栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

若かった頃の思い出(ニューギニアの巻)(第3話)オフィスボーイ達(Okubo_Kiyokuni)

2013年08月25日 | 大久保(清)

 <第3話> オフィスボーイ達 

オフィスボーイ達 

 仕事一日目、自分の文房具をカバンより机に出し、ガタガタと整理し始めていると、黒光りの顔に刺青、二の腕に刺青、それに歯も歯茎も真っ赤(現地の人が常に噛んでいるビートルナッツの赤汁で染まっている)な小男が、机の横にきた。頭に巻いた赤・緑のチェックの布地のヘアバンドが無いと、ほぼ、山の原住民。少し身構える。何だ!こいつは、と一瞬、面食らうが、刺青親父はニヤニヤしながら『Sir Tea or Coffee ?』と聞く。『Tea』と答えると、すぐに『Sugar ・ Milk』と続く。『Yes』と言うと、『One Spoon?』と聞く。この質問はよくわからないので、無言。すると、ニヤニヤして、隣の机に移っていった。後から考えると、この飲み物のオーダーへの初期対応で、日本人の文化度が値踏みがなされていたのだ。

 日本の会社と違い女子社員がお茶を入れてくれるはずがないと理解していたものの、これが、イギリス流のオフィスボーイの標準サービスなのかと納得。しかし、25名近い事務所のエンジニアー一人ひとりの注文を取るとは、さすが英国人の植民地での人使いが徹底しているなーと感じるとともに、ボーイもオーダーをよく覚えるものだと感心した。

 或る時、薄汚れた炊事場を除くと、25名分のメニューが雑紙に書かれているのを発見。Co-Team Leader Mr.Richard Tea― Milk (2Spoon), Sugar (1.5 Spoon)、4Times、ずっと下の欄に、Dominick (ドミニック』=私のこと、名前の横に、書かれた文字はTeaのみ。随分と舐められたものだ。チームリーダーの個室では、8時・10時・14時・16時の4回、注文の紅茶を入れ替えている模様。この炊事場のメニューを見た次の日から、早速、細かなオーダーを開始する。気分だけは私も英国紳士。

 このオフィスボーイは一人ひとり役目が決まっており、刺青のお茶係は、忠実にお茶のサービスに徹し、掃除係は、一生懸命、ゴミくず集め、床掃除、そして時にはお買い物引き受け。2-3ヶ月たつと、お互いに気心も少しずつ分かり始め、身振り手振りの情報交換が始まる。

        

              (製図版の前で畏まるオフィスボーイ(右側))

  仲間の情報では、刺青お茶係は、昔は、由緒ある種族(人食い土人?)の家柄との事。ニューギニアの山岳民族には、今でも、戦闘の戦利品として首狩りをすると聞いていたので、お茶のサービスで愛嬌を振りまいてくれる時も、少しばかり複雑な気持ちになったが、半年もすれば、刺青も懐かしく、刺青お茶係がいない日は、まずいコーヒーを飲み、一日仕事の調子が出ない。

 ニューギニアの現地人は、アフリカの黒人と違い、ずんぐり型、頭の毛は、ちぢれ毛で、黒いのと金髪気味の人もいる。慣れると愛嬌も或る。私の個人的意見だが、事務所で一緒に大柄なオーストラリア人がいるので、冷静に見ているが、現地人と一対一では、親近感どころではないだろう。オーストラリア等の白人が来る前は、現地人にお酒を飲む習慣が無かったみたいで、給料日にはオフィスボーイも例外に漏れず、直ぐに酒屋に行く。小さなビールの小瓶一本で、ベロベロになり、一日中ご機嫌である。2本飲めば、座り込み、仕事は不能状態。オーストラリア人は悪いものを持ってきてしまったかも。でも、酒に弱いのは、日本人も同じかも知れない。 

         

  測量用のモータボートの陸送(車係のオフィスボーイと一緒に)

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11期ゴルフ会: 2013/10/18(金)のご案内

2013年08月21日 | ◆お知らせ・行事案内

   卒業50周年記念コンペ・「11期ゴルフ大会」

豪華賞品多数ご用意! 初参加の方、歓迎!!ダブル新ペリアにつき、順位は運7分。 ちなみに、前回(5月)優勝スコアはグロス101 。

                   記

 お申込期日 9月20日(金)。幹事までご連絡ください。車でおいでの方は、「車で参加」と記してください。相乗りをお願いする場合がございますので、予めご了承ください。

1.日時  10月18日(金) アウトスタート9:07

   5組(20名)予約済

2. 集合時刻 8:30 

3. 場所  千葉よみうりカントリークラブ   http://www.yomiuri-golf.co.jp/

   〒290-0228 千葉県市原市岩字三重山14. ℡ 0436-92-2611

4.交通 

 車の場合:アクアライン経由圏央道・市原鶴舞ICから7Km10分 

 電車の場合:JR総武快速線またはJR京葉線 五井駅 タクシーで30分

 18日金曜日はクラブバスがありませんので、車相乗りでのご参加を推奨いたします。幹事が手配させていただきます。参加のご連絡の際、「相乗り希望」と記してください。(個人間でご相談していただいても結構です。その場合は、その旨記してください)

5.プレー料金:13,400円 

 プレー代7,900円+プラス割3,500円+参加費2,000円

   プラス割料金;昼食代(ソフトドリンク代込),パーティ料理代金

    参加費:2,000円(賞品と追加飲み物代)

6.その他:

 3~4名で車を相乗りすると交通費は1人当たり1,500円~2,000円

             幹事: 榎本 司郎  長島 保之  

 

      参加されない方からのメール 

参加されない方からのメールが届いています。近況報告として掲載させて頂きます。メールが届き次第増やしていく予定です。(敬称略:名前は英字表記)

(M.Fujimura)

11期ゴルフ会」の案内、有難う御座いました。生憎、10月は此方に居なければ成らない事情の為、参加が叶いません。来年の春のコンペには是非参加したいと思って居りますので、又「案内」の方よろしくお願い申し上げます。

(H.Kurokawa)
せっかくのお誘いですが、今回は不参加とさせてもらいます。昨年末に受けた大腸がん手術の影響で、未だ、腰をひねる激しい運動をすると、お腹が不安定になります。1ラウンドのゴルフは無理ですね。次の機会にまた誘って下さい。 よろしく。

(K.Yonezawa)
 ご案内有難うございます。既にゴルフの出来ない体になってしまいました。もっぱらヨルフ専門です。皆様のご活躍をしております。

 (Y.Imai)

幹事ご苦労様です。お声を掛けて頂き有難うございます。が、イギリスでのゴルフ三昧の暮らしの後、体調をこわしたこともあってゴルフから足を洗いました。もう15年になるでしょうか。
若々しくスコア向上を夢見て取り組んでいる皆さんに、ギャラリーから声援を送ります。盛会をお祈りします。

(H.Ariga)

ご案内ありがとうございました。久し振りに参加したかったのですが、残念ながら当日(10月18日)は中国に行っていて日本にはおりません。50周年記念コンペのご盛会をお祈りしています。

(T.Shigeyama)

幹事ご苦労様です。お声を掛けて頂き有難うございます。私は38歳ごろからゴルフを始めて多くのハンディキャップが得られる初期の内に優勝しようと自己流の練習をがむしゃらに行なって頑張ったのですが、プロに教えを請えない頑固な性格を貫いていたためか、優勝が最も近づいていたコンペで最悪スコアを出し、なおかつ、急勾配の斜面で空振りを2度行なった自分に腹を立てて、それ以来ゴルフは止めてしまいました。今考えると今回のような50周年記念コンペなどで深い交流ができるので、止めずに継続しておけばよかったと大変残念に思っています。・・・・・・・・・
50周年記念コンペのご盛会をお祈りしています。 

(R.Nakayama)

 もう何度か欠席をしていますが、相変わらずで一向に調子がよくありません
申し訳ありませんが 今回も欠席とさせてください。BBメーカーの方、私が出席すればBBとなれるのにご勘弁下さい。盛会をお祈りします。
  

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若かった頃の思い出(ニューギニアの巻)(第2話) 日本・オーストラリア混成チーム(Okubo_Kiyokuni)

2013年08月14日 | 大久保(清)

 < 第2話 > 日本・オーストラリア混成チーム 

 初めてポートモリスビーに到着した翌日、調査現場まで、単発のセスナ機の定期便で飛び、1週間ほど、本当に豚小屋みたいな掘っ立て小屋に泊まり、川の水を汲んだシャワーを浴びながら、本格調査の前の現地踏査を済ませてから、6ヶ月。再度、ニューギニアに入国し、いよいよ、本格的な業務が始まった。

  ご存知のように、ニューギニアは、年間雨量は6-9000mmと、非常に雨の多い国。日本の2-3倍の豪雨地帯である。この雨は、熱帯雨林を形成し、中央に連なる山々を縫うように大河に流れ込む。この豊富な流れを堰きとめ、超大型の水力発電計画が日本・オーストラリア共同で推進され、安い電力を利用した電力消費型工業団地・港湾も建設しようという壮大なプロジェクトである。

  私の仕事は港湾適地の選定、桟橋等の施設計画である。オーストラリアとのJVであるので、当然、相方はオーストラリア人。私は若輩者なので、この相方は私の直属の上司となる。名前はジョン。1m90cmはある、少し禿げてはいるが、若禿げで、多分、40歳前。気の優しいオジサン。後で気がつくが、新婚に近く、奥さんと一緒に、数ヶ月の坊やが貸家で毎日パパの帰りを待っている。日本人と違い、どんな山奥でも家族は一緒。その時は本当にうらやましいと思ったものだ。

  我々港湾班は、日本人二人、オーストラリア人二人の合計4人だが、ダム・送電線・道路等の専門家は全員で20名近く。チームリーダーは日本人一人、オーストラリア一人。両方ともCo-Team Leaderと呼ばれる。オーストラリアのリーダーはケーリーブラントなみの英国紳士、一方、日本のリーダーは後で社長になるのだが、いわゆる村の神童タイプ、東北ゆずりの、粘りと気風はひといちばい。事務所内の言葉は勿論英語。日本人同士でも英語。

  オーストラリア人同士は皆ニックネームで呼び合う。日本人名は呼びづらいとのことで、私は洗礼名の“ドミニック”と呼ばれ、同期の一人は、何故か“シャイアン”、アパッチインデアンではあるまいし、でも、シャイアンと言われると反応する。郷に入れば郷に従えだろうか、ニューギニアはオーストラリア人にとって、近くの田舎的な感覚かもしれない。皆、リラックスしているが、日本人は緊張気味。

 上司に限ったことではなく、オーストラリア人は皆でかい。1m80cm以下は少ない。Co-Team Leaderは2mあるかもしれない。そして足が長い。暑いので、全員半ズボン。しかも、英国流にハイソックス着用。彼らのサマールックは様になるが、日本人は長い胴体の下に猿股と靴がチョコチョコ動いている。これで、少々コンプレックスを感じる。英語で苦労し、スタイルで苦労し、まだ色々あるが、徐々にお知らせしましょう。事務所の勤務開始は午前7時30分、終了は4時。毎朝、Good Morning John!! ここの英語は、事務所帰りに、オーストラリア訛りで、週末には、”シー・ユー・オン・マンダーイ“ 分かります? See You On Monday ! (学校では少しは英語が自信があったがショック)

           (第3話へ続く)

         

        (日本・オーストラリア混成チーム:2列目中央が大久保君)

 

 

 

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若かったこ頃の思い出(ニューギニアの巻) (第1話)初めての外国 ニューギニア(Okubo_Kiyokuni)

2013年08月07日 | 大久保(清)

大久保清邦君から、表題の投稿がありました。初めて海外出張、しかも行った先が<ニューギニア>。未開地に出掛けたことがない私は、ついつい話しに引き込まれ、最後まで一気に読んでしまいました。ただとても長い文章ですので、大久保君の了解のもと、毎週1話ごと9回に分けて掲載することにいたしました。(奥山)

(第1話) 初めての外国:ニューギニア

(第2話) 日本・オーストラリア混成チーム

(第3話) オフィスボーイ達

(第4話) 飛行機の話

(第5話) 車の話

(第6話) 名門ワイガニ・ゴルフクラブ

(第7話) 泥棒事件

(第8話) 名コックピーター

(第9話) 女王陛下

       

     現在の大久保君(後列・右端) 「2013/4/4 競歩会コースを歩こうより」

 

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< 第1話 > 初めての外国 (ニューギニア) 

  この頃は海外旅行もそんなに緊張することも無く、大きなトランクケースを引っ張って成田や羽田空港から気軽に出かけているみたいですが、私達のまだ若い頃は、少し興奮気味で、緊張して、心細さ一杯で、国際線のゲートをくぐったものでした。

 

 私も会社に入り始めての海外出張をすることになり、近くのデパートで布地のトランクを買い(まだ給料が少なく今様の鍵のかかるトランクは無理)、食料品を一杯つめたのを思い出します。なにせ、最初の目的地はパプア・ニューギニア。皆さん、この国が何処にあるか知っていますか。ニューギニアと聞いて、密林・弓矢を持った現地人などを連想しますよね。戦中派は飢えとマラリアを思い起こすでしょう。そうなんです、私も、缶詰ばかり買い込み布地トランクのもパンパンにはち切れんばかりで、羽田空港から飛び立ちました。

 

 初めての外国、ニューギニアのジャクソン空港―ポートモリスビーに昼過ぎに到着し、必死で入管手続きを終え、トタン屋根のバラックの空港待合室まで出たものの、迎えに来る予定の上司はいません。日本人らしい人は皆無、白人と黒人だけ。同じ飛行機で到着した旅行者はみんな、迎えの車に乗り、何処かに去ってしまい、残るは私一人。座っていたベンチの回りにはジロジロと黒人の視線が集中。天井の扇風機はぎーギーと軋りながら生ぬるい風を送り、やせこけた皮膚病になった子犬がそばによって来る。ここは、――日本ではない、映画に出てくる外国、外国――と、首筋に冷や汗をかき、先輩と行き違いになるかもと、じりじりしながら30分近く待つ。少しボーっとし始めた。気温は後で知りましたが40度です。このまま、今の飛行機で日本に帰ろうかなーと半べそ状態。

 

 諦めて、気を取り直し、膨らんだトランクケースを引いて、手荷物かばんを抱え、タクシーと書いてある出口に向かう。立ち並ぶ運転手の人相を眺め、信頼できそうな、少しやぶにらみの黒人運転手に向かって、この土地で知っている唯一の言葉、泊まる予定になっている“ボロッコ・ホテル”と英語らしく言ってみる。砂交じりのシートに座り、セロテープで割れ目を覆った窓を少し開け、沿道の風景を緊張しながら見続けていた。時たまくぐる椰子の木陰を抜け、乾ききった赤茶色の道路を2-30分走り続け、真っ白いこじんまりしたホテルの前で止まった。玄関の上には確かにボロッコ・ホテルと英語で書かれている。ガラス戸の中には、白人の受付の女性が見える。“助かった!”多分、血圧は、180くらいから150-40ぐらいに持ち直し、心拍数も落ち着いてきたはず。(この血圧情報は、毎日測定している今での推定値) 

   受付に、“Is Mr.Okaji in the Hotel? ミスター岡地はいるか?”尋ねると、カウンター後ろに並んだ鍵列を見ながら、“部屋にいるよ”と英語の答え。これでやっと血圧・脈拍ともに落ち着き、外国にいるという恐怖感が少し弱まった。この感じは、多分、一人で、初めて、未開の地に立った時、皆感じる気持ちでないでしょうか。本当に、助かった、生きているという気持ちに近い安堵感です。このようなびくびく状態でニューギニアに足を下ろし、足掛け、1年半、短くて長い、南洋の国での生活が始まりました。

            (第2話へ続く)

        

         (ニューギニアの子供達と:左端が大久保君)

 

    

 

 

 

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