東電の経営をどうするか新聞紙上でかまびすしい。東電の社長に某政府系企業の元社長がなりたがっているが、財界は丹羽中国大使を推していて、丹羽さんは固辞していると言ううわさを聞く。丹羽さんの話を聞くと山口日出男君を思い出す。
山口君がなくなって何年になるだろうか。確かあれは9月の事だったと思うが、大きな仕事が終わったので山口君の慰労会をしようと六本木の焼き鳥屋を予約していたところ、直前に秘書の方から体調を崩したとの知らせが入り、キャンセルになった。そして山口君の訃報を聞いたのはそれから1月もたっていなかったように思う。その前に肩が凝ってしょうがないと言うので、私が行きつけの鍼灸院を紹介したが、あれはガンのせいだったと言うのは後で理解したことでした。
彼のしていた大きな仕事と言うのは、ご存知の方もおいでと思うが、当時の伊藤忠社長であった丹羽さんから伊藤忠の問題点を洗い出すように頼まれたことだった。我々の仲間のほとんどはもう現役でないので当時の話を聞いても直接の影響はないであろうし、かつもう時効と思うので、彼から聞いた話を披露しますがこれはすべて伝聞であることをご理解ください。
当時、伊藤忠は投資の失敗から会社が危機的な状態にあった。社長になられた丹羽さんはその原因を調べて抜本策を提言する仕事を山口日出男君に指示した。山口君はあのまじめな性格からその仕事を真摯に受け止め必死になって調査したようだ。それがどれほど彼にとって負担であったかということを示す逸話を聞いたのでそれを披露しておこう。ある元社長の所に話を聞きに行った時の事、部屋に入るといきなり「お前は俺の首を取りに来たのか」と言われたそうだ。状況から判断すれば当然のことではあるが、この元社長は山口君ご夫妻の仲人であり、かつ元社長にとっては最初の仲人であったとのことである。この話をした時の彼は本当につらそうであった。
彼からは時々個人的に相談を受けていたが、彼なりに立派に仕事を完結させ結果を丹羽社長に報告に行った時のことです。社長から自分は辞任すべきではないかと言われたので、給与を返上すれば辞任する必要はないと思うと話したことを白状していました。その時のほっとした彼の表情が印象的でした。そして彼が亡くなったのはそれからすぐの事でした。
丹羽さんのような方が東電の社長になっていただきたいと思うが、しかしその時は誰が山口君の役割を演じるのだろうかと心配性の私は気になります。
(千種*忠昭)