栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

柳原 瑛君を偲ぶ。  (Okuyama_Iwao)

2015年07月15日 | 奥山

 

柳原 瑛君を偲ぶ 

柳原瑛君の通夜と告別式が2015年7月13日、14日に鶴見奉斎殿で執り行われ、11期からは約20人が参列していた。

私が栄光を卒業して柳原君に初めて会ったのは、7~8年程前だった。六本木交差点近くの静かな店で飲みながら二人で話していると、きちんとした身なりの紳士が近づいてきた。蒲谷亮一君だった。そしてその後から柳原君が笑いながらやってきた。近くの席で、自治省OB10人くらいで集まりをしていたところ、私の姿が見えたからだという。柳原君が公務員になったことは噂で聞いていたが、会ったのは初めてだった。柔らかい物腰と静かで落ち着いた話しぶりだった。深々と椅子に座り、上から目線で話しかける私が知っていた官僚とは大きく違っていた。

その後、飲み会で会ううちに、少しづつ話すようになった。2010年3月、柳原君と太田元夫君の3人で2泊3日の西伊豆ウオークに出かけた。柳原君が電車・バスの切符や宿の手配だけでなく、地図・観光案内・時刻表ほか種々の資料を準備してくれた。その緻密さ、心使い、手配のよさが素晴らしく,こんなに丁寧なことをしてくれる人が官僚(!)と驚いてしまった。

一緒に歩きながら、退官後に始めたという山歩きに奥さまと二人でよく出掛けること、日本にある3,000メートル越えの山(21峰)を全て踏破したことなどの話を聞いた。奥の細道を踏破した太田君に匹敵するような偉業の話だった。

  柳原君は、山に詳しいだけでなく健脚だった。登りは少し遅れ気味になるが、下りになると、一気にスピードを挙げる。下りでは、何回も大きく離されてしまった。彼に言わせると「登りは馬力で、下りは技術力」なのだそうだ。

山が好きで、お風呂が好きで、お酒が好きで、タバコが好きだった。

泊まった宿で風呂に入ったあと盛り上がり、3人で日本酒を何本も空けた。酔っぱらってくると国家政策や政治家の批評をしてくれた。官僚らしくない彼だったが、官僚としての能力の高さを感じてしまう話だった。

次は2011年2月に3人で三浦アルプスに出かけた。このときもウオーキング→ お風呂 → 飲み会だった。

2011年5月、太田君と二人で鶴見側50Kmウオークに参加した。35Kmを過ぎた辺りで、雨具でも水を通してしまい、雨具が役立たないほどの大雨となった。そんな大雨の中、柳原君はわざわざ新鶴見橋の袂まで迎えに来てくれた。私はそこで歩きを中止し柳原君と二人で近くのお風呂に入りに行った。その後、一人で雨の中をゴールまで歩き続け、戻ってきた太田君と3人でまた飲み会をしてしまった。

2013年4月29日、3人で三島から箱根まで旧街道を歩いた。美しい富士山が見える天気の良い日だった。緩やかな長い登りが続く道だった。それまで遅れたたことがない柳原君が遅れるようになった。休憩地の山中城址で待っていると、健脚の彼が遅れて到着し、そのままバターンと寝ころんだ。いま思うと、もしかしたらこの頃から体調が・・と考えてしまう。次回は「熊野古道」を約束し、柳原君が計画を立ててくれることとなった。

「熊野古道」が実現しないうちの2015年3月、小細胞肺癌で入退院を繰り返しているというメールが入った。

【=今朝犬と近所を散歩していたらしだれ桜があっという間に開花です。今年の桜は早そうです。水野君の観音崎の計画も飲み会だけになりそうですね。3月16日から3日間4回目の抗がん剤の投与をしました。といっても毎日2時間位点滴をして後は1カ月近く状態観察で何もすることありません。何をやっても構いませんし仕事もOKです。2月には肺の中の影は消えましたので、目下は再発・転移予防の治療です。4月になって、更に2回抗がん剤を続けるか決めることになりそうです。抗がん剤治療場合、副作用が問題です。ガンの種類、個人の体力等によって差が大きいようです。私の場合いまのところ大きな支障は出ていませんが、投与のたびに白血球がかなり減少し、免疫力が低下するので、出かけて人と会えないのが最大の問題です。仕方なく家の中で手足を動> かしていますが、体力は落ちますね。暖かくなりましたし、いつ外出できるようになるのかが当面の課題です。外出できるようになったらご連絡します。(女房の監視が 厳しい。)=】

話を聞くと12月に山に行ったところ突然体調が悪くなって中断した。病院に行ったところ小細胞肺癌が発見されたという。11月29日の飯野ビルの忘年会では、こんなに元気だったのに信じられなかった。

Googleで検索すると小細胞肺がんは進行が早いこと、手術ができない癌であること、脳に転移することが多く非常に難しい癌であること、が分かった。お見舞いに行くべきなのか行かない方が良いのか分からなかった。通っている放送大学で肺がんにかかった友人から「弘明寺の身代り不動のお陰で癌を克服し1.5年後に復帰した。」という話を聞いた。そこで弘明寺に行き身代わり不動のお守り貰って郵送した。1週間ほどして入院中の彼からお守りのお礼と、元気で退屈しているという電話が掛かってきた。

5月2日(土)太田君と二人で横浜東部病院にお見舞いに出かけた。顔色が少し白かったが、癌があるとは思えない程元気で太っていた。個室だったので色々な話をした。旅行した時の写真をもとに色鉛筆で書いた絵を何枚も見せてくれ、帰りには玄関まで送ってくれた。3人一緒の写真をと思ったが次に会うときはもっと元気になっていると思って写真は撮らなかった。

 5月11日に退院したのち、花川泰雄君・太田君と私に次のようなメールが来た。 

【=御無沙汰しております。いよいよ若葉の季節というところですね。私のことですが、先週金曜日に主治医とCT,ペットの検査結果を見たところ肺の中にまだ癌がのこっており、脳の方にも微小な転移が2カ所見られることから、引き続き抗がん剤の治療を続けることになりました。こんどは薬を変えて1週間ごとに3回点滴することになり、前と同じ済生会横浜市東部病院に1カ月位の入院になりそうです。前回は白血球を除き、たいした副作用でませんでしたが、今度はどうなるのか心配です。またご連絡します。先日来お願いしておりました拙宅にお越しいただく件ですが、6月30日(火)、7月1日、2日のご都合はいかがですか。皆さんのご都合のよい日で調整したいと思いますので、ご都合の悪い日をご連絡下さい。そのうえで私の方で日程を調整してご連絡します。なお、当日ですが12時にJR鶴見駅西口改札(出口は一つです。)に集合し、そこから我が家の近くのフレンチのレストランで昼食を取り、その後我が家に寄っていただこうと考えております。よろしくお願いします。=】

7月1日に、元気になった柳原君にまた会えると楽しみにしていたところ、6月28日3人宛に、次のメールが来た。

【=7月1日に開催を決めました昼食のけんですが、先週6月26日にその前の週に取ったMRIやCTの検査結果を担当医と分析しました。その結果、①肺がんの方は、治療効果が見られないから抗がん剤を替えること、②新たに頭部にガンが数カ所転移しているのが見つかったのでガンマーナイフでX線治療をすることになり、早ければ火曜に入院することになりました。(1カ月近く入院の予定です。) そんなことで残念ながら7月1日昼食はキャンセルしました。また機会を改めたいとおもいます。突然会合をキャンセルして申し訳ありません。=】

7月10日、花川君から電話とともに次のメールが来た。

【=先ほど、奥様から電話があり、今朝、柳原瑛君が帰天されたとのことでした。3日前にご自宅に電話した際、お嬢さんから容体が急変したこと、奥様からも肺がんが脳に転移し、場所が悪く手術も出来ず危険な状態となった旨お聞きし、心配していたところですが帰らぬ人になってしまったことは残念です。=】

 柳原君のことはずっと気になっていたが、このメールには驚いた。直ぐには信じられなかった。2ケ月前に病院へ行ったときはあんなに元気だったのに...残念以外に言葉が見つからなかった。

7月13日通夜、棺に入っていた柳原君は2ケ月前とは全くの別人になっていた。髪が真白、頬はこけ、痩せた柳原君だった。たった2ケ月でこんなにも変わってしまうものだろうか。棺の中の人は柳原君とは違う人のようにさえ思えた。家族から「苦しまないで息を引き取った。」という話を聞いて少しほっとした。心の中で「ご冥福を...」と祈りながら別れを告げた。

 <最後に> 

私が11期の幹事になったのは、2011年8月に故山田博君から「肺癌で余命1.5年と宣告された。イレブン会の幹事を担当して欲しい。」という電話からだった。山田博君がヘビースモーカーだったとことをあとから聞いた。そして柳原君、彼のザックにはいつも数箱の煙草が入っていた。栄光で一番親しかった57歳で亡くなった岩部晃一君もヘビースモーカーだった。いま改めて煙草の怖さを感じている。

ご冥福を心からお祈りいたします。    (合掌)

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