花筏(はないかだ)
春爛漫。恩田川の町田地区の桜は、今は盛りと咲き誇り、花の重みにたえかねて川面に触れんばかりに垂れ下がる。川沿いの道は淡いピンク一色で視界が埋めつくされ、幾重にも重なる桜の枝で目の前の視野もおおわれ、その明るさに目が痛くなるほどだ。妖しいほどの艶やかな情景は川の土手道を歩く人たちの心を酔わせ気持ちを高ぶらせる。
やがて、酔いを醒ますかのように、川風がピンクの枝をゆするころ、華やかさの頂点に上りつめた花たちは、うららかな春の陽射しをいっぱいに受けて、ゆらゆらと風と遊ぶかのように散り始める。
春の甘い香りの漂う桜のトンネルをくぐるとき、一瞬、強い風が吹き、桜吹雪に包まれて何も見えず息も止まりそうな夢の世界に入りこむ。歩行者の間を縫うように落ち続け、足元を魅惑する花びらとは違い、川面に向けての見事な中空の舞を披露した花たちには、優雅な花模様を見せ合う花筏の旅が待っている。
母親に別れを告げた子供の花びらたちは一ひらずつ、始めは少しとまどいながら川面に着水し、、小さな星屑のように散らばりながら川を下り始める。そして、周りの仲間たちと、お互いの生まれ育った在所を語り合うように群れを組みつつ横浜地区に流れこむ。
のんびりと周囲の景色を楽しみながら流れてきた花びらたちは、まるで磁石で引き寄せられたように、一瞬のうちに早い瀬の流れにのみ込まれ、水中にもぐりこみ慌てているうちに、大きく広がるよどみに押し出される。
一息入れるかのようにゆったりと漂う薄桃色の花びらの間に、見え隠れしながら泳ぐ錦鯉の赤い影が見えたとき、一服の絵を楽しませてもらう。
ゆるやかに流れる一筋の花筏が川面を撫でるわずかな風のそよぎと戯れるかのように、少しずつ本流から離れ岸に沿って静かに逆流し、岸辺にたまり始めたピンクの花びらの群れを崩してゆく、やがて、ゆっくりと反転し、崩された花びらと一緒に、ふたたび本流に戻ってゆく。ピンクの渦潮は風の囁きに応えるように、時々刻々、その大きさと場所を変えてゆく。
流れのはやい地区にさしかかり、上流からの花の勢いが強まるにつれて、着物の絵模様を競いあうかのように、幾筋もの花筏が力強く流れてゆくのが目に入る。
流れにうまく乗り続けてきた花びらの群れたちも、やがて、花の筏を解くときがやってくる。思い思いの場所で身をしずめ、それぞれの短い一生を終えてゆく。
岸沿いのくぼ地に迷い込んだ桜たちも、しだいに厚みを増し、幅を広げ、盛り上がるようにして岸に乗り上げて、生い茂る雑草のなかに埋もれてゆく。
川に沈むまいと懸命に流れてゆく花筏の姿を見ていると、なぜか、一枚一枚の花びらが一人一人の人生模様を映しだしているような気がする。