栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (79)”敬老特別乗車証(2) ”(Okubo_Kiyokuni)

2017年07月31日 | 大久保(清)

 敬老特別乗車証(2)

敬老者向けの乗車パスをもらってから、早くも二年になろうとしている。パスを提示する手の動きもしなやかに、もう、十年以上も利用している顔で、老人ぶりもいたについてきたのか、このごろ、パスを見せるや、優先席に誘導すべく、座るのを見届けるまで運転手さんが声をかけ続けてくださる。

―お座りくださーい、はーい、お座りくださーい―と二回も繰り返えしながら普通のご老人は一声ですむのだが、よほど、ぼけているとみなされるのだろうか。ダブルのお声がけだ。

それに、ご老人でも、見るからにしっかりとした腰つきで乗車される方には、―おつかまりください―と明らかに台詞が違う。

考えようによっては、一昨年、無料パスをもらい、シルバーシートの一年生であったものが、飛び級をしてゴールドカードを手にした感じだ、少し早すぎる気もするが。周りの雰囲気に馴染みやすい順応性のあるタイプなのかもしれない、と一人で納得している。

通勤時間帯を過ぎたバスの中は、確かに老人客が多い。まとまって降りる場所は大体決まっている。クリニックの近くの停留所。眼科とマッサージ治療が多いようだ。上の句である停留所の名前がアナウスされると、すかさず、下の句の病院の宣伝が続く。停留所ごとに患者さんの奪い合い。見方を変えればバス会社の宣伝収入でもあり、お互い持ちつ持たれつの助け合いの精神だ。

 老人向けの呼び込みは車内の案内版にもあふれている。優先席に座り目の前の広告を眺めているのだが、なかなか洒落たキャッチフレーズだ、とカラー刷りの広告を見入っていた。

=ラストメーク、四季 =いい感じの広告だなー・・老人向けのメークの専門店かーと、考え深げに、その下の欄に目を移す。

=遺品整理、生前整理、特殊清掃= 、ああ、廃品整理の専門店か、と頷きながら納得した気分になりつつ、視線がその下の欄に下りてゆく。なんだか、小さな字体で、見づらいが・・・・じーっと目を凝らす。

=湯灌、納棺= と、なんだか聞いたことのある二文字が目に飛び込んできた。おーー、わかった、葬儀屋さんの宣伝だ、と二つ停留所を走りぬけて、やっと解読できた。これも、老人向けの究極の宣伝だったのだが、随分とモダンな名前だ。通勤通学のまだ若いお客様たちは、何を思いながらこの広告を見ているのかなー、と考えはじめる。こちらの若い頃はこれほど洒落た宣伝ポスターはなかったし、バスまで入ってこなかったと記憶しているが・・・

わが街は老人の町になってきたのだろか。七十、八十代の老人がこれほど街に繰り出す時代は初めてだろう。これからは未体験の出来事もふえてきそうだ。街並みの変容を楽しみながら、ゴールドクラスの敬老乗車をいつまでも楽しんでいきたいものだと、元気そうな先輩たちの横顔をそっと眺める。

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暑気払い(2017/7/22)の写真 (Okuyama_Iwao)

2017年07月23日 | ◆行事報告

 暑気払い(2017/7/22)の写真 

(1)日時:2017年7月22日

(2)場所:なか一 (横浜駅西口)

(3)出席者:22名

  相澤・稲森・榎本・大久保(武)・太田・奥山・小寺・川原・黒川・小島(四)・重山・下田・田村・千種・中村(和)・中山・長谷川(和)・藤高・水野・宮坂(忠)・山口(隆)・米澤

 ◆宮坂(忠)君が、わざわざ蓼科から出てこられました。

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きよちゃんのエッセイ (78)” アジサイとタチアオイ”(Okubo_Kiyokuni)

2017年07月06日 | 大久保(清)

 アジサイとタチアオイ

鶴見川と恩田川に近いためか、散歩コースはどちらかの土手道を辿ることが多い。この川沿い散歩での楽しみの一つは畑と土手の境に植えられた季節の花を観賞することである。梅雨時から夏の暑い季節、アジサイとタチアオイが見ごろになる。どういうわけか、アジサイは恩田川沿いに、タチアオイは鶴見川沿いに群生している場所が多い。

雨に濡れるアジサイは、しっとりと落ち着いたその姿が、観る者の気持ちを和ませる風情のある花だが、それとは反対に、タチアオイは夏の強い陽射しを跳ね返すように、青空に向かって咲き誇る華やかな花である。一言で言えば、アジサイは陰の花、タチアオイは陽の花であろうか。

 

 花の色もそれぞれ特徴があり、アジサイは和服に似合う深みのある紫を基調にした落ち着いた色合いが多く、青みがかったものや、赤みがかったものなど、生育する場所の土性により、微妙にその色調を変化させる。その色合いは酸性土、アルカリ土に影響されるらしく、リトマス試験紙のようでもあるが、その発色は真逆になるそうで、酸性土壌では赤くならず、青みが濃いとのことだ。

散歩の途中、言葉では表現不能なとてつもなく深い青色のアジサイの花手毬の群れに出合うと、一瞬、目が吸い込まれ、自然の創る色の魔術にため息が出る。青色もいいが、青や、緑がかった白いアジサイも素晴らしく、青紫、赤紫と白がほどよく配植されている株が目に入ると思わず足が止まり、しばし、アジサイたちが漂わすそのオーラに包まれる。

最近は、昔からのアジサイの他に、ガクアジサイも有名だ。どこか、モダンな、洒落た味わいを醸し出すためか、今様の庭で好まれているらしい。だが、恩田川のアジサイにはこの西洋風のアジサイは少なく、昔ながらの素朴な花手毬が主流である。

 

タチアオイは、空に向かってまっすぐに伸びた茎が折れんばかりに、ハイビスカスのような原色に近い華やかな大きな花をびっしりと咲かせてゆく。紅色や、薄桃色、純白の色ごとに群れを成しそれぞれの花芯の濃淡が微妙に違い、色彩のボカシも変わる。その艶やかな姿を目の前にすると、なぜか、南国の乙女たちに見つめられているような、一瞬、目のやり場に困る魅惑的な花である。昼間、太陽をいっぱい浴びて、一気に咲いた花たちの輝きの時間は思いのほかに短く、夕方にはしぼんでゆくが、それを追うように、朝を待ちきれずに、花芽が順繰りに開き始め、いつ見ても華麗な姿を保ちつづける。

タチアオイと認識していた花の中に、ムクゲ混じっているかもしれないと教えられたが、図鑑で見て、土手で比べてみても区別ができず、葉っぱの形が微妙に違うが、素人にはわかりづらい。傘をさしてアジサイの群れを独り占めするのもよいが、まぶし気に咲くタチアオイに目を細める日もまた素晴らしい。明日は、どちらの川に行くのだろうか。

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