栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (6) ”Kさん”  (Okubo_Kiyokuni)

2014年03月31日 | 大久保(清)

Kさん

 

散歩の目的地というか引き返し地点はその日の天気、体の調子で家を出る時になんとなく決まる。門を出て急坂を下り車道を渡ると、ネットで囲まれたなし畑があちこちに見られ、夏も盛りの頃、浜なしの名前で出荷される。畑を抜け鶴見川の土手道にでる。この辺は遠くに見える国道まで畑が広がり昔の田園風景を十分に残している地区でもある。

 この川の道を歩く時いつも途中で会う人がいる。名前を聞いたことはないが仮にKさんと呼ぼう。サラリーマンと違いどこか職人さんの親方然とした私より2つ、3つ年上の感じに見える。70近いかもしれない。川の土手道で始めてあったとき、彼は川面を指差しながら“ほれ、あそこに青鷺がいるよ、見てごらん、今日はいつもの場所じゃなく、すぐそこだ”川の流れが浅くなり魚影が見やすい石の上にツーンとすまして立っている。

 この呼び声が、まるで、少年のような純真さで遊び仲間に教えているような感じがした。こちらも、ついつられてしまい、“おー、すごいねー、小鷺と違って迫力があるねー”と応えた。なぜか不思議と昔にタイムスリップした気持ちになっていた。

 この日から散歩の途中、まだ遠くの方にいても歩き方で分かる。手を大きく上げながら近づいてくる。一言二言、挨拶のような、その日のお互いの気分をぶつけ合う付き合いがつづいた。が、すれ違う頻度が少なくなってきたある時、駅前で彼が急ぎ足で病院の通りから歩いてくるのを見つけた。“どうしたの、何処かわるいのかい”と尋ねると、“旦那久しぶり、病院でさ、今日は検査できないから来週だってさ、無駄足だったよ”、“腹のへその傍にグリグリがあってさ、痛くも痒くもないからほっておいたんだけど、母ちゃんがうるさいから病院にいったのさ”といつもの人懐っこい声で喋っていた。

 それ以来、6ヶ月経ったが、川の土手道で会うことはなくなった。が、しかし、ある日、前方のほうからKサンらしい人近づいてくる、少し、左肩を下げながら。だが、今日は二人連れである。近づいてきて、多分奥さんだろう、失礼だが、Kサンと似合わない奇麗な女の人が、眼を合わせると、“いつも主人がお世話になります”と丁寧に挨拶された。こちらも、“こちらこそ、お世話になっています”と返した。Kさんは、傍でニヤニヤしていつもと違って口数が少なく二言三言して、“またお会いしましょう”と分かれた。この日から、本当に一度もKサンにあっていない。もう1年以上たつ。

 色々と老人の妄想が頭をめぐる。やはり、ガンだったのか。あの日の夫婦の散歩は最後のお別れの散歩だったのか。もしかしたらもうこの世にいないのかも。いいや、また手を振って現れるよ。あの声をもう一度聴きたいな。“旦那、久しぶり、元気だったかい、今日は少し暑いね。お互いに年だから気をつけなくっちゃ”と。

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きよちゃんのエッセイ (5) ”天国からの緊急メッセージ”  (Okubo_Kiyokuni)

2014年03月25日 | 大久保(清)

天国からの緊急メッセージ

 

今日は久しぶりの墓参り。前の日に買っておいた花束を車に積んだだけの軽装で東名を飛ばしていた。御殿場インター手前の坂で落ちてきたスピードを取りもどそうと、アクセルを踏んだ途端に背後からサイレンが鳴った。覆面パトカーに捕獲されてしまったらしい。新車に乗り換え、高速運転時の安定性能におんぶしてスピード感覚が甘くなってきた気もしていたが、まさかこちらがスピード違反で捕まるとは予想していなかった。今考えてみると、お墓参りに向かう途中でスピードを出しすぎて事故に会い、一緒にお墓に入るのをとめるために、父母がパトカーを急遽差し向けたのかもしれない。天国からの緊急メッセージであったかもしれない。多分そうだろう。

  覆面パトカーに乗っていた警察官はまだ若く、警察学校を出てまもなくの業務のように見える。サイレンの鳴らし方もぎこちなかった。まだなれない教えられたとおりの服務対応を遵守している雰囲気もあった。警官の帽子を脱げばゲームセンター通いの若者のようだ。補導する立場の老人が補導されて、七十歳に届く老人をスピード違反で捕まえて、まるで立場が逆なのだ。パトカーの後部席で調書を取られている際もお互いに奇妙な空気が流れていた気もする。天国の父母が選んでくれた若者だから神妙に指示に従い、調書に拇印を押し、指示に従い静岡への墓参りのドライブを続ける。

 静岡インターを出て市内に入ったが、駅に向かう1号線の交差点を見落としたばかりに、市内を徘徊しようやく目指す墓地にたどり着いた。インターから出てからの地図は頭に入っていたはずだが、歳のせいで消えかけているのか、交差点の案内表示の文字が見えなくなってきたのか、ともかく数年前には予想外、想定外の現象が頻繁に発生する。道中に経験した速度違反もそうである。スピードを出す場所と、出してはいけない場所の区分が曖昧になってきた。何事にも境界が不明瞭になってきたようだ。

 やっと墓地に着き祖先の墓に向かって歩き出すが、どうも昔の場所と違うように思える。墓は移動するはずはないので、こちらの頭の中の地図が漂流し始め、ずれが生じてきているのだろう。

この位置の錯覚は、ここ以外でも経験する。通りの右にあったと記憶していた店屋が、実は左側にあったという体験はこの頃、驚かなくなってきている。当方自身の頭を信用しない癖もついてきているが、歩くスピードを大幅に超える高速道路の車の運転はこれからよほど気をつけないと、天国からのメッセージも間に合わないことになる。今年は七十歳の運転免許更新の年だ。何か特別な試験をすると聞いているが、この記憶違いと注意力の欠如の確認がポイントであるようだ。ともかく自覚するに越したことはない。あのサイレンがきっかけと思えば罰金も安いものと思ってきた。

     

     藤が丘教会、日曜日のミサの後でコーヒーサービスをしている清邦君

   

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クイーンエリザベス号(3代)が横浜港に(2014/3/17)

2014年03月21日 | ◆お知らせ・行事案内

横浜港にクイーンエリザベス号(3代)号が入港しました。

全長294m、90,400トン,定員2,092名、とにかく大きな船で大桟橋の端から端までが一杯になりました。

ベイブリッジが海面から55m、クイーンエリザベスは海面から57.2m干潮の時を利用して、入港及び出港したそうです。

残念ながら真夜中の11:00~12:00なのでその様子を見ることができませんでした

        Queen Elizabeth in Tallinn 7 July 2011.JPG

            ↑↑ Wikipediaからの転載写真 ↑↑

     

      

     

   

 

 

 

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きよちゃんのエッセイ (4) ”ゴルフ談義”  (Okubo_Kiyokuni)

2014年03月18日 | 大久保(清)

ゴルフ談義

  アプローチが苦手である。ゴルフの話である。練習しようと、里山の林の入り口の小道で、ピッチングウェッジでコツコツとゴルフボールにクラブを当てていた。おじさんたちは、横目で見ながら通りすぎていく。中には苦笑しながらも、オヤオヤ寒いのにこんなところで熱心な人がと、見続けている人もいる。

さっきからずーと動かずにこちらを見続けている老人がいるのに気がついた。散歩道の遠くから眺めていたおじさんが、こちらに近づいてくる様子が見える。小柄な人が少しがに股気味に足を運んでくる。近くに来て立ち止まり、ジーと見ている気配が背中の方から感じられる。この視線にたまりかねて、こちらが先に口を開いた。

 アプローチは難しいです...と。その声を聞いたとたんに、彼が声を発した。「あんたの構えは少しおかしいよ、貸してみな。」とクラブを取り上げると「こうスタンスを取って、ここから手をひいて、こう下ろす、簡単だろう。」と、ボールを打ち出した。この手の人は、自分の流儀を持っているので、そのお手前を聞いてみるのも参考になるときがある。 

  「若いときに卓球で国体に出たことがあってなー、50歳になって始めてクラブを握ったのさ。コースに出た最初の日が95だよ、95。普通に振っただけだよ。すぐに気がついたんだけど、卓球のスイングとゴルフのスイングは基本が同じなのさ。肩をまわすタイミングだけなの。ペンホールダーの握りで振れば、ボールはまっすぐ飛ぶのよ。7番アイアンと3番ウッドだけで、80台ばかり。どうやっても、いつも80台。面白くないので、この頃コースには行かないよ。」どこまで本当か定かでないが、そこまでできれば、普通は面白くて止められないはずだが、と疑念もつのる。

   彼がまた喋り出す。「遼ちゃんねー、あれは、もうだめだね、身体に筋肉がつきすぎて、昔のスイングが出来ないよ、あのやせたからだがスイングとマッチしていたのに、身体が出来てきてフォームが崩れたよ。あのままだと、これで終わりだね。」この話を聞いてから、本当に今まで立ち上がれずにいる。彼の予言は当たっていたような気もしてくる。この他に色々なご託宣があったが忘れてしまった。

   しかし、この頃本当に痛感する。止まっているボールを叩いて、何故、右や左に飛んでいくのだろう。彼はしきりに言っていた。「ボールに当たる時のフェース面だけだよ。これは卓球の基本で叩き込まれたが、ゴルフとそっくり同じだよと。」確かにそうだ。

 

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中国の公害汚染 (Kurokawa_Hisao)

2014年03月13日 | 黒川・小島(四)・後藤

黒川君から次のメールとともに投稿がありました。

無沙汰しております。 お元気ですか?最近、また中国上海に行って来たけれど、その時の感想をブログに投稿します。

投稿内容は別として、今の上海は<物価高><交通混雑>がひどく、普通の日本人が旅行に行くには適した場所ではありません。
それでも高さ650m、世界第2の高さと言う新ビルが建設中でした。

     

  (2014.1.18 横須賀11会にて 左から黒川・藤高・関口)   

1.大気の汚れ

上海の大気汚染は予想していたほど悪くはなく、誰もマスクをしていないし、こちらも咳き込むような事は無かった。しかし、日本人の感覚からは正に汚れている。 滞在中、ほぼ毎日ジトジトと雨が降っていた。濃霧(スモッグ)が発生し、500m先のビルの輪郭がぼやけ始め、1km先だとビルが見えなくなる。現地に長年住む友人に言わせると“以前はもっと汚れていたが最近、キレイになって来ている。北京の大気汚染よりはずっとまし”。 しかし、数年前にできた上海ペニンシュラー・ホテルの外壁、窓ガラスも既に黄色く薄汚れ始めていた。

 あの空気は絶対に体に悪い。もともと中国は喫煙大国だから、それも合わせて考えると、中国人の肺ガンを始めとするガンの発生率は、今後、急速に増加するのではないか?

    

   黄浦江の対岸から浦東金融センター街・真ん中は建設中の高さ650M・世界第2位のビル

2. 車の買い替え

あの汚れた空気は人間だけでは無く、車のエンジンにも悪いはず。 もともと中国ガソリンの精製率は悪く、硫黄分が欧州基準の15倍あると言われる。 これが大気汚染の一因と疑われている。 汚れた空気とガソリンを使用する中国の車の耐用年数は短いと予想される。 年間2,000万台を超える販売は世界第1の車市場だ。 数年後のある日、車が買い替え時期に入り、2,000万台の車が廃車となったら、どうやって、どこで、この膨大な産業廃棄物を処理するのだろう? 考えるだけでも不気味!

    

 黄浦江を南側に   2枚の写真はともに<晴れ>の日、晴れていてもこのように霞んでいる。

そのうち、公害汚染された祖国を逃れ、空気のキレイな日本に、中国人が大挙して移住して来るかもしれない。 そのために、尖閣諸島だけではなく、沖縄も九州も中国の一部と言い出すかもしれない。 まあ、あまり考えたく無い未来図ですけどね! 

              (2014/3/5)        

 

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きよちゃんのエッセイ (3) ”昔の老人”  (Okubo_Kiyokuni)

2014年03月09日 | 大久保(清)

昔の老人

 

 いつものように商店街を駅に向かって散歩していた。日曜日なので通勤のサラリーマンは見当たらず、平日と違う顔ぶれに会う。犬を連れた若いカップル、ジョギング中の壮年の男達。すると、向こうの方から朝日を浴びて一人のお年寄りが歩いてくるのが目に入った。

 ゆったりとした歩調で近づいてくるが、その顔を見て一瞬、ふっと時が止まり、何故だかわからないが子供の頃感じた風が吹いたような気持ちになってきた。普通の老人である。余り背は高くないが肩幅はあり、骨太の感じで、少し着古した厚手のねずみ色の毛糸のカーディガンをはおり。少し前かがみだがゆったりと落ち着いた足運びで通り抜ける。鼈甲色の縁をした眼鏡をかけ、頭は白くなっているが髪も豊かな、何処か昔のご隠居さんの雰囲気をかもし出している。経験を積み重ねた歳の重みが顔に滲み出た、穏やかな顔つきである。その人を自然に表現している風格が感じられる。この変哲のない一人の老人であるが、めったに街で出会えない気配と言うか一種のオーラはどこから来るのかと考え始めた。

 散歩で出会う老人達は何故か忙しく、ある人は、街の中に姿が埋没した印象を受け、ある人は浮きすぎた印象を与える。昔はそれなりの会社に勤めていたのだろう。その種の空気を背負ったまま、少し高級そうな散歩着で闊歩していく老人、これとは完全に逆を行くタイプ、地味なジャンパーに野球帽を被り早足でウォーキングする老人、犬を連れてなんとなく散歩の形を作っている老人、皆、街の一部のように何気なく、街の光景に埋没している気がする。

 今様の生活形態は移り変わりが激しく、住民の出入りも頻繁で、街の空気が落ち着くゆとりもない。老人達もあくせくした時代の流れにのみ込まれ、その慣性に逆らわず、生きていくのが精一杯なのだろうか。

 街であったあの老人は、この世知辛い時代に、一人の老人としての存在感を感じさせ、凛としたご隠居の威厳を持ち続けているように見えた。ご隠居さんと言う言葉の響きは、ほのぼのとした何故か暖かな心の通った尊敬語であったと思う。家族が、またその町内会の人達とつながる連帯感を確認する言葉でもあったようにも思う。

 すれ違って彼の顔を覗いた瞬間、少し微笑んで会釈したように思えた。そのまま通り過ぎていく姿を見送っていたが、何故か楽しそうにニコニコとして朝の空気を身体一杯に吸い込みながら、駅の方角に両手を揺すりながら気持ちよさそうに歩いていった。

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きよちゃんのエッセイ (2) ”同期の葬式”  (Okubo_Kiyokuni)

2014年03月03日 | 大久保(清)

同期の葬式

 

同期の仲間がアメリカの自宅でなくなった。担ぎ込まれた病院で最後に呟いた言葉をかなえようと遺体は日本に空輸され、実家の傍にある真言宗の寺でお通夜が営まれた。死に際に口から出たー日本に帰りたいなーという言葉は彼の本音だったのだろう。外国で商社の仕事を続け、日本に戻らずに永住するはずであったが、最後に何を思ったのであろうか。

  彼の母君と私の母は足腰も衰弱し、お互いに訪問もままならず、毎日、電話で近況報告をしあい慰めあっていた。彼がいつ日本に戻るのか、一人で寂しいのよといつも愚痴話を聞かされていると言っていたいまは亡き私の母の言葉が頭の中で蘇る。死を予感してやっと母君の気持ちが通じたのかとも推測されるが、無言の帰国では余りにも酷というものだろう。通夜の始まる前に、車椅子の母君に挨拶すると、先に逝ってしまってと何度も呻くように棺に目をやりながらかすれた声で顔をくしゃくしゃにして涙をぬぐっておられた。

 こちらも葬儀を営むお寺の近くで幼年時代を過ごし、寺の存在はいつも町の風景の中におさまっていたが、寺の境内に足を踏み入れたことがなかった。初めて彼が招きいれてくれ、寺の本堂に入り、はからずも棺の前に座っていることも何か不思議な感じがする。

 香がたたきこめられて、線香の煙が本堂の中に流れ、真言宗の形なのか派手な仏具やお飾りが並んでいるわけではなく、お棺の後ろに高く花の壁が立ち上がり、献花者の名前を示す立て札が一斉にこちらに向いて哀悼の念を示している。この立て札には夫々の気持ちや思いが込められているのであろうが、会社名が多く、まだ現役の商社マンの無念の帰還をそれとなく教えてくれる気もする。

 卒業以来、二度しか会っていないが、亡き母より間接的に聞き及んでいた彼のイメージを重ね、遺影の写真をじっと見つめる。かなりいかめしい仕事の顔がそこにあった。昔と比べかなり貫禄も出て、額も禿げ上がって年相応の顔になっているが、少し眺めているとその顔からいかめしさがゆっくりと消えていく。眉毛や頬の笑窪の記憶を追って写真の顔を覗いていると少しずつ昔の彼が浮かび上がって見えてくる。笑い声が聞こえてくる気がしてきた。とても気の優しい、人懐っこい性格で面倒見もよかった。

 お別れのご焼香を済ませ本堂の温もりを後に、境内に出た。北風が強く、久しぶりに幼年時代に味わったふるさとの木枯らしに吹かれたような気持ちになった。海からの夜風はきつく少し湿気を帯びて重い。参列者は皆黒いコートの襟を立て境内の篝火の中を本堂に向かって沈黙して足を運ぶ。

アメリカの葬式は出たことがないが、帰国してふるさとの間に囲まれて、これでよかったのではないかと思いながら、境内を後にした。

 

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