栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

栄光イレブン親睦会スタートのご案内

2018年01月22日 | ◆お知らせ・行事案内

 栄光11期各位     

    栄光イレブン親睦会スタートのご案内

皆様 お変わりありませんか!
11期の方々の中から、昨年秋の同期会の後、
集まる機会をもう少し増やして欲しい
との要望がありました。

そこで、栄光イレブン親睦会をスタートさせて、3ケ月に一回、11
期にちなんで11日に開催したいと思います。

スタート第一回目は、下記の通りに開催します。
この折りに、この会の進め方に関して
皆様の忌憚のない意見をお聞かせ頂ければと思います。

どうか、多数の皆様のご参加お待ちしております。
          

            記

1、日時    平成30年2月11日(日)12時より2時

2、場所    横浜駅相鉄口(高島屋ウラ)
          なか一 045-311-2245 です。

3、会費    5000円

発起人  山口(隆) 山口(力)       
         
なお、出席、欠席につきましては1月31日までに

太田宛にご連絡をお願い致します。

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きよちゃんのエッセイ (87)”ベトナムの昼めし”(Okubo_Kiyokuni)

2018年01月21日 | 大久保(清)

ベトナムの昼メシ

 ここの昼メシを美味いと、毎食たべているのは君ぐらいじゃないの・・、と所長にいつも冷やかされていた。ベトナム戦争は終結したが、開放経済に向け、まだ少し時間がかかる時期、ベトナム電力省の古びた庁舎の二階の一室を間借りし、将来に向けた地味地な営業活動を続けていた。

 昼メシは、学校給食のようにプラスチックの容器にいれられ、十二時に、厨房から運ばれてきた。白飯、野菜スープ、肉と野菜の炒め物、果物、コーラが付いている。毎回、具が少しずつ変るが、味付けはピーナッツ油、芥子と塩。出不精な男は外に食べに行く気がしないゆえ、この定食でそれほど不満はなかった。

 ある日、仕事から遅く戻ってきたが、予約を忘れていたために、事務机の上にいつもの少し冷めた定食が見当たらない。間に合うだろうか、かまどの火を落とさないでいてくれればと念じつつ、空腹で焦る気持ちを抑えながら裏庭を走りぬけ、向かいの建物の古びた厨房の扉を押した。

いぶり臭い油のにおいが漂う薄暗い土間にしゃがみこんだいつもの賄の婆さんは、少し驚いたような、はにかんだような、落ち着かない目で見上げてきた。あら、そうだわ、この兄さんの昼メシを届けてないねーと、思ったのか、前歯の抜けた口元をモゴモゴ動かしながら、何か喋り始めたが分からない。

ランチと言うと、そんなこと今ごろ言われてもと、少々困った顔をして見返してくる。かまどに目をやると、使い込んだ大鍋には、汁の中に野菜と肉の残り物が混ざって少しだけ底に残っている。おそらく、それで遅い昼飯を済まそうとしていたときにこちらが乗り込んできたのだろう。

 ーそれでいいよ、それを、お椀に盛ってくれればいいよーと腹ペコなからだが美味そうな鍋の匂いに抗しきれずに訴えた。 小さな明りとりの窓から差し込むくすんだ光の中で、婆さんは、アルミの椀に汁を掬ってくれる。自分にも小さな椀に汁を入れた。

 田舎の雰囲気は小説やドラマの中で知っているのだが、昔の田舎の姿であろうかまどの飯をベトナムの事務所の厨房で初めて体験する。黒光りした土間、煤けて黒ずんだ土壁の明り採り、大きな水瓶、みんな小説の世界が目の前に並べられている。薄暗い厨房のなかで、モンペ姿の婆さんと一緒に背を丸め、重そうな枕木ほどの角材に腰かけて、かまどの赤い残り火を眺めながらアルミの椀を抱えこむ。婆さんが盛大に音を立ててかっ込んだ、こちらも負けずにかっ込んだ。

 今、思い出すと面白い光景であったが、そのときは不思議と違和感がなく、お互いに沈黙をしたまま、気まずさもなかった。それから長いことベトナム人と付き合うことになったが、現地の人達と酒を飲んだあとは、いつも鍋の中に冷や飯をぶちこんだ。国が変っても、おじやの味は変らない。音を立てながら啜りあっていると、なんとなく皆の気持ちが一緒になってきたような気がした。

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きよちゃんのエッセイ (86)”水牛に乗る少年”(Okubo_Kiyokuni)

2018年01月08日 | 大久保(清)

 水牛に乗る少年

 坂の途中まで登ってきたところで急に雨脚が強くなってきた。昼食を終え、弱い霧雨の降る中、腹ごなしに港から街の中心に向かう通りを歩いている時だった。強い雨を避けようと、飛び込んだみやげ物屋の中は薄暗く、観光客も遠慮するような少し陰気な雰囲気が漂っていた。雨やどりの時間稼ぎの目で店内を見渡すと、うす汚れたランニングシャツの少年が一人、店の奥でこちらを窺っているのに気がついた。

粗雑な荒削りな木の彫刻が、中国人が好む極彩色で彩られ、壁に括りつけられた三段の棚一杯に並べられている。壁伝いに目を這わせていたが、その木彫りの陳列棚の奥に、小さな机があり、その上に黒っぽい動物らしい彫刻が二つ載っているのが目にとまった。近づいて見ると、横笛を吹いている少年が牛の背に横座りしている。大きさは二種類あり、一つは片手で握れる小さなサイズだが、もう一つは両方の掌で被える大きさである。牛には角が生えているので水牛だろう。草を食む牛の口が石版にくっつき、四本の蹄も石版に埋まっている。

 牛は磨きをかけた光沢のある仕上げであるが、少年はざらざらした地肌をそのまま残し、牛の背に乗る少年の顔は柔らかな風を受けて、微笑んでいるかのように優しい表情を見せている。少年が荒彫りであるため輪郭の強さ目立たず、牛に座る姿が何処か夢のある幻想的な雰囲気を醸し出している。先ほどから眺めてているが、この彫刻の素材が何であるか分からない。プラスチックでもなく石でもない、見たことがない光沢感。少年に尋ねてみると、何を思ったのか外に飛びだして行った。やがて、なにやら黒いものを手にして戻ってきた。石炭の塊である。

 店の主人が説明を始めた。港周辺の山は、大部分が石炭で覆われている土地であるそうだ。ホンゲイ炭と呼ばれ、日本も輸入していたこともある良質な石炭である。この話を聞いたところで、じっくりと彫刻を見つめいると、確かに、石版の部分の表面は石炭の塊を削いだような跡が残っている。あらためて手にとってみると、石炭の重さに近いが、もう少し重い石材を抱えた感触だ。

 石炭の彫刻など、近くで仕事をしながら想像すらしなかった。考えてみれば不思議な縁である。雨宿りで飛び込んだ店で思わぬものにめぐり合い、時間を忘れ覗き込み手に触れているうちに買う決心が固まった。主人が新聞紙で大事そうに何重にもくるみ、細い紐で縛ってくれる様子をジーと見ながら、何故かベトナムの心に少し触れたような気がしてきた。

 湿気の多い日本の風土が合うのか、ひび割れもなくサイドボードの特等席に納まり、素朴な彫刻家により命を吹き込まれた水牛に乗る少年は、ハロン湾の海風にのせて今日も懐かしいベトナムの調べを奏でている。

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