病院の風景(3)
ここは大学病院5階病棟のデイルーム。テーブルが六脚ほど並べられた広々とした室内は病院特有の十分すぎるほどに暖められ、おまけに、角部屋のため、三方に開けた全面ガラス張りの壁からは、青く澄みわたった冬晴れの朝の強い陽が射し込んでいた。そのあまりのまぶしさに、窓際から離れると、入り口近くの小さな丸テーブルに座りなおし、先ほどから文庫本に目を通しているのだが、気持ちを集中できずに宙ぶらりんな時間が過ぎてゆく。家人が、今、手術室にいるのだ。本をめくっては、外の景色を眺めなおし、自動販売機からのペットボトルの生茶をチビチビすすっているうちに、車いすにのった入院患者さんたちが現れはじめた。どういうわけかご婦人が多い。みな、日当たりのよい窓際の席に腰を沈めると、ケイタイを取り出し、耳に当て大声で話しだす。ここは患者さんたちだけが自由に電話ができる場所なのだ。
『え~、トルコも寒いの、暖かいと思っていたわ・・』『今日の晩ごはん、下の段の冷凍庫の奥にあるカレーを解凍して・・・・』『これから手術が入ってね、今日の連絡は無理なので、明日連絡するわ』ケイタイを口もとに近づけて、声を押え気味に話しているつもりだが、静かなデイルームに響き渡る大きな声が耳にまとわりついて、うっとうしい。5階病棟は整形外科の患者が多いためだろうか、慢性疾患を抱えた長期入院の患者さんとは違い、車いすにのっているものの、みな、回復のめどがついているせいだろうか、生活の匂いを病棟でもそのまま残し、外見はとても元気そうに見える。電話を盗み聞きしている間に、手術の終了時間が迫ってきた。座っているのももどかしく、デイルームから首を出したり引っ込めたり,家人の病室の前あたりの廊下の動きに目を配っているのだが、一向にその気配はない。たまりかねて病室の前で待機しているうちに、大勢の人に囲まれたベッドが近づいてきた。先月、診察室で見せていた童顔のやさし気な目は、一仕事を終えた精悍な目に代わっていたが、患部の処置後のレントゲン写真を見せながら、出血が少なかったので輸血はしませんよ、と言いきる先生の顔はいつもの穏やかな表情になっていた。こちらには一生一度の朝であったが、先生にとっては、今日は、少しだけ寒さの厳しいいつもの冬の朝なのだろう。