栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (12) ”商店街の記憶”  (Okubo_Kiyokuni)

2014年08月31日 | 大久保(清)

商店街の記憶

むかしの記憶を辿ってみると少年時代の思い出が、他の時代よりも鮮明に残っているような気がする。幼年時代の記憶はまだ人頼みのところもあり、祖母や母から聞かされた話は実体験の感覚が乏しい。こちらは小学校から高校まで神奈川県逗子市で過ごした。人口も3万人となりやっと市に昇格された頃である。

 お隣の鎌倉市は著名な文化人も数多く住み、古都鎌倉として歴史のある町である。また、御用邸を構える葉山も長い海岸線をもつ別荘地の雰囲気を醸し出しているが、両地区に挟まれた逗子市は、特にとりえもなく、人の移り変わりの少ない、のんびりとした住宅地として、東京方面への通勤客も多かった。駅前から海岸通まで続く逗子銀座商店街は店ぞろいもよく、奥様達はほとんどここで買い物をすませていた。

 この商店街を思い出していくと不思議なことに、海岸に向かって左側に並ぶ店屋ばかりが浮かんでくる。これは、興味のあった店が片側に偏っていたためである。左側は食べ物屋さんが多い。

 中華料理屋さん、蕎麦屋さん、和菓子屋さん、パン屋さん、肉屋さん、果物屋さん。駅に近いところにある『仙満亭』では毎週1回は出前を取っていたように思う。いつも、餃子と天津どんぶり。『立花』では、そば、天丼、カレーうどん、と飽きもせずに何年も続けていた。和菓子屋は『長嶋』と『三盛楼』があったが、いつも庶民的な『三盛楼』の大福と蜜団子が定番。パン屋さんの『直角堂』では一口サイズのクリーム、あん、ジャムパンが合体した三色パンとカレーパンばかり食べていた。

 食べる話はきりがないので、本屋さん。名前は『松林堂』。タダ読みするとずり落ちたメガネの上からじろっと覗いていた番台のようなチョッと高いところに座っていた少し気取った親父さんの顔が浮かんでくる。毎月、お小遣いをもらうと、おじさんの顔を気にすることなく、フクちゃんと冒険王を買い、いそいそと家に帰ってきた。木陰の縁台に寝そべり、セミの泣き声も耳に入らず読みふけっていた。

映画館が二館あった。銀座商店街の逗子銀映座、裕次郎ばかり見ていたが、便所臭い、あのニオイの感触はいまだに消えない。京急逗子駅に近いところに、逗子映画劇場があり、洋画、邦画あわせて上映していたが古いものばかりで、封切りはやはり文化の高い鎌倉の市民座まで電車に乗っていった。他に、おもちゃ屋さん『のんき屋』で記憶の収容能力が限界になり、これで高校生まで十分に楽しめたのだから、今考えてみると実にタンジュンな生活をしていたのだと思う。

長らく離れていた古巣の逗子に戻った母のお見舞いに行ったとき、昔、よく出前をしてもらったあの店に電話した。こちらが道順を説明し出すと、先方は途中まで聴いていたが、=覚えていますよ、細い道の行き止まりの家でしょ。まだ生きていましたか=と、50年前の青年が電話の向こうで応えてきた。

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届きました仲間の近況をお知らせいたします。(Okuyama_Iwao)

2014年08月28日 | ◎消息

私のところに入りました仲間の近況を掲載することに致しました。

<◎消息>というカテゴリを設定し、情報が入る都度更新していきます。

Sugiyama_Yuuzi君

私は、2012年1月に脳出血で右半身麻痺、失語症になってしまいした。

お陰様で、当初より痛み等緩和されてきましたが、今も週二日程リハビリに通っています。朝起きると身体の重みや痛みで、細胞も血液も戦っていることを感じ、生命の有り難み、不思議をも感じ入ります。

全快は無理のようですが、全快目指し、諦めず楽しく頑張っていきます。できるだけ、会にも出席したいと思っています。
よろしくお願いします。  (2014/8/26 メールにて受領

 Nagashima_Yasuyuki君

  陶芸財団展(2014年度)に入選しました。(2014/06/21)

Koyama_Tamiki君

  メールアドレスが変わりました。アドレスが知りたい方は奥山までご連絡下さい。(2014/5/28 メールにて)

Sakurai_Yasuo君

 静岡で弁護士を開業されています。(2014/5:メールにて)

Tazima_Takuya君

 2013/12に運転免許を取得。若葉マーク()をつけて柏の自宅からゴルフ場まで運転してきましたちなみに乗っている車は頑丈で有名な”ボルボ”、少しくらいこすっても大丈夫(2014/5/16:本人から聞きました。)

Yoshikawa_Shimpei君

 数年前、奥様と二人で日本橋⇒京都を歩いたことは聞いたことがありましたが、今回は一人で京都⇒日本橋を歩ききりました。「奥の細道踏破」の太田君に続いての快挙です。(2014/5/16:本人から聞きました。)

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秋の11期ゴルフ大会(2014/10/14・金)のご案内 (Araki_Itaru)

2014年08月26日 | ◆お知らせ・行事案内

暑さきびしい折いかがお過ごしですか。恒例の11期ゴルフ会を

下記にて計画しておりますので奮ってご参加願います。



            記

 日時 :10月17日(金) 9:20スタート  8:30集合

 コース:千葉よみうりカントリークラブ *(5組予約済み)
      〒290-0228 千葉県市原市岩字三重山 1番地
       Tel 0436-92-2611

          http://www.yomiuri-gorf.co.jp

 概算費用 :

 (1)プレーフィー 

  7,076円+プラス割り+ 3,500円(昼食代+パーティ代)
    各自でお支払いください。

  (2)参加費  2,000円(賞金+追加飲み物代)

    幹事が徴収します

 競技方法 :ダブルぺリア・ストロークプレー

  (各ホールの打数:無制限、ハンディ上限50)

 申込期日 :9月20日(土)

お願い :当日コースまでの交通手段をお知らせください。

   17日金曜日はクラブバスがありませんので車の相乗りを

    お願いすることになりますので幹事が調整に努めます。
                                    
幹事 :荒木 之、長島保之   

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名簿確認について (Okuyama_Iwao)

2014年08月20日 | 栄光学園同窓会

 

栄光学園11期の皆様

 

先日、メール及び栄光11会ブログにてご案内いたしましたが、

栄光学園同窓会より各期委員宛に別紙「名簿データ留意事項」及び「名簿訂正要領」

により名簿データの開示意思と記載事項の確認依頼が来ました。

 11期の対応方法を、太田元夫・奥山 巌・後藤典彦で打ち合わせを行い、

分担して電話により確認を行うことにいたしました。

 

確認する項目は、同窓会から配布されてきます「本:会員名簿」の取扱(*1)

及び記載項目です。

 

 (*1) 取扱

◆不掲載……同窓会名簿に記載しない

◆非公開……委員、同期生にも開示しない。

       (住所・電話・勤務先・学歴ごとに指定できる。)

 

個人情報を取り扱いますので、慎重に対処いたします。皆様方のご協力、

ご支援をお願いいたします。

 

                2014年8月20日

            栄光学園11期同窓会委員 太田元夫、後藤典彦

            栄光11会幹事      奥山 巌、関口 進

 

                    <以上>

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EACON・11期グループに登録させていただきました。(Okuyama_Iwao)

2014年08月13日 | 栄光学園同窓会

EACON・11期グループに登録させていただきました。

栄光学園11期の皆様

本日(2014年8月13日)メールアドレスがわかる方
(;EACONについて連絡した方)全員を

11期グループに登録させていただきました。


ご異議のある方は奥山までご連絡ください。
すぐに対応させていただきます。

 

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EACON名簿確認のお願い  (Okuyama_Iwao)

2014年08月12日 | 栄光学園同窓会

EACON名簿確認のお願い 

栄光学園11期の皆

皆様は、EACONを実際に使用されていますか。自分のプロフィールの確認をしていただけたでしょうか。

 栄光学園同窓会から、11期同窓会委員の後藤典彦君、太田元夫君宛に
11期全員の名簿登録情報の確認依頼が来ています。

名簿管理は、同期会委員が担当するものではなく、自分の情報は自分で管理することが基本だと考えます。EACONに登録されていますプロフィール確認をお願いいたします。

また、EACONには、個人のプロフィールだけでなくグループ機能があり、
各期やクラブ活動ごとにグループを設定しグループ内での情報交換ができるようなっています。
現在11期グループのメンバーは太田・奥山の2名だけになっています。

今回、メールアドレスが分かる全員を11期グループに登録させていただくことにいたしました。


ご異議がある方は、奥山までご連絡ください。
すぐにグループ対象外とさせていただきます。

 

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激動下に於ける財産保全を模索する(Yonezawa_Kenji)

2014年08月04日 | 米澤・渡辺(正)

激動下に於ける財産保全を模索する

 

古今東西、国債が永久に償還され、また兌換券が永久に金貨や銀貨に兌換され続けた事例は皆無である。

そもそも国債とか兌換券なるものは、極言するならば、ババ抜きのようなもので、いつか誰かが、ババを掴むことになるのは必定である。

では何故人々は愚かにも、国債を買い続け、兌換券を兌換しないで保有するのであろうか?

それは国債というものは、その時々において、それなりに魅力的な利息が付与されるからであり、また兌換券は取引や保管、持ち運びに便利だからであろうか。

小学校4年生の時である。豪邸に住む同級生の自宅に招待されたことがある。

 そこで、「一圓兌換券」の札束を見せられてビックリした。お札には「本券を以て一圓銀貨と交換する」という内容が書かれていることが理解できた。もし、この札束をすべて銀貨に換えていたならば、彼の家はもっとお金持ちになっていたに違いないと惜しまれた。

兌換券はいつしか兌換に制限が設けられたり、兌換手数料が差し引かれたりすることが多いという。今日でも似たような例がある。銀行で金取引を始めると、一冊の「金通帳」が交付される。単位は¥ではなくグラムである。投資家は金相場の安い時に買い、高くなったら売却することが出来る。現物を介することなく、すべて通帳上で行うことが出来る。

もし現物を手にしようとすると、まず本店に赴かなければならないし、現物への交換額が多量の場合、事前連絡が必要である。また現物を手に入れる場合、かなりの手数料が必要となる。したがって僅かな金相場の変動では、到底手数料を吸収することはできない。

ゆえに僅かな利ザヤを目的とする賢い投資家にとって、通常は現物を保有することはない。満州国国務院総務長官の「武部六蔵」の手記に以下のような記述がある。

「満州国は1932年の建国以来、銀本位制を採用した。1934年銀相場の高騰にともない、兌換券を銀貨に交換しようとする人々が、中央銀行に殺到した。あわや銀貨が底をつきそうになったとき、交換カウンターから、よく見える場所に、銀貨の箱を山のように積み上げたところ、兌換請求のパニックは終焉した。だが、結局1935年4月満州国は銀本位制を廃し、管理通貨制に移行することになった」

恐らく、豪邸に住む同級生の両親も、兌換券を銀貨に兌換することなく持ち続けているうちに、不換紙幣となり、やがて紙切れとなってしまったと推察される。

兌換券が、ある日突然不換紙幣になってしまっても、今迄通りそのまま通貨として通用する以上、その時点では、あまり抵抗感はない。だが、いつしかインフレの波が襲ってきて紙切れとなってしまう。これぞ兌換券の末路である。あの時銀貨に換えておけばと悔やんでも後の祭りである。

以下も、満州に纏わる実話である。ある日本人が大連で料亭を経営していた。

(厳密にいうならば大連は満州国ではなく、大日本帝国関東州である)この料亭は、関東軍や満鉄の御用達で繁盛を極めたそうである。面白いように儲かり、東京の赤坂に、一軒家が買えるほどのお金がたまったそうである。彼は、日本人だけではなく満人の従業員に対しても、働きに応じ充分な手当てを支給した。満人たちは、お金がたまると、すぐに翡翠の腕輪や玉細工を買い込んでいた。

一方、彼はいずれ店をたたんで内地に引揚げる算段をしていたが、残念ながらそのタイミングを誤った。敗戦後、料亭は接収され、彼は無一文となってしまった。幸い、満人の従業員を手厚く遇していたので、衣食には不自由しなかったが、身一つで日本に戻ってきたとのことである。

 さて国債について言及するならば、様々な専門家がいるので、ここではコメントを差し控えたいが、ある書物によれば、「日本の経常収支が黒字で、日本の国債が国内で消化されている限り国債は暴落しないという者がいるが、一国の経常収支の問題と、財政が破たん状態にあることとは全く別問題で、これを混同しているものが多い」と指摘している。

さらに「日本国債の暴落が、いつ起こるか誰にも分からない。明日かもしれないし我々が生きている間に起らないかもしれない。だが、このまま何事もなく済むことはありえない」とのご託宣である。          

                                       完

        

              (2014/7/25  飲み会にて)

 

 

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