七合目
この歳になると一年の経つのがとても速い。
パソコンルームの壁にかけた真冬の富士の晴れ姿を眺めていたが、カレンダーは見る見るうちに薄くなり、冬山の景色はすぐに夏山の景色に変わってゆく。
雪をかぶる冬富士に比べ、夏富士はどこか殺風景な味気ない印象を受ける。遠くから眺めると、上半分は赤茶けた山肌をさらし暑苦しい雰囲気を与えるが、下半分は山裾まで黒ずんだ深い緑におおわれ霞んで見える。
そのくすんだ緑の正体を知らずにいたが、友人から送られてきた三合目あたりから五合目までの山の写真を眺めていると、深い緑に包まれたこの未知の世界の実態が明らかになってきた。神秘的な樹海の海、針葉樹林の森、美しい湖。かなり奥が深い自然がそこに展開している。
人生は山登りに似ていると言われる。山の頂を目指して一歩、一歩足を運んでいくように、人生の頂上に向けて、我々も、一日、一日、その日の生活を営んでいく。
子供の頃、身近に見える高い山を眺め、山の存在を知るが、まだ山に登ってみたことはなかった。やがて、人生と言う山に登り始める。山裾を遠巻きにゆっくりと登るように、学校行事に四季の移り変わりを織り込んで一年が過ぎていった。やがて、勤めはじめ、嵐にも会い、山小屋に逃げ込みながらも頂上を目指して歩いていた。その時はまだ、歩く途中に出合う景色に目が奪われ、下界を垣間見るだけ、わが身がどこにいるかもあまり意識していない。五合目への途中かもしれない。
そこからの登山道の景色は変わってゆく。視界を遮っていた雑木林も消え、山を巻く道は単調になり、頂上に近づくにつれ、ひと回りする時間も短くなり、すぐに下界には見慣れた景色が現れてくる。高みに登った分だけ、見晴らしがきくようになってきたのだが、その景色が少しずつぼやけてきた感じもする。
時々、霧の中にのみ込まれ、わが身が見えなくなると、不安にかられる。
いつも頭上にあった雲が下に見えてきた。ああ、ここまで登ってきたのかと、通ってきた道のりを反芻し満足感を味わうものの、脛の背後を吹き抜ける冷たい風にすこしだけ気持ちが落ち着かない。
そろそろ七合目に入ってきたらしい。頂上までの登山道はこのまま続くのだろうか、通常の山登りと違い、各人未到の処女峰に向かっているゆえ、頂上の標高は知らされていない。山頂に到達するまでにご来光を拝むことになるのだろうが、いや、よくよく考えてみると、ご来光を拝むところが、山頂である特別な山らしい。