栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (134) ”青函連絡船”(Okubo_Kiyokuni)

2021年05月21日 | 大久保(清)

 青函連絡船

札幌の大学にいた時期、夏休み、冬休みが終わると、上野から札幌まで、途中、青函連絡船をはさんで20時間ほどの旅を繰り返していた。長時間すわり続け、固まった腰がほぐれぬまま、よたよたとボストンバックを片手にまだ薄暗い青森駅に降りたつと、からだより大きな荷物を背負った行商のおばさんたちが白い息を弾ませて、勢いのある津軽弁を飛ばしあいながら目の前を通りすぎてゆく。この声を耳にすると、また北国に戻ってきたな、と身を引き締めたものだ。

 記憶の中の青森駅はなぜか夜の時間帯が多く、雪が降りこむ駅のホームはいつも濡れていた。滑りやすくなった足元に気を付け、頭上から降りそそぐ乗換案内の放送に追い立てられるように前へ前へと足を運んでゆく。正面に大きな階段が見えてくる。冷たい海からの風に頬をひきつらせ、津軽の厳しい風雪に耐えてきた隙間だらけの板壁の渡り廊下に沿って黙々と歩いていくと、鼻先に感じていた潮のにおいがしだいに強まってくる。

頬を押さえつけるような海風からのがれるべく、羊の群れが牧場の暖かな小屋に逃げ込むように甲板への鉄製の狭い通路を滑らぬように慎重に渡り終え、赤錆びの浮く乗船口に足を踏みこむと、息がつまるほど強烈なペンキのにおいに包まれながら、二等船室への狭い急階段を下りてゆく。

これから、また寒く長い冬の世界に閉じ込められるのかと、胸の内にわいてくる少しばかり憂鬱な気持ちを払いのけ、今朝まで漂っていた早春の東京のにおいにさよならを言いながら、硬いカーペットの上で一息入れているうちに、耳をつんざくようなドラの響きが甲板の上を走りぬけてゆく。やがて、何度聞いても別れの哀しさを醸し出す、波止場のスピーカーから流れだす『蛍の光』の調べに送られて連絡船は静々と岸壁を離れてゆく。北海道という言葉を耳にするとき、なぜか、薄暗い夜更けのプラットホーム、そして、この青函連絡船の忙しい乗船風景が目に浮かぶ。

 大学を卒業し、数十年ぶりで北海道に戻ったことがあった。千歳空港からリムジンバスで乗り込んだ場所は、あの札幌はなかった。雨の日も雪の日も、チンチンと警笛を鳴らし車体をきしませながら走っていた緑色の路面電車は消え失せ、洒落た高層ビルが立ちならぶ垢抜けた通りが続いている。北海道の牧歌的な情緒をただよわせていた、雄大な北の大地のプライドを脱ぎ捨てた、もはや本州のどこにでもある街の姿に変身してしまった。

 札幌が大きく変容し、青函連絡船がなくなった今でも、北海道への思い出は津軽海峡を渡る四時間余りの船旅から始まる。ユーチューブに映し出される半世紀前の青森駅。特急列車が到着する、うら悲しい構内放送の響き、『あおも~り、あおも~り、落とし物のないようにご注意ください・・・・』 一人食い入るように眺めているパソコンの画面、なぜか、じんわりと鼻の奥が熱くなり、懐かしさがこみ上げてくる。

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断絶の米国(その4:)最終回)(Suzuki_Taketo)

2021年05月08日 | 鈴木(武)・関口・高野

  断絶の米国(その4:最終回)

6:米国の政治の一端

何度も倒産したことがあるので米国の金融機関はトランプには金を貸さないとかの評判がありますが、海外の金融機関から融資を受けているのか、ホテルやギャンブル場、リゾーと特にゴルフ場等で不動産王との名をほしいままにしました。何度も落ちても谷底から這い上がって頂点に立つ、まさにアメリカンドリームの様な人で、熱狂的な支持者を持っています。大統領になるために幾つもの公約を掲げ、その中には首を傾げざるを得ないものもありましたが、大統領に当選してそれら全ての公約を全て守ろうとして歴代最も公約を守るとの評判も取りました。しかしながらトランプも4年の末期になって、社会の分断、差別、これに加えて新型コロナへの対応多くの面で悪しき問題が表面化し、選挙で敗れた様です。何故トランプの末期にそのような問題が噴出したのかを振り返ってみたいと思います。

7:混じ合わらないのが平和?

先ほど米国では町や市単位に住む人の層が違っている状況について説明しました。これは例えば皆さんがよく利用されるJFKからマンハッタンに向かうロングアイランドの高速道路から見える人家の状況からもわかります。道路に近い処の家々では小さい庭に洗濯物がひるがえっているのが見えますが、少し越し離れた坂上のエリアの家々には緑が茂りまた花が咲き乱れますロングアイランドのマンハッタン側で小生がNYへ赴任した頃までは日本人学校も置かれ、NYの日本人町とも言われたクイーンズ区ジャマイカ地区でしたが、道路が比較的に狭くて入子状になっており、当時から多様な人が道路の筋毎に人種に分かれて住んでいました。白人は殆ど見られませんでしたが、ユダヤ教の人々が真っ黒な僧服で行き来、アフリカの何処かの国のグループが民族衣装のまま買い物、韓国人もチョゴリで登場等まるで民族衣装展の様でした。ただ、彼らの家は別々の筋で殆どお互いに話し合う事はないと聞きました。しかし、街はいたって静かで争い滅多にありませんでした。ここは米国に到着してしばらくの間古くから住んでいる知り合いに当面の世話になるところなのかもしれないと想像されました。こんなに人種が入り乱れても、綺麗に住み分けが出来、結果争うごとが無く、平和に暮らしていけるのが大変不思議に思っていました。

ついでながらここを創立起源とした日本人学校は現地に展開する日本企業からの多額の寄付とそれに相当する日本政府からの資金で素晴らしい環境で高級住宅の多いマンハッタンから北側にあたるコネチカット州グリニッチに移転を完了しました。これは日本のバブル期だから出来た事かも知れません。ただ、その後バブル崩壊から学生数が減って経営が苦しいと聞きました。

8:叱られる文化と褒められる文化

さて、小生はCA在任中に「叱られる文化と褒められる文化」という雑文をある雑誌に頼まれて掲載したことがあります。これはCAへ赴任して数学能力測定から娘が中学の1学期を終えたばかりなのに飛び級で中学の高学年へ編入、中学を1年で終わることになってしまいました。当然英語が分からないので、学校では沈黙、家へ帰ってから両親に教科書の説明でやっと何をしていたのかが解ったくらい。そうやって居る内に学校から表彰状を貰ってきました。曰く「最も静かで学級の邪魔をしなかった生徒の賞」、当然不思議に思い、学校のカウンセラーを訪ねたところ、「何でも見つけて表彰することで、学校に馴染み、励ます」という事だそうです。我々世代の日本では叱るのが当たり前で、結果廊下に立たされたり、竹の棒で叩かれたり、グランドを1周したり、いわゆるスパルタ式でした。即ち、叱られる事を恐れて勉学に励んだり、言いつけを守ったりでしたが、米国の学校では教師が工夫して何とか褒め方を研究し、これを実施していました。日本のやり方とは随分と違うものと思ったものでした。

叱られるのを恐れて学んだ者は叱られなくなれば止めてしまうかもしれません。しかし褒めるやり方では、褒められる事を際限なくやり続ける事でしょう。ここに、独創性やベンチャが育ちやすいかの文化の違いが出るのかもしれないと考えています。ただ褒められる文化では褒められなくなると、自意識が満足できなくなって、失速状態に陥りやすく、即ちストレスを感じやすく、時にはその事から何か分らない怒りを生じてテロ類似行為やキャピタルへの乱入事件の様に我々の常識では考えられないようなとんでもない爆発を起こすのかもしれないと考える次第です。米国ではバイデン大統領の元で、従来ワクチンを65歳以上であったものを16歳以上に拡大し、この7月には米国人であるか否かに関らず全米に生きわたるとされ、感染者数が落ち始めています。我々の日本ではEU次第という事でスケジュールもはっきりされていませんが、叱られる文化では、常に一定のストレスがかかっており、「マスクを着用する、人とは距離を置いて生活する」等々コロナ対策等は馴染み安いので案外桁が1つ少ない所で遅いワクチンの到着まで時間稼ぎが出来るのかもしれません。

 

 

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断絶の米国(その3)(Suzuki_Taketo)

2021年05月07日 | 鈴木(武)・関口・高野

 断絶の米国(その3)

4:米国での思い出の一端 分裂が正常?

赴任したのは日米貿易摩擦の真っただ中、サンフランシスコの南70Km程のシリコンバレーでした。当時でも6車線以上の、しかも無料の美しい高速道路や、一日かけても回り切れないショッピングモールの規模は驚きでした。当時のシリコンバレーはintelやHP等の半導体やパソコンが主体の産業構造で半導体が日米摩擦の主要なテーマの一つでした。現在はシリコンバレーというよりもFacebookやGoogle、Adobe等ソフトウェアの大企業でITバレーとしてさらに発展しています。

店舗といえば、日本でも有料メンバーシップで知られるコストコ(現地ではキャスコと呼ばれている)は当時プライスクラブでしたが、うず高く積み上げられた食品と酒の類、一軒の家が建てられるほどの建材や工具類、健康食品に加えて日本では処方箋が無いと買えないような医薬品、さらに中型ヨットや大型のジャクジまでその品数は数知らず、また安価なことも驚きでした。日本にも数件オープンしていますが、大きなカートで大きな買い物をするので、必然的に大きな駐車場と売り場の面積が必要となりますので土地の安い処でないと開店出来ないのでしょう。シリコンバレーで最初のお店はその北側に位置したパロ・アルトからさらに10Km程北側のレッド・ウッド・シティに在りました。シリコンバレーは当時、北はパロ・アルト、南はサン・ノゼの間とされ既に土地や不動産は高騰し始めており、また生活費もそれなりに高くなっていました。しかしレッド・ウッド・シティとなると倉庫が立ち並び、また住居も古い小ぶりの家、また新しいものはアパートの類がほとんどで、いわゆる不動産価値の低い処でした。ところが、その直ぐ南隣に位置するアサトン市はお城のような大きな家ばかりで、各家の駐車場は数台分、フロントの庭とは別に森の様な裏庭を備えていました。両市の境界はアサトン側では裏庭の垣根と塀、その北側はいきなり建物の壁となっていて、物理的な境界は設けられていませんでした。が、家並みの違いははっきりして、両市の間で互いに交わらないとでも主張し合って居る様でその差は歴然たるものでした。日本でも新興住宅地とそれ以外の古い町並みで類似の状況はみられるものの、その境界のどちら側に住んでいるかでその人の社会的位置づけ、即ちステイタスを意識する事は余り無いでしょう。しかし米国では住所で人のステイタス(極端に言えば差別)を意識するという事なのだと思います。これらの状況は全米のいたる所で見られます。それで、あえて米国における境界について考えてみたいと思います。

5:境界とは

米国と日本で何が違うのでしょう? 米国は現在丁度50州からなっており、合衆国と呼ばれるようにその集合体となっています。要するに基本は州にあるということです。法律も罰則も州によって違い、州ごとに最高裁判所があります。州は基本的には米国内では独立していて、州兵からなる軍隊も持っており、州境に検問所を設けている州もあるくらいです。憲法上、連邦政府は米国外との交渉や戦争、また州にまたがる事項についてのみ関与するというのが建前です。下院は州民の、即ち人口によって人数が割り当てられますが、予算承認、人事や裁判も行う上院は各州から2名だけが割り当てられています。したがって50万人前後の人口の小さなワイオミング州と4千万人程を擁するカルフォルニア州のいずれも2名の上院議員を選出しています。この辺米国の制度の矛盾ととらえる向きもあり、大統領選挙の際の選挙人制度と共に議論のあるところかもしれません。要するにそれぞれの歴史を有する各州は、勿論全てではないのでしょうが、主にヨーロッパの諸国から種々の理由、即ち宗教的弾圧や人種偏見から逃れる目的、さらに例えばアイルランドからは主食のジャガイモの感染から食物が不足してこれを求めて集団で米国へ移住してきたそうです。したがって宗教、あるいは人種毎にグループを作り、結果的に州を形成していったので、ごく自然に夫々の生い立ち、文化、人種を反映していったことになります。移民の裏には激しいインデアンとの戦いや、時にはロマンの物語も沢山ありますが、これらは米国人により小説や映画として描かれています。最近ニュジーランドやオーストラリアを中心に原住民の民権の復活の方向にありますが、米国の原住民への弾圧・虐殺の歴史は余りにも激しいものでした。「中南米にはピラミッドが有るのに何故米国には無いのか」と尋ねた事がありますが、答えは「米国の領土は自分たちのものにするために全て破壊した。なお、南の某州の岸壁にはその一部が残っている」でした。要するに徹底的に原住民を圧迫し、貧しい居留区へ押し込めたという事だそうです。有名なものの一つに金が発見されたヨセミテのマリポサ大隊による執拗な追撃があります。ロマンの話の方の一つには、米大陸にヨーロッパから移住しようとした初期のグループは飢餓に襲われ何度も失敗したそうですが、米国の祝日であるサンクス・ギビングの起源はニューイングランド地方に移住したピューリタンのグループが飢餓にさらされた時に原住民に助けてもらい、そのお陰で初めて定着に成功した際その原住民を招いて七面鳥をふるまったとかの紹介もありました。ただし、今の米国人にとっては収穫祭がその起源であるとか、あるいは単に全ての家族が集まって七面鳥で祝う日位の理解になっているかも知れません。

 それでは、州の中の市や町に関してですが、まず日本の住民票に相当するものはありません。引っ越してきても市役所に届ける必要はなく、選挙権を得るとか、あるいは何らかの支援やサービスを受ける必要が無い限り市役所等に行く必要もありません。例えばコロナワクチンを接種しようとしたら、国勢に関らず取得可能な運転免許証、原則米国に住む者に与えられる社会保険番号、いずれかの国のパスポートの何れかを持って申し込み、順番を待つことで住民票は不要なのです。地方税に相当する税金に関しても、会社員が個人で借家やアパートに住んでいる分には何ら払うことはありません。ただ、不動産を購入ないし所有した場合、固定資産税にあたるReal Estate taxは自治体の主要な収入源で非常に厳密で、専門職員が常に見て回って価値の査定をしているそうです。例えば屋根をふき替えたとか、一部でも設備を備えたとか改築したとかの際には速やかに課税額が変更されます。ただし同じ市や町の中でも上下水を必要としない農地等の場合は例外的に自治体に属さない、即ち不動産価値が上がっても非課税のままの場合があるそうです。日本と違うのは自治体の領域であっても属さないで独立している場合もあることや、固定資産税の見直しが非常に綿密に行われているという事でしょう。

こうした状況に気が付くと、どの町に属するかで大きく違う不動産価値、即ち境界が気になります。何故そのような大きな差が出来るのでしょう。

これはまた違う側面から見た場合ですが、出張の際に現地の友人から色々サジェスチョンをうけました。忘れられないものの一つに、「出張で出かける際に、部屋の上下に関らず必ず行先での一流のホテルに泊まるようにしなければならない」と言われた事があります。即ち、「米国では基本的に差別は禁止となっていますが、人間ですから値踏みをします。出張、即ちビジネスでは信頼できる相手か否かを宿泊するホテルで値踏みする」のだそうです。

同様に、よく「何処に住んでいるか」との質問を受ける事がありますが、これも値踏みされていると理解した方が良いでしょう。

米国の警察システムは日本と大いに違います。米国では警官は民間企業である警察学校を卒業して資格を得ます。そして町や市の警官として就職します。すなわち警官は町や市が基本的に雇い主ということです。警察は日本の様に警察庁を頂点にした一体組織というのではなく、町や市を守り、その住民に雇われた格好になるので住民に尽くす必要があります。財政が豊かな自治体では、その安全の為により多くの費用を警察に配分出来、税収不足の自治体ではその逆で安全でなくなり、結果的にリッチな人は住民とならず、また利益をあげる企業も来ないということになります。

一種の自由競争ということで、豊かな自治体にはよりリッチな住民が集まり、不動産価値が上がり、自治体はより豊かになって行き、貧乏な自治体にはより貧しい住民が住むようになってしまうということです。

 

 

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断絶の米国(その2)(Suzuki_Taketo)

2021年05月04日 | 鈴木(武)・関口・高野

  断絶の米国(その2)

 

3:思い起こせば

戦中、戦後生まれの我々世代は日本が最も貧しかった時代に育ち、またいわゆる戦後教育の影響も強く受けています。さらに横須賀・横浜で育ったせいで朝鮮戦争、ベトナム戦争の関係で米国軍人が数多く近隣に住み、その家族(ベトナム戦争では父の友人であったヘリ隊の隊長が戦死)とも交流があり、また米国からのTVドラマや映画の普及から、米国と日本のあまりの豊かさの違い、生活レベルの違いが身に染みていました。すなわち、米国は民主主義を主宰する国であり、自由平等の国、そして経済、政治、軍事等の全てにおいて世界のリーダ、またそれらの全てが善として認識していました。

その様な境遇にあった小生は工学部から電電公社へ入社、ソフト開発等多忙を極める中、留学もしないまま39歳の時に急に米国に赴任することとなりました。そのまま8年強にわたって実際に住んで米国を経験する事となり、種々裏の側面も見え、子供のころからの米国の認識を変える事となりました。San Franciscoではベトナム戦争によって精神的被害を受けた人々やヒッピーがたむろし、自由のシンボルであったユニオンスクエアやカストロストリートを中心にAIDSが死の病として大流行、マリファナの匂いがカフェーでは当たり前のように匂っていました。そして1990年8月イラクのクエート侵攻に対応して翌年1月に始められた湾岸戦争は米国の威信を高揚したのですが、これは911で知られる2001年の同時多発テロを誘発してしまいました。これを起こしたアルカイダを追ってアフガニスタンへ侵攻したところ、タリバンをはじめ幾つものイスラム過激派との戦いに巻き込まれて泥沼化し、米国の威信は次々と壊されていきました。経済面ではドル高基調から中国を中心に輸入が急増し、失業率も8%を超えて米国の経済を守る為にその中心とされた自動車、半導体、通信機、工業製品等に関し、日本をターゲットにした貿易摩擦、日本バッシングが始まりました。日本側もUSTRやDOCとのコミュニケーションをとって摩擦を回避するために半導体等も工場を米国内に移転したり、自主規制も行いました。ただし、自動車については摩擦の中心でしたが、米国内の消費者の嗜好に沿ったものであるため話題の中心ではあったものの米国内に工場を設ける等の努力の結果落着いていきました。その様な状況で、いつの間にか中国の台頭がありました。即ち、安価で手に入れやすいという事で家具、衣料等あらゆるコンシューマー市場ですっかり定着してしまい、また米国企業の資本流出・企業進出もあって、米国はその状態から抜け出せなくなっていました。また従来、たとえ共産主義や独裁主義であっても、それは発展過程のステップで経済の発展があればいずれ民主主義へ変化すると期待する対中国楽観主義が一般的でした。しかしながら習近平が台頭してからは不正を理由に自分に従わない勢力を駆逐、ポストの永年化、またITを政治的に駆使して情報による国民個々の統制と支配を強化しました。さらに周辺国、特に独裁主義や独裁化した国(トルコやミヤンマー)への政治・経済面の強化によって国際的な影響力を強めており、その希望は無残に打ち砕かれた様に思われます。SNSや演説会で自信一杯の表現で露出が多かったトランプ氏の2017年の大統領就任で多くの公約の一つに中国から企業を取り戻す策がありましたが実効は上がらず、またメキシコとの国境に高い壁によって移民を止めるようとしたが止まりませんでした。可愛い娘婿の関係からかイスラエルを優遇し、この関係もあってか公約の一つである中東からの米軍の撤退を実現するために、あるいは自身の大統領を継続させるためか、政府内の事前の調整無しにイランへの爆撃を無理強いで実現しようとし親族以外の有能な官僚やスタッフが離職してしまい、またトランプ自身に直言した高官を即刻退任させた等の数々の出来事がありました。大統領選挙の敗退が明らかとなると彼を熱狂的に支持した右翼や白人至上主義のグループの存在や活動を否定せずに、逆に扇動する様なスピーチを行い、これに従って全国から集合した多くの人々が議事堂へ乱入する事件まで起こしました。何故このような人物がいきなり大統領になったかも個人的に大いに疑問を生ずる所でした。

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