栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (98)”禁煙”(Okubo_Kiyokuni)

2018年10月24日 | 大久保(清)

 禁煙

  タバコのにおいがこんなにも不快なものだとは知らなかった。

10mほど離れて先を歩いている人のタバコのにおいを感知するや、煙の通った道筋のにおいが消え去るまでしばらくやり過ごしてから、おもむろに歩き出す。人は変れば変るものだ。昔のことが夢のようである。 

家人に言われるまで気が付かなかったが、食事風景の写真を眺めてみると、例外なく、右手の指先からタバコの煙がたなびいていた。

昼休みのチャイムが鳴るころ、一箱目がなくなり、6時、二箱目も空になり、今日も残業か、と暮れなずむ窓の景色をながめつつ、おもむろに引き出しを開け、3箱目を取り出してニコチンの補充をする。夜のお誘いの声がかかれば、そのまま飲み屋に流れ込み、十八番のカラオケを予約し終わると、お姉さんにもう一箱と小銭を握らせて、これで4箱目だ。

タバコが切れると禁断症状に陥り思考が停止する。かろうじて形が残る潰れかけた吸い殻をほじくり出しては火をつける。タバコが安サラリーマンを優しく慰めてくれる、お友達値段であった時代、引き出しにため込んだカートンの残量を確かめながら、ひたすら精神の安定を保っていた。

 社内で楽しく喫煙を続けているうちに、グローバル化の波が身辺にも迫り、ついに国際線が禁煙になってしまった。ヨーロッパ線の長時間フライトでは、火のつかない煙草をくわえ、フィルターをビチャビチャにさせ、禁煙パイポを何本食いちぎったことか。

 だが、禁煙への締め付けが厳しかったあの時代、愛煙家にやさしい航空会社があった。エアーフランスである。機内での喫煙が禁止されてからも、個人主義のお国柄なのか、スチュワーデスさんは堂々とギャレーで喫煙を楽しんでいた。たまたま、それを目撃してからは、こちらもカーテンの中でアマゾネス軍団に囲まれて、いつも小さくなってニコチンを吸い込んでいた。 

それから、キシリトールのガムを噛みすぎて胃に変調をきたし、メンソールタバコに変えていた期間が、どのくらい続いただろうか、風邪をひき、咳がひどくなんとなく一週間ほどタバコを吸う気持ちがわかず、気が付くとタバコに目が向かなくなっていた。あれほど禁煙、禁煙と格闘していたのに、なにやら自然消滅に近い結末である。

 ワルモノ扱いされるようになってきたタバコにも良いところがたくさんあった。

焚き火を囲むように、小さな煙の輪に加わり、笑い、愚痴り、仲間意識を高め、気まずい空気もほぐしてくれた。初対面の人との会話のきっかけはタバコの火をもらうところから始まった。目の前の灰皿を共有し、お互いに手がぶつからないように息を合わせていたものだ。

里山の散歩の途中、切り株に腰掛けて、気持良さそうに一服しているご老人の姿を見かけると、『最後までうまそうに吸っていますなー』、と、なぜか声をかけてみたくなる時もある。もう吸う気はないのだが。

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第4回イレブン親睦会のご案内(11月11日)

2018年10月10日 | ◆お知らせ・行事案内

   第4回イレブン親睦会のご案内

第3回イレブン会親睦会は猛暑の時期でしたが、
その後、集中豪雨による災害があったり、
独特なコースを取る台風がいくつも来たりして、
いつの間にか秋になりました。
皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。

今回は、第4回イレブン会親睦会のご案内です。

出欠の御返事を、10月30日までに、太田宛に
頂きますようお願いいたします。

今回も、多数の皆様の参加をお待ちしております。

                記

 1、日時    平成30年11月11日(日) 16時より18時


 2、場所    横浜駅相鉄口(高島屋ウラ)
       なか一 045-311-2245 です。(前回と同じです。)

 3、会費    4500円

   発起人  山口(隆)・山口(力)
                             
                

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きよちゃんのエッセイ (97)”雨のしずく”(Okubo_Kiyokuni)

2018年10月04日 | 大久保(清)

 雨のしずく

 病院に付き合ってきたが、薬を待つ家人をおいて先に車にもどってきた。駐車場の中庭には樹齢百年に近い梅の古木が植わり、天気のよい日には、その見事な枝ぶりをそばで眺めて時間をつぶしていたのだが、今日は生憎の雨。

 車の中からぼんやりと外の景色を眺めていたが、その視線をフロントガラスに戻してゆく、雨粒がガラスにあたり、ゆっくりと流れ落ち、時々、屋根から落ちる水の塊が小さな滝のようにフロントガラスに幕をかける。

ガラスに顔を近づけ、冬の冷たい雨に濡れている梅の木に目をやり、そのまま、ジーと枝ぶりを見つめていると、面白いことに、小枝がヒョコ、ヒョコと踊り始めた。雨脚が強まると、踊りのテンポも早まり、足や手をブラブラと激しく動かして、まるで操り人形のようにアチコチで一斉に踊り出す。

フロントガラスに張り付いた水滴がレンズの役目を果たし、そのレンズが窓の上から流れ落ち、その絶妙な動きに目がごまかされ、あたかも枝が踊り出す感覚を味わう。 

面白くなり目線を左に振っていく。玄関脇には何台もの自転車が雨にうたれ並んでいる。目を凝らして見ていると、今度は、自転車が踊り出す。ハンドルや車輪がグニャグニャになりタコ踊りを始めた。自転車が雨にうかれて踊り狂っているように見える。目をすえて見続けると、なんだか、こちらの眼の奥も吸い込まれて踊り出し頭が痛くなってきた。

眼の焦点を緩め、フロントガラスに戻していくと、水滴がゆっくりと滴り落ちていく。焦点を近くに合わせず、無理やりに水滴で乱れたガラスをつらぬいて遠くにある植木や、自転車に合わせると、まるで、アニメの世界、漫画の世界が出現する。

 今は、布団を敷いて天井の節目を睨めっこしながら、眠りに入ることはなくなったが、小さい頃は、天井の節目も想像力の宝庫であった。一度、天井の板の目の模様が、そのときに気になる人の顔や、動物などの姿になぞられると、その想いはなかなか消えず、寝る前の儀式として、天井の隅から隅まで、いつもの順番で眺めなおし、想像上の仲間たちを頭の中に納め、おやすみなさいと言って眠りに落ちていく。

だが、いつもの節目模様が、いつもの像を結ばずに、想いもよらぬ姿に変形してくる時がある。こうなると、すぐ隣のお馴染みの天狗さんも動き出し、なにやら分からなくなるが、また明晩考えようかと、やがて眠りの神様に呼ばれ、眠りにつく。

 人の想像力は、ボンヤリと見つめている時に、ふっと、湧いてくるのではないだろうか。天井の節目遊びを楽しんでいた昔々の若者が、空想遊びの悪癖に拍車をかけて、相も変わらず雨粒がつくる夢の世界を楽しんでいる。

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