自信を持った。

そこで、歩行距離を延ばして、5キロほど離れた隣町の酒屋まで遠征してみた。『長兵衛』という酒が安く手に入るからである。

購入した一升瓶を下げて歩いていると、視界の片隅を自転車に乗った警察官が横切った。酒屋の近所に派出所がある。そこに所属する地域課の警官だろう。

などと考えていたら、その警官が私の進路を妨げるように自転車を止めた。私は、防犯協会の理事であり、青パト乗務許可証さえ持っている。不審尋問されるいわれはない。

「会長さん、今日はこんなところまでいらしたんですか」。声をかけてきたのは、我が町内の駐在さん(巡査部長)であった。「……さんこそ、担当でないところまで来るの? それにしても何で俺だって分かったの?」

「だって、会長の歩き方、特徴あるんだもん。最近、どうかしたんですか?」

称賛の言葉には、謙遜の無言の微笑みを返したのはいうまでもない。

帰宅して、家人に今日の出来事を自信満々報告したら、「前から忠告しようと思っていたけど、最近、あなたの歩き方は西田敏行にそっくりよ。だらしない歩き方が目立つから、駐在さんの目に留まったのよ。もっとまともに歩いたら」と、冷たく突き放された。

「西田、はないだろう。もう一声!」と哀願したら「そうね、スギちゃんかな」。

「ワイルドだろう!」で流行語大賞を受賞したお笑いタレントと同列の評価を得る栄に浴したのである。

「俊介歩行」完成への道は険しい。

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大腸のポリープを手術いたしました。(Goto_Norihiko)

2013年05月18日 | 黒川・小島(四)・後藤

 

ゴッツァンは、1944年6月に生まれたので、2012年9月には68歳になっていた。 

2002年夏に静岡で、日本児童英語教育学会全国大会に出席するために 常葉学園大学を訪れた折に脳内出血で倒れ、市内の総合病院に救急搬送された。 幸いに目立った後遺症は認められなかったが、以後10年以上にわたって地元の総合病院に通院し 循環器を専門とする内科医のお世話になっている。 定期的な検査の実施は厳格を極め、脳のMRI は言うに及ばず、胃腸の内視鏡検査も複数回ずつ体験した。

 2012年夏には、大腸のS状結腸の付近に2個のポリープの存在が確認され、いくらか涼しくなる9月に 切除することとなった。

 切除に向けての準備は絶食に始まり、さらには大量の下剤を一定の時間内に飲み干さねばならない。結果、排泄物中に固形物が認められないほどに、大腸内を「浄化」するわけである。検査着もユニークなもので、犬に着せたとすると、尻尾が飛び出すような構造である。前開きの男物パンツを後ろ前に穿く感じ。

 担当の医師は外科医で、シェアの高い国産メーカー製と思われるファイバースコープを胸の高さに構え、獲物であるこちらを待ち受けている。大腸内の様子はリアルタイムでモニターに映し出される仕組みだ。腸管の内側は、思いのほか複雑で、件のポリープになかなか辿り着かない。 やがて視野に入ると、ただちに投げ縄よろしくリングをポリープに引っ掛けて電流を流し、ポリープの麓から 焼き切る。立ち上る煙に「まるでホルモン焼きだわい」と感心していると、ジュルジュルと吸われたわがポリープは、一瞬のうちに外科医の手元に引き寄せられていた。

 ポリープの切り株にはおそらく抗生物質のようなものが噴射されたに違いないが、おおむね That's all.下血がなければ明日のお昼から食事解禁とのうれしいご託宣であった。

 土曜日の午後切除して日曜日はほぼ終日横たわっており、月曜の昼には退院という順調な過程であった。なお、病理学的所見は、「非悪性」とのことで、一安心であるが、少なくとも毎年1回の内視鏡検査を 内・外二人の医師は忘れることなく厳かな口調で義務付けた。

      

           2013年3月 同期会にて

 

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三島から旧街道を登る。(Ota_Motoo)

2013年05月11日 | 太田

  2013年4月29日、柳原君と奥山君と太田の3人で、三島から箱根の旧街道を箱根峠まで登った。天気も良く、楽しい登山であったので、この様子を報告する。

             

  

              三島駅前・ウオーキングスタート

 JR三島駅に8時40分頃到着し、9時前に三島駅前を出発する。 箱根の山にかかる前に、三嶋大社に参拝し、道中安全を祈願する。三島駅から桜川に出る。桜川沿いの小径は文学碑の散歩道になっており、なかなか洒落た企画の散歩道である。

 

       三島 桜川沿い小道

 この小径を抜けると、三嶋大社の脇に出る。この神社は、いつ参拝しても風格のある良い雰囲気の神社である。参拝の後、9時半頃、ここから、箱根街道の旧道を通り、箱根峠を目指す。良く晴れているので、富士山がきれいに見える。

 

          三島大社

 大場川に架かる新町橋を渡るが、この橋から、富士山がきれいに見える。このすぐ先から、箱根への登りが始る。本日の静岡県側の三島からの登りのコースは、旧街道の石畳も道標も良く整備されていて、分かり易く歩きやすい。同じ箱根の登りでも、神奈川県側の箱根湯本から元箱根までの登りより、遙かに良く整備されている気がする。このすぐ先で箱根旧街道に入るが、この辺りから登りにかかり、すぐ、JR東海道線の踏切を渡る。この辺りは三島市川原ヶ谷で箱根旧街道の入口であり、箱根旧街道図が掲げられており、ここから箱根峠までのルートの概略が理解できるようになっている。

 

 ここからすぐに愛宕坂にかかる。両側は民家が連なっているが、春の花が咲き誇っており、それは美しい。この坂の急な部分を過ぎた辺りから、谷田の松並木に入り、道は石畳になる。箱根旧街道は、家康の命により1608年頃に整備されたが、かなり急な部分が多く、1680年頃に石畳に改修されたとのことである。

   

    松並木と石畳  

 初音が原の木の橋を渡ると、三島市眺望地点がある。これから箱根峠まで、あちこちに同じ名前の地点があるが、いずれも、富士山がきれいに見える地点という意味のようである。

  錦田の一里塚を過ぎ、建設中の伊豆縦貫道三島塚原ICに出る。ここを渡り、すぐ先の大きな石に箱根路と刻まれた所を左に入ると、ここが箱根旧街道の続きである。 ここからしばらくは、塚原新田の集落である。大手鞠、クレマチスなどの春の花が満開で、それは見事である。おおきな楠の木があったりして、この集落の歴史を感じさせてくれる。この集落の箱根側のはずれが塚原上のバス停があり、ここからの坂道は臼転げ坂と呼ばれている。あまり急なので、牛が転んだからとか、臼が転がったからと言われている。この坂の上で一休みする。

       臼転げ坂

この次の集落は、市ノ山新田である。この集落に入ると、すぐ左手に、六地蔵があり、6体の地蔵様が2組並んでいる。 この集落を抜けると、題目坂の石段になる。この坂の名は、玉沢妙法華寺への道程を示す題目石があり、これから名付けられたと言われている。この坂を登り切ったところに、坂小学校と坂公民館がある。この辺りに妙法華寺があったとのことである。この付近に、三島眺望地点があり、富士山が良く見える。

 

         三島眺望地点

 この次の集落が三谷新田である。松雲寺という立派なお寺があり、明治天皇史蹟と彫られた大きな石碑が立っており、付近に「明治天皇 御腰掛け石」がある。三谷新田を抜けると下長坂がある。 

  この次の集落は笹原新田である。この集落を抜け、石段を登り国道1号線を渡ると、富士見平ドライブインがあり、実に大きな芭蕉の句碑が建っている。

       霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き

 ここで、一休みする。

  

 この後、石畳の道を進むと、12時半頃、山中城趾に到着する。山中城は、北条氏が小田原防御のために1580年代に創築したもので、秀吉の小田原攻めの折に17倍の軍勢に包囲され、僅か半日で落城した悲劇の城とのことである。三島市は昭和48年にこの城の前曲輪の発掘調査を行ない、貴重な学術資料を得た後、公園化した。現在はきれいに整備されている。三の丸、田尻の池、二の丸を通り、本丸跡で昼食を兼ねた休憩を取る。 1時頃、ここを発ち、箱根峠を目指す。

            山中城址

2時過ぎに箱根峠に到着する。

 このあと坂を下って、箱根関所手前のバスターミナルに2時40分頃着き、ここから急行バスに乗り、箱根湯本まで20分かからずに到着する。

  ここで一風呂浴びたあと、箱根湯本駅前の蕎麦屋で反省会を行なう。箱根湯本から、帰路に着いた。   

  今回も、楽しいウオーキングであった。

  

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第三の眼・・・心眼 (Yonezawa_Kenji))

2013年05月06日 | 米澤・渡辺(正)

 米沢君から、次の文章とともに掲題の投稿がありました。送られてきました文章は縦書きでしたが、ブログの制約により横書きに変更させて頂きました。

               

         (2013/3/24同期会にて左から 畑田君、米沢君、牧野君、今井君)

 前回、台湾の帰属問題について投稿いたしましたが、今回はグッと趣向を変えて、「予知、透視力」をテーマに話題を提供いたします。
最終部分、やや教条的な内容になってしまいますが、ご容赦ください。

拙作「八卦師」と関連ある作品です。

 予知、透視力

 第一章 予知と透視

 未来を予知するとか、透視というものが、古今東西、人々の関心を引きつけて止まなかったのは、それが摩訶不思議なものとして崇められてきたからである。それゆえ予知、透視を自認するものが後を絶たないのであるが、恐らく予知、透視を自称する人間の九十九パーセントは詐欺師かインチキ宗教の教祖といわれている。

 だがなかには、本人は公言しないものの、今日の科学では到底解明できないような霊感を持つものが実在することは事実である。そもそも未来を予知する洞察力は過去の歴史、事例をくまなく調査、分析することにより、ある程度培われるものである。卓越した洞察力により国家の危機を未然に回避し、隆盛をもたらした人物、商機を逃がさない経営者は、これに該当するといえるであろう。 

また観相についても、人事部門で永年にわたり採用を担当してきたものの多くは、僅かな面接時間で応募者のおおよそのことが判るといわれている。それは長年にわたる経験の積み重ねにより、然るべき勘が培われるからである。水晶玉を凝視し時空を超えた予知、透視をする霊能者とか、あたかも閻魔大王の台帳を盗み見てくるような摩訶不思議な占い師はともかく、あるレベルの予知、透視、観相については、一般の人間でも、それなりの修練と科学的、統計的な分析により、実現することが可能なのである。 闇夜で敵の動向を察知し、一撃を加えるには如何したらよいか。それは、自らが暗闇に身を潜め、じっと相手の動きを探り、その機会を窺うことにより達せられる。

日本海軍の夜戦による奇襲戦法は、こうした発想にもとづき具現化されたものである。だが、英米は自らが電波を発し、暗闇でも相手の動向を瞬時に察知するレーダーの開発に力を注いだ。さらにレーダーと射撃管制装置を連動させることにより、射撃の諸元を定め、真っ暗闇でも照明弾による照射をすることなしに初弾より命中させることが可能となった。昭和十七年十月十一日、米軍はサボ島沖海戦で実戦に用い、重巡「古鷹」、駆逐艦「吹雪」を撃沈、重巡「青葉」を大破、重巡「衣笠」を小破させている。一方日本海軍は、自らが電波を発して索敵するレーダーに「闇夜に提灯を掲げるようなものである」と揶揄し、当初は逆探知レーダーを積極的に活用しようと図った。

 闇夜の奇襲戦法という過去の成功体験がもたらす禍ともいえるであろう。しかし友邦(同盟前)のドイツが積極的にレーダーを運用していたので、方針を変更したといわれている。結局開発の遅れにより、日本のレーダーは、百数十キロ先の敵を探知する程度のもので、敗戦に至るまで射撃管制装置と連動させることは出来なかった。水中聴音器、すなわちソナーについてもレーダーと同じニーズで開発されたものである。

 そもそもソナーというものには、アクティブとパッシブの二種類がある。アクティブソナーは高周波の索敵音波を発し、その反射波を解析することにより目標を探知するものである。いわば水中レーダーとも言うべきものである。一方、パッシブソナーは隠密行動の際に使用するもので、ジッと海中に身を潜め、聞き耳をたて、相手の動向を探るものである。わが海軍が当初開発に傾注した逆探の水中版と思えばよい。

 人事面接のように様々な質問をすることにより、相手の人となりを探るのは、アクティブソナーであり、禅僧や八卦師のようにじっと相手を観察することにより相手の人格や運命を探るのはパッシブソナーというべきかも知れない。

  さて話は飛躍する。以下の話は『阿川弘之著 山本五十六』より引用したものである。そもそも航空機搭乗員の適性を判別するのは極めて難しいテーマで、旧海軍では一時期東大の心理学教室に依頼して、実験心理学の応用により適性検査を行ったが、結果は決して良好ではなかったそうである。その最大の理由は、適性合格となったものが、その後必ずしも伸びていかない。

 実験心理学だけでは、採用後の成長性までは判別できなかったからである。昭和十年のことである。山本五十六がまだ航空本部長で少将の頃、後年、あの特攻を始めた大西瀧治郎大佐が山本の部下として航空本部の教育部長に任ぜられていた。

 当時は訓練中の事故が多発しており、如何にしたら、操縦不適格者を事前に篩いにかけ、事故を未然に防ぐことが出来るかが喫緊のテーマだったそうである。

 ある日のこと、大西から霞ヶ浦航空隊の桑原虎雄副長のところに電話がかかってきた。電話の内容は、大西の岳父が日大付属中学(順天堂中学という記述もある)の校長をしており、其の教え子に水野義人という少し変わった青年がいる。大学は歴史科を専攻したのであるが、子供の頃から、手相骨相の研究ばかりやっていた。

 その水野という青年は、新聞記事で訓練中の飛行機が、よく落ちることを知り、操縦者の選考に何か問題があるのではないかと提言している。大西は、なんて生意気なことを言うやつだと思いながら、水野青年に会ってみたところ、彼曰く「そもそも、飛行機の操縦が出来るような特殊な人間は、手相骨相にどこか常人と異なったところがある筈である。故にこれを識別すれば、不適格者を篩いにかけることが出来る」という。そこで大西は「水野君、君ならば識別できるのか」と尋ねると、     「出来ます」と自信ありげである。というわけで、霞ヶ浦航空隊の桑原副長あてに紹介状を書くので、一度あってみてほしいというものであった。

 桑原副長は半信半疑、藁にもすがる気持ちで、その水野義人とかいう青年に、航空教官、教員、百二十数名を面接させて甲、乙、丙を付けさせたところ、なんと驚くべきことに、八十三パーセントの的中率を示したそうである。

 さらにその日の午後、飛行練習生を集めて同じように操縦者としての適性を看てもらったところ、実に八十七パーセント的中したとのことである。いままで何ヶ月も、何年もかかって適性を判定していたものが、僅か数秒の観相で的中させることが出来る水野の判断に驚きを隠せなかったそうである。やがて海軍の嘱託となった水野は、その後各地の航空隊を飛び歩き、戦争終結に至るまで、総計二十三万数千人の飛行適不適を判定した。

 この水野義人にまつわる摩訶不思議な話は続く。昭和十一年夏のこと、水野は桑原虎雄に「もう一年ぐらいすると、いくさが始まるんじゃないでしょうかネ」と言いだした。桑原虎雄は「いや、始まるとしても、あと一年なんてことは無いだろう」と反論したが昭和十二年には盧溝橋事件が勃発し、日中戦争が始まっている。

 水野の予知が現実となった後、桑原は「なぜあの時、ああいうことを言ったのか」と訊ねると、水野は「むかし自分がまだ子供のとき、手相骨相に興味を持ち始めたころ、東京で死相の出ている人間がたくさん眼についた。大阪に行くとそれが無いので、不思議に思っていると、関東大震災という未曾有の災害が起きた」というのである。

 「今度の場合は、東京の街に、ここ一、二年のうちに後家になる、いわゆる後家相をした婦人が、ひどく眼につくようになった。これは天変地異ではあるまい。いくさが始まって、夫を喪うのであろうと判断した」と答えたそうである。事実、シナ事変の初期、東京中心に編成された第一〇一師団が、上海戦線で多くの戦死者をだしている。

昭和十六年には、桑原虎雄に「戦争は今年中に始まります」と予言した。桑原は「それで、どんな具合に進むのかね」と訊ねると、水野は「初めは順調にいきます。あとの事は分かりませんが・・・」と答えた。桑原は、「どうして」と水野に訊ねると、水野曰く「書類を持って廊下を歩いている軍令部の人たちの顔の相をみると、どうもよくありません。先行きが心配です」と答えた。

それから四年後のことである。昭和二十年の七月、軍需省監理官、中将になっていた桑原虎雄は、再び水野に「君、戦争は今後どうなると思う」と訊くと、なんと水野は「来月中に終わりますよ」と言う。「何だって」桑原はびっくりして、その理由を問いただした。すると水野は、「最近特攻基地を一廻りして来ましたが、特攻隊の若い士官、下士官で死相をしている人が極めて少なくなりました。これは、戦争が終わる徴候でしょう」と答えたそうである。

水野が、判定した総計二十三万数千人のなかで、飛行適格者としながらも、「事故を起こす懸念あり」と名前に朱記し、名簿をずっと金庫にしまっておいたが、戦後になって確認したところ、やはり、その三分の二は事故で死んでいたそうである。

戦後、水野は司法省の嘱託として、調布刑務所に勤務し犯罪人の人相の研究をしていたが、間もなく、進駐軍司令部の命令で、免職となり、その後は銀座小松ストアの相談役として店員の採用や、配置についてアドバイスを行っていたそうである。

(阿川弘之著 山本五十六より引用)

この水野義人なる人物は決して摩訶不思議な霊能者というものではなく、彼の洞察力は、彼自身の永年の努力と修練の賜物であると解釈したほうがよさそうである。その証拠として挙げられるのは、戦時中、水野義人氏は余りの多忙のためノウハウを伝授した二名の助手を従えて各基地を廻ったことからも窺える。

また本人自身、自分の観相は応用統計学であると桑原虎雄に言明していることからも確かであろう。著者の阿川弘之が記述しているように、「私は水野義人の観相術が、どの程度純粋な『応用統計学』で、どの程度『超心理学的要素』をふくみ、さらにその上、催眠術や手品の部分があったのか、無かったのか、これを確言することは出来ない。それを追求するのは此の物語の役目では無さそうである」とかなり抑制された表現をされている。

だが此処で強調したいのは、「技(わざ)神技にいたる」という格言のとおり、人間はたゆまぬ努力により、神技に近いものを会得できることは確かである。芸術家、スポーツ選手、神の手を持つと賞賛される名医、優れた料理の師傅などは、まさにこれに該当するはずである。

 奈良や京都の仏像を観察すると、額に眼のようなものがあることに気がつくはずである。以前テレビでも放映されたことがあるように記憶しているが、これぞ「第三の眼」で、  「心眼」とも呼ばれているものである。この「心眼」なるものは、言い換えれば洞察力さらには、予知、透視力をも包含した能力とされている。

そもそも心眼なるものは、たゆまぬ努力と修練そして人格の陶冶による賜物とされている。以前、これまたテレビで放映されたと記憶しているが、長島や王選手の業績は持って生まれた才能だけではなく、血のにじむような努力があってこそ、あの成績が達成できたというものであった。その鍵となるものは第三の眼なるもので、150キロを超える剛球投手の球を、単に両眼だけで球筋を見極め、打ち返すことは科学的に不可能との結論であった。

それは人間の神経細胞の情報伝搬速度が、わずか秒速八十メートルに過ぎないからである。では何故そのような剛球を打つことが可能なのか。それは、人並みはずれた努力により瞬時に球筋を見極め、何処にどのような球種が来るかを予知し、反射的にスウィングすることによってのみ達成されるとのことであった。

一般的に女性関係の乱れたプロ野球選手は選手生命が短いと言われているが、それは心眼すなわち第三の眼に曇りが生ずるからである。第三の眼なるものが努力、修練、さらには人格の陶冶によってのみ研鑽されるものであり、女性関係の乱れは、これらの全てに支障をきたすからに他ならない。

さて「第三の眼 心眼」を磨くには如何したらよいか。それは決して容易なことではない。これこそ本書の究極のテーマであるが、先ずそれに先立ち、その一里塚として明日にでも実現できる「場を読み、先を見透す」手法に言及しておきたい。

「岡目八目」という言葉どおり、先を見透すためには、わが身を決してその渦中に置いてはならないことが肝要である。物事を洞察するためには、まず自らの興奮を鎮め、冷静にならなければならない。

冒頭に述べたように、闇夜で敵の動向を察知し、一撃を加えるには如何したらよいか。  それは自らが暗闇に身を潜め、じっと相手の動きを探り、その機会を窺うことにより   はじめて達せられる。

日本海軍の夜戦による奇襲戦法は、こうした発想にもとづき具現化されたものであるが、レーダーというものが出現しない限り、この発想は決して間違ってはいなかった。すなわち相手が何を考えているか察知できる夢のような究極のマシンが登場しない限り、相手が何を考え、そして何を企てようとしているか見極めるためには、ジッと静かに相手の発言に耳を傾け、その背景と真意を分析しなければならない。部下に発言させ、相手の反応を注視するのもまた一つの方法であろう。これはまさしく、レーダーとおなじ手法といえるかもしれない。

中国ビジネスに携わった者はみな経験している筈であるが、交渉を前に、先方は食事に誘ってくる筈である。食事の数時間、彼らはまず誰がキーマンか、そしてその人間が如何なる人物か、どこまでの権限を有しているか、我々の一挙一動をジッと観察し、見極めているのである。ゆめゆめ単なる接待と考えてはならない。相手はそのようなお人好しではないのである。さて交渉の席において、先方のキーマンは、あまり発言しないことに気がつくであろう。交渉の過程をみまもり、じっと耳を傾け、要所要所で短い指示を与えていることが多い。特に留意すべきは、多くの場合、キーマンはある程度日本語を解しているにもかかわらず、発言者の日本語と通訳による中国語の両方を聴き、ベリファイしていることが多い。

多くの日本の会社では、交渉の席でキーマンが自ら積極的に発言し、リーダシップを誇示しているのと対照的である。いずれが賢明か読者の方はすでに察しがつくはずである。

我々は交渉ごとに限らず、重大な決定をくだすにあたり、最終的な決断は自分が下すにしても、冷静な第三者の意見を謙虚に聴くことは、賢明な方法といえるであろう。

この第三者とは意外にも、同じ土俵に身を置く先輩や上司ではなく、自分の身近にいる  「岡目八目」的な立場にいる妻であり、部下や友人かもしれない。それゆえ、妻は勿論、友人や部下の選択には慎重さが求められることは言うまでも無い。

(中略)

第三章    本能的直感

結婚適齢期の女性が、生涯の伴侶を選択する場合、その直感的な見極めはかなり的を得ているのではないかと推察される。

女性の直感には、相手との相性、人格や品性、能力などに対する総合的な評価が包含されていると思われるが、それゆえ評価の対象となる男性にとって、相性についてはともかく、たゆまぬ自己研鑽が求められることは言うまでも無い。

見合い結婚が当たり前に時代、女性は僅かの時間内で、己の人生を左右する重大事項について諾否を表明しなければならなかった。結婚前に異性との交際もママならぬ時代、その並外れた本能的直感は、かなり的確なものであったと思われる。これこそ天が女性に賦与した能力といえるだろう。

また夜の巷で働く女性、すなわち多くのクラブのママさんは、訪れた客を瞬時に値踏みし、その客の懐具合を察知すると共に、どのホステスがその客の好みのタイプか見極めることが出来るという。これまた、永年にわたる男女の鬩ぎあいを踏破した女性達に付与された修練の賜物といえるであろう。

女性の本能的直感に関連して、ここで動物の予知能力についても言及しておきたい。地震が発生する直前に見られる動物の不可解な行動とか、港に係留中の船から鼠が逃げ出すと、其の船は無事には帰港できないと昔からまことしやかに語り伝えられてきた。

開戦直前の昭和十六年十二月のことである。クエゼリン環礁に停泊中の潜水母艦「大鯨」に横付されている「伊一七〇潜水艦」から一匹の鼠が舷梯をつたって、「大鯨」に逃げてきたそうである。これを目撃した本島大尉が僚艦「伊一六九潜水艦」の板倉光馬大尉に「昨日、母艦に横付して燃料補給をヤッチョルトとき、鼠が舷梯を伝って母艦に逃げて行きおった。火事ン時ァ、一番先に鼠がおらんようになるチュから、俺の艦はやられるかも分からんタィ。そんな時ァ、クラスのよしみで、後ば、頼むぞ・・・原文」と述べたそうである。(板倉光馬著 あ々 伊号潜水艦)

これを聞いた「伊一六八潜水艦」の富田大尉は「縁起でもないことを言うな。そんなことは迷信だ.バカバカしい」と一蹴したものの、そのとき板倉光馬大尉は、何か否定しがたい不気味な余韻がこもっていたと述懐している。果たして、「伊一七〇潜水艦」は開戦初頭ハワイ島付近で消息を絶ち、クエゼリン基地に戻ることはなかった。

戦後になって「伊一七〇潜水艦」は、十二月十日の夜明け前、空母「エンタープライズ」の急降下爆撃機により撃沈されたことが判明した。一方、鼠が逃げ込んでいった「潜水母艦大鯨」は、その後、航空母艦「龍鳳」に改装され、マリアナ沖海戦にも参加した。決して武勲ある艦とは言えなかったが、終戦まで生き残り、一九四六年、九月二十五日、呉にて解体が完了している。

鼠を始めとして、動物のかかる行動については、現代の科学レベルでは解明は到底困難かもしれないが、ゆくゆくは脳波の解析などにより、何かの手がかりが生まれてくるのかもしれない。ところで犬や猫を仔細に観察すると、いかに人間に馴れている犬猫といえども、無闇やたらに人間に近づいてくるわけではない。単に危険の有無だけではなく、相性の有無までも識別していることは明らかである。

犬猫は人間を観相により識別しているのか、それとも嗅覚により識別しているのか、あるいは、我々の知り得ない知覚により、人となりまで判断しているのかは不明である。

(中略)

第五章 「第三の眼 心眼」を培うには如何したらよいか

 すでに各章にて個別に言及しているが、要約すれば次のとおりである。

(1)自分の使命、職責に邁進し、日々たゆまぬ努力を重ね、自己研鑽に努めること。

 人には、それぞれ持って生まれた能力というものがある。生まれながら優れた能力  を授かった者もいれば、残念ながら恵まれなかった者もいるはずである。だが、まことに摩訶不思議というべきか、たゆまぬ努力により、人はそれなりに、己の欠点を克服していくことが可能である。努力は何時の日か能力を凌駕していくものなのである。自分の能力と可能性を見極め、何処に自分の努力を傾注するかは、人生を左右する重大事項と言えるであろう。

(2) 謙虚に他人の意見に耳を傾けること 友人、部下を選ぶこと

 そもそも人間は不完全なものである。これを補完してくれるのは、身近にいるものであり、すぐれた友人、部下達である。他人の意見に謙虚に耳を傾けていることにより、ゆくゆくは正しい道が見えてくるものである。

(3) 己の視点を、相手や他人からの視点に替えてみること

 これは、予知透視を究めてゆく過程においてきわめて重要な一里塚である。相手の立場に想いを馳せ、その原点を探るとともに、岡目八目的な立場により、客観的な視点から物事を鳥瞰することが肝要である。

(4) 予測と結果の検証を行うこと 

これはまた、予知透視を究めていく重要な一里塚である。起床前には、その日になすべきことを思い浮かべ、就寝前には、その日の出来事を省み、何が問題で何が欠落していたか究めなければならない。 

(5)人格を陶冶し、煩悩に惑わされないこと

 目先の小さな欲望に幻惑されないこと。崇高な精神を持ち続けることにより、煩悩より解き放たれ「第三の眼すなわち心眼」を培うことがはじめて可能となる。

(6)一芸を極めること

 人には持って生まれた「運命と分」というものがある。そもそも人間の運命というものには二つのものがあり、一つは回避することの出来ない宿命的な運命であり、もう一つは、己の努力と、研鑽により切り開いていくことの出来る運命である。宿命的な運命に対しては、人は従容として受け入れる覚悟が求められるとともに、己の努力と研鑽により切り開いてゆく運命については、血の滲むような研鑽と努力が求められることは言うまでもない。己の芸を極めていくうちに、その果実として必ずや喜ばしい成果が得られるとともに「第三の眼」が培われていく筈である。

(7)読書に勤しむこと  

 書籍は単に、知識を授けてくれるだけではなく時空を超えた師すなわち先生であり、異次元の世界を疑似体験することが出来るタイムマシンでもある。過去の偉人の思想や教訓に接することは、必ずや諸兄の人生の糧となるはずである。歴史に「イフ」がないと同じように、個人の人生においても、「イフ」は存在しない。しかし書籍は、疑似体験によるシュミレーションを可能にしてくれる筈である。我々の時間は限られている。この限られた貴重な時間を有効に活用するためには、書籍を選択しなければならない。それは友人、部下を選ぶと同じように大事なことである。

   (後略)

 

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