栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (74)” 花筏”(Okubo_Kiyokuni)

2017年04月11日 | 大久保(清)

  花筏(はないかだ)

 春爛漫。恩田川の町田地区の桜は、今は盛りと咲き誇り、花の重みにたえかねて川面に触れんばかりに垂れ下がる。川沿いの道は淡いピンク一色で視界が埋めつくされ、幾重にも重なる桜の枝で目の前の視野もおおわれ、その明るさに目が痛くなるほどだ。妖しいほどの艶やかな情景は川の土手道を歩く人たちの心を酔わせ気持ちを高ぶらせる。 

やがて、酔いを醒ますかのように、川風がピンクの枝をゆするころ、華やかさの頂点に上りつめた花たちは、うららかな春の陽射しをいっぱいに受けて、ゆらゆらと風と遊ぶかのように散り始める。

春の甘い香りの漂う桜のトンネルをくぐるとき、一瞬、強い風が吹き、桜吹雪に包まれて何も見えず息も止まりそうな夢の世界に入りこむ。歩行者の間を縫うように落ち続け、足元を魅惑する花びらとは違い、川面に向けての見事な中空の舞を披露した花たちには、優雅な花模様を見せ合う花筏の旅が待っている。 

母親に別れを告げた子供の花びらたちは一ひらずつ、始めは少しとまどいながら川面に着水し、、小さな星屑のように散らばりながら川を下り始める。そして、周りの仲間たちと、お互いの生まれ育った在所を語り合うように群れを組みつつ横浜地区に流れこむ。

のんびりと周囲の景色を楽しみながら流れてきた花びらたちは、まるで磁石で引き寄せられたように、一瞬のうちに早い瀬の流れにのみ込まれ、水中にもぐりこみ慌てているうちに、大きく広がるよどみに押し出される。 

一息入れるかのようにゆったりと漂う薄桃色の花びらの間に、見え隠れしながら泳ぐ錦鯉の赤い影が見えたとき、一服の絵を楽しませてもらう。

ゆるやかに流れる一筋の花筏が川面を撫でるわずかな風のそよぎと戯れるかのように、少しずつ本流から離れ岸に沿って静かに逆流し、岸辺にたまり始めたピンクの花びらの群れを崩してゆく、やがて、ゆっくりと反転し、崩された花びらと一緒に、ふたたび本流に戻ってゆく。ピンクの渦潮は風の囁きに応えるように、時々刻々、その大きさと場所を変えてゆく。

流れのはやい地区にさしかかり、上流からの花の勢いが強まるにつれて、着物の絵模様を競いあうかのように、幾筋もの花筏が力強く流れてゆくのが目に入る。

流れにうまく乗り続けてきた花びらの群れたちも、やがて、花の筏を解くときがやってくる。思い思いの場所で身をしずめ、それぞれの短い一生を終えてゆく。

岸沿いのくぼ地に迷い込んだ桜たちも、しだいに厚みを増し、幅を広げ、盛り上がるようにして岸に乗り上げて、生い茂る雑草のなかに埋もれてゆく。

川に沈むまいと懸命に流れてゆく花筏の姿を見ていると、なぜか、一枚一枚の花びらが一人一人の人生模様を映しだしているような気がする。 

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大岡川(横浜市南区)桜満開 (2017/4/10)

2017年04月10日 | 奥山

 大岡川の桜が満開になりました。(2017/4/7)

 清水橋 ⇔ 井土ヶ谷橋

 井土ヶ谷橋 ⇔ 蒔田橋

 

 蒔田橋 ⇔ 鶴巻橋

 

  (2016/4/5) 

 鶴巻橋 ⇔ 大井橋

 大井橋 ⇔ 弘岡橋

  弘岡橋 ⇔ 観音橋

 

 

 

 

 

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横浜 春爛漫 花満開 (2017/4/6)

2017年04月06日 | 奥山

横浜 春爛漫 花満開 (2017/4/6)

<大通公園>

<横浜公園>

<日本大通り>

 

<波止場会館 裏広場>

<山下公園>

 

<港の見える丘公園>

<気象台付近>

 

<元町公園>

<カトリック教会>

<イタリア山邸園>

 

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きよちゃんのエッセイ (73)” 1貫目の氷”(Okubo_Kiyokuni)

2017年04月01日 | 大久保(清)

一貫目の角氷

 夏の朝の陽射しが勢いを強め始めたころ、氷屋の前にとめたトラックの荷台では鉢巻き姿のおじさんが腰をかがめて氷を切り出していた。電動のこぎりで氷の表面を撫でるように縦横に切れ目を入れてから、細いノミを差し込み、トンと一叩きすると、アッという間に一貫目サイズの氷が切り分けられていく。

この涼しげな光景を、通りを挟んで眺めていたが、トラックの傍にも、お仲間の見物人がいることに気がついた。こちらよりいくらか年配風のおじいさんが二人、そして、その間から覗き込んでいるお婆さんが一人。

グレーの半袖シャツと甚平姿の男たちは、歩道につったったまま、氷を切る涼やかな音に魅せられて、、あんぐりと口を開き、ほおけた表情でキラキラと輝く氷を見つめいる。後ろに控えた婆さんは、すこし伸びあがるようにして、近ごろは随分と便利になったものだねー、と感心したような顔つきだ。

忙しげに人が行き交う通りの一角に、老人達だけの世界が造られ始めた。彼ら頭の中には、幼い頃の氷の思い出が、ゆらゆらと浮かび上がってきているのではないだろうか。こちらも、童心に帰り懐かしい気持ちになってきた。

暑い夏、クーラーもない時代、身体の火照を鎮めてくれるものは、扇風機からの涼しげな風、そして、からだを体内から一気にクールダウンしてくれたのは冷たい氷だった。

氷と言っても、今様の冷蔵庫の一口サイズの氷ではなく、一貫目の角氷だ。

ヨシズを入ると、大きな氷がクルクル回り、シャ、シャ、シャと涼やかな音の響きと共に、雪のようなかき氷がガラス容器に盛られてゆく。赤や緑のシロップをかけ、頭を痛くして氷をすくう、夏の日の最大の楽しみだった。

氷屋さんがリヤカーに蓆をかぶせて家まで運んでくれた角氷は、勝手口に配達されると、冷蔵庫代わりにすぐに毛布にくるみ北向きの風呂場のタライにいれられ、その横にはトマトやスイカを添わせて冷やしたものだ。角氷を砕くとき、キリを使っていたのか、専用のアイスピックを使っていたか余り覚えていないが、使用する度に割っていた。

小割にした氷はカルピスやサイダーに入れて、もっぱらお客様に使用され、運が良ければたまに、おやつに飲むことができた。臨海学校、砂浜に一列に並び、氷を入れたヤカンからお椀に注いでもらった冷たい甘いシロップは、今でも舌先に残っている。

一貫目の氷で、暑い夏の一日の涼をまかなわねばならぬゆえ、食べ物を冷やしたり、のどを潤したり、時には頭を冷やす医療用にと、今から考えると、実に、涙ぐましい使われ方をしていた。

 冷蔵庫の無い時代、氷への愛着は一段と強かったのかもしれない。過ぎ去った時代を懐かしむように、強い陽射しに目を細めつつ、老人達は切り分けられた最後の氷が冷凍室に運び込まれるのをジッと見守っていた。

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