栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

近況報告(Tamura_Yoshitaka)

2012年08月12日 | 田中(石)・田村・千種

2012.7.28.ロンドン五輪開幕の日です.最近の大きな課題は会社で一つ,自宅で一つです.

2007年3月に母が亡くなり,2011年1月に敷地を弟と分割しました.小生の敷地は,西側と南側をセットバックして,擁壁を作る工事の真っ最中です.全長36m,平均高さは3.5mです.今年の9月末頃には完成して階段もできる予定です.

会社では,赤ちゃんのミルクを製造する工場に新しいナノろ過膜分離設備を立ち上げている真っ最中です.入社以来,牛乳を人乳に近づけるために牛乳中の過剰な塩分を除去する脱塩法の開発に取り組んできました.1970年には海水から食塩を製造するイオン交換膜電気透析法を用いて牛乳から塩類を除去する設備を立ち上げ40年以上使ってまいりました.

しかしイオン交換膜電気透析法は,直流電流を通じながら脱塩しますので,人が寄れないよう隔離しておくなど感電しない対策が必要でした.近年水と共に低分子のナトリウム,カリウム,塩素等が透過できるナノろ過膜が実用化され,これを用いた脱塩法の開発に取り組んでおりました.1.5 MPa程度の圧力を牛乳にかけるだけで,ナノろ過膜から水と塩類が透過し,牛乳中の塩類を減らすことができます.現在試運転中で,結果が良ければまもなく赤ちゃんのミルクの製造に向け稼働する予定です.

 毎日のように遊んでいた麻雀も2010年12月以来メンバー払底で成立することが無くなり,それ以来4:40起床,6時に自宅を出て森永乳業の研究所(座間市東原)で7:15~16:00の勤務を基本に月-金フルで通っております.

今日で45年と数か月の勤務になります.その間,牛乳成分の膜分画に携わりイオン交換膜・逆浸透膜・限外ろ過膜・ナノろ過膜による乳成分の分画そしてそれに関する論文を投稿してきました.今年の3月に発刊された化学工学論文集に「ホエイのナノろ過濃縮時の透過流束変化に関する理論的解析」と題した論文が掲載されました.ホエイとは牛乳からチーズを作った時に副生する乳奨のことで人乳のタンパク質の60%を占める乳清タンパク質を豊富に含みます.勿論赤ちゃんのミルクに利用するにはホエイからの塩分除去が不可欠です.ナノろ過膜分画に関しましては,不可逆過程の熱力学をベースとする輸送方程式が示されておりますが,実用的には役に立ちませんでした.20数年前に発表した逆浸透と限外ろ過の理論を併用し,ホエイ中の溶質を二つのグループに分けることにしました.ナノろ過膜を透過する溶質である「透過溶質」とナノろ過膜を透過しない「非透過溶質」にわけて考えると,膜界面に濃度分極する非透過溶質濃度に起因する浸透圧と透過溶質に起因する浸透圧が加算されて膜界面全体の浸透圧になります.ホエイに浸透圧以上の圧力をかけて濃縮するとナノろ過膜を通ってホエイ中の水がミネラルと共に透過液として出てきます.透過液の出る速度を透過流束(ナノろ過膜を通る水とミネラルの流れる速度)と言い,ナノろ過濃縮にともなう透過流束の変化をうまく説明出来ることがわかりました.

ナノろ過だけでは,ホエイ中のミネラルの30%程度しか除去できませんので,もう一つの方法を組み合わせる必要があります.来月更に基礎的な実験を行いながら出来れば次の論文に繋げたいと考えています.しかしいつまで会社にいられるのかの問題もありますので,この方面に興味を持っている研究所長並びに研究員の方達が,膜分離に関する勉強会をやりたいとの希望があり毎週一回1時間半を基本に勉強会を開催しています.

 ゴルフ・カラオケ・ダンスも切らしてはおりません.ダンスはスクエアダンスとフォークダンスです.フォークダンスは「マイムマイム」,「オクラホマミキサー」「コロブチカ」なども踊ります.ただ年とともに大変になってきます.スクエアダンス(SD)は,日本のみならず,アメリカ,ドイツ,スウェーデン,ベルギー,オーストラリアなどでも良く踊られています.4 couplesで正方形を作り,ここからcallerの発する「Bow to your partner」,「Join hands circle left」等の指示に従って踊ります.小生はdancerが主体ですが,時にはcallerもやります.SDは,callerの用いる指示が数百にもなりますので,レベル分けをしています.第一段階から第十段階まであり,順に Basic, Mainstream, Plus, Advance-1, Advance-2, Challenge-1, Challenge-2, Challenge-3A, Challenge-3B, Challenge-4となっており,全国で12000名ほどのSD dancerが活躍しています.

小生もC2レベルまで踊りますが,Mainstreamが踊れれば充分楽しめます.「千代田スクエアダンスクラブ」に所属していますが,全国各地にSDクラブは存在します.半年ほど勉強すればMainstreamを覚えることができます.海外出張中にベルギーやドイツのSDクラブを訪問して踊った経験もあります.

 先週の土曜日は,越生ロイヤルゴルフクラブで,113も叩いてきました.なかなかうまくなりません.歩いて運動できれば良いと思って継続しています.

一昨日の木曜日は,ナノろ過設備のテストで工場に出張した後,工場長,製造課長そして研究所や本社のメンバーとスナックで飲んで唄ってでした.「仮面舞踏会」で喉を使ってしまいました.昨日は研究所でデータ整理をしながらコーワの「フィニッシュ」を喉に吹きかけて養生していました.

 先月6月13日に港北小学校卒業55周年の同窓会が横浜メルパルクで開催されました.小寺殿,島村殿,堀川殿も参加されており楽しく過ごしました.

元気に過ごしていけたら有難く,酒は百薬の長と考え毎日飲む習慣を続けています.

              2012/7/28 田村吉隆

         

      2012年正月 家族とディズニーランドにて(孫4人)

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山口日出男君を思う(Chigusa_Tadaaki)

2012年02月25日 | 田中(石)・田村・千種

 

 

 東電の経営をどうするか新聞紙上でかまびすしい。東電の社長に某政府系企業の元社長がなりたがっているが、財界は丹羽中国大使を推していて、丹羽さんは固辞していると言ううわさを聞く。丹羽さんの話を聞くと山口日出男君を思い出す。

 

山口君がなくなって何年になるだろうか。確かあれは9月の事だったと思うが、大きな仕事が終わったので山口君の慰労会をしようと六本木の焼き鳥屋を予約していたところ、直前に秘書の方から体調を崩したとの知らせが入り、キャンセルになった。そして山口君の訃報を聞いたのはそれから1月もたっていなかったように思う。その前に肩が凝ってしょうがないと言うので、私が行きつけの鍼灸院を紹介したが、あれはガンのせいだったと言うのは後で理解したことでした。

 

彼のしていた大きな仕事と言うのは、ご存知の方もおいでと思うが、当時の伊藤忠社長であった丹羽さんから伊藤忠の問題点を洗い出すように頼まれたことだった。我々の仲間のほとんどはもう現役でないので当時の話を聞いても直接の影響はないであろうし、かつもう時効と思うので、彼から聞いた話を披露しますがこれはすべて伝聞であることをご理解ください。

 

当時、伊藤忠は投資の失敗から会社が危機的な状態にあった。社長になられた丹羽さんはその原因を調べて抜本策を提言する仕事を山口日出男君に指示した。山口君はあのまじめな性格からその仕事を真摯に受け止め必死になって調査したようだ。それがどれほど彼にとって負担であったかということを示す逸話を聞いたのでそれを披露しておこう。ある元社長の所に話を聞きに行った時の事、部屋に入るといきなり「お前は俺の首を取りに来たのか」と言われたそうだ。状況から判断すれば当然のことではあるが、この元社長は山口君ご夫妻の仲人であり、かつ元社長にとっては最初の仲人であったとのことである。この話をした時の彼は本当につらそうであった。

 

彼からは時々個人的に相談を受けていたが、彼なりに立派に仕事を完結させ結果を丹羽社長に報告に行った時のことです。社長から自分は辞任すべきではないかと言われたので、給与を返上すれば辞任する必要はないと思うと話したことを白状していました。その時のほっとした彼の表情が印象的でした。そして彼が亡くなったのはそれからすぐの事でした。

 

丹羽さんのような方が東電の社長になっていただきたいと思うが、しかしその時は誰が山口君の役割を演じるのだろうかと心配性の私は気になります。

 

                             (千種*忠昭)

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10月28日Forum11が開催されました。(Tanaka_Iwaki)

2011年10月30日 | 田中(石)・田村・千種


「10月28日(金)19時から日比谷のシーボニアメンズクラブにて
後藤・柳原両君の合同幹事によりForum11が開催されました。

 いつもは、持ち回りによりテーマを決めての勉強会ですが、
今回ははるばる米国から藤村道男君が一時帰国していたことと、
これまで多忙を極めていた今井義典君がようやくNHK副会長を
退任して少しは暇になったらしいとのことから、特にテーマは
設けず、それぞれに近況報告をということで推移しました。

 参加者の写真を添付します。ただし、柳原幹事が遅刻したので
写真を撮ったときに彼はいませんでした。全員が揃ってからは、
カメラマンが酔っ払ってしまい、カメラを取り出すことを失念
してしまいました。
                    (田中*石城)



(2011/10/28)



Forum11の活動に関しては、後藤典彦君または花島克彦君にお問い合わせください。

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近況報告(Chigusa_Tadaaki)

2011年10月22日 | 田中(石)・田村・千種

 私の近況を語るには9年前の8月13日に戻る必要があります。同日の夜8時、友人と食事を終えてレストランを出たところで、後頭部にガンと打たれるような激しい痛みを感じ、そのまま病院に救急車で運ばれました。これが、9日間の危篤状態のはじまりです。病名はワレンベルグ症候群、ひらたく言うと中枢神経を司る延髄の脳梗塞です。その後は食べることも出来ず、水を飲むこともまったく出来ない嚥下不全となりました。その前3月に会社を辞め開放感に浸りきり、真夏の20日間ぶっ続けに遊んだ報いです。ひと月がたち、点滴での生命維持も限界になり医者から胃に穴を開けて直接栄養剤を入れる事を言い渡されました。しかし、食への希望が絶ちきれない私は断固拒否。その後は私を励ますためか目の前で家族が楽しく夕飯を食べるのを横目でにらみながら、私も「いただきます」と言って、自分の手で口から胃へ管を通し大きな注射器で栄養剤を注入する毎日でした。そのような折、リハビリのつもりでうどんなど麺類を一本ずつ盗んでは食べる真似をして努力、ついに10月16日ラーメン一杯を食べてしまいました。結果、すべて解消!

脳梗塞はその後の私の生活を一変させ今日に至っております。2ヶ月間の飢餓状態の反動から、まず喰い意地道をまい進しました。例えば、一昨シーズン(冬の事)は熊、アナグマ、イノシシ、鹿から野兎、キジバトまでケダモノ類を十数種類食べました。天然キノコも同じくらい食べましたが、今年は手に入りません。どうもセシウムが蓄積するので売るのを控えているらしく、大変残念です。

病後からだの様子を見ながら、友人が関係するケーブルテレビの経営をぼちぼち手伝うことにしました。ところが2004年の春に会社の若い人が来て、どうせここまで見てくれたのだから、週一日でよいから社長をやってくれと言われました。見た目は楽な仕事でしたので、引き受けたのがとんでもない落とし穴でした。会社がアブク銭で食っていることは知っていましたが、社長になってみると、社員が「金を使うな」、「働くな」と教育されていることが分かりました。その後は体力と競争しながら社員教育に忙しく働きました。
最も印象に残ったのは、今年7月24日の「地デジ化」に向けて全25万世帯のお客様の内、9万世帯と新たに契約を結び直さなければならない事態になったことです。そこで一昨年の秋に自ら営業本部長になり生まれて初めてと言ってよいくらい一生懸命働きました。7月24日のDデーには1万世帯にのぼる地デジ難民の発生が予想されましたが、幸い大きな混乱もなく無事に地デジ化を乗り越える事が出来てホットしているところです。同時に社員が達成感からか、明るく良く働くようになったのは大きな成果です。

9月にNHKが原発に関する素晴らしいシリーズ番組を放送しました。ちょうど良い機会でしたので“原発性鬱症状”と題して評論を書き、今井君にお送りしたところ、彼のお目に留まり今回のご指名になったようです。しかし、原発の話は重いので別途ブログを立ち上げましたので、ご興味がおありの方はhttp://tchigusa.blogspot.com/をご覧ください。

次回の近況報告は原発に悩む日本を離れて、アメリカから明るい近況を増山君にお願いしたいと思います。よろしく!

                       
    
(エデンと軽井沢 2011冬)

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