禁煙
タバコのにおいがこんなにも不快なものだとは知らなかった。
10mほど離れて先を歩いている人のタバコのにおいを感知するや、煙の通った道筋のにおいが消え去るまでしばらくやり過ごしてから、おもむろに歩き出す。人は変れば変るものだ。昔のことが夢のようである。
家人に言われるまで気が付かなかったが、食事風景の写真を眺めてみると、例外なく、右手の指先からタバコの煙がたなびいていた。
昼休みのチャイムが鳴るころ、一箱目がなくなり、6時、二箱目も空になり、今日も残業か、と暮れなずむ窓の景色をながめつつ、おもむろに引き出しを開け、3箱目を取り出してニコチンの補充をする。夜のお誘いの声がかかれば、そのまま飲み屋に流れ込み、十八番のカラオケを予約し終わると、お姉さんにもう一箱と小銭を握らせて、これで4箱目だ。
タバコが切れると禁断症状に陥り思考が停止する。かろうじて形が残る潰れかけた吸い殻をほじくり出しては火をつける。タバコが安サラリーマンを優しく慰めてくれる、お友達値段であった時代、引き出しにため込んだカートンの残量を確かめながら、ひたすら精神の安定を保っていた。
社内で楽しく喫煙を続けているうちに、グローバル化の波が身辺にも迫り、ついに国際線が禁煙になってしまった。ヨーロッパ線の長時間フライトでは、火のつかない煙草をくわえ、フィルターをビチャビチャにさせ、禁煙パイポを何本食いちぎったことか。
だが、禁煙への締め付けが厳しかったあの時代、愛煙家にやさしい航空会社があった。エアーフランスである。機内での喫煙が禁止されてからも、個人主義のお国柄なのか、スチュワーデスさんは堂々とギャレーで喫煙を楽しんでいた。たまたま、それを目撃してからは、こちらもカーテンの中でアマゾネス軍団に囲まれて、いつも小さくなってニコチンを吸い込んでいた。
それから、キシリトールのガムを噛みすぎて胃に変調をきたし、メンソールタバコに変えていた期間が、どのくらい続いただろうか、風邪をひき、咳がひどくなんとなく一週間ほどタバコを吸う気持ちがわかず、気が付くとタバコに目が向かなくなっていた。あれほど禁煙、禁煙と格闘していたのに、なにやら自然消滅に近い結末である。
ワルモノ扱いされるようになってきたタバコにも良いところがたくさんあった。
焚き火を囲むように、小さな煙の輪に加わり、笑い、愚痴り、仲間意識を高め、気まずい空気もほぐしてくれた。初対面の人との会話のきっかけはタバコの火をもらうところから始まった。目の前の灰皿を共有し、お互いに手がぶつからないように息を合わせていたものだ。
里山の散歩の途中、切り株に腰掛けて、気持良さそうに一服しているご老人の姿を見かけると、『最後までうまそうに吸っていますなー』、と、なぜか声をかけてみたくなる時もある。もう吸う気はないのだが。