栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

近況報告(Tanaka_Izumi)

2013年02月23日 | 高山・多木・田中(泉)

 

ご無沙汰しています。

田浦校舎の一番奥に30㍍近い崖があり、そこをロープ1本で下降する姿にあこがれて山岳部に入りました。当時、「山の上の第三の男」というマッターホルンを舞台にした映画が上映されており、ソバカス美人のジャネット・マンローという女優さんにすっかり参って、日の出町界隈の映画館に、下校途中の制服姿で何度か立ち寄った覚えがあります。バレていたら「訓育」ものだったでしょう。一時、アルピニストを夢見ましたが、これは端から挫折でした。

あの時代、テレビがようやく一般にも普及し始めた頃で、毎週欠かさず見ていたのが、警視庁詰めの新聞記者たちが刑事に先駆けて難事件を次々と解決してゆく「事件記者」でした。とりわけ、その親分たる警視庁キャップは、街に散った部下たちの報告を待つ間、銀座の小料理屋「ひさご」で毎晩のようにチビチビやっているのですが、相手をつとめる女将が、うりざね顔で妖艶な美女、坪内美詠子さんでした。そして、事件が煮詰まり、キャップが一言「よっし、行こう」とゴーサインを出すと、輪転機が轟音とともに回り出し、特ダネの大見出しが躍る新聞が次々と吐き出されてくるのです。その格好良さといったら・・・覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。

・・で、私も、早稲田を出て読売新聞に入って社会部30年、その間、憧れの警視庁キャップも務めましたが、「ひさご」もなく、「美詠子ママ」もいなかったことは言うまでもありません。ロッキード事件をはじめ、警察、国税、防衛と華のない地味な仕事の日々でした。最後の4年間は巨人軍に出向、ミスターが有終の美を飾った2000年の「ミレニアムV」では、ビールに代わって初めてのシャンパンがけを演出したり、応援団の笛太鼓を止め拍手だけで応援する「球音を楽しむ日」を企画したりと面白い経験もさせてもらいました。

ラジオ局を経て、2011年夏から「悠久休暇人」です。葉山の海でシーカヤックやパドボ(スタンダップ・パドル・ボード)をしたり、昨年からは「笛吹童子」以来やりたかった尺八を始めました。「首振り3年」と言われるように「音出し」に四苦八苦です。

皆さんは、「神奈川災害ボランティアネットワーク」をご存知でしょうか?「3・11」以降、何か出来ることはないかと、いきついたのがこの団体でした。月1回のペースで東北に出かけ、瓦礫処理や農業・漁業のお手伝いをしています。被災した方々にとって一番悲しく、恐ろしいのが「忘れられる」ことだそうです。その意味で、活動自体は微々たるものですが、応援している気持ちを現地に行く形で表すだけでも、少しは意味があるのかなぁーと思っています。実は、遠野の「ドブロク」が大きな楽しみになってはいるのですが・・・。

3月24日は残念ながら出席出来ません。またの機会にお目にかかれるのを楽しみにしています。

                 

 

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ちょっと悲しい近況報告(Nakazawa_Masatoshi))

2013年02月15日 | 中澤・長島・野崎

 水彩画をやっています。絵を描いているなんて言うと、のんきに鼻歌交じりでやっている姿を想像するでしょうが、実は故あって吐息ため息で描いているのです。

     清里スケッチ旅行

 

 ちょっと長くなりますが、事の次第をお話ししましょう。退職してから、友人に絵手紙を出そうと思いました。中学以来五十年ぶりの水彩絵の具は水ににじんで素晴らしい発色をしたのに驚きました。咄嗟にこれなら蕪村のような絵がかけそうだと思いました。蕪村の絵に雪に埋まった京都の町の夜景を描いたものがあるのですが、暮れなずむ薄墨色の夜陰の中に、家々の窓からぼううと明かりが漏れる、なんとも詩情あふれる絵なのです。まさに枯淡の境地です。枯淡の絵を描きたい!…と思ったのが水彩を始めた動機です。

  会社の先輩で若い時、一緒にスケッチに行ったことのある人が、やはり退職後に水彩を始め、画家に習っていると言いました。私は六十歳にもなって、今更他人に習うなんて馬鹿げたことをするなあ…と思いました。この歳までに自分なりの美意識なり鑑識眼を養っていなかったのか…と考えたからです。何といっても、私には、枯淡の絵を描く…という確固たる信念がありましたから。

 

 旅行会社のやっているスケッチツアーには度々参加するのですが、この旅行会社はカルチャー事業もやっていて、事務所の廊下に絵画教室の指導をする画家達の絵を展覧します。受講希望者は自分の好みの絵を描く先生の教室に申込みます。work shop と言うんですかね、先生が一時間程で絵を描いて見せます。生徒はこの間に先生の技法なりテクニックを学びとらねばなりません。職人や調理人は親方や先輩の仕事を盗み見しながら技を身につけると言いますが、まさにそれです。書籍を読むことで知識を得るという習慣を長く続けてきた者にとっては、これはつらい。あれよあれよという間に絵は完成してしまうのです。

  展示してある絵の中に不思議な絵が目にとまりました。風景画なのに何故か色気があるのです。この色気が何に由来するのか究明したくなって、この画家の教室を受講することにしたのです。先生は画家になる前はヤマハの技術者だったそうです。授業は遠近法の講義で始まりました。本を読むと遠近法は近世になってから、ヨーロッパで発見された…と書いてあるのですが、私は自分は生まれた時から、遠くのものほど小さく見えていたけどなあ…と不思議に思っていました。先生はホワイトボードに何やら描いて、「ここが視点で人がこう立っていると消失点はどこですか?」っと、いきなり私にマジックを渡しました。消失点とはまっすぐな道に立った時、道の延長線や両側の家並の延長線が一致する点のことです。私はマジックを持ったまま棒立ちでした。

消失点を発見したのはブルネレスキというイタリアの建築家だそうです。この人はフィレンツエのドームを作ったので有名です。ドームを作るには工事中のドームを支える支柱が必要で膨大な費用がかかるのですが、彼は一定の角度でレンガを積み上げていけば支柱はいらない…と安い工事費で入札に成功しました。高層ビルの建築では資材を地上から上まで上げるスピードが非常に重要だと聞いたことがあるのですが、ブルネレスキの凄いところは起重機も発明しているのです。馬が動力なのですが、歯車を組み合わせて、レンガを上の作業現場まで持ち上げます。荷物を下ろす時は、馬を後ずさりさせずに、ギアを切り替えてできたそうです。レオナルド・ダ・ヴィンチが見学にきたそうです。こんな大天才の発見を私にできるわけないですよね。

机を道に見立ててテープを使った消失点の実在を証明する実験をやりました。その次は右脳を使えばもっといい絵が描けると左手で描いたり、絵を逆さまに描いたり、陰影を6段階に分けて黒白で描く練習や筆以外の割りばしやスポンジをつかって描く実習をやりました。私は技術系の人が芸術をやるとこうなるのか…と面白かったのですが、受講者は半減してしまいました。事務所に注意されたらしくて、先生が「皆さん、何をやりたいですか?」と聞くので、「人物!」と言って手を上げました。

もう二人男性が手を上げたので人物を描くことになりました。人物と言えば、当然“裸婦”ですよね。モデルさんは若く美人でスタイルもよくおっぱいはツンッと上を向いていました。私のやる気は満々となりました。まず先生がお手本のデモンストレーションをやります。この最中にモデルさんがくしゃみをし始めました。部屋の温度が低いというのです。事務所に部屋の温度を上げてもらってくるとすっぱだかの上にたった一枚のコートを羽織ったままで、モデルさんは「事務所は何階ですかあ」と叫びながらエレベーターに飛び込んで行きました。湯上りに浴衣をひっかけて、温泉町をふらつくのとは違います。新宿の高層ビルの中で、noパンで、ですぞ。

「いい根性しているなあ」と私の彼女への好感度は上昇しました。部屋の温度は一向に上がりませんでした。受講生のおばさん達は「ホッカイロを買ってこよう!」とか「マットを足の下に敷け!」とか「足温器を事務所から借りてこよう!」といろいろ具体的な意見を言うのですが、こういう時、男は駄目ですねえ。ボウとしているだけなのです。とうとう受講生たちが描く時にはモデルさんの腰に毛布を掛けることになりました。いったい、へそから下のない女とはどういうものか、皆さん想像がつくでしょう。私のやる気は見る見るうちにしぼんでしまいました。このような私の意欲の減退もあって、「色気」の原因究明はなかなか進捗しません。

最近、私と同年配の御婦人が教室に加わりましたが、のっけからめっぽううまいのです。私より上手で、先生が「だいぶ描かれていますね?」と訊くと、「いいえ、始めたばかりです。」と答えるのです。そして自分よりずっと下手な人の絵を「まあ、お上手!」と褒めるのです。女はどうして、このような無用の嘘をつくのでしょう。私はこの女には負けたくない!と思うのです。それで、週に三枚描こう…と決意しました。ところがこれがとんだ難行なのです。

水彩といえば、サラサラと描いて、絵の具が乾いたら出来上がり!とお思いでしょうが、wet in wet とかwet in damp と技法は奥が深いのです。紙の湿り具合を常に注意しながら絵の具を置かねばならず、毎日描かねばならない羽目になってしまいました。ため息吐息の出る所以はかくなる次第なのでした。

 えっ、枯淡の絵はどうした…ですか? そうそうそうでした。未熟なんですねえ。

  清里スケッチ旅行                         

 

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近況報告(Watanabe_Masateru))

2013年02月07日 | 米澤・渡辺(正)

 

ご無沙汰しておりますが、元気でやっております。今、主に3つのことをやっております。

 1つ。特許&技術文書の翻訳の仕事(英語)をしています。会社を退職後、翻訳学校に半年通い、翻訳会社のトライアル試験を受けて、翻訳を始めました。元々エンジニアなので、新しい技術の情報に触れるのは楽しいです。概ね技術用語などは分かるのですが、新しい言葉が出てくると、調べるのが大変です。何しろ新しい技術ですから辞書には載っていません。それでも、インタネットで根気よく検索すると大体発見できます。

 もう一つの問題は、日本と英米の表現の違いです。例えば、日本語では「病気を治す」ですが、英語では「treat a patient」、つまり「患者を治療する」が普通です。考え方の違いが表れているようで、面白いです。こんな具合で、新しい技術や言葉に触れたり、表現、考え方の違いを発見したりするのを楽しみながらやっております。

2つ。富士山の麓で畑をやっています。ここは父親の故郷なのです。海抜1000mの高原で、冬は-10℃まで気温が下がり、農作業はお休みです。4月中旬にカッコウが鳴いて、霜の終わりを告げると農作業の始まりです。とうもろこし、じゃがいも、インゲン、ブロッコリ、レタス、キャベツ、大根などを植えます。どれも採れたては美味しいです。果樹も栽培しており、桃、柿、サクランボ、ブルーベリなどが採れます。ブルーベリとサクランボが冷涼な土地にあうようです。 5月から10月まで、雑草の勢いは大変なものです。せっせと草取りに通います。大変な草取りも、今は機械のおかげで、刈り飛ばすのは中々爽快です。因みに農業機械の特許出願も多く、翻訳しても興味がわきます。

 

        (富士北麓の冬)

3つ。登山です。60歳の時に誘われて、西穂高の独標に登りました。そこで、アルプスの大岸壁の迫力に魅せられてしまいました。それ以来、「3000m超の山を10座登頂」を目標に挑戦を始めました。雷鳥の親子や、ブロッケン現象に遭遇したり、雲海に登る日の出に感激したり、色々楽しいです。昨年、槍ヶ岳に登って、10座の目標を達成しました。次は何を目標にしようかと考えているところです。

 

     (槍までもう一歩)

    (雲海の夜明け)

 

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近況報告(Tsunoda_Kiyoshi)

2013年02月01日 | 角田・露無・鳥居

皆様、ご無沙汰しています。角田です。

東京銀行、東銀リースと金融関係を歩んできましたが、6年ほど前に友人に誘われ、今は、精密金属部品(主にネジ)の専門商社、エトー株式会社というところにおり、週に2~3日出勤しています。会社は、みなとみらいのクイーンズタワーにあります。今大変なことになっている、日揮と同じところです。しかし、色々な意味でひどい事件ですね。テロとの戦いも、もちろん大切ですが、いわゆる死の商人の厳格な取締も大切ではないでしょうか。

 さて、先週、大河原くんのアレンジで、(同窓だけではありませんでしたが)大河原くん、大久保くんと旧交を温める機会に恵まれました。たくさんの旧友の名前も出て楽しい夕べを過ごしました。みんなそれぞれ違う道を歩いているのに、それぞれの交友関係の輪が色々なところで交わったりしているのを発見して、改めて世の中は意外と狭いような気がしました。

 3月24日に皆様にお会いできるのを楽しみにしています。

        

                   ( 長男の孫と)

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