Kさん
散歩の目的地というか引き返し地点はその日の天気、体の調子で家を出る時になんとなく決まる。門を出て急坂を下り車道を渡ると、ネットで囲まれたなし畑があちこちに見られ、夏も盛りの頃、浜なしの名前で出荷される。畑を抜け鶴見川の土手道にでる。この辺は遠くに見える国道まで畑が広がり昔の田園風景を十分に残している地区でもある。
この川の道を歩く時いつも途中で会う人がいる。名前を聞いたことはないが仮にKさんと呼ぼう。サラリーマンと違いどこか職人さんの親方然とした私より2つ、3つ年上の感じに見える。70近いかもしれない。川の土手道で始めてあったとき、彼は川面を指差しながら“ほれ、あそこに青鷺がいるよ、見てごらん、今日はいつもの場所じゃなく、すぐそこだ”川の流れが浅くなり魚影が見やすい石の上にツーンとすまして立っている。
この呼び声が、まるで、少年のような純真さで遊び仲間に教えているような感じがした。こちらも、ついつられてしまい、“おー、すごいねー、小鷺と違って迫力があるねー”と応えた。なぜか不思議と昔にタイムスリップした気持ちになっていた。
この日から散歩の途中、まだ遠くの方にいても歩き方で分かる。手を大きく上げながら近づいてくる。一言二言、挨拶のような、その日のお互いの気分をぶつけ合う付き合いがつづいた。が、すれ違う頻度が少なくなってきたある時、駅前で彼が急ぎ足で病院の通りから歩いてくるのを見つけた。“どうしたの、何処かわるいのかい”と尋ねると、“旦那久しぶり、病院でさ、今日は検査できないから来週だってさ、無駄足だったよ”、“腹のへその傍にグリグリがあってさ、痛くも痒くもないからほっておいたんだけど、母ちゃんがうるさいから病院にいったのさ”といつもの人懐っこい声で喋っていた。
それ以来、6ヶ月経ったが、川の土手道で会うことはなくなった。が、しかし、ある日、前方のほうからKサンらしい人近づいてくる、少し、左肩を下げながら。だが、今日は二人連れである。近づいてきて、多分奥さんだろう、失礼だが、Kサンと似合わない奇麗な女の人が、眼を合わせると、“いつも主人がお世話になります”と丁寧に挨拶された。こちらも、“こちらこそ、お世話になっています”と返した。Kさんは、傍でニヤニヤしていつもと違って口数が少なく二言三言して、“またお会いしましょう”と分かれた。この日から、本当に一度もKサンにあっていない。もう1年以上たつ。
色々と老人の妄想が頭をめぐる。やはり、ガンだったのか。あの日の夫婦の散歩は最後のお別れの散歩だったのか。もしかしたらもうこの世にいないのかも。いいや、また手を振って現れるよ。あの声をもう一度聴きたいな。“旦那、久しぶり、元気だったかい、今日は少し暑いね。お互いに年だから気をつけなくっちゃ”と。