栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

太田君と三浦七福神を歩く   (Okuyama_Iwao)

2014年02月20日 | 奥山

 太田君と三浦七福神を歩く

         

 

 関口君が主催した横須賀イレブン会(2014/1/18)に合わせて、太田君と三浦七福神を歩いたので、その時の様子をご報告いたします。

 私が歩く楽しさを覚えたのは、太田君が「奥の細道踏破(*1)」を始めたばかりの頃、鹿沼~日光間を一緒に歩いたことがきっかけだった。30Km以上歩いて、夕方ゴールの日光に到着し、疲れ切って入った温泉は暖かくて気持ちよかった。帰りに東武特急の駅待合室と電車の中で飲んだ缶ビールがとにかく最高だった。  

その後、歩くことと、飲むことのどちらを優先したか分からくなったが、彦根~大垣、逗子~二宮、鶴見川50Km、柳原君を含めた3人での西伊豆、入会したトレッキング会など、この数年間で400Km~500Kmくらい一緒に歩いている。スーパーやデパートでの荷物運び以外には家内とめったに歩かなくなった私がである。歩くだけでなく、何回も一緒に風呂に入り、時には同じ部屋に泊まったこともある。少しアブナイ関係になっているようだ。

 三浦七福神は、昨年(2013年)の正月に二人で歩いたコースで、途中道を間違えたり、通行止めで迂回させられたりしてかなり長距離だったことを覚えている。今回は昨年と逆のコースを歩くことにした。

三崎口駅で記念写真を撮り8時30分に出発、最初の妙音寺(鶴園福禄寿)に向かう。非常に寒い。駅で待っていた太田君の話では雪がちらついていたとか。駅前の坂を下り右折すると15分ほどして妙音寺に到着した。

      

  昨年参拝したときにはなかった四国八十八ケ所のお砂踏み巡礼が新設されていて山門が立派になっていた。

  

 改築をしたお寺を見ると、いつも檀家のことが気になってしまう。私事で恐縮だが、私は家の近くにある寺の檀家になっている。この寺から時々「当寺は由緒があり・・・(中略)・・・古くなったXXを改修したい。ついては寄進をお願いしたい。」という寄付の依頼が来る。「古い方が格調高いしまだ修理をしなくても・・・とか、住職はジャガーの最高級車、こっちは国産車なのに・・・」と心の中で思いながら檀家の習性、仕方なしに寄付をする。「お砂踏み巡礼と山門」どうしても檀家のことが心配になる。

 閑話休題、妙音寺の話。本堂の横から急坂を登った山頂には大きな大日如来像が聳え近くの太子堂に福祿寿が祀られている。寿老人の長くてつるつるした頭が後頭部の髪が少なくなってきた私には心にひっかかる。

      

  次は圓福寺(金光恵比須尊)。前回は道を間違えて遠回りしたところだが、今回は慎重に方向を確認し坂を下る。辺りは冬の田園風景が広がり収穫した大根が並んでいる。横浜から1時間ちょっとでこんな光景に出会えると感激しながら先に進む。金田湾に出た。右折し海岸線を歩いて行くと三浦七福神と書かれた赤い幟が見えてきた。右折するとすぐに圓福寺に到着。こんなに近かった、これは幸先がいい。今回は道に迷わないような気がしてきた。

  

 次は前回、同じような場所を行ったり来たりしているうちにどこを歩いているか分からなくなって辿りついた慈雲寺(白浜毘沙門天)だ。地図によると三浦霊園の横を通ると比較的早く着きそうだ。そこで三浦霊園と書かれた看板の前にいた人に道を尋ねた。「松輪の方だから、このバス通りを真っ直ぐに行って二股に分かれた所から右の道へ….」との答え。本当は教えてくれた道と反対の三浦霊園の方に行きたいのだが、道を聞いた手前、逆らうわけにもいかず、教えてくれた通りの道を歩く。

少し行くと三浦義村の墓所の案内が見えた。急な石段を登ると小さな社とともにお墓があった。

 

三浦一族のお墓は油壺付近と思っていた上に三浦義村という人の名前を聞いたことがない。家に帰って調べてみた。和田一族が北条氏に対し蜂起した和田合戦の際に起請文を差し出したにもかかわらず蜂起直前に北条氏に寝返り、和田一族が戦いに敗れた原因だと鎌倉武士の間で囁かれ、評判がよくなかったらしい。関ヶ原の小早川秀秋のような人のようだ。歴史上の人物として評判が悪かったが、領民に対しては評判がよく江戸時代に新しく墓所がこの場所に建立されたという。

 また話が脱線してしまった。先を急ごう。途中から右折して丘の上へ、一面大根やキャベツの畑が広がる見晴しのよい場所へ出た。家族全員で大根を出荷している農家で慈雲寺への行き方を尋ねる。

    

誰も慈雲寺を知らない。どうして知らないのかと不思議に思って持っていたガイドブックを見せると「ああ~毘沙門ね、毘沙門ならこの道を左に行って、あそこに見える共同出荷場の後の方」と指を指して教えてくれた。どの建物が出荷場なのかわからなかったが、わかったふりをして歩きを再開した。ところが、なかなかそれらしい建物が見つからない。30分以上歩いて漸く共同出荷場らしき建物に到着した。振り返ると道を尋ねた農家が谷戸をはさんで反対側の丘の上に見えた。

直線距離は近いがぐるりと遠回りし迂回してきたからだ。歩くと近いが車の場合は迂回しなければならずかなり遠回りになる。道を尋ねる度に道に迷うようだ。漸く慈雲寺に到着し参拝する。

 

 丘を下ると毘沙門湾に出た。太田君と相談し、昨年とおなじように岩礁地帯を歩くことにする。

このコースは「三浦岩礁の道」と名付けられ、「関東ふれあいの道」に指定されている。天を衝くような観音岩、荒々しい岩と海に盗賊も怖気づいたという盗人狩りなど、切り立った崖や岩場が広がる岩礁地帯で、素晴らしい景観を呈している。これだけの景勝地でありながら観光客の姿は殆ど見られない。交通の便がよくないことだとは思うが、少し勿体ない気がする。

              

                   遠くに見える尖っているのが観音岩

         

              盗人狩付近

 1時間弱で宮川湾のヨットハーバーに到着する。前回はここから丘に登ってバス通りに出たが、天気が良いのでこのまま城ヶ島方向に宮川湾沿いの岩礁地帯を歩いて行きたくなった。そこで、行けるかどうかをヨットハーバーの管理人に打診したところ「今は潮が引いているので歩いて行けるよ。」と言われ、このまま岩礁地帯を城ヶ島方向に進むことにした。ところがこちらは通る人が少ないと見えて整備されていない。

      

「こんなところで転倒したらきょうの飲み会、格好がつかないなあ。スキーで転倒したとも言えないし・・・」と思いながら手足を使って慎重に一歩一歩前に進む。太田君はひょいひょいと岩を跳びながら先を歩いていく。こんなところで足の長さと運動神経の差が出るとは思わなかった。

   

30分ほどで岩礁地帯を通り抜け、城ヶ島大橋が見える「通り矢」についた。以前から「通り矢」という珍しい地名が気になっていたが、来たのは初めてだった。右側は直角にそそりたつ崖、左側が海、もし津波が来たらどうやって逃げるのかと心配になってしまう。

  

そろそろお腹が空いてきた。時計を見たら1時15分を過ぎていた。北条湾をぐるりと周ると三崎港に入った。昼食が気になりスピードを挙げる。しばらくして海南神社(筌龍弁財天)に到着。源頼朝が手植した大銀杏があるような大きな神社だが空いたお腹には勝てない。

 

   参拝を早々済ませて三崎魚市場の2階にある食堂へ行き地魚の刺身定食を食べる。魚市場の人が利用するだけあって新鮮で美味しかった。食事が終り出発しようとすると帽子がない。慌てて付近を探したが見つからない。すると外で並んでいた人から「帽子、ここにありますよ!」の声。食事前に並んでいた時に椅子の上に置き忘れたらしい。どうもボケが進んでいるようだ。食事終了後,魚市場からあまり離れていない見桃寺(桃林布袋尊)へ向かう。どうしてここが七福神と思うような普通の家の形をした小さな寺。本堂らしき所へ向かう。扉が閉まっていたこともありお賽銭なしで祈願したが、賽銭なしの祈願では効果の程が気になる。

    

 

頼朝が歌舞伎園宴楽を催したことから名前がつけられた歌舞伎島公園横を通り諸磯湾へ。ヨットが並んでいる。栄光時代に宿泊した海の家辺りには瀟洒な家が建っていた。いま栄光の海の家はどうなっているのだろうか。南仏風のシーボニア、油壺湾のヨットハーバーを左側に見ながら小網代湾にある小さな白鬚神社(長安寿老人)に出た。

   

前回、小網代の森の通り抜けができなく大きく迂回した。事前に「通れるらしい。」と耳にしていたが気になって付近にいた人に聞いてみたがはっきりしない。太田君に「通行止になっていたらごめん。」とことわって、横にある細い山道に入る。「通行止めだったらこの道を戻るしかない。」と思いながら奥まで進んでいくと、そのまま森を通過してしまった。

 看板が出ていたが、小網代の森付近は鳥獣類の狩猟ができるようだ。道に迷った昨年、犬を連れオレンジ色の派手なチョッキを着て背中に猟銃を背負った狩猟家二人に出会った。向こうは目立つオレンジ色だが、こちらは普通の色の服、誤射を心配しながら歩いたことを思いだした。きょうは狩猟家に会わずほっとした一方少し残念な気がした。小網代の森を抜け、新しく開拓された農地の上の見晴らしのよい丘に出る。

 

 

 晴れていれば、相模湾の先、富士山や伊豆半島・丹沢・箱根が正面に見えるはずだったが生憎霞んでいて見えなかった。ここから畑の中をほぼ北に向い、大根畑を抜けると、間もなく延寿寺(壽福大黒天)の横についた最後なので正面にまわって参拝する。

 

 

これで三浦七福神すべてがお参りできた。出発点の三崎口駅に戻り記念撮影する。16時を少し過ぎていた。

     

18:00からの横須賀イレブン会までまだ時間がある。来るときの電車の中から見つけた京浜久里浜駅近くのお風呂(万葉)に立ち寄り汗を流す。2階にあるコーナーで生ビールと枝豆で、11会の予行演習をする。風呂上がりの生ビールはいつでも美味い。

これからが本来の目的である11会の飲み会だ。きょうは三浦七福神ウオーク、岩礁地帯ウオーク、飲み会と1日で3回も楽しんだ、江崎グリコのような一日だった。43,000歩。

 また太田君と一緒にお風呂に入ってしまった。

 アブナイ関係がまだまだ続く。 

 (*1) 奥の細道ブログ

http://okuhoso.exblog.jp/

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