アップルパイ
今日は1月2日。 正月であるが、この歳になると、ただの2日である。いつものように顔を洗い、ひげをそる。バナナの輪切りに蜂蜜入りヨーグルトをかけ、ママレードをたっぷりのせたトーストを口に運び、コーヒーを飲みながら咀嚼する。最後に血圧を測定する。食前に測らねばならないのだが、この習慣を毎朝崩さない。計測を終われば歯磨き排便と、高齢者の健康維持にはマンネリズムがとても大切ですと聞かされてから、この手順をかたくなに守っている。
一連のルーティーンが終了すると長年培ってきた脊髄反射に逆らわず、玄関でいつもの色あせたヤッケをはおり、毛糸のスキー帽をかぶる。ウォーキングシューズのひもを締めると、おもむろに寒空の下に足を踏みだしてゆく。ここでは、すでに散歩コースが決まっているはずなのだが、今朝は迷っていた。この気配を敏感に察知した家人から、絶妙なタイミングで声がかかる。「どっち方面に行くの、もしかしたら、こどもの国方面に行かない?」この、『もしかしたら』の言葉は、我が家では、そちらに行ったらどうなの、と同義語に近い。数秒の中に、疑問文は脳みその中で命令文に変容するのだ。ここで、あ~と返せば、二の矢が飛んでくるのは火を見るより明らなのである。今朝も、この流れになってきた。ボケ魚が泳いでいると、鼻先にそっと、餌を付けた糸を垂らす術は天才的なのだ。「よかったら、スーパーに寄って、不二家のアップルパイ、一つ頼めるかなー」とやんわりと迫ってきた。さりげない猫なぜ声だが、もう逆らえない。
このパイは今晩来るはずの娘の大好物なのだ。おそらく、パイの購入依頼のタイミングを昨晩から、虎視眈々とうかがっていたのだろう。いつものことだ。いつものように餌に食らいついて散歩を始めた。
アップルパイはどこにでも売っているのだが、生まれて初めて食べたそのパイが不二家であったのだろう。このときの感激が脳みそに刷り込まれ、いまだに消えないらしい。この単純な思考回路はいまだに健在だ。
スーパーの店内にある不二家のアップルパイは超貴重品で、予約以外は、毎日、一つか、二つしか店に陳列しないゆえ、開店すれば速やかに店の前に足を運ばねばならない。鶴見川の川道から寺家町の切通しを抜け緑山の住宅街を通り奈良町への近道をひたすら歩き続け、開店一分前に到着した。無事に大役を果たした満足感で、なんとなく正月の清々しい気分を更に深く味わい直しながら帰宅する。 若い頃は面倒であった頼まれごとだが、歳をとると、まだ役に立っているのが嬉しくて、なぜか散歩の足に力がこもる。特に、大好物が手にはいるときは。
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