栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (149) ”ズン技師長”(Okubo_Kiyokuni)

2022年05月12日 | 大久保(清)

 ズン技師長

『オー、帰るんだってー』と言うような素振りで、酔いが回った真っ赤の顔のズンさんが、少しやぶにらみの親しみのこもった目でこちらに語りかけてきた。目で頷くと、『そうか、それなら、これを持っていけよ、俺の気持ちだよ』と、指輪をはずし始めた。(ズンさんは英語が全然分からない、従って、ズンさんが喋っている言葉は、彼との付き合いで体得した私の感訳である)ごつごつした太い指に食い込んでいた金色のリングにはサファイヤのような石が付いていた。もしかしたら、と一瞬ためらいながら手にすると、彼がウインクした。“そうだよー、本物じゃないかもよ~”と言う感じで。今日は丸1年一緒に働いてきたベトナムの仲間が開いてくれた内輪のお別れ会だ。ベトナムの人しか入らないハノイの一杯飲み屋の二階である。

ズンさんはベトナム技術設計院の技師長。昔の田舎の小学校のような古い木造建ての二階にある設計事務室の奥の机にいつも座っている。入っていくと“オーよく来たな”という顔で、少しいかつい顔に満面の笑みを浮かべて近づいてくる。『どうだ、そちらの設計はうまくいっているか』と言っているのだろう。いつも、彼の傍には、英語が喋れるズック君が寄り添い、肝心なポイントを通訳してくれる。

ズンさんと始めて会ったのは1年前。ベトナムと日本の設計基準について打ち合わせをした時だ。私達の説明を聞いているのか、無視しているのか、手元の資料から目をあげない。説明が終わると、少し挑戦的に、大きな声でベトナムの設計法を一つ一つ述べていく。たぶん、ソ連の設計法だろう。我々とは殆どかみ合わない。それから意地の張り合いが続いたが、しばらく意見をぶつけ合っているうちに、言わんとするところが分かり始めてくる。

この頃は、部下のズック君と設計作業を進めているが、ズンさんは、もう以前のように設計に口を挟むことがなくなった。日本の技術を認めたのか、もう十分にベトナムの面子を果たしたのか分からないが、ベトナムの人はかなりプライドが高く、真正面からの説得はかなり難しい。アメリカを相手に、勝利したあの執念は十分に納得できる。でも、懐に入ったときの心の暖かさも十分に体験出来た。

技術設計院の人たちが、一緒に働く外国人のためにクリスマス会を開いてくれたことがあった。日本チームは、一生懸命に覚えたベトナムの愛唱歌“ホーお爺さん有り難う”をベトナム語で合唱した。ズンおじさんも、後ろの席から声を張り上げて歌っていた。今、テーブルの反対側にすわり、顔をつけんばかりに大声で喋っているズン技師長とはもう二度と会う機会はないだろう。本当はもっと伝えたかったことがあったかもしれない。指輪は彼の気持ちを代弁しているのだろう。

コメント
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